拾った娘
あらすじ
雪山で行き倒れが来た
視界を埋め尽くす真っ白な吹雪の中、1人の少女が歩みを進める。
背中にかかる重荷、体の感覚は既に無い。
「ねぇ、どうしてこんなに綺麗な空の下で、ヒトは争うのかな」
背中に背負う弟が放った言葉は、やけにハッキリと聞こえた。
視界一面の吹雪の中、彼が何を見ているのかわからない。
だがきっとその景色は、直ぐに少女も見る事が出来るだろう。
例え命を落とす事になろうと、彼女は両親に胸を張る為に、最後まで歩みを止めない。
そして、意識を手放した。
火が爆ぜる音が響く。
褐色の肌をした獣人は、ゆっくりと瞼を開いた。
ぼんやりとした意識で、黄土色に照らされる天井を暫く眺めていると、徐々に記憶が戻ってくる。
飛び起きた彼女は、自分に掛けられた毛布を跳ね除けて、自分が背負っていた弟を探した。
火を囲んで座る少年と少女と目が合うと、怨嗟を込めて睨み、叫ぶ。
「人族めっ!アタシの弟を何処にやった!?」
「おやおや、随分と、躾けが成っていない獣だね。ホーンラビットの方が、未だ礼儀が有るよ」
「フィー、彼女は動揺しているからだ、あまり煽ってやるな」
「答えろっ!」
その殺気すら纏う問いに、ベル達は大して気にした様子は見せず指差す。
指の先には、小さな少年が横たえられていた。
少女は慌てて彼の側に寄り、名を呼びかけてその肌の冷たさに驚く。
震える手で、そっと口元に手をやれば、そよ風すら感じない。
「あぁ、駄目だ、駄目だ駄目だ!行っちゃ駄目!1人にしないで!!」
少女は胸元に手を当て、心臓を刺激し、時折息を吹き込む。
その心肺蘇生法を見て、何処で覚えたのかベルは興味を抱いた。
初代勇者は心肺蘇生法の手順を、教会や医療関係者に広げてはいたが、治療魔法が普及するこの世界では、一般人に浸透する事はなかった。
しかし、存在はするが発動条件が非常に難しい蘇生魔法に類する術よりも、誰もが使える心肺蘇生法は、教会や医療関係者に教育が義務付けられる事になった。
あくまでも一部の者に教育される為、目の前の年端も行かない(外見年齢は同世代だが)少女が、その技術を身につけている事は非常に珍しいのだ。
そもそも、人工呼吸は見知らぬ者と口付けを交わすのだ。
この世界の道徳では命より純潔を重視され、知識としては知っていても実際にやる者は少ない。
下心や、愛した者、余程高貴な精神を持つ者を除けば、実践する機会は無いだろう。
少女は必死に手を動かしつつも、ベル達に湯を分ける様に言う。
少年の身体を温めるつもりだろう。
少し迷ったベルだが、フィーは無言で湯を張ったタライと、コップに入れた白湯を手渡す。
半端引ったくるかの様に少女は受け取り、少年を温めようと処置していく。
どれ程彼女が頑張ろうと、冷たい死体は直ぐに温度を逃してしまう。
「あぁ、どうして、どうして?」
「それは死体だから、としか言えないよ。君も、危ういけれどね」
狼狽る少女の手を取り、焚き火の側に座らせ、少年の毛布をフィーは戻す。
焦点の合わない瞳のままスープを受け取り、空腹には勝てないのだろう、彼女は口元に運ぶ。
ベルが村を無くした時も、彼女と同じ目をしていた。
肉塊となった幼馴染の少女を必死に抱えて、治療師に頭を下げていた。
彼女や家族、村人達を眠らせる様に諭され、漸く現実を見て、枯れ果てる程涙を流したのだ。
「どうして、助けてくれなかった?」
ポツリと発せられた言葉は、向かう所の無い感情の捌け口だろう。
向けられた方からすればたまったもので無いが。
魔王との戦争時に、彼女の様な者は何度か見てきた。
中には自暴自棄になったのか、ベル達に襲い来る者も少なくない。
フィーは彼女に食事を渡して、研究資料を見始めた。
既に彼女から興味を失いつつある様で、ベルは溜め息を吐く。
年端も行かない少女とは言え、混乱し取り乱す赤の他人の相手等、面倒でしかないのだ。
「お前の弟は、ここに来た時には既に事切れていた」
「嘘をつくなっ!アタシを此処まで導いたのは弟だぞっ!?」
「言い難いが、幻聴じゃないか?」
「違う、生きていた!本当だ!」
「私達も、助けようとはしたさ」
「ならっ……!」
気色ばみ立ち上がろうとした彼女だが、酷使した身体は思うようには動かず地面に手を着いた。
この年代の子供は、感情の赴くままに行動するから本当に面倒だと思いつつも、ベルは彼女に休む様に促す。
しかし、彼女は首を横に振った。
「リヒトを、弟を弔いたい」
「今は休め、目が覚めたら私達も手伝ってやる。お前の事情も、その時に聞くさ」
「……分かった」
弟の横に這う様に進むと、力尽きて意識を無くす。
毛布を直してやるベルは、彼女達の頭上に生える獣耳に眉を顰めた。
獣人が嫌いという訳ではなく、サルマン王国の周辺国に獣人の国は無く、あまり見かける事がない。
違法奴隷や人攫いに目を付けられる事も多く、物珍しさから注目も引き、当事者からすれば非常に面倒だろう。
最も、獣人であるからだけで奴隷以下に落とされる国に比べれば、余程平和だが。
サルマン王国に隣接する、迷宮が存在する迷宮都市ラビリスは、冒険者が集い獣人を含む亜人も数が多い。
大方、彼女達もそこの子供で、奴隷商人や人攫いに誘拐されたのだろと考えたベルだが、彼女が行った心肺蘇生法の手順を思い出し首を捻り、フィーの横に腰をかけた。
「上手く眠らせたな」
「オレ達を警戒している癖に、与えられた食べ物を口にする辺り、幼い子供だね」
「寝ているフリ、かもしれないぞ?」
「それなら、それでも構わないさ。けれど、彼女の体験は実に興味深いものだね。死せる者の声を聴いた、って事になる訳だろう?」
「私は彼女の持つ知識に興味を抱いたがな。お前も当初は知らなかった程、広まっていない蘇生法を彼女は行った。今は教会関係者か、軍の者くらいしか知らない知識だろうに」
「伴侶でもないのに口付けを交わすなんて、オレでも遠慮したいからね」
「宗教や道徳は、時に命を奪うものだからな」
「同感だけれど、ベルくんには喜んでやろうじゃないか」
2人は冷たくなった少年に目をやる。
アンデットになった訳でも無く、少女が担いで来たのは唯の死体だった。
死後数時間は経過しいると見られ、とてもでは無いが彼女を導く事など不可能な存在だ。
「彼女が自分の精神を守る為に、虚像の存在を作り上げたとか、かな?この場所へは、偶然か無意識に何かを捉えたのか」
「幽霊って可能性は無いのか?」
「アンデット?」
「いや、そういうのでは無く、物語に出てくる様な幽霊だ」
「生者の如く振る舞う幽霊、か。ベル君って、結構ロマンチストだよね」
「自覚はある。ただ、彼女が言うのなら信じてやっても良いんじゃないか?」
「信じた所で、オレ達には無関係だろうけれどね」
吹雪の音は、止まらない。
獣人の少女の足跡を塗りつぶして行くが、真っ白な視界の中で彼等は進む。
複数の影は、ベル達の潜む洞窟へと迷わず向かうのだった。
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