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ガンウィッチ  作者: 白銀悠一
チャプター2 落申し火種子
17/20

シュレディンガーの……

「下着がない……んですか?」

「う、うん……」


 蒼白とするスズネ。その様子に、ユニもハナカへの文句を止めた。

 そして、思い当たる真実を口にする。スズネの肩を軽くたたき、


「あー忘れちゃったんですね、どんまいです」

「違うから! つけてたから履いてたから!」

「恥ずかしがらなくてもいいんですよ」

「確かに忘れっぽいけどこれは忘れないから!」


 理解者みたいな顔止めて! との訴えに、ユニも認識も改める。

 ともあれ、バスタオル姿で停滞してても仕方ない。

 スズネは着替えた。統計的には大部分の女性が装着する物をつけずに。


「なんでこんな目に」


 幸い、スズネはスカートではなかったので、下半身に見た目的な問題はない。

 しかし彼女は上半身の膨らみを気にしていた。先程の温泉でも、自己主張の激しいそれをユニは目撃している。

 更衣室の外に出ると、ミツルが休憩スペースで待っていた。


「出てくるの遅かったね」


 というセリフは先程ユニがミツルにぶつけたものだ。

 しかし入ってたよ、気付かなかった? と質問で返されてしまった。

 スズネは彼について疑問視せず、恥ずかしさで顔を赤く染めて、


「実は……たぎが……」

「何?」

「下着が、なくて……」


 友人の切実な吐露にミツルは納得し、


「ああ、忘れちゃったんだね、どんまい」

「だから!!」


 再び同じやり取りが繰り返された。



 ※※※



「下着、泥棒……?」


 鈴音に助け舟を出してくれたのは花香だった。

 厳密に言えばこれは、誰でも一番に思いつくことだ。

 しかし、鈴音の友人たちは、さも当然のように自身が忘れたのだと決めつけて。

 花香という大人に憧れてしまうのも、致し方ないこと。


「ここまで露骨なのは珍しいけどね」

「……初めてだから気付かなかったな」


 小声で呟く。多川健康センターで自警活動を行ったことはない。

 しかしここにも犯罪者はいる。

 そして警察が仕事をしてくれるわけはなかった。

 無論、犯人捜索などせずに、そのまま家へ帰るという選択肢は存在する。

 しかしそんなことをすれば、


「ああやっぱり忘れたんでしょ。鈴音は物忘れ酷いからね」

「あー、やっぱりですか。落ち込まないでくださいね」


 などと。

 鈴音は気合を充填。


「絶対に見つけてやる……!」

「でもさ、どうやって?」


 ミツルは面倒くさそうに呟く。その反応は普通だ。もっとも、なかなかエッチなシチュエーションだよね、などとほざいた瞬間に殴ったせいだと思われるが。


「さ、さぁ、どうしましょうね……」


 と目を泳がしながら応じるユニ。彼女は一般人、しかも外国育ちなのでわからないのも当然だ。


「うーん、私もわからないかな」


 申し訳なさそうな花香。大人の女性は、自身に非のない事柄でも誠実な態度を示してくれるのだ。

 と、鈴音が感銘を受けていると、


「スズネさん、何か大いなる過ちを犯してません?」

「なんのこと?」

「いえなんでも……ええ、なんでもありませんですこと」


 ユニの態度には引っかかるが、今重要なのは下着の行方だ。

 鈴音は思考を回す。

 手当たり次第カバンの中を見せてくださいと頼む?

 一番堅実で確実な方法だ。犯人が逃走しておらず、また盗んだ品を隠したりしていなければ絶対に見つかる手法。

 だが、悪手だ。最悪の方法と言っていい。多くの人間のプライベートを自分の下着程度のせいで侵すことになる。

 それに、それにだ。もしかすると……。


(身に着けてたらわからないし!)


 しかし下着を盗む変態のことだ。

 脱ぎ立ての下着の感触を楽しむとか何とか言って以下略。


「なんかえっちな想像でもむげ」


 気持ちを落ち着かせるために光を殴り、鈴音は考える。


「他のアプローチ……」


 手当たり次第とは別の捜索。とすると、思いつくのは……。


「観察すればいいんじゃないかな」

「観察、ですか」


 花香は定番だが、難易度の高い方法を呈示する。


「挙動の一つ一つを確認するんだ。そして並行して犯人像の推理もする」

「推理」

「私の下着は無事だった。可愛い妹のもね。なんでだろう」


 もっともわかりやすい答えは。


「好みじゃなかった……から?」

「そうだね。現段階では、犯人は日本人の女子高生の下着を目的としていたことがわかる。間違えたり、その時の気分だった、とかでなければだけど」

「でも、ミツルさんは被害にあってませんが」

「まぁ僕のことは気にしないで、続けて」


 ユニとミツルは置いといて、鈴音は推理を続ける。


「さて、周囲を観察しよう」

「……女子高生」


 制服姿ではないが、似た年頃の女子を見つけた。しかし彼女は風呂上がりで、恐らくこれから食事処に向かうのだろう。 


「はずれですか」

「そうでもないんじゃないかな」

「なぜです?」

「欲しいのは下着だったのか。それとも、女子高生が持つ何かだったのか……全く当てのない現状なら、とりあえず見ておくのは悪いことじゃないよ。それにこちらが心配なら、可愛い妹にこの場を任せよう」

「あーはい、いいですよ、ええ、うん、はい」


 煮え切らない態度で、ユニは休憩スペースに座った。


「んじゃ僕もこっちでいいや。ユニちゃん、甘いひと時を過ごそう」


 光は何か食べ物を買いに行った。言いたいことはあったが、ひとまず犯人探しに注力する。

 女子高生の後を何気ない態度で追っていく。というより、花香について行っていると言った方が正しい。

 花香の行動……自然に窓の外を見たり、お土産店屋を見回ったり、ゲームコーナーに興味を向ける……これらを真似することで、怪しまれず少女の後をつけられた。


「探偵でも、してたんですか……」

「そうだね、今は探偵をしてる」

「カッコいい……」


 思わず本音が漏れる。綺麗で美人でカッコいいとは、完璧では。


「中に入っていくよ」


 尾行対象が食事処に入ったので、二人も自然に振る舞う。

 本格的な食事はせず、軽食のみを券売機で注文し、対象から少し離れた位置に座る。

 位置取りも絶妙だった。こちらを警戒させず、それでいて相手のことは逐一把握できる。

 としても、こちらが探すのはあの女子高生ではなく、下着泥棒。それとなく周囲を見渡す。


「怪しそうな男もいませんね……」

「先入観かな」

「え?」


 花香はサンドウィッチを一口食べた。


「どうして男だと思ったのだろう、君は」

「いやまぁ、それは……」


 常識的に考えて……。そんな鈴音の思考を花香は両断する。


「確かに割合的には男性が多い。これは統計に基づく事実だ。しかしね、今目の前に起きている犯罪がその通りなのかは、よく考えないといけないよ」

「確かに……」

「何かを探す時は、先入観を捨てなければいけない。先入観だけで見つかるようなところにあるなら、頑張って探す必要なんてないからね」


 鈴音は今一度女子高生を見る。ラーメンを美味しそうに食べている。

 とても美味しそうだ。

 まるで一仕事を終えた後のご褒美のような。


(まさか……?)

「ちょっとトイレ行ってくるね」

「花香さん……あ」


 花香はそそくさと席を立ってしまった。

 鈴音は女子高生を凝視する。

 今思いついた仮説を証明する方法。

 直接対峙して問い質す? ダメな気がする。

 慣れていればうまくいくかもしれない。しかし鈴音は素人だ。

 花香ならどうするだろうか。花香なら――。


(いや、花香さんは言っていた)


 自分として戦うべきだった、と。

 できないことを無理にやってもいい結果にはならないとも。


(だったら)


 自分の手を見つめる。

 やったことはない。この力は戦いにしか使えないと思っていた。

 だが本当にそうだろうか。この力を他のことに生かすことはできないだろうか。


(たまには他人を頼るのもいい……試して、無理だったらお願いしよう)


 覚悟を決めて、息を吐く。

 瞳に意識を集中。凝視する。

 見る。鞄の中を。見透かす。浴衣の中に秘められた姿を。

 そして。


「見つけた!」




「やった! 捕まえたよ!」

「お、やったじゃん。流石だね」


 休憩スペースに戻ってきた鈴音の報告を、光は驚くことなく受け入れている。

 ニクイ奴だ。わかっていたとばかりに笑っている。

 それよりも気になるのは。


「あー、ですね、うん。はい、はは」

「ユニさん?」


 なぜかユニの反応が鈍い。塩対応、という奴だろうか。


「びっくりしたよ。戻ってきたら捕まえてるんだからね」

「まぁ、なんというかちょっとアレな人でしたけど、話したらわかってくれてよかったです」


 動機は女の子の温もりを感じたかったから、らしい。

 あなたが何を好きかは自由だけど人の物を取っちゃダメ、と説教したら謝罪してくれた。もう二度としないだろう。

 ちなみに鈴音の下着を身に着けていたが、同性ならいいだろう、とトイレで着替えてきた。

 執拗に、もう一度着るの? と聞いてきたのは気になったけれど。


「これも花香さんのおかげです」


 心からの感謝を述べる。花香は最高だ。

 ずっと求めてきた人かもしれない、と思う。

 自分のよき相談役に。

 いや、それ以上の存在に。


「あの」

「何かな」

「もし、です。もしよければなんですけど」


 ごくり、と喉を鳴らす。

 何を伝えたいかを頭の中で反復。その想いを言葉に乗せて。


「私の師匠に――」

「あーっと!」


 なぜだかユニが割って入ってくる。両手を広げて。


「ダメですスズネさん! だってこの人は私のし」

「し?」


 僅かな沈黙。


「シスターですから、ダメなんです!」

「それって関係なくない?」

「ミツルさんは黙っててください!」


 ユニは今まで見たことのないような剣幕で拒否している。

 だが、気持ちはわかった。痛いほど、とても。


「そっか、大好きなんだよね、お姉さんのこと」


 弟子なんて取ったら、姉との時間は少なからず奪われるだろう。

 それがユニは嫌なのだ。完璧で高潔で素敵な花香との時間が減らされるのが。


「こんなに素晴らしいお姉さんだものね」

「は? 素晴らしいとかどこがですか頭に蛆でも湧いて――ふぐお!」


 突然苦悶の声を上げて、ユニは崩れ落ちる。自分で自分を殴ってしまったのだろう。

 そうとも。大好きな姉の悪口を、言ってしまったから。例え照れ隠しだとしても。

 身体が、耐えられないのだ。そうに決まっている。


「残念だけど、そろそろお暇しようか、ユニ」

「く、うう……許すまじ」

「ごめんねユニさん。嫉妬させるつもりはなくて」

「だから違いま――ああいえ、またお会いしましょうさようなら!」

「またね、鈴音ちゃん」


 投げやりな態度でユニは花香の後を追う。


「ありがとうございます、花香さん」


 また一つ、力の使い方を覚えて。

 鈴音は光と共に歩き出した。



 ※※※



「何回殴るんですか!」

「修行の成果はどうした?」


 助手席に乗ったユニの抗議を、ハナカは軽くあしらう。

 言いたいことは山ほどある。最近、こんなことばかりだ。


「スズネさんの前じゃばれちゃうでしょ!」

「人前でも気取られずに避ける方法を学ぶべきだ」

「全く、それに、危うく……」

「危うく?」

「兄弟子になってしまうところでしたよもう」

「確かに魅力的な提案だったな。どこぞの弟子と違い、師匠になるなんて間抜けなことは言わないだろうし」

「謝ったでしょ!」

「謝って済むなら警察はいらない」


 ユニはため息を吐く。


「ディンさんの言った通りでした。外面は良い、良すぎる。まさかあのスズネさんが、カルトチックな眼差しを師匠に向けるなんて」


 スズネの眼差しを思い出す。何かしらの手解きを受けたようだが、すっかり花香を大人の女性として認識しているようだ。

 家に帰ったらどうせビールなのに。またもや深いため息。


「で、何を探してたんです?」

「探し物だ」

「だから答えになってないですって。というか……」


 ユニはハナカを睨んだ。お見通しである。


「どこから仕込んでました?」

「さてな」


 赤い車が発進した。



 ※※※



『方法を変えるべきだ』

「私は堅実に依頼を遂行していますが」


 通信相手に、ガイは告げる。雑居ビルの屋上に吹く風はなかなか心地よかった。


『堅実か。お前の傍観がか』

「おや、ばれていましたか。でも仕方ないでしょう。私には、あのウィザード級らしきガンマンを捕捉する術がない」

『嘘だ』

「ははっ。メインディッシュを楽しむには、お腹を空かせておかねば。小競り合いばかり続けていても満足できませんからね。舞台は着実に整えられているでしょう」

『不安要素は排除する』

「私などよりもよほどあの人物を買ってらっしゃる。もしや……正体を知っているので?」

『お前こそどうだ?』

「いやわかりません」

『調査せねばそうだろう』

「私はネタバレが嫌いでしてね。うっかり調べて、殺し方まで導いてしまうのはつまらない」

『仕事さえこなせば文句は言わない。だが、そちらがそういう態度ならば、こちらでも動かざるを得んな』

「期待してますよ、依頼主殿」


 通信端末をしまい、ガイは街を見る。

 箱庭の街を。


「頑張ってくれよ、ウィザード級の。いや、ウィッチ級、と言い直すべきかな」



 ※※※



「コンビニに寄るぞ」

「ビール」


 ジトっとした視線を、ユニが投げてくる。

 だが、弟子を気にするハナカではなかった。


「アルコール禁止ですよ師匠! 私は降りませんからね!」

「ノンアルコールだから平気だ」


 当然のように嘘を吐く。買うのはノンノンアルコールだ。

 入店し、流れるように飲料コーナーへ……向かう前に。


「おい」

「うごっ」


 雑誌コーナーで立ち読みしていた男の首へ手刀を浴びせる。


「一応は未遂だ。だからこの程度で済ませてやる」


 崩れ落ちる男のポケットから零れ落ちる菓子類。ハナカの興味は最初からビールだ。

 好きな銘柄を買い物かごにありったけ放り込み、レジへ直行。

 何食わぬ顔で店内を後にして。


「あれ? 花香ちゃん?」


 何気ない呼び声に立ち止まる。

 自然な声音だった。いつもの日常のような。

 だからこそ、不自然。

 圧倒的な、違和感。


「誰かと、間違えているのでは?」


 そうではないと自分が一番知っている。

 ハナカの問いかけは、無意味だった。

 呼び止めた存在に視線を向ける。

 鼓動が高鳴り、発汗がする。ポーカーフェイスに綻びが出始める。

 瞳が捉えたのは、長い黒髪。

 双眸を覆う黒メガネ。

 日本人的で、それでいて整った顔立ちの女性。


「いや……見間違いじゃないですよ。その顔、その声……かなり昔の話だけど」


 その女性はハナカの間合いに流れるように入り込む。

 接近を、許してしまう。殺せて、殺されるぐらいの距離へ。


「私は、覚えてます」


 くるり、くるりと回る。ハナカの周りを。


「皆滝さん。皆滝佐奈……」


 みなだきさな。

 その名前は憶えている。


「そうです! 小学校以来ですね」

「ああ……」

「なんか……雰囲気変わりました?」

「変わらない方が怖いだろう」


 小学生と成人して数年が経過した現在。

 雰囲気を保ち続けて生きるのは困難なことだ。

 しかし目の前の同級生の雰囲気は一切の変化がない。

 そのように、見て取れる。


「だったら私はお化けですかね」

「久し……ぶりなのに、随分と馴れ馴れしいな」

「でも、私は昔からこうでした。覚えてません?」

「そう、かもな」


 歯切れが悪く返答し、目を泳がす。

 助手席から不思議そうにこちらを見ている弟子が目に入った。


「悪い、な。このまま立ち話を続けたいところだが」

「座って話しますか?」

「そうしたいのはやまやまだが、待ち人がいてな」

「ああ、そうですかそうですよね。私ったらご迷惑を」

「迷惑ってほどでもないが」

「そうですか? なら良かった。今度、時間がある時にお話ししましょう。花香ちゃんが転校した後のこと、知りたいです」

「転校……そうだな」


 ミナダキは名刺を持っていた。花屋を営んでいるらしい。

 後で連絡すると断って、逃げるように弟子が待つ車へと急ぐ。


「また会いましょうね、花香ちゃん」

「機会があればな」


 夕陽が世界をオレンジ色に染めている。

 車に乗り込んだハナカは、抗議する弟子を無視して発車した。

 バックミラーに映り込む同級生を一瞥して。



 ※※※



「どうしちゃったんです、急に」


 ユニの質問にハナカは答えない。しかとされているわけではなく、物理的にいないからだ。

 コンビニから出てすぐ車を路肩に停止させ、ハナカは運転席から降りた。

 用があるからお前は帰っていろ、と。

 大量購入したビール缶入りのレジ袋を車に残して。


「何かあったんですか、もう」


 昼間は機嫌が良かった。計画通りに進んだからだ。

 しかしコンビニで過ごした数分間の間に、彼女の身に何かが起きた。

 そして、それを弟子に伝えない悪癖は、まだ完全に治っていない。


(まぁあの時みたいな無茶はしないと思うけど)


 それでもユニの弟子センサーが何かを感じている。


「とりあえず帰りますか」


 ユニはギアとサイドブレーキを操作し、ペダルを踏み込む。

 法定速度を順守した安心安全な運転。

 無謀とは縁遠いお利口ドライブで帰宅する。


「ふんふふーん」


 鼻歌混じりに右に曲がり、


「うわっひゃ!」


 悲鳴と共に急ブレーキ。

 曲がり角の先に人が直立していた。

 否、それならば急にブレーキを踏むことはない。

 突然出現したのだ。人間が、前方に。

 金髪の、少女が。


「何してんですか危ないで――って、げ!」

「久しぶりね、ボンクラちゃん」

「クリスタ……って、え? な、何で流れる動作で助手席に」


 クリスタは応じることなく、シートベルトを締めた。我が物顔で。

 そうすることが世界の摂理のように。


「久しぶりね」

「いやだから。っていうか前に会ったの一週間かそこらぐらいで」

「久しぶりね」

「あ、はい、久しぶりですね」


 これが対クリスタマニュアルの成果である。


「じゃあ、帰りましょうか」

「ですね、うん。行きますか」


 ユニは車を走らせる。質問をぐっと堪えて。

 だが、それでも、どうしても。

 たったひとつだけ、聞かねばならぬことがあった。


「ところで魔術使いました? 許可証とか取ってます? 下手をすると――」

「マジックハンターなら今追いかけてきてるわ。けれど、大したことじゃないでしょう?」

「大したことです何やってんですか! 振り切ります!」


 降って湧く理不尽に耐えながら。

 今日もユニは、元気に生きている。



 ※※※



 歩く。

 飲む。

 歩いて飲む。飲みながら歩く。

 歩く飲む歩く飲む飲む歩く歩く飲む。


「酔えんな」


 すっかり夜になった街の中、ハナカはふらふらとした足取りで歩いている。

 しかしそれは酔っぱらったせいではない。

 精神的なものだと、自覚している。

 身体はアルコールを求めてやまない。

 誘蛾灯のように、手近な居酒屋へ入り。

 カウンター席に座り、ビールを頼む。

 運ばれてきたビールのジョッキを掴むと口に流し込んだ。


「足りない……」


 死亡リスクのある一気飲みを一人で行い、再度同じ酒を注文。

 だが、少しして運ばれてきたのはビールではなかった。


「金を返せないだぁ? お前は人として恥ずかしくないのか!?」

「うるさいな」


 奥の座敷から聞こえてくる説教は酷く耳障りだ。ハナカは席を立ち、座敷の襖へとゆっくり近づく。


「で、ですけど、返しても返しても、利子が……」


 震える声音。その後に続く、威勢の良い説法。


「そういう契約だった。そうしないと生きていけないからと頼み込んだのはお前だよなぁ!」

「でも」

「でもじゃない! なぁ、あんた。真っ当な人間なら、借りた金はきっちり返さなきゃならん。そして、今の稼ぎじゃ払えないなら、身体で稼ぐしかない。そうだろぶべあ!?」


 饒舌な言葉が間抜けな悲鳴に変化する。カウンター席から拝借した椅子が、借金取りに直撃していた。

 その原因は開いた襖から中にいた借金取りたちを睨み付けた。


「高利貸しが道理を説くとは笑わせてくれる」

「なんだとお前!」


 ガラの悪い男が苛立ったが、残念なことにハナカの方が苛立っている。


「お前たちが何を企んでるかは知ってる。そもそもその人が借金まみれになった理由もお前らだ。語る価値はない」


 典型的なマッチポンプ。独自調査で犯罪者の顔は覚えている。

 名前は知らないが。


「俺たちは人として当然のことを――」

「私は知ってるぞ。高利貸しは犯罪行為だ。そして、犯罪者は容赦なく殺していい」

「何言ってんだお前!」

「私は日本の法律に詳しいんだ。何せ……八歳まで日本にいたからなぁ!」


 殴られる前に男を殴り、刀を持って襲ってきた男を蹴り飛ばす。


「銃刀法違反。死刑だな」

「だからてめえ気でも狂ってひっ!?」


 スコフィールドを男の眼前に突きつける。


「裁判は必要ない。早速執行するとするか」

「よ、止せ」


 ハナカはリボルバーの引き金を引く。

 硬直する男たち三人ではなく、隣の部屋に向けて。


「ぐああああああ!」

「殺意がうるさすぎるぞ、素人め」


 銃を構えていた伏兵の腕を撃ち抜くと、泣き言を喚きながら男たちは逃げて行った。被害者が蹲っていた方へ目を向けるが、彼女はいなくなっている。

 それ自体は構わない。感謝を目的とはしていない。


「ビールはまだか」


 席に戻り、カウンターの反対側にいるはずの店主を見る。

 消えている。厨房にも人の気配はない。

 蜘蛛の子を散らすように。店からは誰もいなくなっている。


「くそっ、いつからこの店はセルフになった」


 毒づいて立ち上がり、空ジョッキにビールを目いっぱいに注ぐ。

 席に着いて半分ほど飲んだところで、


「こんばんは」


 誰もいないはずの隣席からあいさつをされた。

 灰色のスーツ姿の男だが、サラリーマンの気配ではない。


「この店は最悪だぞ。自動販売機の方がまだ親切だ」

「でも、ここでしか飲めない酒もあるからね」


 などと言いながら、男は酒を嗜む様子はない。


「せっかく隣の席になったんだし、少し話を聞いてくれるかな」

「いいだろう。酒の席に昔話はつきものだ」


 ハナカはとりあえずビールを空にして、ビールサーバーに三杯目を取りに行く。


「僕は昔、大きな過ちを犯したんだ。仲間を信頼――いや、盲目と言うべきかな。僕の目が節穴だったせいでね」


 ハナカはビールを味わう。まだいける。全然飲める。


「当時の僕は今ほど強くなかった。いや、今も強い、とは思わないけれど、それでもあの頃よりはマシだったはずだ。だからかな、妥協してしまった」


 四杯目。身体が温まってきたので、上着を脱いだ。


「方法は違えど、彼らも同じ理想――目的のために動いている。だから大丈夫だ、と。そして、よもやそこまではしないだろうと」


 サーバーとカウンターを行き来する。


「だから、気付いた時には手遅れだった。彼らは、自分たちの理想を成し遂げるために、生贄を捧げた。それも年端のいかない――小学生の女の子を、敵に明け渡した」


 ガラスが割れる。手が滑って落ちた空ジョッキを拾う気にはなれない。

 新しいジョッキが男から差し出されて、それにビールを注ぐ。


「確実に守れた。事件を予防することは容易だった。だが、それでは状況が動かない。彼らはそう思ったようだ。しかし、どうやらその子は一種の問題……障害、とも言うべき欠陥を抱えていたようでね。結局、向こう側の人間にすら、不要と判断されてしまったらしい。そんな人間を、わざわざ取り返そうとする者はいなかった」


 一気に二杯飲み、この店ではもう九杯目。流石に酔いが回ってきたが、知ったことではなかった。

 ハナカは、何も知らない。見たことも聞いたことも、体験したこともない。


「誰の願いも叶うことがなく、ただ一つの悲劇が生まれてしまっただけだった」

「それは実に悲劇的だな」


 震える手でジョッキを運び、カウンター席に着いた。


「もしその子がこちら側に……日本に戻ってきた時は、きっと素面じゃいられないだろう。過去の記憶を薄めるため、何かで気を紛れさせているはずだ。大量に酒を飲んで、酔っぱらったりしてね」

「それで人に当たったりな。厄介なアルコール中毒者だ。私は関知しないが」


 男は淡々と語り続ける。他人事のように。

 されど、全ての責任は自分にあるとでも、言わんばかりに。


「ちょうど君ぐらいの年頃のその女の子は、きっと僕たちを、そして日本を……人類を、恨んでいるだろうね」


 ハナカは十杯目のビールを口に流し込む代わりに、言葉を吐き出した。


「私はそいつじゃないから、何とも思わない」

「そうだろうね」

「まぁ仮に、もし私がその被害者だったらの話だが。私なら、恨んだりしない。そんな時間はない。仕事で忙しいからな。それはお前も同じはずだ」


 ハナカはこの店最後のビールを喉奥に注ぎ入れる。


「気にしている暇があれば、仕事をしろ。もう二度と、同じような人間を出さないために」


 カウンターに現金を投げ置き。

 ハナカは店を後にする。

 逃げるように。否。

 ふらつく足取りで、逃げている。


「そうだね、うん。わかっているよ、天音花香」


 店からは誰もいなくなっていた。

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