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熱視線  作者: 青生翅
微熱編
11/13

#07 好きで、好きで、こわい



 木瀬くんに私の部屋を教えた志織は、彼とのことについて一言も発しない私を、責めるでもなく励ますでもなく、ただ黙っていてくれた。

 志織がしたお節介に少し嫌味を言ってやろうと思っていたくらいの私は、そのあっさりとした引き際に感服したし、やはり志織にはかなわないなと思わされた。こういう不思議な軽さが、志織という人物がするりと人の心に入っていける理由だと思う。私もそんなところにやられた一人だ。


 何にしろ、友達がいるというのはいいことだった。同性の友達は何にも代えがたい。そう恥ずかしいようなことを志織に伝えてみたら、少しだけ顔を赤くした珍しい表情を拝むことが出来た。そして一言「男さえ絡まなければね」と、呟きが聞こえた。


 たしかにそうだ。私と志織が上手くやっていけるのは、先生に失恋した志織がその寂しさを埋めるために木瀬くんを選ぶことなく、私が好きなだけ木瀬くんに片思い出来たからだ。

 志織の強さが、私を救った。私が志織を救える日は来るんだろうか。


「いつも助けてくれるじゃない」


 居酒屋の喧騒の中で、ほろ酔いの志織がにこりと笑った。


「いつもっていつ?」

「うわっ、何その面倒くさい質問。じゃあ言い換えるわ。しょっちゅうよ、しょっちゅう」

「……覚えがないなぁ」

「そんなもんでしょう。優しくしたのは何時何分何秒なんて覚えてるとか、そんな恩着せがましいことないわ」

「茶化してる?」

「恥ずかしいこと訊くからよ」


 理香も酔ってるのねと言われて、そうかもしれないと私はグラスを傾けた。

 志織はチーズオムレツをつつきながら、笑みを深くする。何か思い出し笑いにも似た表情だ。


「でも本当よ。助かってるの」

「そうなの?」

「うん。ねえ、先生のところ子供が出来たらしいわ」

「……そっか」

「好きになった初めのころの私、先生との遺伝子を残すのにふさわしいのは私だ!って真剣に思ってたのよ。痛いでしょ」

「まあ、痛いかな」


 志織が先生を好きだと思ったときにはすでに婚約者さんの存在もあったけれど、何に対しても行動派な志織は下手したら彼女と一戦交えるのかもしれない、なんて私は思っていた。そのくらい、ふとした瞬間に見せる志織の横顔は何者をも蹴散らしてしまいそうな、そうでいて切なくなるものを溢れ出していたから。


「だよねー。でも、良かったな。先生を好きだったこと、良かったって思う。それは理香のおかげでもあると思う」

「何が?」

「普通さ、小娘が教師を本気で好きになるとか、周囲の人間は馬鹿にするか無責任に囃し立てるかのどっちかだと思うのよ。だから誰にも言わないでいた。理香は気づくだろうなってわかってたけど、それでも言葉で伝えたりは出来なかった」

「……うん」

「でも理香は、何も言わずに放っておいてくれたでしょ。知らんぷりとかじゃなくて、少し離れたところから見守ってくれてたと言うか。こいつの男前度は半端じゃないな、惚れるって何度思ったことか」


 きゃははっと笑う志織の言葉に、私はしかめ面を作っておえーっと舌を出した。


 言いたいことはわかった気がする。だから志織も、いまの私に何も言わないでいてくれる。

 それでも思ってしまうのは、自分の事情が絡んだときにも男前でいられたら良かったのにということだった。私は最初から逃げることを考えていて、立ち向かう勇気なんて一片も持てはしなかったのだから。


「いいのよ」


 かけられた声に、私はぴくりと体を揺らした。

 だってまるでそれは、私の心を覗いたみたいに――。


 顔を上げて凝視した志織は、特別何かを含んだような部分もなく、ただいつも通りにけろりと表情を緩めた。


「理香と私は相思相愛だから」


 だから大丈夫と背中を撫でられているようで、私はまた泣いたかもしれなかった。

 最近の涙腺の弱さにはほとほと呆れてしまう。……本当に私は、弱い。






**********






 それから二度学校に出たけれど、彼と顔を合わせることはなかった。携帯電話も沈黙したままで、私はそれにほっとしたのか、なにか寂しかったのかもわからない。どちらの資格もないはずだ。思い出さないでいることくらいしか、私に出来ることはなかった。




 週末の訪れとともに、私は再び新幹線に二時間揺られて実家へと帰った。この交通費は馬鹿にならないのだけれど、来春までの出費はあまり考えないようにしようと思った。いまは家族の心を落ち着かせることが一番大事で、お金の問題じゃないと思った。家長代理の姉も、それでいいと思ってくれているようだった。


 家に着くと、妹が甘えてくる。ここ数年は姉離れが進んでいたはずなのに、ちょっとばかり幼児退行しているみたいだった。父親に付き合って母もあまり家にはいないし、純粋に寂しいんだろう。それを鬱陶しいと感じるよりは、甘えさせてやりたい気持ちの方が強かった。

 一方で、今となっては家の中で一番落ち着いているのは弟の壮太だった。姉も気丈だったけれど手のかかる自分の子供二人と家の中の世話では、やはり疲労の隙間に焦燥感も見える。それに比べて負担が少ないことも少しは関係あるだろうけれど、壮太自身の内面が大人びてきていることが大きいと感じた。体の不自由さもあって家事の手伝いは出来なくても、頭脳労働を惜しまず、家族への気遣いが一番濃い。よく人を見ているものだと感心した。


 少しずつまとまりを取り戻す家族の様子に、私はほっとできた。これなら大丈夫だと思った。

 もう四年を過ごしたあの町から戻っても、ここには変わらず私の居場所がある。必要としてくれる。私は私の明確な役目を知っている。

 忙しい日々は私に疲労を与えるのと同時に、安心もくれるのだ。疲れは寝れば取れる。眠りには安心が必要だ。ここにあるもので私は充分に幸せに生きていけるはず――。




 そう思うのに、私は簡単に逃れられないのだった。


「理香姉、電話鳴ってるよ」


 夕食の後、ぼんやりと見るともなしにテレビを見ているときに、壮太の声でその音に気づいた。

 携帯電話の控え目な振動音が続く中、ディスプレイを確認してその表示された名前に目を見開く。


 ――木瀬くんだ。


 アパートで私が理不尽で独りよがりな返事をしてから、初めての連絡。

 期待しなかったわけじゃない。でも来て欲しくはなかった。

 だってこのままじゃ何も変われない。いつまででも、優しい彼の気遣いに甘えたままになってしまう。気持ちだけでは満足できない強欲な私が嫌で、彼に何も返せない私が嫌で……。


 脳内をすさまじい勢いで何かが巡っている間に、振動音が止んだ。それにほっとするような、どこかに落ち込んだような思いもあって。

 そして、再びディスプレイに文字が浮かんで震え出したときには、側にいる壮太も驚くほどに私は飛び上がった。

 無機質な塊の向こうに、熱く濡れた瞳でコールを続ける木瀬くんが見えた気がした。


 震える手で携帯電話を掴み、私は足早に居間を出る。向かったのは縁側だ。夜の外気が染みてくるように、ひっそりと冷えたその場所は、壮太に縋って泣いた場所でもある。


「はい……」

『どうしても納得できない』


 電話が繋がるか繋がらないかの瞬間に、同時に喋り出した声は対照的すぎた。かすれてみっともない私の一言に、何か激しいものをこらえたような木瀬くんの声が圧倒するように重なる。


『納得できない』


 繰り返す口調にはいつもの丁寧さがなくて、向こう側にいるのはゼミの後輩なんかじゃなかった。私が手ひどく傷つけてしまったであろう、一人の男の人だった。


『俺もう、遠慮とかしたくない。だからはっきり訊くけど、理香先輩は俺に何をしてほしいの』

「何って……」

『半年前、理香先輩は俺を見てたって言った』


 もちろん覚えている。あの日の木瀬くんが妙に可愛らしくて、私しか知らないような気分になって、昂揚感のままに気持ちが溢れ出た。片思いの中で一番楽しい日だったかもしれない。一番、輝かしい記憶になるかもしれない。

 でもそんな夢を見ているような私を断罪するように、木瀬くんは強い意思が滲んだ口調で言葉を続ける。 


『俺はそれを真剣に考えたんだ。ずっと、朝も夜も昼も、理香先輩のことを考えてきた。いつの間にか牧田先輩を見ても苦しくはなくなって、逆に理香先輩の笑顔が見れれば嬉しいと思った。そんな理香先輩を見ていたいと思った。だから……好きだって言ったじゃないですか』


 静かな叫びにも似た最後の一言に、私は心臓が悲鳴を上げるのを感じる。だくだくとスピーカーの近くで鳴るのは血流の音で、軽い眩暈さえ感じるほどだ。


 彼は、こんなにも雄弁だったのだろうか。いつも穏やかな沈黙の中に、こんなにまでたくさんの言葉を飲み込んでいたんだろうか。

 私は……どうだろう。言いたいことの半分だって伝えてはいない。自分の馬鹿さ加減を隠しておきたいばかりに、彼に伝える努力を放棄した。


『逃げんな。理香先輩は俺が好きでしょ』


 木瀬くんは泣いているかもしれない。志織の幸せを願ったあの日とか違う顔で、この向こう側にいる気がした。

 側に居られないこの距離こそが、私が彼を突き放す真似事をする最大の理由なのだとようやく悟った。


 私は、目に見えるものしか信じられないのかな。

 そんな物わかりの悪い私を好きだという木瀬くんは、じゃあ何を頼りに恋をしているんだろう。こんなに信用できない女はいないと思うのに。


「好きだよ」


 吐き出すようにした言葉は、いっそ投げやりだった。愛の告白だなんて信じられないほどに雑な扱い。情緒の薄い自分が嫌になるほどだった。

 けれどいまさら、器用に何かをこなすなんて出来はしない。可愛い女の子にはなれない。

 向こう側の木瀬くんが息を飲む気配を感じた。あれほど重ねられた言葉が遠ざかるほどに、一瞬の濃い沈黙に、私は何か不思議な幸福感を感じた。


「――好きだから。君を感じれないこの距離に、絶望してしまうのよ」


 そうして私は電話を切った。

 呆然とした木瀬くんを置き去りに、そのまま彼の番号を着信拒否に設定した。






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