5話 アドラムト
「――見えてきたぞ!」
いつの間にか、結構な距離を稼いでいたらしい。視界の先に、故郷の村――アドラムトと、アドラ山が見えてきて来た。ファルが歓声を上げ、シコウが笑う。
「ようやくですねぇ」
「そうだな」
うなずく。
……そういえば、久しぶりの帰郷だったな。あまりにも長いこと帰らなかったわけだし、多少の文句や皮肉、嫌味を言われることは覚悟しておくべきだろう。
そう考えると少し憂鬱ではあったが、……まぁ。懐かしの我が家だ。頬が緩まないはずはなかった。
***
「……あ、れ……」
「ノイエ……?」
「ノイエだ……!」
「うわ、え、どうしたんだ!?」
「いや違うだろ、そうじゃないだろ。――ノイエ、お帰り!!」
村に到着すると、ちょっとした騒ぎになった。
当たり前といえば当たり前だ。アドラムトは僻地にあることと、アドラ山という国内でも有数のモンスター群生地が近くにあるせいで、基本的に人が来ない。だからこそ、旅人が訪れるのは珍しく、村人は僻地にやってきてくれた旅人を歓迎するわけだが――今回村にやってきたのは、旅人だけではない。数年に村を出て行った根なし草が、久しぶりに戻ってきたのだ。騒ぎにならないはずがなかった。
「ああもう、良く帰ってきたな……!」
「本当に久しぶりだねぇ! 何年ぶりだい?」
「まったく、村を飛び出したっきりとんと戻らないんだから。便りの一つも出せばいいのに!」
「アルタがお冠だぜ。さっさと顔出してやんな!」
ああ、ああ……そうだろうな。
シコウとファルを連れている以上、とりあえず宿屋にでも向かおうかと思っていたのだが……やはり、そういうわけにもいかないか……
はぁ、とため息をついたところで、「なーなー」とファルが声をかけてくる。
「ノイエ。アルタって誰?」
「妹だ。血は繋がっていないがな」
「おや。妹さんがいたんですか」
「ああ」
「その妹さんがお冠というのは――」
「村を出てから、ロクに連絡を取っていないからな。怒りもするだろう」
「他人事のように言いますねぇ」
シコウは呆れたようだった。……実際、呆れられても仕方のないことだから、こればかりは向こうの方が正論だ。
「そういう事情なら、先にそちらへ顔を出してあげた方が良いでしょう。私たちのことはお気になさらず。適当にその辺をぶらついていますから」
「ああ、すまな――」
「必要ないよ」
吐きだしかけた謝罪の言葉は、途中で途切れた。
「もう、ここにいるもん」
その言葉に、振り返る。
――聞き間違えるはずがない。見間違えるはずがない。
そこには、妹が――アルタがいた。
「おかえり――ノイエ」
「ただいま――アルタ」
彼女の言葉に応えを返すと、急に彼女は突進してきた。腹のあたりに頭突きを食らわせたかと思うと、そのままぎゅうとしがみつく。
「――――っ、おそいっ!!」
「すまない」
「今までどこほっつき歩いてたの? 手紙も出さないで! すっごく心配してたんだよ!?」
「……、すまない」
「心配、してたんだよぅ……!」
「ああ……、ありがとう」
「笑ってるでしょ……! 反省の色がないっ……!」
ぐすぐすと鼻を鳴らし始めた妹の頭をぽんぽんと叩く。……まったく、しばらく会わないうちに大きくなったものだ。前は、腰よりも低い位置に頭があったというのに。
「……大きくなったな」
思わずつぶやくと、アルタは小さく鼻をすすり、顔を上げた。頬を膨らませつつ、「ノイエが出て行って何年経ったと思ってるの? わたしだって、成長するんだからね」と言ってくる。……いやはや、まったく。
「悪かった。――さて、そろそろ落ち着いたか?」
「、そう簡単に、落ち着かないよ……」
もう一度鼻をすすり――しかし、アルタはふっと腕を解いた。そして、乱暴に顔を拭った後、シコウとファルに向き直る。
「みっともないところを見せて、ごめんなさい。――ノイエのお客さんなんですよね? わたし、ノイエの妹でアルタっていいます」
言って、ぺこりと頭を下げる。「ご丁寧にありがとうございます」とシコウがそれに応じて頭を下げた。
「私はシコウ。こっちはファルです。ノイエさんには、アドラ山への案内をお願いしておりまして。それで、こうしてこちらにお邪魔したというわけです」
「え」
途端、アルタはぴしりと固まった。……まぁ、無理もない。「アドラ山に行く」などと言えば、この村の人間は誰だってこういう反応をする。現に、なんとなしに様子を見守っていた人々がぎょっとした様子でシコウに目を向けている。
アルタはぱくぱくと声にならない声を出した後、ゆっくりとこちらに視線を合わせた。
「ノイエ……この人たち、本気で言ってるの?」
「ああ」
「しょ、正気?」
「正気だ」
「――――」
アルタは信じられない、と言わんばかりの顔でこちらを見ている。……その反応は、わかりすぎるほどにわかるが。
「いろいろ言いたいこともあるだろうが、ひとまず話をさせてくれ。何も考えずに彼らをここまで案内したわけではない」
「……、…………。わかった。じゃあ、先に村長のところに行ってきて」
……む?
「今話さなくていいのか?」
「村長への事情説明が先でしょ? 村長が山に入っちゃダメって言えば、話はそれで終わりだもん」
「それはそうだが」
「大体ねぇ! ノイエが『帰る』って連絡してくれなかったせいで、何の準備もできてないんだよ!」
「……準備?」
「部屋の片づけとか! 夕飯のしたくとか! そういうの!!」
「家族なんだから、そんなの気にしなくても――」
「何がどういう事情でアドラ山に行くことになったのか、説明しない気?」
「いや、そんなつもりではないが……それがなんだと」
「だからー、その人たちも連れて、うちに来て、って話をしてるの! さっきの話だと、アドラ山に行くって言ったのはその人たちなんでしょう?」
「まぁそうだが……事情が知りたいなら一緒に来た方が」
「だから、準備ができてないって、さっきから言ってるでしょ! 一緒についてったんじゃ、部屋の片づけも夕飯のしたくもできないじゃない! もー! 人の話聞いてよー!!」
ぷうと頬を膨らませた後、アルタはびしりと指を突き付け、「そういうわけだから、早く村長のところに行く! 早く早く! いいわね!!」と言い捨てると、ぱっときびすを返し、走り去ってしまった。
「…………」
「なんつーか、すげーな。ノイエの妹」
「元気ですねぇ」
能天気な二人の感想が耳に届く。ため息をつき、自然と落ちていた肩と顔を持ち上げて、シコウとファルに向き直る。
「では――シコウ、ファル。一旦村長のところに挨拶に行こうと思うのだが、いいか? どちらにせよ、アドラ山に入るためには、村長の許可を得なければならないしな」
言うと、シコウは苦笑しながら「そうですね」とうなずいた。
「周りの視線が痛くなってきたところですし。移動しましょうか」
「周りの目が痛いのは、あなたがここで『アドラ山に行く』と宣言してしまったからなんだがな」
再びため息をつく。「まーまー」とファルが能天気に笑い、
「じゃあ行こうぜ。ノイエ、その村長さん家ってどこ?」
***
村長宅を訪ねると、村長は早くも疲れ切った表情を見せていた。
「おかえり、ノイエ」
「ただ今戻りました、村長」
「うん。――とりあえず、外での騒ぎは聞いているよ。なんだか厄介事を持ち込んでくれたみたいだねぇ」
村長は心底困った、といった表情で、盛大にため息をつく。……ぐ、ものすごい罪悪感が……
アドラムトの長は『如何にも村長』といった雰囲気の老人だが、頑固爺というわけではない。アドラ山という物騒な土地の近くに住んでいる割に、その雰囲気も物腰も穏やかだ。
村を離れ、国を離れ、いろんな土地を回ってきたが、厳しい土地に暮らす人たちは、大抵苛烈な性格をしていたし、その長ともなれば、行きすぎなのではないかと思うほど厳しい性格をしている人がほとんどだ。そうでなければやっていけないような場所に住んでいるのだから、当然なのだが。
しかし――この村は、危険地帯にありながらゆるい雰囲気の村だ。そして、村長もまた、そうした雰囲気の持ち主である。……それにはまた、それなりの理由があるのだが――ともかく。
そんな温和な村長でさえ、アドラ山に入ろうとするシコウとファルには難色を示しているのだ。そのことを、シコウやファルはきちんと理解しているのだろうか……
「まずはご挨拶を――私はこの村をまとめております、ロダと申します」
「突然の訪問、失礼いたします、ロダ村長。私はエフダム王国三等書記官、シコウと申します。こちらはファル。私の助手のようなものです」
「よろしく!」
シコウの挨拶に続けて、ファルが元気よく頭を下げる。……シコウの奴、ファルの地位について言及しなかったな。面倒を避けるためだろうか? ……まぁ、シコウの身分を聞いただけで、村長は微妙な顔になっているしな。言わなかったのは正解かもしれない。
「エフダム王国……ですか。ハトルーンがエフダムに降ったという話は聞きましたが……」
……『降った』という表現は適当でない気もするが……まぁ、それは今言及すべきことでもないだろうから、黙っておこう。
「そのエフダムの書記官殿が、アドラ山にどのような御用です」
「エフダムの政策の一つに、『国内に生息する魔物の調査』というものがあります。ハトルーンがエフダムの属領となったため、ハトルーンの魔物についても調査を行う必要が出てきたのです」
「それでアドラ山に?」
「はい」
「魔物の調査……とは、具体的にどのようなことを?」
「ごくごく簡単な生態調査と解剖が主になります。その結果でもって、長期的な調査が必要になるか、そうでないかを判断するので」
「解剖……ですか」
村長は眉間にしわを作った。それほど多くない顎髭を撫でながら、小さく唸る村長を見、シコウが首を傾げる。
「何か問題があるのでしょうか。……魔物の調査は国策ですが、ある程度の融通は効きますので、問題がある場合には率直にお話いただけると」
「問題……ですか。しかし……調査そのものをやめていただく、というわけにはいかない――のでしょうな」
「さすがにそれは」
シコウが困ったような顔をしてうなずく。
「何か懸念事項が?」
「……私どもは、そもそもアドラ山に立ち入ってほしくありません。不用意に山に入れば、山の魔物たちを刺激することになってしまいますからな」
「ふむ――」
「なぁなぁ、根本的な部分でちょっと気になったんだけどさ」
ひょい、とファルが手を挙げる。途端にシコウが仏頂面になり、「ファル。口調」と短い言葉で叱責した。ファルは首をすくめ、シコウの言葉に従って『丁寧な』言葉遣いで村長に話しかける。
「そもそも、この村ってどうして無事なん――ですか? 魔物の群生地、なんて言われてる物騒な山のふもとにあるのに」
「簡単な話です」
ファルの問いかけに、村長は小さくうなずいて応じる。
「アドラ山の魔物たちは、山から下りてくることなど滅多にないのですよ。縄張り意識が強い、とでもいうのでしょうかね……ですから、山のふもとに住んでいようが、魔物の被害を受けるということなどないのです」
「――逆にいえば、一歩山に入れば何が起きるかわからない、と?」
「その通りです」
シコウの問いに、村長は重々しくうなずいた。
「村の人間も、滅多に山には入りません。下手に刺激して痛い目を見たくありませんからね」
「滅多に、ってことは、山に入ることもある、ってこと、ですよね?」
「……それは、まぁ。アドラ山には希少な薬草が多くありますし……その薬草を目当てに商人が来ることもありますから」
「だがそれは、決まった日に決まった道を通るようなものだ。昔はこちらの忠告も聞かず、山に特攻した者も相当数いたらしいが、見事に皆、帰ってこなかったそうだしな」
村長の言葉に補足する形で口をはさむ。こちらの言葉を聞いてファルは小さく呻いて口を閉ざす――が、シコウは顎をつまみながら口を開いた。
「決まった日に決まった道を――ということは、その道が『安全である』との確証を得るために、何度も山に入っているのですよね」
「……そうですね。しかし、『道』の確保のために山に入るのと、魔物の調査のために山に入るのとでは全く違います」
「それは承知しています」
不意にシコウが目を眇めた。その鋭さに、村長が小さく息を呑む。
「ロダ殿。あなたの懸念については理解しているつもりです。魔物の恐ろしさについても。しかし――だからこそ、我々は魔物の調査を行うのです。恐ろしいからこそ、わからないからこそ、それらを調べ、定義づけるのです」
「…………」
「我が国でも、魔物は脅威です。我が国の魔物は人の生活領域など全く気にしないため、昼夜問わず人里に現れます。そのたびに、我が国は多くの犠牲者を出してきました。犠牲者の数が減ったのは本当につい最近のこと……そしてそれは、魔物に対する知識と理解を深めたからこそできたことです」
「…………」
「だからこそ我々は魔物の調査を行うのです。魔物に対する調査というのは、魔物についての資料を作るということです。あなた方が『経験則』で理解していることに理屈をつけ、それを他者に説明し、他者の理解をあなた方の『理解』に近づける――そういうことになるのです」
「…………」
「ロダ殿。アドラ山への立ち入り許可をいただきたい。――ご協力願えませんか」
「…………ふぅ」
村長が大きくため息をつく。
「そういう言い方をされては、断れませんな。――ノイエ」
「はい」
「お前の目から見て、シコウ殿とファル殿は山に立ち入っても問題ないのか」
「ありません」
断言する。
……いや、正直なところを言うと、ファルについては若干の不安要素があるのだが……そのあたりは、シコウがうまくやってくれるだろう。
シコウはシコウで、魔物を前に紙とペンを取り出して書き物を始めるような男だが、しかし――魔物に対する警戒心と、こちらの忠告を聞き入れる耳は確かなようだから。
「……そうか」
こちらの返答を聞き、村長は目を伏せる。
「ノイエがそういうのであれば――信用しましょう」
「ホントかっ!?」
途端、ファルが歓声を上げる。が、即座にシコウにはたかれて沈黙した。
ファルの頭を張り飛ばしたシコウは、村長に向かって深々と頭を下げる。
「ご協力、感謝します。――ありがとうございます」
「くれぐれも、お気をつけて。必要以上に魔物を刺激することのないようお願いします」
「心得ました。――他に何か注意点などはありますか?」
「ノイエの指示には必ず従うように――それだけです。それが全てです」
「――――」
村長の真剣な表情にファルが息を呑み、シコウが重々しくうなずく。二人の様子を見て、村長もまた、小さくうなずいた。




