3話:再来の死闘
「待ち焦がれていましたよこのときを!」
不気味な笑みを湛えたまま地上に降り立ったのは、一見すると人間に見える。
端正な顔立ちだが耳は奇妙に曲がり、瞳孔は縦に割れ、肌は不自然なほど青白く、輪郭も全体的に鋭角的だ。指も明らかに長く、背には小さいが漆黒の一対の翼。臀部からは竜のように荒々しい尻尾が生えている。
「アナタに敗れたあの屈辱、一時たりとも忘れたことはありません。三等級の悪魔であるこのワタシがたかが人間ごとき相手に遅れをとるなど、あってはならないのです。あってはならない。この屈辱は雪がねばならない。融獣のメギラの名にかけて、必ず!」
「ご託はいい。単にお前が俺に劣るってだけの話だ。今度こそ消し炭にしてやる」
「ハッ! 隻腕隻眼のアナタが、かつてをも上回る力を得たワタシに適うとでも? 驕傲甚だしいですねエ!」
「散炎」
手始めに火の気を散布する。
「万年を過ごす長老の鎧!」
メギラが詠唱すると、目の前に半透明の甲羅の盾が現れ、防がれた。
「遊んでいる時間があるんですか? きっと今頃、アナタが逃した人間どもも魔物の餌になっていますよ?」
「悪魔にしては壊滅的に嘘が下手だな。死んで出直してこい。焼葬!」
「クソが! 四肢もいで虫を詰めて溶かして殺してやる! 風煽る小さき羽根!」
メギラは焼葬の中をひらりひらりとかわす。
こんな小手先の技ばかり使ったところで決め手に欠ける。こんな弱そうな言動をしているがこいつは紛れもなく悪魔。しかも三等級だ。ランクとしてはこの三つ上が魔王であることを鑑みれば、殺すには奥義を使うしかない。最大火力の気術の一つが焼葬であることからも、他にまともな選択肢があるとは考えられない。特にメギラはこの見た目だが防御をこそ得意とする悪魔なのだ。生半可な攻撃では傷一つ負わせられないだろう。
「狙い定める滑空の剣戟!」
半透明の嘴が射出される。防御が得意だろうと、悪魔の攻撃であることには変わりない。
「流れ火」
正面から防ごうとしては愚策。何より気術の真髄は流れだ。攻守ともに流すものだ。
「猪口才な。貪り喰らう追従者の牙!」
先程の嘴よりだいぶ遅いが数多の牙が殺到。流れ火では流しきれない。
「嚇々爍々」
体が熱くなる。丹田が燃える。黄金の火炎の気に包まれる。
無数の牙の間隙を縫い、メギラの眼前に移動。
「早――!?」
「蛮灼」
右足の蹴りがメギラに刺さり、そこから気を流し込む。
「グギャアアアアアアアアアアアア!!」
悪魔の穴という穴から火と光の気が横溢。潰れるような苦悶の絶叫がこだます。
「潜み企む賢者の杖」
焼けた肉体はもう本体ではない。背後をとられた。
「礼煌!」
「ヴァルダーク!」
光の気術の最高位の一角、礼煌は直撃すればいかに悪魔といえど致命傷は免れない聖なる術。
だがやつの使用したヴァルダークによって防がれた。ヴァルダークはいずれの悪魔も使える基本的な魔法にしておそらく最強の技。礼煌を打ち消しながらも俺をなお襲おうとしていることから尋常ではない代物であるのは明白。
まさかここにきてこれほど力を込めたヴァルダークを繰り出されるとは想定していなかった。もう一度礼煌を使い相殺するしかないが、そうなるともう礼煌は使えまい。
「礼煌」
ヴァルダークは消滅。だが脅威は去っていない。
闇が裂かれたところから現れたのは、
「これで仕留めてやる。王者の牙!」
メギラの扱える最大威力の攻撃魔法は前回戦ったときはヴァルダークを別にすると貪り喰らう追従者の牙だった。が、どうやらやつも腕を上げたようだ。
半透明の巨大で鋭利な一本の牙はさながら大剣であった。いや、大剣なんてもんじゃない。あれは塔だ。天高くそびえ立つ尖塔。
「食らえ、竜の牙を」
重く空気を裂きながら、その巨体に似合わずとんでもない速度で襲来。既に礼煌を二発使用し、嚇々爍々も発動しており、気力は十全とはいいがたい。だが!
「火輪!」
火輪は比較的初歩的な気術だ。上下左右に回転する気を放ち、相手の軌道を逸らす。それは俺が最も得意とする術。今の状態なら辛うじて逸らせる。
「ホオオオオォォ!」
感覚通り牙を左に逸らすことに成功。
「まだまだァ! 傅き平伏す従者の首!」
「ぐっ……」
火輪で強大なものを受け流した反動で動けなくなっていた一瞬を狙われ、思わず膝をつくほどの圧がかかる。
「いかに得意な術であろうと片腕では思う成果は得られまい」
そう、逸らせたはずなのだが、左の腹が破れ、今にも臓腑がこぼれそうだ。嚇々爍々を解除すれば事切れるだろうが、そもそも解除する気などない。
「醜く足掻くがいい。ワタシの受けた辱めを十倍にして返しても気が済まない!」
悪魔は油断をする。そこがつけ入る隙にして最大の好機。
メギラは愉快そうにべらべらと喋りながら俺の方に近づいてくる。
「残った手足を先から少しずつ少しずつ削いで、削いで、削いで削いで削いで、達磨にしてから今度は内蔵を食い荒らす虫を死なない程度に詰めて、じっくりたっぷりアナタの絶叫を聞きながら最後はワタシの従魔の餌にしましょう。ワタシは言ったことは守りますからねエ。はじめに言った通りの調理をしますとも、エエ!」
害獣ながら少しは成長したかとも思ったがそんなことは微塵もない。油断怠慢、それはきっと死んでも治らないだろう。
「ん?」
俺は右手を掲げ、魔性を滅ぼす秘奥を使う。
「聖炎」
「は?」
メギラの体が黄金の炎に抱かれる。
「ギイイイヤアア!? 潜み企む賢者の杖! 杖! ナ? どうジでえエエエ!?」
「その気に触れた瞬間は既に結果が定まるからだ。必殺の因果反転の禁術。安心しろ、魔性にしか効かねえ」
俺に降り掛かっていた圧が消え、自由になる。こいつがいくら潜み企む賢者の杖を使おうと、そしてそれが成功しようとも、聖炎から逃れることはできない。命中したら最後、灰燼に帰すのみ。
「お、おオ、オノレエエエ! 腐れ気術士メぇぇえエ! こっ、コロ、コロジデヤルヴヴヴ!?」
メギラは消し炭となり、これで一件落着……。
かなり余裕をもって勝利したような感じだが、実はとんでもなく接戦だった。気術士は精神を乱してはならない。常に焦燥や動揺はあったが、そういった感情の揺れを統御していたにすぎない。
メギラと四十体の魔物以外に敵はいなかったはずだが、まだ魔性の気配が消えていない。どういうことだ? メギラも確実に潰した。確実に……本当か? 少し前を思い出す。焼かれていたメギラ、やつの肉体はすべてがあそこにあったか?
「……尻尾」
まずい。聖炎のダメージは致命傷。その中で尾だけを切り離そうが逃げられはしない。そう、逃げることはできない。ならばどうするか? 簡単だ。やつは逃げずに襲う。俺ではなく俺の家を。
「間に合うか!」
カナクがいるといってもあいつもまだまだ未熟。心はすぐに揺れるし、優しいは優しいんだがいまいちやる気が見られない。いいや、やる気はあるが真剣さがないのか。一概に悪いとはいえない。争いのない世界なら、素晴らしいものさ。結局、俺らは魔性を根絶することができず、世界から争いはなくなっていない。魔性の存在と諍いの存在は決してイコールではないが、近づきはするはずだと固く信じている。
家から火が出ている。一足遅かった。もう体の感覚がだいぶ薄いが、こんなところで倒れるわけにはいかない。
「カナク……」
少し、踏ん張ってくれ。
俺も踏ん張るから。