スプーンが簡単に曲がる瞬間を見たことがあるかい?
ゆいは結局、保健室の毛布にくるまって文章を読み進めてしまった。直前の診察からずっと脈拍が早く、顔が赤らんだままの彼女を保健室の先生は心配し、早退をすすめた。本人は体調不良ではないと否定しようとしたが、使用禁止の携帯で18禁コラムを読んでいたことが原因だとは言えず、少し後ろめたい気持ちのまま帰路についた。
いつもより早い娘の帰宅に、リビングの掃除をしていた母は手を止めて尋ねた。言葉を濁した要点を得ない回答に、深い事情があるのだと思って娘と対面し、目線を合わせ優しく言い聞かせた。ポツポツと出てくる言葉を聞くにつれて頭を抱えたくなってくる。
「携帯で何を見ていたかは置いといて、学校のルールで使用禁止になっているのを知らないわけではないでしょう。緊急時の連絡用であれば学校に持ち込んで良いとなっているの」
「・・・うん」
「わかっているのに、なんで触ってしまったの?」
「・・・どうしても調べたいことがあったから」
「それはその時に絶対しなきゃいけないこと?」
涙目になった娘の回答に、母は眩暈がした。
「・・・ううん。気がついたら触ってた」
情報が断片的ではあるが総括すると、エッチなコラムを書くお気に入りのライターがいて、暇があれば最新コラムを読んでいる。携帯を触る必要はなかったが、呼吸をするのと同じくらいに無意識に手が動く。
「エッチな感情を持つことは自然なことです。でもね、ゆいの年齢で大人のエッチな話を読むのは早いともうの。携帯の中身をママに見せられる?」
「・・・ちょっと、恥ずかしい」
「これはね、大事なことなの」
「・・・わかった。私の目の前で見るなら良いよ」
ひとまず犯罪に巻き込まれてはいないようで安心した。最後に、お気に入りのライターを教えてもらったのだが、どこかで聞いたような覚えがした。
その晩、家族3人で食卓を囲み、娘が今日の出来事を父に話す。携帯を没収しないでほしいという思いもあったのだろうが、反省しているようで、真っ直ぐに育ってくれたなと父は嬉しくなった。
コラムの話になると途端に顔色が変わり、ライターの名前が出ると、声を掻き消すほどの勢いで咳き込んだ。
娘が言い直しても、都合の良い咳が出る。
だんだんと母の片眉が吊り上がり、父に向ける視線が険しくなる。
幾度かの茶番を繰り返したのち、母が食事を止め、思い出したと小さく独り言ちた。それから娘を笑顔で見つめてこういった。
「あなた、食事の後でお話しがあります」
目は全く笑っていなかった。
「ねえ、ゆい。いつどこでMr.doMって言うライターを知ったの?」
「半年くらい前かな。パパの部屋にMr.doMって書かれた名刺が落ちてたの。QRコードがあって携帯で読み取ってみたらサイトに繋がった」
父の頬に汗が伝う。娘のコップにいるクマが同情的な視線を向けた。クマが父に語りかける。
「まあ、生きてりゃ色々あるさ」
父は聞きたかった。
「そうだとしても、君はスプーンが簡単に曲がる瞬間を見たことがあるかい?」