クリスティーナ 【完】
「クリスティーナ・バルディーナ!貴様との婚約はここで破棄する!」
私を睨みつけながら、この国の第二王子であるエリック様は私が贈ったハンカチを踏みつけた。
その傍らには、艶やかな美貌と肉感的な肢体を持つアリーナ侯爵令嬢。
「貴様にはもううんざりだ!まともな刺繍1つできない令嬢など、恥さらしだ!二度と私の前に姿をみせるな!この国にいることも許さぬ!早々に国から出ていけ!」
グリグリとハンカチを踏み続ける。
「まぁ。そんな事おっしゃったらお可哀想よ。」
そういいながら、アリーナ様が、私のハンカチを拾い上げ、まわりにみえるように広げる。
「ご覧なさいな。とても可愛い・・・ふふふっ。何かしら?地面を蠢く虫かしら?とてもとても貴族令嬢の刺された刺繍とは思えませんけれど」
アリーナ様の言葉と、周りに見せびらかすように広げたハンカチをみて、そこかしこで、嘲笑がおこる。
私は、顔をあげることも出来ず、手を握りしめた。
私だって酷い出来なのは分かっている。でも!それでも!
ーーこの国には昔からの風習がある。
恋人や婚約者、夫には自分の魔力を込めた刺繍を贈るのだ。
1針1針相手を思い魔力と共に刺した刺繍は、相手を優しく包み、お守りとなるとされている。
男性達は、相手から、刺繍を贈られると嬉しそうにまわりにみせて自慢しあうのが昔からの楽しみだ。
刺繍自慢の相手を見つけた男性は、それだけで、周囲から羨まれる存在となる。
そのため刺繍の腕前は、女性として必要不可欠であり、美しい刺繍を刺せる令嬢はそれだけで価値があがる。
そして、私はある理由により、壊滅的に刺繍が下手だった。
「本当に貴様には騙された!本来なら不敬罪で牢にいれてもいいところだ!見ろ!」
そういいながら、エリック様は、大切そうに胸からハンカチを取り出し広げた。
広げたハンカチには、見事な刺繍で、王家紋章である鷹が刺されている。周りからも感嘆の声があがる。
周りの感嘆の声を気分が良さそうに受け止めたエリック様は、
「これは、アリーナが私のために刺した刺繍だ!アリーナは私のためにこれ程の刺繍を刺し贈ってきたのに、貴様の刺した刺繍はゴミだ。ゴミをこの私に贈ってきたのだ!」
そういうと、アリーナ様から、私のハンカチを奪うと、再度踏みつけた。
「見た目だけは良かったから婚約者にしてやったのに、酷い詐欺だ!さっさとこの場から去れ!」
私をもう一度睨みつけると、アリーナ様の腰に手をまわし、エリック様は目の前から立ち去った。
周りからは、好奇と嫌悪の目で「見た目だけの田舎ものの子爵令嬢ごときが王子妃になろうなんて身の程しらずなことするからよ」「それにしてもあの刺繍はありえませんわ。貴族としての教育を受けてらっしゃらないのかしら?」と、クスクスと貶め噂される嗤い声を背に、たまらずその場から私は庭へ逃げた。
人気のない庭園の端に辿りつくと、涙がこぼれてくる。
「騙されたって何よ。無理矢理人を婚約者にしといて!」
ポロポロと涙を溢しながら、言えなかった文句をいう。私は子爵令嬢だ。本来なら第二王子の婚約者になれる身分ではない。ただ、自分でいうのも何だが、私の見かけは素晴らしくいいのだ。サラサラの銀髪に、ながい睫毛に彩られた大きな瞳。肌は透けるように白く、この国の男性が理想とする儚い姿を具現したような姿だ。その私の姿に惚れこんだエリック様は、国王と王妃に訴え私を婚約者に据えた。
第二王子エリック様は、兄の王太子様とは15歳も離れた一番末の王子だ。
王太子様は文武両道のお人柄で、既にお子様も3人おり、王家の後継は安泰だ。
そのためか王と王妃は、エリック様にはとても甘く、エリック様の願い通り子爵令嬢との婚約も許した。
「あの見かけで王子を誑かした。」
そう常に、私より上位の令嬢達には嫌味をいわれ、身分が下の令嬢には妬まれる。
王子との婚約なんて望んでいなかったのに。
そんな日々の中、エリック様には刺繍は苦手だと伝えていたのに、下手でもいいからと刺繍をねだられた。
私は本当に壊滅的に刺繍が出来ない。
細かい針仕事は本当に無理なのだ。針を折り、針を指に突き刺し、ハンカチを何枚もダメにしながら、それでも、一針一針丁寧に刺繍した。
エリック様に無理矢理婚約者にされ、好きだった訳ではない。
それでも婚約者になったのだから、きちんと向き合おう、少しずつでも心を寄り添わないといけないと必死で練習し、苦手な刺繍にも取り組んだ。
エリック様の幸せを願い、気持ちだけはと必死に刺繍した1枚だった。
それを踏みつけられ、貶められた。
堪らなく悔しかった。
涙が、また一粒流れた。
「俺のハンカチいるか?」
そんな声が木の後ろから聞こえた。
「さっき拾ったんだ。俺の宝物にしようかと思うんだが、クリスには特別に貸してやるよ」
そういって、そっと差しだされたハンカチは、見覚えのある刺繍のされたハンカチだ。そう、先程目の前で踏みつけられた。
「あっ!ちゃんと、ホコリは落としたから綺麗だぞ!刺繍も、うん、いい味だした蛇ちゃんだ」
「・・・鷹だもん。」
「・・・そうか。うん。鷹だ。どうみても鷹にしか見えないな!」
そういって、木の陰から、幼馴染みのフレッドが現れた。
「拾ったの?こんなもの捨て置いていいのに・・」
私はそういって顔をさげた。そんな私の手をフレッドは掴んだ。
「俺が欲しくて欲しくて仕方なかったものを、無理矢理手にいれておいて、こんな簡単に捨てるんだなんてなぁ。お前が刺した刺繍も、お前自身も。」
フレッドの言葉に、顔をあげる。
「クリス、お前がずっと好きだった。王子に奪われ、諦めないといけなかったのに、どうしても諦められなかった。」
真剣な瞳が、私をうつしている。
「大切にする。結婚しよう。」
フレッドの言葉に涙がとめどなく溢れる。
「私、王子に婚約破棄された傷物だよ?刺繍もまともに刺せないし、そのことを周りにも知られてしまった。フレッドにも自慢出来るような刺繍はしてあげられないよ?しかも国外追放だって・・」
私の言葉に、フレッドは笑う。
「お前の気持ちがこもった刺繍なら、それだけで十分俺の宝物だ。いいたい奴には言わせておけ。本来、刺繍は出来を競うものじゃない。刺繍に込められた気持ちを大切にするものだ。国外追放?じゃあ2人で隣国に行こう。」
そう言葉を切ると私の目を見つめる。
「お前がエリック様と結婚する姿をみたくなくて、1年前から隣国に留学していた。そこで親しくなった友人達に国の移住を勧められていたんだ。今回はその手続きで一時帰国していた。一緒に行こう。2人一緒なら何があっても大丈夫だ!」
その言葉を聞いたら、もう、私も自分の気持ちに蓋が出来なかった。
「私も!私もずっと好きだったの・・一緒に連れていって!」
私の叫びを聞くとフレッドは嬉しそうに私を抱きしめ、額にキスを落とした。
「早速、家族に伝えて結婚の許可を貰おう。きっと喜んでくれる。」
私はフレッドと手をつないで、馬車へと向かった。
私とフレッドは幼馴染みだ。そして、私はずっとフレッドが好きだった。フレッドは、隣の伯爵領の次男で、親同士も仲が良く、幼い頃からずっと一緒だった。婚約も両家同士で口約束だが約束していた。年頃になり、そろそろ正式に婚約を交わそうとした矢先に、私がエリック様に見初められたのだ。
王家からの要請を、子爵家や伯爵家が逆らえるわけがない。
「すまない」
項垂れるお父様に、望まれて嫁ぐのだから大丈夫だと笑ってみせたのはもう1年以上も前のことだ。
エリック様との婚約後は妬みから周りの目が一気に冷たくなり、実家に不利益が出ないよう、必死で、エリック様の望む可憐で儚げな令嬢を演じ続けてきた。
それが、自分と実家を守ると信じて。
それもおしまい。
本当の私は、別に儚げなのは見た目だけだ。
田舎の子爵家で、フレッドと走り回って育ったのだから。
そして、
「エリック様には秘密を言わなかったんだな」
フレッドにそういわれて、私は頷いた。
私の秘密。刺繍の出来ないわけ。
私はこの世に滅多に現れないといわれる加護持ちだ。
しかも、「怪力」の。
生まれた時から怪力で、何をしても物を壊した。
あまりの怪力ぶりに、密かに5歳で神殿に相談に向かい、そこで加護持ちであることを告げられた。
そして、神殿で誓いを交わした。
16歳の成人の儀で、神の祝福を受けるまで、信頼出来るもの以外へは加護の事を伝えないこと。
なぜなら、加護持ちは神の愛し子であり、神の愛し子を伴侶に迎えるとその家は栄え、また加護持ちのいる国は潤うといわれているため、その身は国の宝となるのだ。
そのため、加護持ちの子供が生まれると、身を狙われ、誘拐や権力争いに発展してきた。
また加護は通常の魔力とは異なり、コントロールが難しく暴走しやすく、また少例ながら加護が途中で無くなったこともあるらしい。
16歳の成人の儀で、神の祝福をうけることによりそれまで不安定だった加護が身体に馴染み、身を守る力となるのだそうだ。
そのため、本人が成人の儀をうけるまでは、愛し子を守るため秘匿を誓約させられ、王家にすら秘されるのだ。
そして、16歳の成人の儀を終え、はじめて神殿から祝福と共に国中に御披露目される。
私は怪力の加護のため、必死でマナーや力加減を練習し、何とか日常生活はこなせている。
しかし、刺繍は細かい作業、しかも加護のお陰で魔力が溢れる私にはほんの僅かな力で針が折れハンカチが魔力で燃えるのだ。
ほんの数針刺すだけでも、寝込みそうになるほど神経を使う。
それでも必死で一枚仕上げたのが、エリック様に差し上げたハンカチだった。
刺繍は酷いが、きちんとハンカチに込められた私の魔力をみてもらえれば、加護の魔力を纏ったハンカチは、かなり貴重で特級護符と同等の御守りとなっているのをわかってもらえたはずだった。
でも、エリック様は、一目ハンカチの刺繍をみるなり、踏みつけ私を罵った。
私は知っている。エリック様が、私の見た目で婚約したはいいが、婚姻までは頑なに必要以上の触れ合いを避ける私を疎ましく思いはじめていたことを。肉感的なアリーナ様に迫られ、2人が少し前から必要以上に近づいていたことを。
それでも、婚約者だから少しでも願いに添おうと刺繍したが、これ程の辱しめをうけ、国外追放を言い渡されるなんて思いもしなかった。
王家側から要望の婚約だった事は広く知られていたため、私の瑕疵で婚約破棄するため仕組まれていたのだろう。
あれほど苦手だと伝えていた私の刺繍を利用して。
私の成人の儀は明日だ。
成人の儀を迎えると、婚姻式の準備を進める予定だった。
だから、その前に、丁度成人の儀の前日行われるこのパーティーを狙っての婚約破棄だったのだろう。
馬車の中でそこまで考えていると、ふと、頬にフレッドの手があたる。
「守れなくてごめん。」
その言葉に私は首を振る。
あの場で、伯爵家次男ごときが王子に何をいえるものか。
不敬罪が増えるだけだ。
私のハンカチを持ち出し、私を追いかけ、そして連れて逃げてくれる。十分だ。
刺繍されたハンカチを手にとると、パッと魔力で燃やした。
「あー!何するんだ。せっかくのお前の刺繍が・・」
慌てるフレッドの胸に頭をすりつける。
「有難う。でもこれじゃないの。貴方だけを想って、刺繍を刺したいの。上手に出来ないけれど、一針一針気持ちだけはいっぱい込めるから、少し待っててね」
私の言葉に、嬉しそうにフレッドは頷いた。
「ああ。楽しみだ。もう手に入らないと思っていた、お前とお前の刺繍をこの腕に抱けるなんて。」
そういうと、私を強く抱きしめてくれた。
「明日、神殿で成人の儀を受けお前の加護が発表され、国中が興奮に包まれる中、隣国へそっと脱出しよう。国外追放を命じたのは王家だ。命に従い、速やかに行動して文句をいわれる筋合いはない。」
それでも加護のことがバレると国外に出して貰えなくなるから、時間の勝負だな。そうフレッドは呟いた。
フレッドを不安そうに見上げる私に、
「大丈夫だ。隣国の皇太子達が友人なんだ。皇太子の友人兼側近候補として迎えられることになっている。隣国についたら、すぐに婚姻届も提出しよう。隣国にさえいけば、味方は多い。」
そう力強く教えてくれた。
家に着くと、既に早馬を出していたため、フレッドの両親も我が家に来ていた。
今日の出来事を説明すると、お父様と兄様は怒りで手を震わしていた。
お母様は「幸せになりなさい」そういって、抱きしめてくれた。しばらくそうしていると、お父様も兄様も次々に抱きしめてくれて、4人で泣きながら抱擁を交わした。
フレッド達伯爵家と我が家で明日の打合せをしている間に、お母様と荷造りする。
大きな物は持っていけない。大切な物だけを詰める。
「貴方の幸せを祈っているわ。離れていてもずっと愛している。幸せになりなさい。」
その夜は、ずっと傍についてくれたお母様の言葉を聞きながら、眠りについた。
次の日、
神殿から神の愛し子クリスティーナ・バルディーナの名が発表された。久方ぶりに現れた、神の愛し子の存在に国中が喜びに沸き立つ中、固く手を繋ぎ隣国へ向かう2人の姿があった。
また、王城では、神殿の発表を聞き、慌てふためいてバルティーナ子爵家に使者を送るも、「ご命令通り、娘クリスティーナは国を出ました」と冷たく告げられる。
その後、城での一件と、神の愛し子を貶め国外追放した件が国中に広がり第二王子とアリーナ侯爵令嬢は国中から責めを受ける。
せっかく現れた神の愛し子を嵌め、みすみす隣国へ追いやったことへの神殿と民の怒りは凄まじかった。
愛し子を失ったからか、王国の天候が落ち着かない状況が続いたことも怒りに追い討ちをかける。
国王は責任をとって、王の座を王太子に譲り、寂れた離宮へ王妃と軟禁されることとなった。第二王子エリックは王籍を剥奪され、アリーナと共に平民に落とされた。
後悔しても後の祭り。