それはあまりにも突然のことで
雨はしとやかに降り続いている。
豪華な住宅街にも。その外れにある薄汚い路地にも。
その隅に隠れて震えている自分にも。
外套は、その慈愛に満ちた無慈悲さから自分を守ってくれない。
「ユスタフ」
誰かが呼んでいる。が、それは自分に対してではない。
「ユスタフ」
「ふむ」
声が二人分聞こえる。男と女のもの。足音もちょうど二つ。雨の中を掻き分けて。
水たまりを跳ね飛ばし。
ブーツを踏み鳴らし。
そして、雨が止む。
否、自分の――少女が蹲る地点だけがぴたりと止んでいる。
魔術によって。
「自殺希望かな?」
金髪の少女が顔を上げる。すると、茶髪の男性と黒髪の女性が目に入った。
中腰の男性――恐らくはユスタフ――が指を鳴らす。
濡れた身体が何事もなかったかのように乾いた。しかし少女は驚かない。
知っている。そして使える。
だから自殺。使える物を使わないといけない時に使わないから。
「しかし積極的、というわけでもない。こんな回りくどい方法を使っては、ただ苦しいだけだ」
「苦痛が目的というわけでもないようね」
女性の言葉は真実だ。
徐々に自分が解き明かされる気分にさせられる。しかし、少女は立ち去らない。
「単に無気力か。では」
ユスタフがおもむろに少女の肩に触れる。
次の瞬間には上品ではあるものの、豪華とまでは言えない部屋の中にいた。
「マリー。今日は君の番だったけど、いいかな」
「いいわよ。今度はあなたの番に似たようなことをするから」
「お手柔らかに頼むよ」
テーブルの前に座るユスタフと少女。彼は座ったまま少女を眺めている。
「何ですか?」
沈黙と共に注がれる視線に耐え切れず、少女は初めて口を開く。
そして、知的な風貌の男の笑みを捉えた。
「君がどこの貴族か不思議に思ってね」
少女は自分の服装を確認した。
「貴族に見えますか?」
「貧しい者たちは生きるための知恵を持っている。少なくとも、雨降る中、わざわざ濡れる場所で対策もせずに蹲るということはない。そして、貴族の子どもは、無気力になるか過激的になるかのどちらかだ。適切な目的を得られない限り」
「なぜ?」
「何の不自由もなく育つ――満たされるのは、必ずしも良いわけではないってことさ」
マリーと呼ばれた女性が、食事をテーブルに並べ始める。奇妙なことに全て手動だった。
「魔術、使わないんですか」
「使う必要がないものわね」
「魔術嫌い?」
「そういうわけではないけど――」
「教育方針だな。我が家の」
「教育方針」
そこで初めて気付く。食事は四人分用意されている。
テーブルの椅子も。
「知って欲しいんだ。魔術が全てではないと」
何気なく少女は部屋の中を見回す。
そして、妙なものがあることに気付いた。
「それは写真、ですか」
映っているのはユスタフとマリー。
そして、その真ん中にいる小さな――。
「君さえよければ、だが」
マリーが誰かを呼びに行った。ユスタフは穏和な笑みを浮かべる。
「話し相手になってくれないか。そして、これは過ぎたる願いだが」
ドアが開く。マリーが入ってくる。
その背中に隠れた少女も。
「友達になってくれると、実に喜ばしい。私たちの娘の」
「ご挨拶しなさい」
マリーに促されて、茶髪の、自信がなさそうな少女が近づいてきた。
「初めまして。私はユニ。あなたは――?」
※※※
「むぎゃあ!」
朝から素っ頓狂な声を漏らしたのは、ベッドの上に置いてあった目覚まし時計による爆撃を喰らってしまったからだ。顔面に。
「これぞまさに本物の目覚まし時計だな」
爆撃主は悦に浸っている。
「何してんですか! 何してくれてんですか師匠!」
ユニは抗議する。無駄だとは知っているが。
「いつまでも寝ている弟子を起こしに来たんだ。感謝しろ」
「ってまだ五時じゃないですか! 依頼があるわけでもないのに!」
ガンウィッチは柔軟な仕事。いついかなる時でも対応できるために、休める時は全力で休め、というのが他ならぬ師匠の受け売りだ。
ユニの快眠を台無しにした理由を、ハナカは語り始める。
「襲撃は明日だな。その前に私は打ち合わせに行ってくる」
「こんな朝早くから、ですか? 仕方ない、今支度するので――」
「いや、お前はついて来なくていい」
「なんでです? ワルキューレさんのとこに行くんですよね」
トップシークレットとされていたクライアントの片鱗は、先日ようやくわかったばかりだ。
「あいつは……気難しい性格なんだ」
「迫害される魔術師に手を差し伸べるような人が?」
ハナカは起き上がろうとしていたユニをベッドに押し戻す。
「とにかく、お前は休んでいろ。明日に備えて英気を養っておくんだ」
なら起こさないで欲しい。
そう言い返したかったが、それ以上に言いたいことが脳内でレースを始める。
「あの」
「何だ?」
「私は師匠を信じています」
ハナカは僅かに目を見開いて、すぐに元の表情へと戻った。
「何を、いきなり」
「いえ。でも、言いたかったんです」
なぜそんなことを言いたかったのかはわからない。
けれど言いたかったのだ。
「私は……そうだな。お前のそういうところは疑っていない。それ以外は疑惑のオンパレードだが」
「オンパレードって」
「時が来たら、話すこともある。それだけは本当だ」
「師匠」
ユニはベッドから身を起こし、訝しむ師匠に告げる。
「行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」
だから師匠も私を信じてください、とまでは言わない。
恐らく、そこまでの実力がない。自分には。
ゆえに、そこに届く時まで実力を磨くだけだ。
師の背中を追うことなく、ユニは再び眠りについた。
※※※
「そうか、初めてか」
独り言になってしまうのは、いつも傍にいる存在がいないからだ。
最長記録、というわけではない。それこそ、ディンの方が長く弟子をしていた。
弟子がいない時間に慣れていないのも違う。
魔力障害者の弟子も、初めてというわけではない。
だが、特別な何かを感じているのは確かで。
このような経緯で弟子を取ったのも、初めてだ。
「何かやらしいことでもしたんですか?」
独り言が二人言に変わる。マナがカウンターへとボックスを置いた。
「やめてくれ。その手の言動にうんざりしたばかりなんだ」
「君の周りには面白い人がたくさんいてよろしい」
ハナカは商品を確認する。リコシェバレットは少量で、魔術弾の方が多い。
一番場所を占領しているのはポンプアクション式の散弾銃。これもまた近代のもので、ウィンチェスター社の1897モデルだ。装填数は五発。第一次世界大戦育ちなのがどこぞの元弟子の愛銃を思い起こさせて気に食わないが、それよりも古い銃なので良しとする。
「君がショットガンとは珍しい」
「万全を期したいからな」
「なら――いえ、何も言わないですよ、私は」
マナが言いたいことはわかる。だから答える。
「これはけじめだ」
「けじめ、ですか」
ショットガンの動作確認――フォアエンドを引き、装填と排莢チェック。第一次世界大戦中、あまりの性能にドイツ軍が条約違反だと抗議した逸品だ。
これから戦う敵に抗議する暇は与えないが。
「相変わらずですね君は」
「お前もな、マナ」
商品の出来栄えに満足したハナカは店を出る。
そして当然のように壁に寄り掛かっていた少女の横を素通りする。
「これは、回避しようがない事項だと言ったわね」
「だから先手を打つ。それだけだ」
「あなたの実力なら不可能じゃない」
「何を言いに来たんだ?」
ついてくる執念深い女へ、ハナカは振り返らず訊く。
「あの人たちも実力的には遥か上だった」
「案ずるな。私は最下級魔術師で魔力障害者だ」
「そういうことを言ってるわけじゃない」
「あの手の奴が考えることは読める」
「そうでしょうね。あなたは、私が調べた通りの人物だけれど」
もう一人の依頼人――クリスタが、ハナカの前に立ち塞がる。
「私の想像よりも優しすぎた」
「これは――」
「けじめ」
「聞いてたのか?」
「いいえ。でも容易に想像がついた。人を見る目は確かだから」
「だったら私が止まらないこともわかるな」
「ええ」
するりと、クリスタは道を譲る。
「フェアでいたいのさ、私は」
「あなたの人生でフェアだったことなんてあるのかしら」
「だからこそだ」
ハナカは歩を進める。
「私とあいつにしかわからない」
クリスタを差し置いて、進み続ける。
※※※
普段通りの時間に起床したユニは、朝食を食べ、いつもの日課の鍛錬を始める。
筋力トレーニング、エンフィールドリボルバーの状態チェック、必要物資の確認、フォーチュンからの依頼閲覧、周辺マップの更新、優先度の高い情報の取得。
「買い出し……」
文明の利器である冷蔵庫の中身を確認し、驚顔を作る。
「揃ってる……」
意外や意外、ハナカが買い足してくれたらしい。
言葉通り休め、ということだろう。もしユニが交友関係の広いリア充魔女であるなら、遊びにでも出かけるところだ。
しかし、残念ながらユニはリア充ではない。リア銃はホルスターの中で役目を待っているが。
「どうしよ」
ユニは少し悩み、
「寝よ」
ガンウィッチに休息は不可欠。
師匠のお言葉に甘えて、身体を休めることにした。
※※※
もはや何のためだったのか、と言いたくなってしまうが。
とにかく、認められたかったのだ。
「悪いことをしたな……」
あいつだけではない。その他の元弟子たちもそうだが。
しかし今一番謝らなければならないのはあいつへだろう。
「だけど私は師匠だからな」
師匠は弟子に謝ってはならない。
いつの間にかそんなルールができていた。
その正悪は判断できないが、変えるつもりはないので無問題。
「文句はアレックスに言うんだ」
あの男が適当なことを抜かすから悪い。
結局、自分が一人前なのかどうなのか。
答えは出ない。だが、今更どうでもいい。
「私はあいつの師匠だ」
継続的に続く轟音を聴覚が捉える。
そして、ハナカの――ガンウィッチの優秀な感知能力は、その音源の傍に一人の音が佇むことも察知していた。
障害物が何もない岩肌の土地。特徴的な巨大な滝はまるで天が涙を流し続けているように見える。崖の淵からハナカは下を覗き込んだが、うっすらと川があることしかわからない。
霧が常に出ている土地柄のせいだ。
「出て来い」
不意打ちを恐れずハナカは呼ぶ。
そして相手も早撃ちを恐れずに現れた。
「一人でお出迎えとは」
老人の魔術師は単独で出現した。
「お前が来ることはわかっていた」
老人がお見通しとばかりに告げる。
ハナカは肩を竦めて諳んじた。
「オルトス・アヴァロン・コーデルス」
「我が名を知っておるか」
「お前の名前は憶えている。何度も聞かされたからな」
あの執念深い女から。
「であればこれが如何に愚かな所業であるか――」
「全然わからないとも」
ハナカはポーカーフェイスで対応する。オルトスは彼の配下たちのように即座に頭に血が昇るタイプではないようだ。
「部下を一人も侍らせていないとなると、相当に自信があるようだが」
「全て読み通りよ」
オルトスの自信にハナカは付き合わない。
「罠に嵌めたと言いたいわけか。実は私もお前が一人で来ることはわかっていた」
「ほう」
「作戦間際に部下を殺されたくはないだろう? まぁ、無駄な配慮だが」
ハナカは平常心のままだ。思いのほか煽り耐性のある敵に意識を集中する。
「銃を使う三流魔術師。少しは腕に覚えがあるようだが――」
オルトスは典型的な魔術師らしく杖を虚空から取り出し、
「ここで朽ち果てよ」
術式を行使する――刹那。
スコフィールドリボルバーの銃声にて、ハナカは応じた。
※※※
何気なく窓を眺める。広がるのは普段通りの日常だ。
誰もこちらに気付いていない。目に留まることはなく、留めるものもなし。
「暇だ……」
退屈に過ぎる。なぜなら、この感覚は久しぶりだ。
なぜなら、ずっと師匠に引っかき回されていたから。
既に十分に寝ていたユニは、悪い記憶ばかりだった街を見渡す。
魔術師が歩き、飛ぶ。或いは唐突に出現する。
見慣れた景色は、もはや悪いことばかりではない。
良い記憶も程よく手に入れ始めた。
ずっとこの調子でいられるのか。
なんとなくそんなことを思いながら、仲睦まじく会話する二人の少女を見つめる。
「私と師匠はあんなんじゃないですね」
仲良くしたいわけではないが、一定の敬意は払ってほしい。
などと。
どうでもいい思考は、どうでもよくない事項によって上書きされる。
厳密にいえば。
一瞬で、二人の魔女ごと街の一部が抉られた。
「――ッ!」
思考の余地なく、リボルバーを握りしめて外に出る。
赤の他人を救う義務はないが、見捨てる義理もない。
飛び出した先に広がるのは、ユニが知るどの光景よりも無残だった。
廃墟が生み出されている。
「これほどまでに……」
無差別な虐殺は見たことがない。この地区は確かに下級魔術師が多いが、それでも中級や上級……貴族が皆無というわけではないのだ。
それが殺されている。
いや、よく見ると優秀な魔術師たちは防御魔術によって即死を免れていた。
しかし死んでいないからと言って、狙われていないことにはならない。
間違いなしの無差別爆撃。これほどの事態をしでかした存在は何者か。
「どこに――」
ユニは索敵を始める。無意味かもしれないが、探さないという選択肢はない。
「たす、けて……」
「くっ、今行きます」
後手に回るのを承知で、声がした方に向かう。瓦礫に挟まれている男性がいる。
「しっかり……」
手間を掛ければ使わなくとも引っ張り出せた。
しかし、呻き声が複数聞こえてユニは致し方なく魔術を使う。
「ありがとう……」
「いえ……」
カラン、と空の瓶が転がる。魔力剤を飲み干したユニは手だけが生えている瓦礫に近づく。瓦礫を掘り起こして、手がぼとりと倒れた。
「いたい……いた、いたい……」
片腕を失った少女を引っ張り出す。身体中がボロボロで片目も潰れている。
「魔術を使えますか?」
しかし返答はか細い痛いだけ。
ユニはとりあえず腕を繋ぎ合わせ、それから目を治し、所持していた痛み止めも提供した。
「変わってるわね、あなた……」
少女はお礼を言って転移する。ユニは二つの空き瓶を瓦礫の中に放り投げた。
「ん?」
突然転移音が響いてそちらの方を向く。穏和な笑みを浮かべた魔術師の一団が現れていた。善意のボランティアかとも思われたが、違う。助けを求める人たちを治療し、息を吸うかのように金銭を要求し始めた。
「全く……」
ユニは自分と同じ高さの壁の残骸を見つけ、様子を窺う。治療されて自然とこぼれた安堵の表情が、即座に絶望に染まっていく人々。
しかしユニは待つ。多くの人々が治療されて、ハイエナたちが被害者たちを脅し始めたところで声をかけた。
「そういうのやめませんか? 非常時ですから」
「お前は何を言っている? 自分の身も守れぬ者たちを助けたのだ。当然のぶ」
ユニは話を最後まで聞かず銃を穿つ。ファニングショット。魔術的な銃技ではなく、ハナカ曰く西部劇のガンマンがよく使っている連射技巧。
シングルアクションリボルバーでなければ行えない早撃ち。
ゴム弾を頭に受けたハイエナが瓦礫の中に沈み込む。
推測通り、倒しやすい敵だった。
本当の強者であれば、こんな面倒な手を使わなくても金を稼げる。
ハナカの教えがユニの身体に染みている。
落とせないし落とそうとも思わないくらいに。
「こいつら殺して――」
「あなたたちも、止めてください。助けてあげてとまでは言いませんが、今日は大人しくしましょう。こんな酷いことがあったんですから」
仕返ししようとした魔術師たちが素直に従う。何名かは帰り、もう何名かは人助けを始めてくれた。魔術師と言えども、そう捨てたものではない。
「あっ」
何人か治療している内に、ポーチの中の魔力剤が衝きかけていることに気付く。
慌てて飛び出したせいだ。
家へと振り返る。走れば十分もかからない距離だ。
(一度戻って――)
態勢を立て直そうという至極当然の帰結は、
「助けてください!!」
必死で悲痛な叫びで方針転換を余儀なくされる。
ツインテールの少女が嗚咽しながら助けを呼んでいる。
ユニは反射的に動いていた。
「向こうで、向こうで人が殺されてッ!」
「行きますから案内してください……!」
全員を救えるかはわからない。
だが、救える分だけは救う。それがユニのガンウィッチとしての矜持だ。
ユニは迷いなく少女の後を追った。
※※※
弾丸は魔力障壁によって潰されていく。
見慣れた光景だった。魔術師が人間相手にふんぞり返れる一番の理由だ。
攻撃が効かないから魔術師は上位存在。人間より格上。
「……」
ハナカは左手でショットガンの狙いをつける。装填されているのはスラッグ弾。
薄壁のようなロジックは、狩人の秘術によって砕かれて久しい。
単発の弾は障壁をいとも容易く砕き、
「まぁあれだけ面倒だった奴だ。仕方ないか」
背後に現れたオルトスに銃を向ける。
「少しはやるようだが、その程度か?」
「どうだろうな」
ハナカはショットガンの引き金を引く刹那、ポーチから魔力剤を取り出した。ハナカが対魔スラッグ弾を放ったのと同じく、オルトスは再転移。
再びハナカの背後へ。そして、
「同じ手は――ぬッ!?」
オルトスは背後から弾丸を受ける。銃弾の逆戻り。タイムショット。最初にあえて魔力障壁で潰させた銃弾の襲来。
チャンバー内に戻るはずのリボルバーはまたもやオルトスの障壁によって潰される。
その程度で満足するハナカではない。
「ふッ!」
ハナカは蹴りを背後に放つ。銃弾の時戻しとほぼ同時。そも、タイムバレットを防いだ術式はオルトスが意図的に発動させたものではない。
無意識下の自動防御術式。彼は反応できていなかった。
すなわち――この蹴りも然り。
「ぐおッ」
ハナカは自分の思う程度を放つ。蹴りもまた布石。右手のみでショットガンのフォアエンドを器用に引き、左手は魔力剤を口に運んでいる。
撃発。自動術式による防御は予想できている。装填されるは対魔弾。
「――ッ!?」
鮮血が舞う。魔力剤の空容器をオルトスに投げつける。左手でリボルバーを撃ったが、転移したために逃げられた。
しかし戦場からは逃げていない。オルトスの気配を感じる。
「ま、ここで私を見逃せばお前たちの計画はご破算だ」
ハナカは誰もいない方向へリボルバーを撃った。空間が歪み、左肩を赤く染める上級魔術師が目に入る。
「確かにお前は面倒だ。殺せたと思ったんだが」
必殺かと思われた対魔スラッグ弾はしかし、オルトスの左肩を射抜くのに留まった。治癒は既に始まっている。どうせならば逃げてくれれば良かったのに、とも思う。
逃亡先候補に仕掛けた地雷が、安堵しきった彼を木っ端みじんに吹き飛ばしたはずなのだが。
「魔力障害者風情が」
オルトスの声音から余裕が消える。ハナカのポーカーフェイスは崩れない。
「長くなりそうだな」
ハナカはポーチ内の弾薬量と魔力剤残数を意識する。
弾薬、魔力剤共に潤沢だが、このような魔力タンクと長時間における戦闘は好ましくない。
それをオルトスは理解している。よって、奴が仕掛ける戦術は明白。
ハナカはショットガンを手放し、リボルバーを右手に持ち替えリロード。
「いや短いか」
左ポケット内のスマートフォンを操作しながら、スコフィールドを吠えさせる。
「何度も――」
同じ手は喰らわないと言いたかったのだろうが。
高速移動するオルトスの行き先は、予想がついている。
「むッ!」
オルトスは背後で自動術式が展開し、瞠目する。光学迷彩によって隠れていたドローンによる跳弾だ。
杖がこちらに向くより早く、銃弾を撃ち放つ。対魔弾は周囲の岩で形成された防壁によって潰れた。周囲の物質を利用することで、魔術接続が絶たれても壁としての効果が残ったのだ。
「ふっ、小細工はもう――」
「通用しない、か?」
そこでオルトスは気付く。自分の身体が動かないことに。
「なッ、ぬッ」
何が起きたのかは理解できているだろう。どうすれば解除できるのかも。
一瞬。しかし、その一瞬もあれば――。
崩れる岩の壁から見え隠れする、オルトスの表情。
驚愕。ただその一言。
銃の撃鉄は起きている。後は引き金を引けばいい。
だが違和感が芽生えた。左手の魔力剤を飲もうとして止まる。
固まる。
岩が崩れて、全貌が露わになる。
そして、笑みを浮かべたオルトスと、
「――さいッ!」
あまりにもなじみすぎる顔と――。
「逃げてくださいッ! 師匠!!」
青い液体が宙を舞う。第三者による魔術的な狙撃によって魔力剤を撃ち抜かれた。
しかしそちらを向く気にはなれない。
ただひとりだけを見ている。
「……」
確殺できる状況ながら、ハナカは撃てない。
身体がふらついて、どうにか踏ん張る。
嫌な汗が流れ始めて、呼吸も荒くなる。
それでも、今のハナカにはどうでもよかった。
「ユニ――」
悲痛の表情を浮かべる弟子を見る。
「そうか、なるほど……」
視界が灰色に染まってくる。銃すらまともに構えられず、銃口が下を向いた。
これが理由だったのか。そう身を持って実感する。
あいつの、ユニの両親がこのような低俗な魔術師に敗北した理由は。
「わた、しは……間違って――」
ユニの顔は、唐突に視界から外れる。目まぐるしい速度で。
苛烈な衝撃と自身が宙に浮く感覚の後。
下に、下へと落ちて行った。
※※※
声が出なかった。代わりに足が動いた。
思考は回らなかった。けれど、視線はそれを捉えていた。
必死で手を伸ばす。
そして、石に躓いて転んだ。
落ちていく。
師匠が、崖の下へ――滝つぼへと落ちていく。
「あ、あ――」
ユニは立ち上がることすらせず、這うようにして崖際まで向かう。
そして、下を覗き込んで絶句する。
血に染まったハナカが川に浮かんでいる。
その姿は霧によってすぐに覆い隠された。
「師匠」
呼びかける。答えはない。
「師匠、ししょう!」
返答はない。
「ハナカ!!」
何かが落ちた音がして反射的に振り返る。
見えたのは操縦主を失って墜落したドローンだった。
そこに少女が割り込んだ。ユニをここまで連行した金髪のツインテール。
どことなくクリスタに似ている。
しかしそのつまらなそうな顔は明確な差異だ。発する声音は、確実な相違だ。
「処分しときますか? おじい様」
「ふむ」
そこで初めて、ユニは誰の元に自分が連れ去られたのかを知る。
その顔。その声。その風貌。
その全てが、記憶の奥底に刻まれていた。
「放逐するがいい。たかだか魔力障害者。生きている方が苦しかろう」
幼い頃の記憶が刺激される。同じ言葉を、聞いたことがある。
両親の骸の傍で。
「あ……」
オルトスは転移した。それ以上かける時間はないとでも言うように。
残ったクリスタに似て似つかない少女も転移術式を展開させた。
「じゃあねクズ虫。あのゴミ従妹によろしくー」
反論すら許さずに消えた。自身の師匠を殺した連中が。
自分の両親を殺した魔術師たちが。
「師匠……」
泣こうと思った。しかしなかなか涙が出ない。
衝撃の方が勝っている。思えば、両親の死体を見た時もそうだった。
そんな自分に反吐が出る。自分のことを傷めつけたくてしょうがない。
そのための武器は、取り上げられていない。
銃にそっと触れる。走馬灯のように、初めて銃をもらった時のことを。
師匠との出会いを、思い出す――。
「ぐっ、何?」
顔に何かが飛んできて、回想が中断される。
その肌触りは記憶に染み付いていた。
その香りは、脳の中に蓄積されていた。
ハナカの帽子。一度だけ被ったことのある黒い帽子。
何か特別な思い出があるのであろう、師匠の帽子。
帽子を眺めて呆けていると、視界の隅に光るものが入る。
「師匠の、銃」
ただのウィッチが、ガンウィッチとなるためのアイテム。
ハナカの髪と同じ、灰色のスコフィールドリボルバー。
「変わりたかったら、決断しろ」
ハナカの声が聞こえた気がした。
しかしそれは気のせいだ。心が反復した、過去の声だ。
「今度は言い間違えませんから」
ユニは立ち上がり、フードを外す。
ハナカの帽子を被り、ハナカの銃を拾い上げた。