お姫様の騎士
二つ目の短編です!
長編が行き詰っているところに、アイデアが降ってきまして…。
是非、楽しんでいってくだされば幸いです!
むかしむかし、と言うには些か新しすぎる時代のこと。
あるところに、小さなお城がありました。
「城」といっても、立派な外壁や、高い塔はありません。深い堀もなければ、もちろん、門番だっていません。
それは、古い校舎の三階にある、空調の効きが少しだけ悪い場所でした。
夏の日には、扇風機と呼ばれる小さな兵士がその身を振るい、冬の日には、ストーブという名の大きな戦士がその身を燃やしました。
それでも、その場所はお城でした。
なぜなら、そこにはお姫様がいたからです。
お姫様は王冠をかぶってはいませんでした。絹のドレスだって着ていません。
けれど、お姫様がこちらを見れば、城の者たちはみな、少しだけ背筋を伸ばしました。
お姫様が笑うと、城の者たちは、良い気分になりました。
お姫様が「ありがとう」や「すごいね」と言えば、夜更かしして描いた画も、期日ぎりぎりで作った小さな本も、なんだか報われた気がしました。
お姫様が少し困った顔をすれば、たくさんの手が差し出されました。
だから、その場所はお城でした。
―――
お姫様には、ひとりの騎士がいました。
騎士は、お姫様の隣によく立っていました。
彼は、城の扉を開けるのがとても上手な人でした。初めて来た日から、まるで、昔からそこに自分の椅子があったように振舞いました。
笑うと人が集まり、遅れてもなんだか許され、忘れ物をしても誰かが笑いました。
彼がお姫様の名を呼ぶと、お姫様はすぐに振り返りました。
彼が冗談を言うと、お姫様は一番先に笑いました。
彼が隣に座ると、お姫様は椅子を少し近づけました。
城の者たちは、それを見て思いました。
「ああ、やはり、お姫様が選ぶのは騎士なのだ」と。
―――
お姫様がまだ「姫」ではなかった頃。彼女はよく、夜の森で迷いました。
「森」と言っても、本物の森ではありません。光る箱の中にある、作り物の森でした。
そこでは、遠く離れた者たちが同じ道を歩き、同じ敵と対峙し、同じ夜を少しだけ分け合うことができました。
彼女は、その森を歩くのが、あまり上手ではありませんでした。
道を間違え、罠を踏み、大事なところで転びました。
みなが右へ進むとき、彼女だけが左へ歩いてしまいました。
そのたびに、盾を持つものが前へ出ました。
盾を持つものは、立派な剣を持っていたわけではありません。魔法が使えたわけでも、みなが振り返るような、美しい容姿を持っていたわけでもありません。
ただ、彼女が倒れる前に、いつもそこにいました。
彼女が謝ると、盾を持つ者は言いました。
大丈夫、と。
彼女が失敗すると、盾を持つ者は言いました。
次だ、と。
彼女が「私なんか」と言うと、盾を持つ者は言いました。
なんか、じゃない、と。
不思議なことに、その者はいつも夜にいました。
彼女が眠れない夜。
彼女が自分を少し嫌いになる夜。
彼女が、誰にも聞こえないと思って弱い言葉をこぼしてしまう夜。
そういう夜に、盾を持つ者は、光る箱の向こうから現れました。
遠い国の言葉では、騎士と夜は同じ音をしているそうです。
ナイト。
それはたぶん、どちらも大切な人の無防備を見守るものだからでしょう。
やがて彼女は森を出て、城へ来ました。
そして、城で彼女は、お姫様になりました。
―――
お姫様は「こうい」を受け取るのが苦手でした。
そんなことしなくていいよ、と笑いました。
申し訳なさそうに手を振りました。
自分なんかに、と言いかけて、やめました。
けれど城の者たちは、彼女をお姫様として扱いました。
何度も、何度も。
そうして彼女は、少しずつお姫様になっていきました。
それは、決して悪いことではありませんでした。
彼女はずっと、自分がお姫様になれることを知らなかったのです。
そのころ、彼がお城にやってきました。
彼は王冠を持ってはいませんでした。もちろん、白馬にだって乗ってはいません。
けれど、彼がお城へ入ってきたとき、空気は自然と彼の方を向きました。
何かきっかけがあったのでしょうか。
わかりませんが、お姫様にとって、彼は特別だったのでしょう。お姫様は彼の方をよく見るようになりました。
彼が机に肘をつけば、お姫様も少し体を傾けました。
彼が帰ると言えば、お姫様も時計を見ました。
彼が「また明日」と言えば、お姫様はその明日を、ほんの少し楽しみにしました。
彼はよく何かを忘れる人でした。
約束を忘れました。
祭の準備を忘れました。
頼まれていた小さな本を忘れました。
お姫様の小さな願いも、忘れました。
けれど不思議なことに、その忘れ物は、いつも無くなり切る前に見つかりました。
誰かが、彼の空けた穴を埋めました。
誰かが、彼の代わりに祭の準備を整えました。
誰かが、姫の好きな甘い飲み物を、彼の手に持たせました。
だから、彼はいつも、最後には間に合いました。
―――
年に一度の祭の日がやってきました。
城の者たちは、たちまち忙しくなりました。
テーブルを運び、椅子を整え、画を飾り、小さな本を並べました。
お城は、いつもより少しだけ、お城らしくなりました。
お姫様はその日、いつもよりも長く、鏡の前にいました。
彼はその日、少しだけ、遅れてやってきました。
お姫様は怒ったふりをし、彼は笑って謝りました。
その手には、お姫様の好きな飲み物がありました。
お姫様は喜び、それを受け取りました。
物語は、もう、少しずつ、終わりへと近づいているのだと、誰もがわかっていました。
祭が終わるころ、お城の外には夜が来ていました。
廊下の明かりは頼りなく、窓の外には片づけられていく小さな店々の音がしました。
お城の中には、お皿と、お箸と、余ったお菓子と、少しだけ浮かれた空気が残っていました。
お姫様は彼を呼びました。
彼は振り返りました。
お姫様は、少しだけうつむきました。
それから、彼の手を取りました。
城の者たちは拍手をしました。
誰かが笑いました。
誰かが冷やかしました。
誰かが、やっぱり、と言いました。
お姫様は幸せそうでした。
彼も、悪くない顔をしていました。
こうしてお姫様は、騎士と結ばれました。
めでたし、めでたし。
***
「…なぁ、最後の方ちょっと駆け足すぎないか?」
まだ部屋にいたのだろう、同じサークルの友人が手元のノートをのぞき込んでいる。
「しかも、あいつは『騎士』というよりも『王子様』だろ。そっちの方が似合う」
人のノートを勝手に覗き見ては、友人は続ける。
「逆に、『騎士』はお前の方だろ」
部室には、紙皿と割り箸と、食べ残されたジャンクフードたちが残っていた。机の下には、踏まれて潰れた紙飾りが一つ落ちている。
廊下の向こうから、まだ誰かの笑い声が聞こえている。彼女と彼の声かどうかは、分からない。
「お前っていつもそうだよな。」
「何が」
「物語の外側の顔をして、舞台を整えてる」
「なんだそれ。…でも、誰かがやらないと、いけないだろ」
「だから、そういうとこ」
友人は、机の上に残った紙皿を二枚重ねた。
少しだけ、沈黙があった。
「行かなくていいのか? 今なら間に合うぞ」
「どこに」
「お姫様のところ。好きなんだろ? ずっと。昔から」
「彼女には彼がいる」
友人は眉を寄せる。
「王子様ね…」
「彼女が選んだんだ」
友人は少し黙った。
「…じゃあ騎士様は?」
答えなかった。
友人も、それ以上は聞かなかった。ただ、机の上の紙皿を二枚重ねた。
「騎士と結ばれるお姫様の話だって、あるだろ」
「あるな」
「これだって、表向きは騎士とお姫様だしな」
友人は何でもない顔をして「もしお前が、騎士だって名乗れたらな」とつぶやいた。
返す言葉がなかった。
友人は、ゴミを片付け終えたのか、ドアの前に立った。
「帰るぞ。男には人気だからな、お前」
「うるさい」
最後の灯りを消すと、城はただの部室に戻った。
夜だけが、少しだけ残っていた。
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