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熱視線  作者: 青生翅
微熱編
7/13

#03 あなたを見ている



 なだらかな坂が続いている。一戸建ての住宅街の中にぽつぽつと立つ古いアパートに目を配りながら、俺は目的地の住所を探していた。電信柱に記載されている地名が一致して、あとは番地と牧田先輩が話してくれた建物の特徴を探すだけ。


 理香先輩の住所を教えられたとき、それは大丈夫だろうかと少し躊躇した。最寄駅は知っていても、詳しい住所は知らずにいた。

 他人にどこまで許すかをはっきり決めていそうな理香先輩だったから、もう一度だけメールを送った。牧田先輩と自販機前で別れてすぐ、「元気ですか」と再び同じ文言を。

 けれどそれを送って半日が経って、大学を出る段階になっても返事は来なかった。基本的に携帯電話は手元から離さず、三十分以内にレスする理香先輩にはあり得ない。予想通りだ。間違いなく、俺からの連絡を無視している。


 上等だと思った。受けて立ってやろうじゃないか。……何をだろう。訳が分からないな。


 もう正直、筋道立てた考えなんて一つも思い浮かばない。自分が冷静な気がしない。はっきり言うといまは最高に馬鹿な状態だ。自分がノリと勢いだけで行動していることも信じられないし、いま抱いている感情が純粋に愛情じゃないってことも危ない。そう、危ない感情が湧いている。理香先輩に対して腹が立っている。詰りたい。たぶん会ったらそうしてしまう。嫌われるかもしれない。それは困るから最後には懇願するだろう。すいませんとか口先だけで言って、泣き落としを使うかもしれない。そのくらい卑怯なことをしても許されるべきだとか思っている。本当に嫌な奴だな、俺は。


 そう考えつつも足は止まらなかった。何かに急かされるように体を運んでいると、だいたい目的地周辺になったことを悟る。電信柱の番地が近い。ということは、理香先輩が住んでいるアパートはあれだろうか。


 灰色のコンクリートの壁に、水色の屋根。学生向きアパートだというそれは、見たところ上下に二部屋ずつしかないようだ。

 近づいてかすれたアパート名を確認すると、牧田先輩に聞いたとおりだ。ポストに理香先輩の名字も見つける。「崎本」という手書きプレートの名字が、不思議な温度を持って心にしみた。

 あぁ、なんだ。俺は結局、理香先輩に会いたかったんだ。それが一番強いんだ。

 凶暴な気持ちで当たって嫌われるかもと恐れているくせに、のこのこ来たのは会いたくてたまらないから。表札をみたくらいで安心するほど、俺は理香先輩との時間に飢えていた。


 理香先輩の部屋は二回の奥で、そのインターホンを押しても返事はなかった。まさかこれも無視かと一瞬根暗な考えが頭をかすめたけれど、中からは一切の物音がしない。まだ帰ってないのか。そういえば牧田先輩は住所を教えてはくれたけれど、今日こっちにいるとは言わなかった。もしかして実家にいるのかもしれない。

 ――どうしようか。実家の住所までは知らないな。酒蔵の名前で検索でもするか? 

 ……まずい。ストーカー並みの執着心が湧いてくる。

 一大決心とばかりに勇んできただけに、このままじゃ納まる気がしない。なんとしてでもいま理香先輩に会わなきゃいけない。そんな気持ちがある。




 そのとき、鉄板造りの階段が高い音を立てた。

 カツン、カツンと重たく響く足取りはどこか疲れていて、それが個人を特定するものじゃないとわかっているのに、俺は確信を持った。理香先輩だ。

 狭い通路の先、階段から徐々に姿を現したその細い人影が俺を見たとき、俺は構えていたのにも関わらず、心臓が激しく飛び跳ねたのを感じた。

 見開かれた眼は相変わらず黒々としていて、小さめのキャリーバッグを抱えた腕の先、肩が少し震えたように見えた。口元が言葉にならない息を吐いたとき、それが「木瀬くん」と俺を呼ぶように動いたことに気付いた。


 ――会えた。


「理香先輩……」


 ……言葉が続かない。何だこれ、どうすればいい。言いたいことはやまほどあるはずなのに。

 頭を占めるのは、駆け寄ってその体を抱きしめたいという欲求だった。だってどれほど会っていなかった? メールまで無視されて。その顔を見たのがどれほどぶりのことか。

 それでもぐっと握りこぶしを作って、俺は俺自身を抑え込むことに成功した。本当に嫌われたいわけじゃない。欲しいのは一瞬じゃないんだ。


「すいません。メールの返信もないし、心配になって」


 住所は牧田先輩に聞きました、と俺は続けた。

 口から出たそれはずいぶん事務的な響きになってしまった。ほとばしりそうになる感情を滲ませないように、細心の注意を払う。

 階段を上るために持ち上げていたキャリーバッグを足元に下ろし、理香先輩は少し俯くようにして目をそらした。


「……ごめん」


 それは何に対してなんだろう。メールを無視したこと? 心配させたこと? それとももっと別の――俺の心を見透かしたゆえでのことなんだろうか。


「話がしたい」


 余裕のない言葉尻が強くなる。理香先輩の怯えが伝わった。


「理香先輩と話がしたい。疲れてますよね。でも少しでいいんです」


 言い募るほどに遠ざかっていくようで怖い。先ほどから階段を上りきったその場所で動かない理香先輩の姿にも、謝罪以外に聞こえない声にも、不安を感じてしまう。


「わかった……」


 ようやく聞けたその声に、深い疲労が滲んでいて、俺が追い詰めているような気分に駆られる。けれど引き出せた承諾にすがるしかない俺は、小さく頷いてドアから身を離した。


「どこで、」

「うちでいい? お茶以外は何もないんだけど」


 気づかいは無用だとばかりに言い募られて、俺は黙るしかなかった。

 硬い表情。引き結んだ薄い唇。顔色もいつもより悪い気がする。


 理香先輩はいつもよりもゆっくり歩いて来ると、狭い通路で俺と体を入れ替えるようにドアの前に立ち、鍵を差し込んで回した。

 軽い音を立ててドアが開き、どうぞと理香先輩が促す。

 それでも躊躇するような俺にしびれを切らしたのか、やや乱暴な手つきで俺を中へと押しやった。何かこれは――理香先輩を怒らせたらしい。






**********






「ソファないから、適当に座って」


 1DKで八畳くらいの部屋は小ざっぱりとしていた。セミシングルのベッドよりも存在感があるのはぎっしり中身が詰まった本棚くらいで、白とベージュと木目調の家具で統一された室内は、上品で落ち着いた雰囲気だ。それでも飾り棚に置かれた写真立ての可愛らしさなんかは、女の人だなぁという気にさせられる。


 部屋の真ん中におかれた丸テーブルの横に、俺は直接腰を下ろした。

 理香先輩はキッチンでお湯を沸かし、マグカップにほうじ茶を入れてくれた。


「コーヒーとか切らしちゃってるから」

「いえ。お茶は好きです」

「よかった」


 素っ気ない理香先輩の言葉はまるで「よくなかった」けれど、俺は熱い茶を一口すすった。冷たくなっていた指先が温まる。緊張が解れるほどじゃなかったけれど、喋るくらいは滑らかに出来そうだ。話に来たのだから当たり前のことだけれど。


「牧田先輩に聞いてしまったんです。お父さんのこと、大変でしたね」

「……大変、か」

「あ、すみません。適当に言ってるわけじゃ――」

「わかってるよ……うん、大変だった。考えたこともなかった」


 しみじみと言ってマグカップを抱えるようにした理香先輩は、小柄なわけでもないのにひどく小さく見える。

 ――そうか、ちょっと痩せたんだ。

 もともと細身な人だったのに、前よりもか細くなった気がする。


「うちは仕事の関係もあって、基本的に早起きで夜は遅いのよね。小さいころから闊達に動き回る父しか見たことなくて、病院のベッドに横たわっている姿なんて想像できなかった。父は結婚するのが遅かったから私たちが生まれたときにはもうすでにいい年で、いまはもうすぐ六十歳になる。会社員で言えば定年間近よね」


 年なんだわ、と理香先輩が呟くのを黙って聞いていた。


「家の中心だった父が急に倒れて、普段は気丈な母でさえ軽いパニックになった。姉はさすがにしっかりしていたけど、弟や妹もどうしたらいいかわからないって感じで。意識が戻って起き上がれるようになった父のけろっとした姿には、さすがに拍子抜けしちゃったけど――それでも怖さは残った。脳卒中って何度も繰り返したりするじゃない? お医者さんにも再発の可能性はあるって言われたわ。……だから戻るの。何が出来るわけでもないんだけど、それがいいかなって自分で決めた。志織には怒られたけどね。どうして先に言わないのって」


 まるで何かの不安を抑え込むように、理香先輩はいつもよりずっと早い口調でそう言い切った。


「それは……俺だってそうです。教えてほしかった。何が出来るわけでもないけど」

 

 理香先輩の言葉をなぞるように絞り出した声に、目線が合った。さっきまでの怒ったような雰囲気はない。その代わりに悲しいような、戸惑うような、そんな色が浮かんでいた。こんな姿を見るのは初めてだ。

 このタイミングで言うのは間違いかもしれないと思いつつ、それでも俺は決心した。エンドマークをつけたいのだ。そして新しく始めたい。


「俺は理香先輩が好きです――好きになりました」


 半年をかけて、じゃない。出会ってから二年かけて好きになったんだと思う。同時進行に恋愛なんてとてもじゃないけど不器用な俺にはできない。だからそんな不実な意味じゃなく、いつだって俺は理香先輩に助けられてきた、そのことに感謝してる。

 あの憧れは、慕わしい気持ちは、触れられないような何かは、こうしてもう少しだけ身近なものになって、さらには欲も足して、恋に成り得るものだった。


「ずっと理香先輩を見ていたいんです」


 いまも見ている。

 泣きそうなほどに顔をゆがめて、寄る辺のない子供のような表情をする理香先輩――――あなたを見ている。





 

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