竜皇女と魔技術師 5
「うぅぅ、頭がくらくらするぅぅ」
ミルラが昼下がりの太陽を睨みつけている。
恐らく、黄色に見えていることだろう。
二日酔いで休みを決め込んでいた所を呼び出され、更に不機嫌だ。
「……あれだけ飲めばな」
アルスとあそこまで酌み交わす『人間』は、初めて見た。
「薬でも飲んでおけ」
「ヒースにもらってもう飲んだ~」
それなら大丈夫だろう。
ヒースは薬学が専門だ。怪しげな薬の開発にいそしんでいるが、一般的な薬の調合は一通りこなす。
「研究員以上全員緊急召集、だろ? 何があったんだ?」
ミルラに水筒を差し出しながら、ヒース。
歩きながら物を口に入れるなと言っているのだが、聞く耳は無いらしい。
「詳しいことは知らないが」
会議室へ歩きながら答える。
「遺跡で何かあったらしい」
「何かって?」
「怪我人が出たとは聞いているが」
会議室の前に立つと、何やら神経質に叫びたてる声が聞こえた。
あまり混ざりたくは無いが、仕方がない。
「失礼致します。研究員クラウス・ケイヴ、ヒース・ヘルブ、ミルラ・バーントです」
名乗ると、中から入室を許可する声がした。室内の視線が集中する。
特に、昨晩ミルラが大酒を食らっていたことは広まっているらしく、視線が刺々しい。
さっさと手近な空席に付き、部屋の前方、扇形の階段状に並んだ机から視線が集中する空間を見ると、そこには、軍服の少女がいた。
黒の軍服は明らかにリュドラスのもの。黒地に金の縁取り、深紅の竜のエンブレムの形から紅竜軍特務部隊とわかるが、細かい図柄までは見えないので詳しい所属まではわからない。
特務部には見知った者も多いが、初めて見る顔だ。
外見は一〇代半ばになるかと言う所。まだ幼いと言ってもいい。背中の中ほどまでの癖のない真っ直ぐな黒髪をきっちりと括り、毅然とした厳しい表情をしている。学舎の教授達に囲まれても臆する所無く、泰然と構える様はとても少女とは思えない。
「特務部が付いていながら、何ということです?!」
先程からわめき立てているのは、中年の女教師。
「特務部が遺跡に同行するのは、魔技術師の監視の為であり、護衛ではありません」
少女は、至って冷静に返す。
「その程度の事も、ご存知無いのですか?」
誤解している者が多いが、これは少女が正しい。
「まして、今回の件はそちらの学生に非があります。当方は遺跡内の魔素が不安定になっているため、魔導器の使用を禁止するよう忠告しました。遺跡管理者の指示に従わず、魔導器を無断で持ち込んだ上に暴走を招き、遺跡の壁面及び天井の一部を崩落させた責任は、何方が取って下さるのでしょうか?」
「人命よりも遺跡が大切だというのですか?!」
この場の七割以上の者が、遺跡の方が大事だと内心思っていることだろう。
「崩落の際、瓦礫の下敷きになる者が出ないように配慮は致しました」
特務部も、それは同様。むしろ、遺跡の管理責任がある分、遺跡の保護を優先する気持ちは強いだろう。相違点があるとするなら、有事に、他人を助ける余力が有る点か。
恐らく、この少女がいなければ、怪我をした学生は瓦礫に埋もれていたのだろう。
本来、感謝すべき所だ。
「管理者の指示に従わないのであれば、今後イースタージ魔技術学舎の、遺跡への立入を禁じる処置も考慮します」
教授達がさざめく。
素直にそれは困ると戸惑う者と、こんな小娘の脅しに乗るかという嘲笑と。
「失礼があったようじゃな。許されよ」
謝罪の言葉は、戸口から掛かった。
それを口にしたのは、たった今入室してきた学長。その隣には遺跡の管理責任者、第二特務部イースタージ駐留小隊隊長ルースの姿も見える。
「無礼を働いた学生があの程度の怪我で済んだのは、同行者が貴殿だったからこそ。御礼申し上げる」
「御理解戴ければ結構です」
「では、全員揃った所で、詳細を説明して戴けますかな?」
学長に促され、少女は遺跡での出来事についての報告をはじめた。
「……バカ?」
話が進むにつれ、こらえきれなくなったのかミルラがぽつりと呟いた。
確かに、他に表現の仕様が無かった。
遺跡に入る場合、日時、人数、目的、立ち入る範囲を、遺跡を管理するリュドラス公邸――第二特務部に届け出て許可を取る。
当日は所持品、特に魔導器を検査され、特務部の同行者の監視の元で入所する事ができる。
特務部がつくのは監視の為で、護衛は彼等の任務ではない。しかし、非常事態になれば通常は護ってくれるのだ。単に、他人を見殺しにするのが意外と難しいという理由であっても。
しかも古代魔法、侵入者を防ぎ攻撃する罠、住み着いている様々な生物など、遺跡の中は危険が多い。そして、基本的に学者である魔技術師は、身を守る力を持たない者が多い。だから、魔技術師も関係を良好にしようとする。
それを。
「遺跡に銃を無断で持ち込んで、しかも同行者に銃口を向け、おまけに銃を暴発させただぁ~?」
ヒースもこらえきれなくなったらしく、小声でぼやいた。
全く、何を考えているのか。
怪我というのも、構えた銃が暴発しそうな事に気付いた彼女が、銃を叩き落とした時に手首を折っただけのようだ。
そのまま持っていれば腕が吹き飛ぶか、悪ければ死んでいただろうに。
「遺跡管理者としては、当面学舎関係者の遺跡入所を禁じると共に、問題行動を起こした学生並びに指導教官の出頭を要請します」
少女の言葉に室内がさざめく。
「仕方があるまいな」
学長が口を開く。
「しかし、イースタージ遺跡で、魔導器が暴走するほど魔素が不安定になった前例がない。原因究明には、学舎からも人員を送りたいのだが」
「学生の無謀な行為により、学舎全体が信用を失っていることを自覚すべきです」
厳しい言い方だが、正しい。しかし……。
意見したものかと迷っていると、遺跡管理担当者ルース小隊長と目が合った。
「まぁまぁ。原因究明には、魔技術の知識が必要になるかもしれません。代表で何名かに来ていただきましょう」
私が言おうとしたことを察したのか、仲介に入ったのはルース。
しばし考える仕草を見せた後、少女は頷いた。
「わかりました。遺跡内部や、魔導器の構造に詳しい方でしたら」
そして、視線を会議室に巡らして続けた。
「万一、今回の異変の原因がイースタージ魔技術学舎の関係者であった場合、それなりの制裁を考慮いたします」
決して強くは無いが、威圧感のある声でそう告げると、少女はルースに向き直った。
「では、私は公邸に戻ります」
「お疲れ様でした」
ルースが敬礼し、少女が返す。
そして少女が出ていくと、誰を人身御供にするかで教師達が揉め始めた。こうなると、ただの研究員の私たちは見ているしかない。
「……ルース隊長って、ここの公邸で一番偉いのよねぇ?」
ミルラが呟いた。
「なんであの子の方が偉そうなのぉ?」
「そうだよな。何か変だよな」
ヒースも首を傾げる。一見した所、確かに奇妙だが、容易に推測できる事でもあり、少女が退室する際に見えた紋章で確認した。
太陽と月を左右に配し、前足で剣を持つ竜。その額に赤い宝石。
「貴族かなぁ?」
「兵士の階級の方が優先だろ?」
「う~ん」
悩んでいるらしい。
仕方がない。教える事にして口を開きかけた時、
「クラウス」
不意に名を呼ばれた。
「はい」
「それとヒース」
「へ? は、はい」
声の主は学長。
「遺跡の捜査に参加するように」
……何?
「私は研究員ですが?」
この場合、教授が行くのが妥当だろう。
「指導責任を問われているものを、行かせる訳には行かぬのだよ」
人身御供は、遺跡構造学の教授に決まったらしい。そうなると、私に回ってくるのは仕方がない。他の目的が見え透いて、不愉快ではあるが。
「わかりました」
「ですが、私は?」
ヒースが戸惑った声を上げる。
「イースタージ遺跡内部に一番詳しいのは、君だと思うが」
ここの遺跡には植物園が有ったらしく、希少な植物が多い。その調査と称して、学生時代から遺跡に入り浸っているヒースは、遺跡管理者よりも内部に詳しい。適任と言えば適任かもしれない。
「わかりました」
「では、二人には一緒に公邸に来て貰おう」
一応の対処が決まり、皆が退室する中、ミルラに薬を出しながら説明しているヒースを置いてルースに近づくと、苦笑して話しかけてきた。
「歳頃も名前も同じだとは思っていましたが、まさか、本当にクラウス君が…」
「言うな」
小声で、しかし、『力』を込めて言う。
「……失礼しました」
ルースが一瞬固まった。少し、強すぎたか。
「気にするな。今まで通りにしてくれ」
「かしこまりました。あ、いえ、そうですね」
慌てて言い直すと、ルースはいつもより少しぎこちない微笑を浮かべた。
全く、面倒なことになったものだ。