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熱視線  作者: 青生翅
片道編
4/13

#04 片道視線




「ね、そういえば何で木瀬くんは私を名前で呼ぶの? みんな私を名字で呼ぶし、君も他の人は名字で呼んでるよね。志織のことも牧田って」

「……理香先輩、覚えてないんですか?」


 なんだかさらに熱が上がった様子の木瀬くんをタクシーに押し込み、ついでだから私も一緒に帰ることにした。

 熱で気だるそうな声とは裏腹に、木瀬くんは今頃になって私に対して緊張しているようだ。

 これも弱っているところに付け込んだ、ということになるんだろうか。

 呼び名にまつわる記憶を掘り返したみたけれど、私は思い当たる節が見つからなかった。軽く首を振って見せると、木瀬くんはそうですかと少し残念そうだ。


「ゼミに入って最初の自己紹介のとき、四年の人が理香先輩のことを『崎本だ』って言ったんです。そしたら先輩が『だからいつまで経っても下の名前を覚えてもらえない』って少しすねてて。それがなんか可愛いなぁと思ったので、じゃあ名前で呼んでもいいですかと直接許可をもらいました。……何ですか。自分で言ってて恥ずかしくなってきたところです、放っておいてください」


 憮然とした顔で早口にそう締めくくり、木瀬くんは身体ごと窓の外へと向けてしまった。おかげで赤面した彼の珍しい姿をじっくり見られない。


 でも、そうだったのか。

 確かに私は呼び名について、どうでもいい小さな不満があった。思い返せば誰にも下の名前で呼ばれていたのは小学校までのことで、それ以来私は親しい同性の友人以外にはいつでも「崎本」と呼ばれていた。高校のときに付き合っていた人も、そうだった。

 私の勝手な思い込みだろうけれど、男の人が女子を種別するときの基準がそこにある気がしていた。どんなに親しくとも、異性にとって恋愛対象にしたい人と、そうは思えない人の差とでもいうべきか。くだらない話が出来るほどに親しくなった男友達が、志織のことを「志織」と呼び、私のことを「崎本」と呼ぶとき、虚しさを感じる瞬間があった。彼らにとって私は本当にただの友達で、いつか恋人に昇格したいと思えるような異性ではないのだ、と。実際、そんな仲間内で告白があるとすれば、それはいつだって志織へ向けてのものだった。


 だって呼んじゃダメな気がしてさ――いつだったか、そんな風に言われたことがある。


 いつまでも他人行儀なそれが、“女の子”を感じさせないそれが、私にとってはコンプレックスの一部で、志織をときに妬ましく思ってしまう理由の一つだった。


 だから木瀬くんの言うその日、冗談に見せかけた本音を漏らしたんだろう。こっちを見てよと、まるで子供みたい。それでも誰に届けようともしなかったその言葉を、木瀬くんは気にしてくれていた。


「忘れてた」

「そーですか。じゃあもう一回忘れてください」

「嫌よ」

「……意地悪ぃ」


 憎々しげに呟く彼が、可愛い。


「志織のことは呼びそびれたの?」

「好きになったときに呼び直す勇気がありませんでした」

「ふ……準備不足だ」


 まだ全然親しくもない私をそう呼べたというのに、いざというときに尻込みする。その臆病さが不思議に愛しく思うから、私もきっと末期なんだ。


「年上ぶってますけどね、その泣きっ面じゃあんまりですよ」


 どうやら木瀬くんを怒らせることにさえ成功したようで、もう楽しい感情を隠すことさえやめて、声を出して笑った。

 木瀬くんからしてみれば急に壊れたおもちゃのようになった私を、まるで奇妙な生き物を見てしまったみたいにしている。


「何ですか、怖い」

「いいの。嬉しいんだもの」


 君が私を――私だけを見ているというこの一時が、たまらなく嬉しい。ずっと合わさることのないものだと思っていたのに、その意識の欠片にでも場所を占めていることに幸福を感じる。どうしようか。こんなに鼓動が忙しなくて、どうしよう。


 私の方を振り返って目が合った木瀬くんは、その瞬間にぱっと慌てて余所を向いた。

 何よと少し低い声で詰め寄ると、彼が離れてくださいと手を突き出す。


「その目で見られるの、嫌だ」


 ぼそりと呟かれた拒絶は、けれどそんなに威力がない。


 ――私は、私の目がどんな風だかわからない。

 でも脳裏に思い浮かべるそれは、余所に向けられ続けた彼の熱っぽい視線と同じで、もしそうであったら、それはもう落ち着かない気分になるだろうと他人事のように思った。


 隣で木瀬くんが何か文句を言っている。

 もう何であってもいい。これからは堂々と彼を見つめることが出来るんだから。彼自身に憚ることが、何より難しかった。


 近いうちに、志織にこの想いを伝えてみよう。

 お酒を飲みながら、どれほどこの後輩が愛しいか語るのだ。仲を深めた志織の惚気話や、彼氏へのちょっとした不満を聞くのもいい。




 そしていつかこの片道な視線が、同じ温度で交わってくれたらいいと思うのだ。

 




 

当初は双方向になることなく、その可能性と予感だけの、ここで完結の予定でした。それがなんとなしにこの二人の関係性を続けたくなり、次からは「微熱編」となります。

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