第三章 【1】
「侵攻の口実がヒリーフの奪還とは…」
ハースが誰にともなく呟いた。
つい今しがた通告されたべルドラス帝国からの宣戦布告のあと、ウォルトは急遽元老会議を開いていた。そして、ウォルトの口から帝国からの宣戦布告の内容が伝えられたところだった。
<<ふざけている!!そもそもヒリーフの村は元々我々の領土ではないか。前回の戦争の際に一時的に帝国領になったに過ぎない。それを奪還などとは!!帝国の言っている返還要求とはなん
です?私はそのようなものが来ているとは聞いていない!>>
「落ち着け、バイライト卿。そんなもの帝国から来たことはない。そもそも今はヒリーフの村自体が存在しない。ヒリーフの村跡地があるだけだ。これは帝国が第三国に示すための口実に過ぎない」
通信球を通しても伝わって来るファン・バイライトの怒りの声をウォルトが宥めた。ヒリーフの村は元々ダルリア王国のバイライト家が納める村の一つであり、先の戦争時にもっとも被害を受けた村だった。それ故にファンの怒りももっともだった。
ヒリーフ村は十二年前に帝国の突然の侵攻により壊滅した村であり、村人の大半は死亡、生き残った者たちも近隣の街や村に移住し現在は戦争の傷跡を残す跡地としてのみ存在していた。近衛騎士見習いのジュリアもこの村の出身である。
「しかし、他国に示すには効果的ですね。ヒリーフの村は帝国との国境に程近く、第三国にはわかりにくい場所だ。帝国が先にそう宣言すれば他国は口を出すことは無いでしょう」
シャロンは表情は厳しいが落ち着いた口調だった。元老の中では一番現在の状況と事実を冷静に受け止めているようだった。
「緊急展開師団は前線へ?」
「うむ。北方師団に合流するように手配した。帝国が国境線に到着するよりも先に到着できるだろう」
「そうですか」
ガートンの問いにウォルトが答えると、ガートンは安堵の表情を浮かべた。
「しかし、これで帝国の目的ははっきりしましたね」
ハースはウォルトに視線を送った。
「そうだな。ヒリーフの奪還を名目にダルリア領内に侵攻、そして制圧…か」
<<帝国は我らを甘く見ている。四万程度の軍勢防げぬ数ではない!!>>
ファンは未だ怒りが収まらないようだった。
「北方師団と緊急展開師団合わせて三万五千程になります。ある程度引き込んで地の利を生かせば退けることは可能でしょう」
シャロンの言葉にこの場にいる者達が頷いた。
「だが、油断は禁物だ。国境に帝国の姿が見えれば前線の師団から連絡があるだろう。その際にもう一度集まってもらいたい」
ウォルトがそう言うと、元老会議は一時散会した。
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ベルドラス帝国からの宣戦布告の後、レッドはシードとボストを自室に呼ぶと近衛騎士団の今後の動きについて意識を合わせた。その後レッド達は待機部屋へと戻り、中にいた近衛騎士達を部屋の中央に集め整列させた。その中にジュリアの姿も見える。
そして、近衛騎士達の正面にレッドを中心にシードとボストが両脇に並び、レッドが近衛騎士達に宣戦布告のことを話し始めた。
「全員聞いてくれ。先程べルドラス帝国より王宮に強制通信があり、帝国から『宣戦布告』が通告された」
レッドは不安を煽らないように努めて冷静の口調で告げた。それでも、この場にいる近衛騎士達も突然のことに驚きを隠せないようだった。整列を乱すようなことはなかったが、驚きと緊張がレッド達にも伝わってきていた。
「今はまだ王国騎士団と帝国軍は接触していないが、それも時間の問題だ。また、宣戦布告された以上既に戦争は開始されていると考えるべきだ。帝国側には暗殺部隊がいるとみて間違いない。そして、そいつらが動けば狙ってくるのはこの王宮であり、王家の命だろう」
その言葉で近衛騎士達にさらなる緊張が走ったが、恐怖はなく全員の表情が引き締まったように感じられた。近衛騎士団はこのような際に王家を護る組織であり、この場にいる全員がそのことを熟知している。
「これより我々近衛騎士団は有事態勢に移行する。全員、自らの責務に全力であたり、やつらに一分の隙も見せるな。以上」
『はっ!!』
レッドの言葉が終わると全員の表情がかわり、待機部屋内部が緊張に包まれた。そして、レッドの後にシードから有事態勢に係わる指示が伝えらると、近衛騎士達はこの場にいなかった者達に連絡に行く者、態勢強化のために追加で見張りや哨戒に出る者などで待機部屋はしばらくざわついた。
ボストは自らが連れて来た大公宮の近衛達に諜報部隊からの情報を確認するように指示を出している。ハースと共に王宮に残っているボスト達は王宮では情報収集を担当していた。
シードがその場にいる者達への指示が終わると、レッドはシードを近くに呼んだ。
「シード、王宮外に住まう文官、侍従の出入りを全て近衛を通すように手配してくれ。その際に近衛には本人確認を怠るなと」
「文官と侍従のですか?」
「ああ、帝国の暗殺部隊がどう出るかわからない。侵入してくるとすれば、出入りしている文官、侍従に化ける可能性がある」
「わかりました」
近衛騎士団が有事態勢を取ると、見張りと哨戒の人数は五割程増やされ、王家の人間には常時二人ずつの近衛騎士が護衛に着くようになる。
また、王宮内の王家以外の者達に対する全指揮権は近衛騎士団長に移行される。
「ジュリアはどうします?」
シードは他の近衛騎士達に何かの話しを聞いていたジュリアに一瞬目を向けるとレッドに尋ねると、不意に名前が聞こえたジュリアはレッド達の方に顔を向けた。
「……外せ」
その声が聞こえたのか、ジュリアはレッド達の元に歩みよって来た。その表情からは抗議の色が伺える。
「いやです!!見習いとはいえ私も近衛騎士の一人です!私も王宮の警備に参加します!!」
「ジュリア、これは訓練ではないのだ。帝国に宣戦布告され、王家に危険が及ぶ可能性がある。未だ近衛として未熟なお前を態勢に組み入れることはできない」
シードは興奮しているジュリアを諌めたが、ジュリアも引き下がることはできないようだった。
「でも……、私は王家を護るために近衛騎士になったんです!!それなのに、王家に危機が訪れるともしれない時に態勢から外されるなんて!!なんでもやります。どうか私も態勢に組み入れて下さい!!」
ジュリアは前の戦いにより身よりの無くなった自分を我が子のように育ててくれた王家、特にフロリアに大きな感謝の気持ちを持っている。そして、今王家を狙おうとしているのは自らの村を滅ぼしたべルドラス帝国であった。ジュリアも自分が見習いの立場であり、正式な近衛騎士ではないことは承知しているだろうが、それでも少しでも王家を護るために何かしたいという一心のようだった。
そして、似た境遇を持つレッドもジュリアの気持ちは重々承知している。レッドはしばらくシードとジュリアのやり取りを聞いていたが、片手でシードを制するとゆっくり口を開いた。
「……わかった。お前はフロリア様の護衛に付け。片時も離れるなよ」
レッドの言葉にジュリアは一瞬驚きと喜びの表情を見せた後、すぐに緊張が戻り表情が引き締まった。
「は、はい!!」
「では、すぐに行け!!」
「はい!!失礼します!!」
ジュリアはレッドとシードに敬礼をすると足早に待機部屋を出て行った。
「団長!よろしいので?」
シードはレッドの予想していなかった言葉に驚いたようだった。
「すまない。責任は俺が取る。フロリア様の護衛はジュリアを含めて三人態勢にしてくれ」
「……なるほど。わかりました」
フロリアの護衛態勢をジュリアを含めた三人態勢ということは、事実上ジュリアは戦力として数えられていない。だが、それによってジュリアの心が納得するのであればというレッドの思いだった。
また、フロリアであればその態勢からレッドの意を理解し、取り計らってくれるだろうと考えていた。
「では、私は他の近衛に指示をして参ります」
「ああ、頼む」
シードが待機部屋を出ると、ほぼ同時に近衛の一人が部屋へと入りボストに何か紙を手渡すと、ボストはそれを一読しレッドの元に歩み寄った。
「団長、諜報部隊より連絡がありました。帝国軍は後三日で国境付近に到達する模様。数は四万程で間違いないとのことです」
「そうか」
王国騎士団は既に帝国軍を四万の想定で行動している。
「それと、やはりセシル王国側の国境警備軍にも動きがある可能性があるとのことです。ただ、こちらはラファエル山脈を挟んでいるため確認し辛く、詳細は不明です」
「合流されると厄介だな」
「ええ。可能性としては合流、物資支援、ロビエス側への牽制等が考えられると思います」
「わかった。陛下への報告は私の方で行っておく。ボスト殿は引き続き情報収集に努めてくれ」
「わかりました」
ボストも待機部屋を後にした。
(これで、やれることは全てやっただろうか?……しかし、何故……)
レッドは、王宮の防衛と情報収集の指示を出し、他にやれることは無いか検討した。しかし、レッドにはそれとは別に何か気になることがあるようだった。