非道な錬金術師
あらすじ
ミミへと振り下ろされたトロル擬きの拳
轟音が響いた。
恐ろしい程の質量が、恐ろしい力で地面を叩いたのだ。
衝撃に自分の拳がひしゃげ様とも構わない。
余りの衝撃に、ミミを僅かに引き寄せたラピスは情けない悲鳴がこぼれた。
眼前は土壁が隆起し、破片から自分達を守ってくれた事は理解出来るが、戦いに身を置かない彼女はこの後の思考が働かない。
「下がりなさいっ!」
非戦闘員である事が一目で分かる彼女に自分を奮い立たせ、マリアンナはミミとラピスを掴み、魔力を巡らせ背後に跳躍する。
続けて振るわれた拳は張られた土壁を容易く粉砕し、獲物を追ってトロル擬きは一歩踏み出す。
しかし、自重を支える筈の膝は、乾いた破裂音と共に破壊され、片膝をついた。
「全く、2発で漸く、時間稼ぎが出来るなんてね」
「十分だ、燃えろ」
六連式魔導筒を構えたフィーを労い、既に背後まで回っていたベルが、憤怒の剣を首元に刺すと、頭部が蒼白い炎に包まれる。
しかし、トロル擬きは止まらない。
鬱陶し気に手首を払えば、風の障壁が割れ散る音と共に、羽虫の様にベルは吹き飛ばされてしまう。
「ベルくんっ!?」
「構うなっ!」
「くそっ!」
苦々しい表情のまま、フィーはポーチから水風船を取り出して投擲する。
錬金術で生み出された水風船は、拳大程の大きさの中に何リットルもの液体を入れる事が出来る。
爆ける事で、亜空間能力が解除され、詰められた液体が開放される魔導具だ。
蛙型の魔物の胃袋を素材としており、液体を満たしたこの魔導具は、女性の乳房の柔らかさに近い事が判明してから、彼の魔物が乱用された。
だが、男達の夢は、飲料水の運搬を目的とした国に、個人の趣向に使われる事を禁止されてしまった過去がある。
トロル擬きの足元で弾けた水風船から撒かれたのは、ぬるぬるとナメクジが皮膚に纏う様な粘液である。
しかも、投げたのは複数あったらしく、片膝をついたまま、うまく立ち上がれない様子であった。
続けて凍らせようとしたフィーだが、フワリと頬を撫でた風は縮まるほど冷たかった。
「凍てつく足場よ!」
本来泥の上を移動する足場を作る程度の魔法だが、術者が過剰に魔力を込めている為、水風船から溢れた粘液をみるみる凍らせていく。
魔力を既に氷属性の魔法を準備していたフィーは、魔力の質がベルとは異なる事に疑問を覚えつつも使用魔法を切り替え、鋭い氷の槍を形成して出射した。
「氷槍ッ!」
腕の太さ程の氷柱がトロル擬きに複数突き刺さるが、それだけであった。
痛覚が無いのか、氷柱に見向きもせず、足回りの氷と格闘していた。
「助太刀します」
声の方を見てみれば、建物の屋根からフワリと舞い降りる異形、本来足が有る場所に複数の腕が生えたメリッサだった。
露出箇所には紫の石が埋め込まれており、フィーの片眉が上がる。
彼女の反応から、敵意こそは無いものの、自分の姿に驚いていると判断したメリッサは、トロル擬きとの間に立つ。
「私の名はメリッサ、元近衛騎士団長だ。この姿は訳が有るというより、目の前の者同様実験の末路です」
「実験?」
「あぁ、邪悪な錬金術のな」
「えっと、君は何処かで見た事あるね」
「フィー、この国の第一王子だよ」
吹き飛ばされたベルを上手く受け止めたのか、腕にベルを抱いたライオスも合流する。
ベルを下ろしているライオスを苦々しげに睨むフィーに構わず、メリッサは話す。
「彼の名はモーガン、近衛騎士の1人……だったモノだ」
確かに顔つきに面影があると、既視感に納得したベルだが、私服を肥やす貴族とは異なり、モーガンは平民の出であった筈だ。
騎士学校時代に母親を亡くしたモーガンは、自分の幼い兄弟を養う誠実な男であり、賢者の石に執着する様な者では無かった。
子供に手を出す事を嫌っており、スラム出身の子供が窃盗をしても、自腹で負担し罪を諭す様な男であった。
この国の成人年齢は14歳からだ。
ベルとフィーの外見年齢は12程に見える為、異形になれ果てて尚、モーガンは2人を攻撃しなかった事を悟った。
その様な彼が、何故かの様な醜態となってしまったのか。
ベルは、モーガンの腰に結われた子供達を見て、結末を想像してしまう。
「あの姿は、何ですか?」
「私同様、実験ね。品質の低い賢者の石を使い、若さや力を手に入れる事を望み造られた。魂のエネルギーを無理矢理結晶化したせいか、埋め込まれた石は精神を蝕み異常を来し、外見を大きく変質するわ」
「いいや、外見が変わる理由は……。しかし、魂のエネルギー?ふむ、エネルギーの量に囚われて邪道に手を出したのか」
不純物の混じった、生命力を利用する技術を否定した発言だったのだが、人の命を弄ぶ事に対する発言だとメリッサは受け取った。
結果の為ならば、犠牲すらやむを得なしとするフィーにとって、人体実験は大して気にならないのだが。
「ええ、正しく邪道ね。人の道を外しているわ」
「道徳云々では無いのだけれど、ね」
ボソリと零したフィーの呟きは、モーガンの暴れる音にかき消される。
下半身の身動きを封じたが、恐らく胸元に有ろう賢者の石を破壊するには余りにも巨体であり、攻めあぐねいていると、突如として焔が粘液を溶かし、蒸発していく。
「我が傑作の邪魔をするとは、嫌らしいゴミ共だ」
怠慢な声が頭上から放たれ、ベルは殺意と共に憤怒の剣に魔力を注ぐ。
火魔法の爆撃によって、モーガンを爆撃が襲い、拘束していて氷が砕け、肉片と共に宙を舞う。
再び自由を得たモーガンは、逃走を開始した2人を抱えるマリアンナを狙うが、その顔目掛けライオスが火弾を放ち注意を引いた。
「俺が奴を引きつけるっ!君達は逃げろっ!」
「容易く逃げれると思うなゴミが」
「ライオス様っ!ガラハンドに注意を……」
「僕が行きます」
詠唱を始めたガラハンドを睨み、メリッサの武器を握る手に力が込められる。
だが、風魔法で足場を作成したベルは、既にガラハンドの眼前に迫っていた。
ベルとフィーを子供だと侮っていたガラハンドは、咄嗟に詠唱を辞め、右手に埋め込まれた紫の魔石を掲げると、怪しく紅に輝く。
「我が魔力を喰らえ、爆撃っ!」
「甘いな」
ベルは魔力を瞳に流す事で、魔力の動きを可視化する事が出来る。
放たれた爆撃の動きを目で追い、蒼炎に包まれた憤怒の剣が軌道を断ち切られ、魔力は飛散する。
まるで炎を喰らったかの様に憤怒の剣が纏う蒼炎が一層膨らみ、ガラハンドを襲う。
「っ!」
「甘いのは貴様だ」
しかし、ガラハンドの背後から複数の触手が躍り出て、ベルを狙う。
慌てて足場を形成して急ブレーキを踏み、憤怒の剣で焼き切るが、切ったそばから触手は盛り上がり、再びベルを襲う。
「焼き落とせ我が魔力よっ!火矢っ!」
作り出した僅かな時間で詠唱を終わらせ、ガラハンドは触手と火矢を同時に飛ばす。
舌打ちと共に距離を取ろうとしたベルの足を、触手が巻きつき引き寄せる。
仕方ないと、勇者である事が露見する雷魔法を使おうとしたベルだったが、乾いた音と共に足を縛る触手が弾け飛ぶ。
直ぐ様魔力の質を切り替えて、火壁で炎の壁を作り触手を焼き払った。
「ベルくん、あまり置いていかないでおくれよ」
「ああ、悪いな」
「今は、隣に立てるからね」
肩を叩いたフィーに、ベルはそっと微笑んだ。
「頼りにしているぞ」
「とは言え、今ので弾切れだ。幸行き悪いよ」
千切れた触手は直ぐに元に戻るが、ガラハンドはフィーの手元に釘付けになる。
見た事は無いが、引き金を引く遠隔魔導具である魔導筒には覚えがあった。
死した錬金術師の遺産は殆ど回収されたが、勇者と共に戦へと赴いた時に用いた武具や兵器の所在が不明なままである。
もしも、目の前の少女が何か知っているとしたら……。
埋め込まれた紫の石が紅蓮に輝く。
「貴様には、話を聞かなければならないな」
「お茶の誘いかい?生憎、恋人は間に合っているのさ」
「奴は此処で斃すぞ」
弾切れとなった六連式魔導筒を、ホルスターへと仕舞ったフィーは、腕輪に魔力を流して腕輪型のゴーレムを起動する。
ガラハンドの背中からは、粘液を滴らせる触手が揺らめくいていた。
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