竜皇女と魔技術師 1
「みぃつけたっっ」
聞き覚えのありすぎる声が、耳に届いた。
まだ距離はある。
私は慌てて駆けだした。
今、捕まる訳にはいかない。
しかし、このところ研究に明け暮れていた体は、思ったように動かない。
すぐに息が上がり、速度が落ちる。
背後に迫る気配に振り返ると、それを待っていたように、首にしなやかな腕が絡み付いた。
「つかまえたっ」
視界を埋め尽くす、黄金の光の洪水。
その中で、髪の輝きよりもいっそう華やかな笑顔。
本気で振り払えば、腕から抜け出せることは分かっているが、屈託のない笑顔に魅了されふりほどくことができない。
こうして、私は、捕獲された。
「放せ」
「い、や」
私を捕獲してから、この女は腕にくっついたまま離れようとしない。
それ自体は最早諦めてはいるものの、この場所、往来では御免だ。
なにせ、この女は目立ちすぎる。
そもそもがでかい。
身長は並の男と同じくらい、いや、むしろ男の標準よりも少し高いくらいか。
おまけに派手だ。
腰まである黄金の巻毛、身に着けているのは、凹凸の著しい体をさりげなく誇張する深紅の上着と細身のパンツ。腰には剣。一般人では有り得ない、かといって軍人でもなければ傭兵のような風情でもない、職業のようとして知れない服装。
それが無くても、すれ違う男の半数以上が振り返る程度の美貌でもある。
ここまでくると、男女問わず、振り返らない人間の方が珍しくなる。
そして、皆一様に私に批判的な視線を向ける。
何故、よりによってこんな冴えない男と、と。
無造作に伸ばしたの栗色の髪は顔を隠し、着ているものは丈の長い黒いコート。
どこからどう見ても地味で陰気、しかも怪しげな魔技術師。
この女と釣り合うのは、周囲よりも頭ひとつ上に抜けた身長くらいのものだろう。
「離れて歩け」
「いや」
「せめて放せ」
「だめ」
埒があかない。
とにかくこの突き刺さる視線から逃れたい。
仕方がない。
歩みを早める。
逃亡するにしても準備がいる。
まずは家に戻ることにしよう。
「あいかわらず几帳面よね」
人の部屋を見て、第一声がそれか。
「魔技術師でもなんでも、研究者の部屋って結構ごちゃごちゃしているものじゃない?」
この街、イースタージには魔技術師の学舎がある。私は現在そこの研究員という身分である。
「いい加減に放せ」
いまだ腕にひっついたままの、この女を振り払おうとするが、逆に力を込められる。
「逃げない?」
金色に近い琥珀の瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
どうにも、今回はいつもと勝手が違う。今までは捕獲と同時に強制連行されたのだが。
「どうしても放さないというなら、なにが何でも逃げる」
しばし迷い、腕が放された。
女を一人残し、奥の台所で茶をいれる。
どうにも、今回は何かがおかしい。
私がこの女――アルスティア――から逃げ出し、追いかけられ捕獲され強制連行されたのはこの五年間で五回になる。
お互い、よくも飽きないものだと思う。
しかし、何れも発見された直後に補縛され、この女の部下に痛めつけられたり罪人や人質同様の扱いを受けたりしていた。
その上、前回は研究所も機材も資料もすべて勝手に処分されていた。
これはさすがに腹に据えかねたので、入念に準備して逃げだしたのが、一年と三ヶ月ほど前の事。
相手の情報収集力を思えば、まぁ保った方か。
魔技術の研究を続けている以上は、足がついても仕方がないとは思っている。
現代ではほぼ失われた超常の力、魔法術。この原理を研究解明し、再現または道具に応用する魔技術。
今では魔技術師も魔道師と呼ばれ混同する程、魔法術師は希有な存在。しかし、かといって魔技術師の数が多いわけではない。ましてや優秀な魔技術師など。
逃げておきながら見つかりやすい職にあるのも矛盾しているが、研究が生き甲斐なのだから仕方無い。
実際、あれほど執拗に追いかけ回され強制送還されなければ、ここまで逃げ回る必要も無いのだ。
あの女の事も、別に嫌っている訳では無い。
ある一点を除けば。
そう、あれだけは。
茶を持って部屋に戻ると、アルスは掌に載せた何か赤い物体に話しかけていた。
赤い……。
っ!!
ガシャンっ。
持っていたトレイを叩き付けるようにテーブルに置く。
落とさなかっただけ、我ながら進歩したものだと思う。
「貴様っ!何処からその爬虫類を持ってきたっ?!」
アルスはきょとんとして、掌のトカゲの尻尾を掴んでつまみ上げた。
「これ?火トカゲだけど?」
火トカゲ。炎の精霊の具象。精霊だがトカゲであることには、なんら変わりは無い。
「私の前に爬虫類を出すな」
「やっぱりダメ?」
「早く捨てろ」
「はぁい」
アルスが火トカゲに
「じゃ、よろしく」
と言うとトカゲは消えた。
「……今のは?」
「父様との連絡役」
そう、ある、非常に重大な一点。
精霊を当たり前のように使役するこの女は、桁外れに強力な魔法術師。
いや、一緒にしては世間の魔法術師が気の毒か。
アルスティア・イル・セルス・リュドラ。
大陸一の大国リュドラスの皇女にして次期皇帝、当代最強の魔力を持つ異能者。
現在もこの大陸の三分の一を支配する、古代から続く魔導帝国リュドラスの皇室は、神である竜帝の末裔であり、代々強大な魔力を持つと言われる。
その中でも、この女の能力は桁外れらしい。
世に、先祖返りと呼ばれる現象がある。
それまで表面上失われていた先祖の性質が、何世代も後の子孫に不意に表出すること。
竜帝の末裔であるこの女は、竜に変化する。
桁外れの魔力も、竜だからこそ。
この皇女が、どういう訳か、魔力もない、一介の魔技術師でしかない、この私を気に入ったらしい。
しかし私は、この世の中で何よりも、トカゲを始めとする爬虫類が大嫌いなのだ。
初めてその姿を目の当たりにした時には、立ったまま気を失った。
そして、更に情けないが逃げだした。
それが、五年程前の事。それから逃亡しては捕獲されることを繰り返している。
「今回は強制連行しないのか?」
女は答えず、カップの中に視線を落としたまま問い返してきた。
「ねぇ、クラウス。一つ聞いてもいい?」
珍しい事を言う。
「何だ?」
「今まで逃げてたのって、私が無理矢理連れ戻してたからなの?」
意表をつく言葉だったが、先程からの違和感の原因が読めた。
「今頃気が付いたのか?」
「そうだったんだ……」
女は視線と一緒に肩を落とした。
「誰の入れ知恵だ?」
自分で思い至った訳では無いだろう。
そこまで私の行動を理解できているなら、街中でああもひっついたりしないはずだ。
「……そう、言われただけ」
それを入れ知恵と言うのだが。
この女の周囲は、恐ろしい程にまともな思考の人間がいない。だから、こんな事を言いそうなのは。
「カルナー様か」
「う。当たり」
宰相自ら皇女の色恋に口を挟むとは、リュドラスも平和な事だ。
まぁ、事情は他にもあるだろうが。
「それで、カルナー様は何と?」
促すと、観念したのかすらすらと口を割った。
「『人は、追いかけられると逃げたくなるものです』って」
「それで?」
「『どうして逃げるのか、どうしたら戻って来てくれるのか、きちんと話したことがありますか』って」
「ふむ」
「で……」
と、ここでカップの中身を飲み干し、まっすぐ視線を合わせて続けた。
「『どうするかはっきりするまで、帰って来なくてかまいません』」
「待て」
それはつまり。
「居座る気かっ?!」
「うん。よろしく」
にこやかに微笑むアルスに、思わず天を仰ぐ。
「ダメ?」
いつの間にか、隣に立っていたアルスに前髪を掻き上げられる。
こういう時の顔は、大トカゲというよりも捨て犬だな、などと思いながら溜息を吐く。
「……いくつか、条件がある」
帰れと言っても聞かないだろう。
仕方がないので、いくつか条件を上げた。これが守れなければ強制的に帰らせると。
相手の理解力に合わせて事細かに言ったが、大まかには四点。素性を明かさないこと、魔力を暴走させないこと、この街に滞在中は宿をとるかリュドラスの公邸を使うこと、人前でひっつかないこと。
「はぁい。それじゃ、あなたは魔技術学院の研究生のクラウス・ケイヴで、私は剣士でアルス。とりあえず宿は、公邸に一般人も使える宿舎があるから、そこにするわ。で」
再び首に腕を回してくる。
「人前では、って限定するんだから、二人の時はいいのよね?」
隙を作って置いたところをきっちりと突いてくるあたり、話は一応聞いているようだ。
「好きにしろ。ただ、人前で私の髪を上げるな」
「……んーと、マイナールとかリュドラスの知り合いがいるかもしれないから?」
この女は一般常識から遙かにかけ離れてはいるが、頭は悪くない。一応理解したようだ。
「……もったいない」
顔を晒していると、周りがうるさくなるというのも理由なのだが。
「それと」
これだけは言って置かなくては。
「絶対に、私の研究の邪魔をするな。それと化けるな」
「私だって、好きで変化する訳じゃないのよぉっ!」
悲鳴は無視。
「この二点に関しては、破れば私が逃亡する」
逆に言えば、当面は逃亡する気が無いと言うことだが。
「気をつけるわ。だから」
額を肩に当て、耳元で囁く様に続ける。
「だから、お願い。私から逃げないで」
「アルス?」
いつになく切実な口調に違和感を感じ、問い返す。
「あ、やっと名前呼んでくれた」
すると、既にいつもと変わらぬ様子に戻っていた。まだ何か隠していることがありそうだが今はいい。問い質す時間はあるだろう。
じゃれ付いてくるアルスを放置して、以前から私の所在を知っていた筈だろうに、今になって、こんな条件でアルスを送り込んで来たカルナー様の意図を考える。
やはり、私の行動が殆ど読まれている、ということか。当然のことではあるが。
そんな事を考えていると、不意に唇が塞がれた。
相変わらず唐突な行動を取る女だが、不快では無いので好きにさせる。
……まぁ、たまにはよいか。
我ながら矛盾した行動を取っている、と心の中で自嘲しながら腕を伸ばし、アルスの髪に手を差し入れた。
その時。
「おーい、クラウスいるか~?」
脳天気な声と同時に、扉が派手な音を立てて開いた。
気まずい沈黙。
入ってきた人物を横目で確認すると、ムッとした様子のアルスを離し、前髪を落として、戸口で固まったままの男に振り向く。
「なんだ?」
「わっわわっ悪いっ!」
思い出したように慌て出す。
「わざとらしいぞ。どうせ、私が女連れで歩いていたという話を聞いて、様子を見に来たのだろう?」
これどころで無い事の真っ最中だったら、どうするつもりだったのだか。
「……誰?」
不機嫌な声に見上げると、アルスの目が座っている。それほど怒る事でも無いだろうに。
「自己紹介が遅れました。私はヒース・ヘルブ。クラウスの友人です」
ついでにアルスの手を取ろうとしたが、思い切りかわされた。
この男、ヒースは、私と同じ研究員。確か年齢も同じだったはずだ。麦藁色の髪に濃い空色の瞳、やや垂れ目だが顔立ち自体は悪くない。それなりに女にもて、本人も相当に女好きなので何かと揉め事が絶えないが、まぁ、
「魔技術師としてはなかなか優秀だ」
「ふぅん」
アルスは興味が無いらしく、椅子に戻り、
「お茶もらえる?」
とカップをよこした。無視する気らしい。
ヒースにしてみれば、ここまで無碍にされたのが不満らしく、私をつついてきた。
「なんだ」
「紹介くらいしてくれ」
仕方がない。
「これはアルス。リュドラスにいた頃の知り合いだ」
正確ではないが、間違ってはいない。
「どの程度の知り合いなんだ?」
「お前には関係がない」
そもそも説明の仕様がない。
この関係を表す、適当な言葉が思い至らない。
強いて言うならば『腐れ縁』か。
「大体、何の用だ?」
ヒースに問い返す。
単に野次馬だけの可能性が高いが、ついでにまともな用事がある可能性も否定できない。
「あぁ、えーと、あーと……」
必死で言い訳を探しているのが、ありありと解る。
「お、そうだ」
ポンと手を叩く。
「学長がお前を探してたぞ」
「そういうことは早く言え!」
一喝。
先程とは別な意味でヒースが固まった。
しまった。
一族の特性でもあるのだが、私の声には力があるのだという。
生まれた環境もあり、もとから命令する事に馴れているせいもあるが、気合いを入れて発声すると、胴喝するよりも容易く他人を従えることができるらしい。
普段は気をつけているのだが、アルスがいるので油断した。
「学舎に行く」
恐らく、あの件の筈だ。