珍妙可思議な転校生(表)
朝に起きる。何事もなく。
起床した後のルーチンは一定。朝食を取り、顔を洗い、歯を磨いて。
着替える。
そして、立ち姿を確認する。
一般的な学生服。色白の肌。桃色の瞳。
そして、桃色の髪。
髪の後ろを縛り、ポニーテールのできあがり。
「行こう」
誰にでもなく呟いて、制服姿の少女は部屋を出る。
これまた普遍的なマンションのカギを締め、下に歩いていく。
「待ってくださいよ!」
誰かの声が聞こえてくる。
このマンション全ての人と友達だ、などとは言わない。だが、顔見知りだ。
声を聞いたこともある。
しかし聞こえてくる声は、少女の知らないもの。
階段を降りる際にすれ違ったのは、少女の知らない人。
「おはようございます」
美しい女の人に挨拶する。
大人の女性は穏やかな笑みで、
「おはよう」
と返して階段を上がっていく。
「綺麗な人だ」
灰色の髪が特徴的な美人。すぐ後をぜえぜえとフードを被った誰かが追いかけて来て、
「待って、ま、待ってし――げふん、お姉さん!」
「挨拶はしっかりね」
余裕のある様子で女性が息絶え絶えな少女に言う。少女はあっ、と声を漏らし、こちらを見る。
こちらも目が合う。緑色の瞳と。栗色の髪の少女。同い年くらいだろうか。
高校生なのは間違いない、が。
「外国人さん?」
「え、ええ。でも私、日本語喋れますよ! ってああ、そうでした。おはようです!」
「おはようございます」
外国人を見かけるのはさほど珍しいことではない。ただ、やはりアジア系よりは目立つ。北欧系らしきその少女は、急いで姉を追いかけていく。
ただ、ちょっと奇妙なのは、
「日本人の姉と外国人の妹……うーん?」
これもまた国際化、多様性の社会というものなのか。
少女は少し考えて、やがて止めた。
階段を下りて、歩いていく。学校へと。
「さっきのは何だ?」
「見ましたか? アカベコー賞並みの演技を!」
姉妹の会話に気付く様子もなく。
「やあやあ今日もご機嫌うるわしゅう」
「うるわしゅう? おはよう」
着席して途端、聞こえてきた変な声。隣の席に座るのは可愛らしい子だ。
名前は光。少女の友人。
中性的な顔立ちに、鮮やかな水色の髪。そしてレインボーなデコレーションを施された女子用の学生服……。
「またそんな格好して」
「可愛いからいいじゃないか」
「先生に怒られるよ」
「じゃあ実際に怒られるか、試してみよう」
机の上でふんぞり返り、教師の到来を待つ光。
「ところで竹刀は?」
「え? あっ、忘れた!!」
竹刀を背負ってくるのを忘れて、うっかり属性の自己認識を進めていると。
がらりと。教室の扉が開いて。
「おはようございます」
老教師の疲れ切った挨拶と、
「ちょっとばかし緊張しますね」
見知らぬ少女が顔を見せる。
そして、見知らぬというほどではないと気付く。
「あ」
「どうしたのん?」
「いや、朝会って」
今朝挨拶を交わした北欧系の少女。複雑な家庭事情がありそうな子だ。
同年代だと考えていたが、同級生で、しかも同じ高校に転校してくるとは。
少女が奇縁を感じていると、自己紹介が始まった。
「名前はユニ……天利ユニといいます。外から来たのでまだ不慣れですが、よろしくお願いします」
頭を下げる。顔を上げた天利と、少女の目が合った。
「かぁーいい子。今僕のこと見てたよね?」
「いや、違うんじゃない?」
私の方を見ていたと思うけど、とは言わない。早速席に着こうとした天利だが、教師がごほごほと席を漏らした。
「あー、すみません。体調が悪いので、私は一度保健室に」
「えっ、ご自愛なさってください」
ユニは驚きなく教師を見送る。そのことが少し引っかかった。
隣の光はどや顔。どう? 怒られなかったでしょ? と言わんばかり。
それがここの日常なので、予想通りではあるのだけど。
しかしそれ以上少女が思考を回す余地なく、教壇に残された天利を巡る状況は変化する。
「よーっす新入りちゃん? 外国人だって、可愛いねぇ」
「あーどうもどうも。褒められるのって久しぶりなんで悪い気しないですね」
と天利は天然に応じているが、彼女の容姿を褒め称えているのはクラス一の不良少女だ。
「ところでさ、ここで一番偉い人誰だかわかる?」
「んー、校長先生、とか?」
「はぁーいぶっぶー不正解。何を隠そう――」
「あっ、もしかして自分だとか言わないですよね? 本当に偉い人はそんなこと言わないですもんねー」
無自覚に、的確に。怒らせちゃならない相手を煽っている。
「おーっと、転入早々転校生ちゃん大ピンチかなーって、ちょっと」
「助けないと」
少女は椅子から立ち上がるが、遅い。
「わからせてやらねーとなぁ!」
激高した不良が、天利の顔面に拳を見舞う方が早い。
打撃音。天利は避けることなく殴られて、
「えっ?」
きょとんとしている。殴られて呆然自失としているのかと思われたが、違う。
思っていたほど痛くなくて驚いている――ように見える。
殴った不良の勝ち誇った顔が、疑念へと可変していく。
「おい?」
「あ、あれ? あ! ぐ、ぐわああああああああ!!」
突然の奇声。それからの、猛烈な吹き飛び。かなりのタイムラグの後、凄まじい衝撃を受けたらしき天利が黒板に激突し、見事に割れた。
「うぐわー負けました参りました! あなたがここのボスです完敗です!」
「わ、わかればいいんだよ……」
不良が自分の右手と黒板にできたヒビを見比べて困惑している。不良の怪力が成せる業……としか説明できない事態だが、
(後ろ飛びで黒板を割ったようにしか――)
少女には見えなかった。
「いやー、洗礼を受けました、たははー」
黒板を割るほどの衝撃を受けたはずの天利はぴんぴんした様子でこちらへと近づいてくる。
「おっ、ユニちゃん、僕に惚れた?」
馴れ馴れしく声をかけた光に愛想笑いした天利は、空席だった少女の隣席へ座る。
「ここいいですか」
「いいです、けど」
座ってから聞かないでほしい、とは思ったが。
天利は独特のペースで支度を始める。
「なんかそのかばんいっぱい入ってるね」
光がめげずに質問を投げる。無遠慮な問いを天利は気にしない。
「重いんですよねぇ、これ。ホルスターに入れてた方が楽なんですけど」
「ホルスター?」
「あーこっちの話です」
「……何の道具だっけ?」
何かで聞いた気がするが思い出せない。スマホを取り出そうとしたが、
「げっ」
ポケットはすかり、すかり。中身なし。
「ところで、今朝会いましたね?」
「あー、その節はどうも?」
この日本語は果たして合っているのだろうか。スマホを忘れたショックでそれどころではない。
「いやあ、部屋も席も隣なんて奇縁ですね!」
「え? あの事故部屋にしたの?」
「へ?」
一瞬場が凍る。
「爆発とかしちゃったんです?」
「いやーないない。事故物件って、そういうんじゃなくて、基本的にねえ、あの世に一人で旅立ちしちゃった人がいた部屋ってことで」
「あー、そういうことでしたか。いいこと聞いた」
なぜか喜ぶ天利。何か企んでいるようだが、よくわからない。
「ユニちゃんは外から来たの?」
「ええ、向こうから」
向こうという漠然とした表現では、どこ出身なのかわからない。しかし、複雑な家庭環境ゆえあまり話したくないのかもしれない。
そう勘ぐりを働かせた少女は、根掘り葉掘りな光を遮って問う。
「どこの国――」
「この街に来てさ」
「はい?」
「違和感とか覚えた?」
少し天利は考えて、
「私は外から来たんで、よくわからないんですよね。何か変なんですか?」
「……そっか」
「ねえねえユニちゃん――」
「ごめんなさい」
「おっと、告白してないのに振られちゃったかな僕」
光のおとぼけにペースを乱されることなくユニは少女を見る。
「質問、嫌だった?」
「いえ。答えられる範囲なら答えますし、答えたくないのは言わないですし。ただ、物事には順序がありますよね?」
そこで少女は己のうっかりさを再認識する。
「あ、ごめん。そうだね……まずするべきだったね」
少女は、天利ユニに微笑みかけて、
「私は高峰鈴音。よろしくね、天利さん」
「私のことはユニでいいです。スズネさん」
自己紹介と共に、握手を交わした。
※※※
「という感じですよ。やはりアカベコー賞……!」
『そんな賞は存在しない。所見は?』
「いやテレビで見たんですけど……」
冷たいトイレの中で応じる相手は、同じくらい冷えた態度だ。
便座の上で興奮気味なユニとは違う。
だが、それはいつも通りなので気にしていてもしょうがない。
「可愛い子だな、と」
『テレポートバレットを試すいい機会かもな』
「ダメですよもう。っていうか師匠に殴られ過ぎたせいで、危うくミスを犯すところでしたよ」
後ろ跳びによるやられた演技は上出来だった。これでみんなも自分をただの転校生だと認識したに違いない。
『他に何かないか? 違和感とか』
「それスズネさんにも聞かれましたけど、違和感ばっかりですよ」
『例えば?』
「なんで生徒同士で殺し合ってないのかよくわかんなくて」
『マジコン』
「今関係ないでしょ」
ハナカは相変わらずだ。電話口からため息が聞こえてくる。
吐きたいのはこっちなのに。
『まぁ潜入初日だ。気長に待つ』
カシャ、と景気のいい音が聞こえてくる。
何か、飲料缶を開けた音色だ。しゅわしゅわと泡立つ音も付属する。
そして以前、その音がする飲み物を見たことがある。
「師匠、それなんです?」
『耳と頭が悪いのは一向に治らないな。ビールだ』
「何呑んでんですかって!」
『だからビールだと言っているだろう? 本当に大丈夫か?』
「大丈夫ですとも!」
『ぷはっ。信用ならんな』
「私は師匠のことを信じられませんがね!」
人に仕事を任せて酒盛りする人だとはおもわ――いや、ちょっと思っていたが。
『案ずるな。私も今から動く。調査にな』
「ビールの調査とか言わないでしょうね!?」
『私はガンウィッチだぞ』
というセリフの後に続くのはビールを呷る音。
『さて、仕事開始だ。それでは』
「師匠のバカ野郎!」
通信相手に誹謗は届かない。
どうしてこんなことになったのか。
全てはあの依頼のせいだ。
「いいですよ。私もガンウィッチですから。怒ってませんよ、ええ」
実際半分くらいは当たっている。
ハナカの行動にいちいち怒りを覚えていたらユニの胃はいくつあっても足りないし、血管からは常時血が噴き出しっぱなしだ。壊れた水道管の如く。
「師匠とは比べ物にならないくらい完璧に、こなせてやりますよ!」
叫んだ覚悟が、トイレ内で反響した。
※※※
カシュの後はゴクッという喉鳴らし。
ビールを片手に平日の昼間を闊歩するその女性は目立っている。
しかし誰にも咎められることなく、駅のホームへとたどり着いた。
「旨いな」
これで一体何本目だろうか。天利家は酒に強い家庭だった。
だから大量の酒が飲める。
灰の髪を風になびかせ、缶ビールを口元へ運ぶ。
「しかし私があいつの姉か。違う設定でもよかったな」
天利花香。
こちらで最初にもらった名前。
しかし今のハナカはセンチメンタルに浸っている場合ではない。
「さっさと向こうに帰るか」
帽子がないのも気に入らない。灰コートも調査拠点に置いている。
現在のハナカは一般的な二十代前半女性のコーディネイトだ。庶民的な衣類販売チェーンで購入した白Tシャツと黒の上着。スカートはいざという時邪魔になるので、青いジーンズパンツをチョイスした。
もし目立っているとすれば右手に所持している缶ビールだが。
「目立たないな」
目立つ行動をしているのに目立たない。誰もハナカのことを気にしていない。
駅のホームで酒を飲む行為はあまり推奨されるものではない。酔っぱらいは時としておかしな行動を起こすからだ。
しかして、法律違反ではない。問題行動を起こさなければ、せいぜいが注意止まり。
「けほっ」
明確な違反なのは、咳する子どもの近くに立つ男が口に咥えるあれだ。
煙草を吸う男から漂う副流煙の影響で近場の子どもが咳をしている。
「あ、あの」
「ああ?」
躊躇いがちに声をかけた母親に、男が眼光鋭く応える。
「す、すみませんが、この子、喘息持ちなので、離れてください」
「なんで俺が?」
と憤っているが喫煙スペースは遥か彼方。
駅のホームは一部を除いて全面禁煙。場違いなのは男の方だ。
しかし、
「てめえが離れればそれで済むことだろうがよ! ぶっ殺されてえのか!」
駅に響くほどの大声。聞こえているはずの駅員も、まばらながらいる乗客予定者も、聞き流している。
そも、ハナカは見ていた。男の方がわざわざ親子に近づいて行ったのを。
あいつにするか。
そう思ったのと同時に、ハナカは空き缶を放り投げる。柱に命中し、ゴミ箱の中へシュート。
「常識がないババアとガキだな、どうして俺がお前たちに配慮しなきゃおふ!?」
哀れな悲鳴を漏らしたのは、咥えていたたばこが口の中に押し込まれたからだ。
ハナカは左手で男の首を軽く絞め、右手で口を塞いだまま、黄色い線へと近づいていく。
「ベストタイミングだ」
ホーム内に響き渡る音色。親切な音声ガイドも付随する。
『まもなく、特急列車が通過します――黄色い線の内側に』
ハナカは躊躇いなく黄色い線の外側に立ち、
「さらば犯罪者」
男を線路へと投げ飛ばす。
直後、特急列車が通過。轟音と共に吹き抜ける風を間近で浴びて。
「くそ、ひい、覚えてやがれ!!」
列車が過ぎ去った後、線路の中を必死に逃げる男の背中を眺めた。
「どれ」
ハナカは駅員の様子を確認する。しかし彼は目を逸らしたままだ。
ついでに監視カメラもじっと見据える。
「ふむ」
ハナカはスマートフォンを取り出し、番号を入力する。
110。
しばらくコールが鳴り続け、ようやく繋がった。
『えー、こちら緊急』
「大変です! 人が電車にはねられました!」
切実な声音で訴える。恐怖に震える善良市民のように。
『どちらの駅でしょうか?』
ハナカは呆れそうになる。
潜入用に用意した丸裸の携帯電話。位置情報も完璧にトレースできるはずだが。
「え、えっと多川駅で」
『今すぐ現場に急行します』
それだけ言って電話が切れる。
「全く」
駅前に交番があるのは確認済み。警官がいることも把握している。
ゆえに、超特急で現場確認に警察が訪れるか、駅員などが駆け込んできてもおかしくないはずなのだが。
「遅い」
悪態をついてその場を立ち去る。
駅から出たハナカはしばらく交番を監視していた。だが、動く気配がない。
駅員なども線路の状態を確認している様子はなかった。
「忌々しいな」
ハナカはスマートフォンを取り出し、
「むかつくが、やはりお前の情報は正しい。クソ犬め」
情報屋へ文句を漏らした。
※※※
「何も、起き、ない」
夕暮れ時。放課後。通常の生徒であれば部活か帰宅か寄り道か。
そのいずれにも該当しなかった転校生は教室の机で呆けていた。
「何も、ですか? 何も……?」
知っていることと知らぬこと。こちらでの授業が退屈だったわけではない。
しかしユニの求めるモノが、状況が。
全く、これっぽっちも起きなかった。
「だふぅ」
気が抜けた声を漏らす。ユニは常に備えていた。
何事か起きても瞬時に対応できるように。
しかし時間がただ流れていただけだ。これでは、ハナカよりも何もしていないことになってしまう。
無論、本当に調査を行っていればの話ではあるが。
「せめて近隣の事件とか……」
フォーチュンが蓄積したデータベースにアクセスして、
「むう?」
その奇天烈さに驚く。
事件、事故の表示がない。フォーチュンにはいろいろ言いたいことがあるが、情報屋としての腕は確かだ。
彼が掴めていないという可能性はゼロだ。仕事をさぼっていない限り。
つまり、この街……多川市では犯罪が起きていない。
ということは。
「いやあ、いいですね安全な街。ガンウィッチにならないで、ここに避難すればよかったですかねえ」
ユニは携帯をしまうと、さりげなく隣の席へ近づく。
そして、中身を覗く。躊躇いなく。
「ん?」
見つけたのは財布だった。
「これがキャッシュレスというものですか、なるほど」
最先端の技術の賜物。スズネは未来に生きている。
「およ」
中身をチェック。二万円と小銭がいくつか。
「キャッシュアリですねこれは……おおっと」
ユニは咄嗟に財布の位置を元に戻した。廊下に響く駆け音。
しばらくして、焦った表情のスズネが勢いよくドアを開けた。
「あれっユニさん?」
意外そうな顔をするスズネ。誰も残っていないと思っていたのだろう。
「奇遇ですね。そんなに血相変えて、殺し屋にでも追われてます?」
「そんな物騒なのに追われたことなんて数回ぐらいしかないよ」
と反射的に応じて、スズネはしまった、という顔を作る。
「なんてね冗談冗談。わははは」
「あー冗談だったんですね。てっきり本当のことかと。私は日常茶飯事でもぐ」
何かを食べたわけではない。言葉は急いで呑み込んだが。
「日常茶飯事?」
訝しむスズネ。
「い、いやあ、なんちゃって?」
咄嗟に誤魔化す。ユニにこちらでの社会常識が十分にあれば取り繕う必要がないと気付けただろうが、生憎彼女は潜入初日である。
妙な間ができ、二人して渇いた笑いを漏らした。
「殺し屋ジョークですよ」
「私もそうなんだ。面白いよね殺し屋ジョーク」
どこが面白いのか是非とも説明して欲しい、と思ったのはユニだけだろうか。
死んだ目のスズネを見る限り、違うような気はしているが。
「せ、せっかくですしいっしょに帰りますか?」
機転利かせの話題転換。ユニの提案にスズネは、
「そ、そうだね、方向一緒だし。なんなら、隣だしね」
ぎこちなく応じた。何かを誤魔化すために。
妙な感覚をユニは覚える。
それはガンウィッチという職業とは無関係のもので。
魔力障害者という自らの性質と関連したものだ。
(誰かといっしょに帰るなんて新鮮)
向こうでは孤独だった。両親が死した後は特に。
友達もほとんどできなかったし、ろくな知り合いもいなかった。
ただ、今思い返せば積極的な人づきあいを避けていたのが原因とも思える。
魔力障害者だから友達ができないのではなかったのだ。
単に時運とやる気がなかっただけだ。
(クリスタだって友達でしたからね)
オルトスとの決戦時、ユニは魔力供給によってクリスタと繋がった。
ゆえに、彼女の記憶を断片ながらに取得済み。
こっそりユニの後をつけるクリスタ。
ユニが捨てたゴミを回収するクリスタ。
ユニが鞄の中にしまっていた弁当箱を味見するクリスタ……。
これが友達というものでしたっけ? などとユニに振り返る時間があるのは。
「……」「……」
二人無言で下校しているからである。
ユニにとって同級生と帰宅するなんて経験は初めて。
加えて、ユニには話してはいけない情報がたくさんある。
ここにきてクリスタの強引さを懐かしんでしまうなどと。
「うおっ!?」
「いっ?」
悲鳴を漏らしたユニに呼応して驚くスズネ。
表示された着信相手はハナカ――。
「し……お姉さん?」
うっかり姉妹設定を忘れそうになる。が、それ以上の衝撃が電話口から放たれた。
「どこにいるの」
「…………人違いですよ、クリスタ」
スマホを耳から離して画面を再確認。しかし師匠。されどハナカ。
「どうしたの。迷惑電話とか?」
スズネが心配してくる。いいえ違いますよ、と応じて再びスマホを耳へ。
「今の声は誰?」
「さ、さて?」
「まぁ大体理解したわ、ボンクラちゃん。それじゃ」
ブツリと電話が切れた。何を理解したというのだろう。
「参りましたねこれは……」
「ウイルスでも仕込まれた? ここじゃよくあることだし――」
「いえいえ、たぶん違うと思いますよ」
たぶん。ユニも自信がない。何をどうやったのかさっぱりわからない。
もしや、クリスタはスマートフォンの使い方を完璧にマスターしているのだろうか。犯罪にも使えるグレードで。
そこまでした理由は、わからない。
「とにかく帰りま」
しょ、まで言えなかったのは、遠方からの悲鳴のせいだ。
「何事ッ!」
ユニは反射的に左脇へと手を伸ばす。そして掴むべきもの。
今この状況においては触れてはいけないものが存在しないことに気付く。
(――カバンッ)
ウィッチをガンウィッチにするはずのアイテムは鞄の中。
そしてそれは、スズネの前でおいそれと抜いてはいけないものだ。
今のユニは姉といっしょに外からやってきた転校生。
ウィッチはおろか、ガンウィッチですらない。
「先帰ってて」
走り出すスズネ。ユニは呼び止めるが、
「大丈夫、ちょっと野次馬根性出してくるだけで、すぐに追いつくから」
桃色のポニーテールを振りまいて、スズネは走り去った。
※※※
忘れ物をしてしまったことは痛い。
だが、それを理由にして何もしないのはきっと。
「夜眠れなくなっちゃうし。不眠はお肌の天敵」
そっと物陰から様子を窺う。月並みな路地裏。
悪い人が悪いことをするにうってつけな場所。
そして、案の定な光景がスズネの前で広がっている。
「やめ、やめてくれえ!」
「それはやっていいってことだろ? なぁ!」
男の人が不良の集団に暴行されている。なぜ彼が殴られているのか?
きっと理由は大したことがないのだろう。
いや、もしくは大それた根拠があるのかもしれない。
例えば、殴られている方が極悪テロリストとか……。
「俺たちの前を通ったってことはよ、殴られたいってことだろうが!」
「それ以上はやめてください」
スズネは介入することにした。声を出し、姿をさらす。
すると、好色な視線に晒された。
向こうからすれば、セルフサービスでメインディッシュを味わっていたところに、美味しいデザートが運ばれてきた、というところか。
「いいねえ、正義感丸出しのお嬢ちゃん! 俺たちと遊びに来たのかい?」
「警察を呼びますよ」
形式的なやり取り。善良市民が取るべき当然の行動。
「呼べば? 来る頃には君とのお楽しみは終わってるけどね」
「ですかね」
スズネは同意した。そもそも携帯電話は家に置いてきた。
カバンを地面に置く。そして息を整える。
「あんまり慣れてないけど、うまくできるかな」
拳の調子を確かめながら独りごちる。
それを不良がフォローする。見当違いな方向で。
「あー初めてではないんだ? 大丈夫大丈夫、俺たちが手取り足取り教えてやるから」
「じゃあ、よろしくお願いします」
「よしオッゲェ」
突然不良が訛ってしまったのは。
壁に身体がめり込んだからだ。
「……やっぱりうまく調整できない」
先程と同じ位置に立ったままのスズネは拳を軽く振る。
「竹刀がないとダメかな。うん、怖い」
と言いながらも顔色は変わらない。
気色ばんだ男たちが得物を取り出す。ナイフや鉄パイプ……。
「死ねやクソガキ!」
一斉に掛かってくるが、スズネは動かない。
代わりに何かが放出されて、男たちが軽くふらついた。
目には見えない、衝撃波だ。
しかし、吹き飛ばすほどのダメージは与えられていない。
「これじゃ足りない? けど、怖い」
「クソが!」
振り下ろされた鉄パイプをキャッチする。
男は鉄パイプをスズネの手から引き離そうとする。
だが、華奢なはずの腕から鉄パイプは離れない。
とうとう、鉄パイプの方が音を上げて、ボキリと折れた。
「何がッ!? おごッ!」
スズネはまるで瞬間移動したかのような速度で男を殴り飛ばす。
ナイフ持ちは蹴り飛ばした。常識外れの脚力で。
「殺しちゃいそうで、怖い」
仲間を倒された男が懐から黒い物を取り出す。
見慣れているわけではないが、覚えがあった。
「拳銃……!」
「テメエが噂の自警団気取りか! ぶち殺してやらぁ!」
スズネの心拍数が早まる。身の危険を感じているわけではない。
自らの手が地に塗れるビジョンが脳裏を駆け巡ったせいだ。
しかし無反応というわけにはいかず。
スズネは力を行使して――。
「宅配便でーす!」
「光!」
ブレーキ音と共に現れた自転車。布が巻かれた棒状のソレをスズネへと投げ飛ばし。
空中で紐が解けて、その全貌が露わになる。
何のことはない、学生なら一度は手に握ったか。
握ったことはなくても、見たことはある普遍的な代物。
竹刀。
それをキャッチして、両手で握る。
「そんなもんでコレに勝てるわきゃねえ! くたばれやおらぁ!」
と言いながらも男は手こずっている。拳銃を扱いなれていないのだろう。
銃は誰にでも使える、という論調は正しい。
しかしそれはきちんと習った上で。
弾倉を込め、セーフティを外し、スライドを動かして照準を合わせ。
引き金を引くという一連の動作を、習得した上での話だ。
「――はッ!」
破裂が響く。
銃弾ではなく。
撃針が雷管を穿った音色でもなく。
「は――あああああああ!?」
拳銃をただの突きによって穿ったがための、炸裂。
「往生、してください」
「く、くそったれが! 覚えてやがれ!」
スズネは何も言わない。
男が逃げ出しても、追いかけなかった。
「やったねスズネ! むぐ」
抱き着こうとした光を片腕で制する。
「酷いなぁもう。僕と君の仲じゃないか」
「それはそれ、これはこれ。でも、ありがとう」
スズネは、破顔した。今日もまた一人、救うことができたと。
そんな笑顔を、ビルの屋上から見守る影が二つ。
「なんでそんな高いところにいるんですか、師匠……」
「いいから見ておけ」
師匠は弟子に、告げる。ポーカーフェイスで。
「あれが火種……今回の依頼の標的だ」
人間界での仕事のはじまりを。




