まえがき —— 英雄のいない場所で、人間はかくも浅ましく、愛おしい
中華四大奇書、あるいは禁書と呼ばれる深淵なる森へ、再び読者の皆様をお連れするときが来たようだ。
筆者はこれまで、奇書『欲望の教科書 肉蒲団』の翻訳を通じて、性愛がいかにして人間の魂を解体し、そして再構築するかという、ある種の「哲学的遊戯」を描き出した。そして現在、並行して『水滸伝一〇八編の鎮魂曲』の執筆にも筆を染めている。梁山泊に集う百八人の星々、彼らが放つ「義」と「忠」の輝きは、まさに男たちが夢見る理想郷であり、太陽のような熱量を持っている。
だが、光が強ければ強いほど、落ちる影もまた、濃く、深く、どす黒くなる。
その「影」の正体こそが、本書『金瓶梅』である。
ご存知の方も多いだろうが、『金瓶梅』は『水滸伝』の一エピソード、虎殺しの英雄・武松とその兄嫁・潘金蓮、そして不倫相手の西門慶の物語から派生したスピンオフ作品だ。しかし、これを単なる派生作品と侮ってはならない。そのボリューム、密度、そして人間観察の解像度は、本家『水滸伝』を凌駕するとさえ言われている。
『水滸伝』が、俗世を捨てた豪傑たちの物語であるならば、『金瓶梅』は、俗世の汚泥に頭まで浸かり、金と色と欲に溺れながらもがく、我々「凡人」の物語である。
ここには、梁山泊の英雄たちのような、胸のすく活躍はない。
あるのは、終わりのない宴、嫉妬に狂う女たちの囁き、権力を金で買う男の薄笑い、そして布団の中で繰り広げられるあからさまな情事だけだ。
私は『水滸伝』で英雄たちの「乾いた気高さ」を描きながら、同時に猛烈な渇きを覚えていた。英雄ではない、市井の人間たちの「湿った生臭さ」を描きたいという渇きである。
西門慶という男は、『水滸伝』では単なる悪役として武松に成敗される。だが『金瓶梅』という鏡の中では、彼は精力絶倫の成功者であり、欲望に忠実な、あまりにも人間臭い主人公として君臨する。彼と彼を取り巻く女たちの姿は、現代社会に生きる私たちの欲望を、何倍にも拡大して見せつけるグロテスクな肖像画のようだ。
本書は、単なる好色小説ではない。
明代の社会風俗を克明に記録した一級の資料でありながら、人間の業をあぶり出す冷徹な心理小説でもある。私はこのリライトにあたり、原作が持つ圧倒的な「物質感」と「匂い」——酒の香り、化粧の粉っぽさ、汗ばんだ肌の感触、そして死の予兆——を、現代の日本語で可能な限り鮮明に再現することに注力した。
『肉蒲団』で悟りを開き、『水滸伝』で理想を追い求め、そして今、『金瓶梅』で現実の欲望に溺れる。
この三冊が揃うことで、初めて中華文学が描こうとした「人間」の全貌が見えてくるはずだ。
さあ、英雄・武松が去った後の、清河県の路地裏へ。
栄華と頽廃、快楽と虚無が入り混じる、極彩色の悪夢の中へ、皆様をご案内しよう。
光闇居士




