竜皇女と魔技術師 7
「なぁんで、私まで来なきゃならないのよぉ」
学舎から遺跡への道すがら、ミルラがぶつぶつとぼやいている。
「火薬を使う必要が出て来たのでな」
「クラウスだって、火薬使えるでしょぉ?」
「お前の方が得意だろう」
「うー」
「まぁ、すねるなって。特務部から協力を要請されるなんて、滅多にないぞ」
ヒースがミルラを宥める。何やら大荷物を抱えているが、わずかに腰が引けている所を見ると、学舎でも悪名高い、ミルラ特製爆発物一式だろう。
「だってー、バカ学生の尻拭いだものぉ。謝礼金とかないじゃないのぉ」
「でも、噂じゃ第三特務部が来てるらしいぜ」
「うそっ?! あの皇女直属、ちょーエリートの?!」
「知り合いになれれば、何かと便利だよな」
……もうなっている。しかも皇女本人と。
しかし。
「何処からそんな話が?」
「公邸の連中。昨日よっぽど絞られたらしくて、朝から即効性の滋養強壮剤と胃薬頼まれた」
生傷が絶えない軍人と薬師は需給関係にあり、ヒースは公邸に駐留する第二特務部イースタージ駐留小隊と懇意にしている。だから遺跡に入り浸れるわけだが。
「でもぉ、これって特三が出てくるほど大変なことなの?」
ミルラが眉を顰める。
「それにぃ、昨日の今日でしょ? 早過ぎない?」
通常、第三特務部が出て来るのは、地方駐在の第二特務部の手に負えない事由の時。ミルラの疑問も尤もだ。
「いや。たまたま、第三の者が来ている所に事件が起きた、と言うことだろう」
「ん? 何か、知ってるのか?」
「昨日、報告に来ていた少女が、特三の紋章を付けていた」
「えぇっ?! あの子が?!」
「それに……」
遺跡の入り口が見える。
リュドラスの黒い軍服がいくつも動く中、遠目にもその存在を誇張する光。
「……行けば判ることだ」
私達は、少し歩みを早めた。
「あぁ、やっと来たわね」
リュドラスの軍人に囲まれ、コハクを従えて傲然と立つアルスが私達に気付いた。
今日は、珍しく軍服を着ている。
紋章は、日月を従え前足で剣を持つ紅竜。竜の額で輝くのは、紅玉に見えるが小粒の竜血石。襟の階級章は、見るものが見れば、将軍に準じる地位の者と判る。
「遅くなったな」
同行していた二人が固まっている。
しばらくの沈黙の後。
「アルスさんがなんでここに?」
「えぇぇっっ?! 特三の人って、もしかしてアルスさんなのぉっ?!」
二人同時に叫んだ。こういう所は、実によく息が合っている。
「……あら? ミルラには言ってなかった?」
「ただの特務部としか聞いてないわよぉ」
「つーか、俺何にも聞いてないぞ。教えてくれてもいいじゃないかっ!」
「わざわざ言う程の事ではない」
あれ以上、騒ぎを大きくしたくは無かったというのに。
「じゃあ、改めて。私は紅竜軍第三特務部第一小隊隊長、アルス・ブラッド。今回の事件の調査の指揮を執っている。よって、調査に関しては全面的に私の指揮に従ってもらうので、よろしく」
「と、特三の小隊長?!」
ヒースが間の抜けた声を上げる。
「ちなみに、昨日、そちらの学生に危害を加えられそうになったこの子は、私の副官」
「改めまして。コハクと申します」
コハクが一礼する。
「あ、はい。研究員のミルラ・バーントです」
「研究員のヒース・ヘルブです」
と、自己紹介が済んだ所でアルスに促す。
「何か進展はあったか?」
「中の魔素が乱れてるのは変わりないわね、かえって悪くなったくらい。でも原因はまだ不明。とりあえず三人、こっちに来て」
呼ばれたのは、天幕。机と椅子が並べられ、指令室になっているらしい。アルスは奥に座り、私達にも椅子を勧めた。
卓上には、遺跡の見取り図が広げられている。
「昨日の事件現場は、ここ」
アルスが見取り図の一点を示す。
「ここが瓦礫で塞がって、先に進めない。他に通路は?」
「……すげーヤなとこ塞いでんなぁ」
ヒースが呟き、コハクの冷たい視線に言い直す。
「いや、えっと、非常に困った場所が塞がってます」
「……いいわよ、別に。ここ現場だし」
アルスが先を促す。
「その前に、この見取り図、使えないんですけど」
「そのようね。でも公邸にはこれしか。見取り図の改訂不備は、後で質すとして」
アルスがルースを見やる。
ルースは冷や汗を垂らし硬直している。蛇に睨まれた蛙状態だ。
「……まぁ、ルース隊長より前の親父の責任だろーけど」
ヒースは荷物の中から大判の帳面を取り出し、机に広げた。
「目測で描いてるから、正確さに問題はあるけど、多分こっちの方がマシだと」
広げると、ヒースが自分で描いたらしい見取り図がいくつも並んでいる。
所々に植物の写生があるので、本来は植物採集の為の物だろう。
「やっぱり、奥がかなり広いのね」
ぱらぱらとページをめくるアルスの手が止まる。
「……この印は?」
「抜け道」
「よく調べたわね」
一通り見ると、コハクに見取り図を渡す。頭脳労働は、コハクの担当らしい。
「と、すると。崩れた所は、丁度ほかの道が無い所なのね」
「俺の知ってる限りでは」
「じゃあ、瓦礫どかすしかないわね。見取り図しばらく借りるけど」
「どうぞ。アルスさんのお役に立てて光栄です」
この状況でも軟派な姿勢を崩さない。ある意味見事だ。
「じゃあ、ちょっと移動しましょう。クラウス、歩きながらでいいから、遺跡の概要聞かせて」
「そう言う事は、昨日のうちに聞け」
とりあえず一言小言をはさみ、遺跡の概要を話す。
このイースタージ遺跡は、古代魔導帝国の遺物。
もとから学舎か研究施設だったらしい。とりわけ、植物の種類が多く、この地域には自生する筈のない植物や魔法効果のあるもの、薬草になるものだけでなく化け物になるものまであることから、植物を研究する施設だったと考えられている。建材に魔法を反射する加工がされているのは、魔法効果のある植物の侵食に備えての事だろう。
何にせよ、作り付けの物以外は、棚一つ、書き付け一枚残っていないので詳細は判らない。建物そのものの機能は、かなり良い状態で残っているのだが。
「どのみち、何か大型生物がいるような遺跡では無いのね」
「そこまで奇怪な植物は、無かったと思うが」
ヒースを見る。
「いなくもないけど、動くのは枝くらいだな」
……生えているのか。
「で、この瓦礫」
目の前の通路は、崩れた天井や壁で塞がっていた。
所々空間はあるが、向こうまではつながっていない。
「何とかなる?」
アルスが振り向く。
「んー。普通の火は、大丈夫なのよねぇ?」
ミルラが、瓦礫のあちこちを覗き込む。
「んーとぉ、どうしたらいいの?」
「崩せる?」
「ただ崩すのは簡単なの。どんなふうに崩すかが、問題なんだけどぉ」
ヒースに持たせていた荷物を開く。
「とりあえず、通れるだけの空間が作れればいいの」
「じゃあ~、少し細かくするくらいでいいかなっ」
爆薬を取り出しながら、何時になく楽しげだ。
「大丈夫なのでしょうか?」
コハクが不安気に呟く。
「火薬は魔素に影響されにくい。ミルラの腕も確かだ。遺跡を破壊することはないだろう」
嬉々として爆薬を仕掛けるミルラを見ながら、返す。
「いえ。そうではなく」
コハクを振り返る。心なしか、緊張した面持ちだ。
「どうした?」
「何も、感じてはいらっしゃらないのですね……」
問い質そうとすると、ミルラの声がした。
「みんな~、ちょっと下がって~」
導火線を引きながら歩くミルラに付いて、瓦礫から少し離れる。
「でわぁ、いっきまぁすっ」
本当に楽しそうに、導火線に点火した。
そして、意外な程小さな破裂音、続いて岩盤が崩れる音と振動。
粉塵をほとんど上げることなく、通路を塞いでいた瓦礫は破砕され、上部に空間が空いた。通るには瓦礫の山を越える事になるが、あの二人ならば問題無いだろう。
「うんっ、私ってば天才っ」
異論は無いのだが、自分から言い出されると、同意しかねるものがある。
「見事です」
コハクも感心したらしい。
「アルス様」
「大丈夫。あの見取り図が合っているなら、ここまで出ては来られないから」
何?
「ありがとう。ミルラ」
「どういたしましてっ」
アルスは私達に向き直る。
「この先は私とコハクで行くから。一応ここで待機していて。ルース、何かあった時は、三人を連れて脱出しなさい」
「待て」
さっさと歩きだしたアルスを、皆から少し離れた所で止める。
「う」
理由を察したのか、厭そうな顔で振り返った。
「何がいる?」
アルスはコハクを見る。
「コハクぅ」
「申し訳ありません」
「答えろ」
離れた三人が、不審そうに見ている。
アルスは観念したのか、小声で早口に言った。
「やっぱりよくわからないけど、何か大きい生き物。動きはあるんだけど、気配に生気が無いの」
「動物か植物か判別できません。ですが、先程の振動で気づかれたかもしれません。敵意があるものならば、攻撃してくる可能性があります」
先程の『大丈夫か』はその事か。
「大きさは?」
「変化した私くらい、かな」
かなり大きい。そんな物が動ける広さがあるのは……。
「地下の最深部だ。封印されている通路を通らなければ、入れない。お前たちでは、無理だ」
「それは何とか…」
「ならない」
「うぅ」
押し問答する私とアルスに、コハクが呆れたように言った。
「痴話喧嘩をなさっている場合では無いと、思うのですが」
……痴話喧嘩?
「痴話喧嘩、かなぁ?」
アルスも首を傾げた。
「何でもいいか。とにかく、ちょっと様子見てくるから。じゃ、コハク、行くわよ」
アルスはさっと踵を返し、瓦礫の向こうに消えていった。
……断言するが、あの通路は、あの二人では開けられないぞ。
「どうかしましたか?」
今までひたすら恐縮して固まっていたルースが、半ば安堵しつつ話かけてきた。
「ルースは魔素を感じとれるのか?」
特務部の小隊長以上は、魔法術師の筈だ。
「……これだけ乱れていれば。でも、あの方々とは素質が違うからね」
力無く笑う。
まだ三〇代に入ったばかりの筈だが、ここ数日でめっきり老け込んだ様に見える。
「あれと一緒にすること自体が、間違っているが」
「ねぇねぇ。私達どうしてたらいいの?」
ミルラが割り込んできた。
「恐らくすぐに戻ってくる。あの二人に、あの通路が開けられるとは思えない」
「あぁ、あれか。って、そんな奥に何かあったか?」
ヒースも交じって来た。
「竜が踊れる広さがあるのは、あそこしか無いだろう」
「ちょっと、いいかな。クラウスとヒース」
ルースが、少し引きつった顔で聞いてきた。
「どうして、遺跡管理者である私たちより、君たちの方が遺跡に詳しいのかな?」
「前の隊長だったオヤジと、探検してたから、だろうな」
ルースは、イースタージに配属されてまだ一年に満たない。
前任の隊長は、年輩で気の良さと剛胆さと豪快さから、特務部の配下だけでなく、学舎の皆にも『オヤジ』と慕われていた。しかし、仕事は大雑把だったようで、今回ルースがアルスに絞られている原因のほとんどは、オヤジの怠慢と引継不備によるものだ。
「た、探検?!」
「ちゃんと申請書は出したぜ。目的・探検、人数・有志、立入区域・全域、日時・都合の付くとき、期限・気が済むまで、って」
ルースが頭を抱えた。至って生真面目な人間であるだけに、気の毒ではある。
「後で実測して、図面作り直すって言ってたんだけどなぁ」
「ふぅん。そんな楽しそうな事してたんだぁ。私も呼んでくれればよかったのにぃ」
「ミルラはまだ学生だったからな」
拗ねるミルラの頭をぽんぽんと叩き、ヒースは続けた。
「大体はオヤジがヒマな時に俺とオヤジで入ってたんだけど、解けない仕掛けがいくつもあってさ。まさか教授を呼べないし行き詰まってたら、ちょうどこいつが来て」
と、私を指す。
「試しに連れてきたら、ほとんどの仕掛けをあっさり解いちまった」
子供の頃、マイナールの遺跡を遊び場にしていた私には、この程度は容易いものだ。
そういえば、ヒースとはそれ以来の付き合いになる。
深い溜息を吐いて、ルースは言った。
「この件が片づいたら見取り図作り直すから、協力してもらうよ」
「だが、急ぐ必要は無いだろう」
「何故?」
問い返され、説明しようと口を開きかけた所に声がした。
「それは、この遺跡が生きているからよ」
声の主は、瓦礫の山の上に偉そうに立っている。
「そうですね。立入制限区域に指定されるのは、間違い無いでしょう」
コハクがその隣に顔を出す。
「随分早いな」
奥で行き詰まって戻って来たにしては、早すぎる。
「このちょっと先に、また崩れてる所があるのよ。で、悪いんだけど、ミルラ、もう一回頼める?」
「うん。任せて」
何?
「何故、二箇所も崩れているんだ?」
「そんなの、こっちが聞きたいわよ」
聞く相手を間違えた。アルスの後ろに立つコハクを見る。
「小規模ですが、通路をふさいでいます。意図的に通路を塞ぐ為に崩したようにも見えますが、少なくとも数日は経過しているようです」
「昨日以前は、二十日前に遺跡構造学のクラスが入ったのみです。その折りには異常はありませんでした」
ルースが蒼ざめつつ報告する。
「無断で侵入した者がいるってことかしら。入れるの?」
後半の質問はヒースに向けて。
「まぁ、入ろうと思えば」
あっさりとした返事に、ルースの血の気が一気に失せる。
「庭と外側の回廊、中庭なんかは用があってもいちいち許可なんか取らないし。こっちの区画は、魔法術の鍵があるからちょっと手間だけど、まぁ、暇な学生なめるなよ、ってとこか」
「……ろくなことしないわね、どこの学生も」
「まぁ、そんなもんだろ。隊長がルースになってからはいろいろとうるさいから、そんな無茶する奴は、そうそういないと思うけどな」
瓦礫を越えて奥に進むと、確かに、壁や天井が崩れている。
「ここも、普通の火は大丈夫よね?」
ミルラがアルスに確認しながら、爆薬を仕掛けていく。
「じゃ、いっきまーす」
再度、爆音と共に瓦礫が崩れる。
火薬と、埃の匂いに混じる、何か、不快な臭い。
アルスとコハクは、その正体にも既に気が付いているのだろう。粉塵が収まらない内に、瓦礫の奥に走っていった。ルースも気が付いたらしい。
「三人とも。悪いけど、表にいる特務部を、呼びに行ってもらえないかな?」
「なんで?」
「なんで俺らがパシリなんだよ?」
「とにかく、早く」
なるべく、ミルラの視界を遮るように立って、ルースが急かす。
その態度。
この臭い。
何があるのか、察した。
「行くぞ」
二人を促す。
「むー。仕方ないなぁ」
ミルラが踵を返して歩き出す。
が、数歩歩いた所で振り返った。
「あ。荷物持って来……」
慌てて視界を遮ろうとしたが、遅かった。
絶句して固まったミルラを見て、ヒースも振り向く。
「きゃああああああっっっ!!」
喉の奥から絞り出すような、絶叫。
瓦礫の奥にあったもの。
それは。
変わり果てた、人間の姿だった。