第二章 【3】
「どこからのだ?」
レッドはシードから諜報部隊の報告資料を受け取りながら確認した。
近衛騎士団はその配下に近隣諸国の情報収集を行う諜報部隊を持っている。これは十二年前の帝国の侵攻時にダルリア王国側が気付くのが遅れ、対応が後手に回りヒリーフの村を奪われるということになってしまった反省から、情報収集専門の部隊として編成された組織である。
近衛騎士団の下部組織のため王家直属となるが、元老貴族達もその存在は知っている。しかし、元老会議配下としてしまうと、行動には元老会議の承認が必要となり、諜報部隊の活動に即時性がなくなってしまうため近衛騎士団の下部組織となっていた。
そして、その運用は近衛騎士団に任されており、今回のように定期的に報告を受けていた。
「べルドラス帝国に派遣されている部隊からのです。いくつか気になることが書かれてます」
シードは小声でそう言うと、レッドの前に置かれた資料を開いて見せた。 レッドもシードに合わせて声を小さくした。
「帝国の外征軍に動きがあるようです」
「外征軍に?どこに向かってる」
レッドは怪訝な顔をした。帝国の外征軍は防衛のための部隊ではなく、他国への侵攻専門の部隊である。その軍に動きがあるのは放っておける話しではなかった。
「いえ、まだ帝都ベルドに軍を集めている状態です。目的は不明です。」
「他国への侵攻か、それとも単なる演習の可能性もあるか」
「どうしますか?」
「情報がそれだけでは、まだ何もできないな。下手にこちらから動くわけにはいかないだろう」
王国騎士団の師団の一つである緊急展開師団は、王国騎士団の中で唯一元老会議の承認無しに国王の独断で防衛派遣を行うことができる。しかし、レッドにはウォルトが緊急展開師団を動かすには情報が少なく判断し難いと思えた。
「確かに、そうですね」
「帝都からダルリアとの国境まではどれくらいかかる?」
「軍の規模にもよりますが、帝都を出発してから十日から十五日といったところでしょうか。現状だとどこに向かうとしても、帝都の出発までさらに数日は掛かると思われます」
逆にダルリア王国の王都ルキアから帝国との国境までは、緊急展開師団の規模で五日程である。緊急展開師団はその名の通り、常に進軍可能な体制で王都の砦に待機している。
「時間的な余裕はあるな。引き続き帝国の監視を続けさせ、少しでも動きがあったら報告するように指示しといてくれ」
「了解しました」
シードは待機部屋を出ると諜報部隊への指示に向かった。諜報部隊には実際に近隣諸国に出向いて情報収集している部隊と、王宮内に待機して各派遣部隊からの報告を受け、それを報告資料にまとめる部隊がいる。派遣部隊からの報告は王宮内にある通信球を通して行われる。また、近衛騎士団からの指示は待機している部隊に対して行われ、そこから派遣部隊に通達さ
れる。
(何もなければよいが……)
レッドは心に不安が広がっていたが、周りに悟られないように、しばらく目を閉じ平静さを取り戻そうと努めていた。近衛騎士団の団長が不安感を露わにすれば、それはそのまま近衛騎士達に
伝わり、その士気に係わって来る。また、常に冷静な判断を求められる立場にもあるため、感情に頭が支配されるわけにはいかなかった。
しばらくそうしていると、待機部屋の扉が叩かれ侍従の女性が中に入りレッドの元にやってきた。
「レッド様、そろそろお食事の時間になります」
レッドはゆっくりと目を開いた。
(もうそんな時間になるのか)
今日はウォルトに食事を共にするように誘われていた。近衛三騎士は信頼関係を深めるという意味も込めて、時々に王家と食事を共にしていた。
レッドはあまり食事をする気分ではなかったようだが、今日はそういう訳にはいかなかった。
「わかった、すぐに行く。シードは?」
「シード様は、先ほど向かわれました」
レッドは立ち上がり侍従と共に部屋を出て、王家の食事の間のある最上階に向かった。最上階から窓の外を見ると既に太陽は完全に沈み、空には星が瞬き、そしてその下にある王都ルキアは大通りを中心に魔石の明りが輝いていた。その様は星空が地面にまで広がったように美しかったが、見慣れた光景のためか、帝国のことが気になるのかレッドが窓の外を見ることは無かった。
「どうぞ」
侍従は食事の間まで来ると扉を開け、レッドを中へと促した。食事の間の壁は白を基調として
いて、天井と壁にある魔石のランプの光を反射し明るさを増幅させていた。部屋の中央には食事用の大きなテーブルがあり、その上には壁と同じ真っ白はテーブルクロスが掛けられている。テーブルの周りには六脚の細かな装飾の施された椅子が並べられ、各椅子の正面のテーブルの上にはいくつかの空の白い皿と銀のナイフとフォークが数組置かれていた。正面の壁の端にはもう一つ扉があり、その先は王家の食事用の厨房がある。そして、テーブルの傍らには先に来ていたシードが立っていた。まだ王家の人間が来ている様子は無い。
「シード、陛下達は?」
レッドは部屋に入ると、シードに声を掛けながらその横に立った。
「まだ、いらしていません」
そのままシードと二、三話しをしていると、レッドが入ってきた扉から国王ウォルト、王妃フロリアの後に二人の王女が入ってきた。レッドとシードは敬礼をし全員が席に着いたのを確認すると、自らも席に着き、シードもそれに続いた。ウォルトは奥の窓際の席に、フロリアはその斜め前の位置に
座り、その隣にメリルとミーナが並んで座った。レッドはフロリアの正面に座り、シードはメリルの正面に座っている。この位置関係はいつも同じだった。
ジュリアも近衛騎士団に志願する前はこの席に参加し、シードの横に座っていた。志願後もフロリアからの願いで何度かジュリアも誘われていたが、その度にレッドが丁重に断っていた。本来この席には三騎士以外は参加しないため、近衛騎士団に志願した後は例え王家に育てられた身のジュリアとはいえ、近衛騎士団長として特別扱いを許すわけにはいかなかった。最初の頃はフロリアは厳しすぎるとレッドに話しをしてきたが、レッド自身も自分の子のように思っていたフロリアはレッドの立場にも理解を示し、最近は何も言わなくなっていた。
ウォルトは全員が席に着くと、近くにいた侍従に食事を運ぶように伝えた。程なく奥の扉より料理がオードブルから順に運ばれて来た。全体的な食事の内容は、王家の食事としては割と質素であり、贅沢を好まないウォルトとフロリアの意思が反映されている。
食前酒とオードブルとして出て来た貝と生野菜のマリネが席に着いた全員に配られると、ウォルトは顔の前で両手を組み合わせた。ウォルトが大地母神マテルへの感謝の祈りを捧げ始めると、全員がそれに続いて祈りを捧げた。祈りが終わると食事と語らいが始まった。
「ねぇ、レッド。さっきジュリアに会ったら涙目だったけど何かあったの?」
食事が始まるのとほぼ同時に気になっていたのか唐突にミーナがレッドに聞いて来た。レッドはマリネを口に入れようとしていた手が止まり、ゆっくり皿に戻した。周りを見渡すと、ウォルトは何も言わずメリルも気にはなっているようだったが食事を続けている。しかし、ミーナは興味津々の目でレッドを見つめ、フロリアも複雑な表情でレッドを見ている。レッドは隣りを見るとシードと目が合った。
(何だその目は......俺に説明しろということか……)
「あ、あの、あれはですね。何といいますか……」
近衛騎士のことをまだよく理解していないミーナと、ジュリアの近衛騎士団への入団に本心では賛成していないフロリアには説明し難いと思ったのか、レッドが言葉を濁していると、黙っていたウォルトが口を開いた。
「ミーナ、近衛騎士は厳しい職務だ。ジュリアも一人前の近衛騎士になるために日々精進しているのだろう。それを面白がったり、興味本位で聞くものではない」
「…はーい」
ウォルトがミーナを窘めると、ミーナは少し頬を膨らませながら引き下がったが、その顔は納得していないようだった。
「ありがとうございます」
レッドはウォルトの助け船に素直に礼を述べ、隣りを見るとシードも胸を撫で下ろしたように見えた。その後話題を変えたメリルの話しで談笑していると、オードブルが終わりメインディッシュとなる焼いた鶏肉を薄切りにした肉料理が配られた。
その肉料理を食べながら話しはミーナの魔法のことへと移っていった。
「ミーナ、魔法の方はもう大分使えるようになったのか?」
「え……?た……多分」
「多分とは?」
ウォルトの顔は既に国王の顔ではなく、父親の顔となっており、フロリアも母親の顔でミーナを見ていた。ミーナもその視線に少し驚いた様子で落ち着きなく周りを見ると、メリルは助け舟は出さず食事を続けており、レッドとシードもミーナとは視線を合わせずに食事を続けていた。
「むぅ~。じゃあ、ちょっとだけ見せるね」
『え!!』
どこからも助け舟が出ないと悟ったミーナは、両手を顔の正面に伸ばし魔法の構えを取った。それに驚いたレッドとシード、それにメリルは同時に声を上げた。
「まあ、見せられる程に上達していたのですね。いつもはなかなか見せてくれないのに。是非とも見せて頂きたいですね」
フロリアは嬉しそうな笑みをミーナに向けた。フロリアも魔法が使えるため、ミーナの魔法は気にかけていたようだった。
『え!!』
フロリアの言葉にまたも三人の声が重なった。
「ミーナ様!ちなみになんの魔法をされようとしてますか?」
「光の魔法」
「な、なるほど」
レッドは慌てて魔法の確認をした。ミーナの魔力は魔法の講師が驚嘆するほど秘めているが、まだ制御し切れるほどの知識と経験が不足していた。そのため火や水、風の魔法では制御を誤ると危険だが、光の魔法と聞いてレッドは少し胸を撫で下ろした。光の魔法は、文字通り光球を生み出し周りを照らす魔法である。失敗しても目が眩む程度で大参事にはならない。隣りではシードがミーナには悟られないように周りの侍従達に部屋を出るように合図いていた。
既に全員が食事を止め、ミーナに視線を移していたが、レッドとシードは片手をテーブルの上に置き、視線はミーナの手の先を直視しないようにしていた。
ミーナが両手の間に光をイメージし始め、集中している。
「光よ!!」
---バシュッ!!---
『きゃ!!』
ミーナの掛け声と同時に手の間に拳大の光球が生まれたが、そのまま維持できずに一瞬で炸裂させた。
(やっぱり……)
レッドは魔法の発動の瞬間にテーブルの上に置いた手で目を覆い事無きを得た。シードも同様だった。周りを見るとウォルトもさすがにミーナの言うことを真に受けたわけではなかったのか、同様に直撃を手で防いでいたが、フロリアとメリル、そして魔法を発動した本人のミーナが目を押さえて呻いていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさい……」
ミーナが誰にともなく謝ると、同時にレッドの後ろにある廊下へと続く扉の外で足早に近づく足音が聞こえてきた。そして、その足音が扉の所で止むと勢いよく扉が開き、二人の近衛騎士が飛び込んできた。
「大丈夫ですか!!いったい何が!!」
近くで哨戒していた近衛騎士なのだろう、部屋から漏れた光に何事かと慌ててやって来たようだった。
「大丈夫だ、心配ない。ご苦労。職務に戻ってくれ」
「は、はっ!!」
レッドは近衛騎士を手で制すると、労をねぎらい職務に戻させた。近衛騎士達には何があったのかわからなかったが、その場にレッドとシードがいたため、そのまま下がり元の職務へと戻って行った。
「ミーナ…」
「もっと精進します……」
なんとか目を押さえながら漏らしたフロリアの言葉に、ミーナは目を押さえたまま応えた。
「ミーナ、これからは魔法の講義の際は私も同席致します」
「うむ、そうしてくれ」
「は、はい」
フロリアとウォルトの言葉をミーナはおとなしく受け入れた。
その後、食事はデザートへと続き、食事が終わった後もしばらくの間談笑が続いていた。
しかし、レッドはこの王家の団欒の場に、何故か不安を覚えずにはいられなかった。