同じ感想文=序=
羅生門を書いた少年がどうなったのかは知らない。その友達はどうだったのか?
「ねえ、写させて」「いいよ」数人で集まって羅生門の感想文をを写しあっていた。
その少年達の内2人が終わっておらず、3人が終わってゲームをしたり、見ている。動物の森というなつかしのゲームをしているわけだ。このゲームは通信で遠くの奴と遊べるらしい。”らしい”というのは著者がそのゲームをしたことが無いから分からないのだ。
その昨日で登録している友達の村にいけるらしい。そしてこのプレイしている人がいたずら好きなのだろう斧を持ってその登録している友達のところに行ったのだ。
パスワードか何かがあるのだろうが設定してないらしい。
斧を持って木を切り倒し果物を食いまくった。びっくりしたのかそのイタズラされた側は、この少年らを追放した。
まあそんなことよりも問題は読書感想文だが、写している奴は神聖なアホだ。
丸写しだ。
(おそらく下人の心の中には一生、光が指すことは無いのだろうなとお思いました)などを(たぶん下人の心に光がさすことは永遠に無いでしょう)などと変えればいいのに、丸写しをしている。
まあ最初に紹介した少年の感想文を丸写しするよりはまともだろう。
と、思っていたがやがてこの少年の作文も下人は無能です。という文が出てきていた。”無能”は今ブームなのだろうか?
動物の森でのイタズラを追えた少年らが戦争系のゲームに変えて10分後丸写しに成功した。
少年はその次の日読書感想文をだすのだが、そうなったか。今度は教師目線から見ていこう。