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第十話  守りたいもの

「感動の再会を果たしているところ申し訳ないが水を差させてもらう。過去の事件でなくなったのがアストライア嬢だったことが分かったから、これからはアストライア嬢を故人として扱う。いいな」

「……はい」


カエルム伯爵はゆっくりと頷いた。

その目には、ようやく失っていたものを取り戻したような光が宿っていた。

夫人はペルセポネの髪を優しく撫で続け、涙を拭うことも忘れてただ抱きしめている。

お父様は静かに立ち上がり、部屋の窓辺に寄った。

外の景色を眺めながら穏やかな声で言った。


「これからは家族としてやり直せ。過去は変えられないが未来は変えられる」


伯爵が私とお父様に深く頭を下げる。


「国王陛下、王太女殿下……。本当に、ありがとうございます」


私は微笑んで頷いた。


「ペルセポネ。あなたはもう一人じゃないよ」


ペルセポネは涙に濡れた顔を上げ、私を見て小さく笑った。

それは初めて見る本当の彼女の笑顔だった。

あ、思い出した。

今更だけど、私はアストライアという名前に感じた既視感の正体に気がついた。

前世の私はオタクだった。

そして、私が好きだったアニメや漫画によくでてきたのは神話だ。

女神ペルセポネの物語を知っていたように、私は女神アストライアの話も知っていた。



ーーーーーーーーーーーーーーー

アストライアは正義と純潔の女神です。

彼女は黄金時代と呼ばれる時代に地上に降りたと言われています。

この時代、人間は争いを知らず、嘘や不正もほとんど存在しませんでした。

アストライアは人々のあいだを歩きながら、正しい行いが自然に守られている世界を静かに見守っていたのです。

しかし時代が進むにつれて、人の心には欲望や暴力が芽生えました。

それからは、正義は軽んじられ、秩序は崩れていきました。

銀の時代、青銅の時代へと移り変わる中で、神々は次々と地上を去っていきます。

しかし、アストライアは最後まで人間を信じ、地上に残りました。

やがて不正と争いが当たり前となった世界に、もはや自分の居場所はないと悟ります。

彼女は地上を離れ、天へと昇りました。

そして星座となり、乙女座として夜空に刻まれたと伝えられています。

この神話から、アストライアは「失われた正義」「人が再び取り戻すべき理想」を象徴する存在として語られるようになりました。

つまりアストライアとは力で裁く女神ではなく、人の心に問いを投げかける、遠くなってしまった正義そのものなのです。

ーーーーーーーーーーーーーーー



ペルセポネとアストライア……。

生と死を司る女神と正義と純潔を司る女神。

生きているのに殺されたペルセポネ、死んだのに生きていることにされたアストライア。

二人の女神の名を持つ姉妹の物語は、皮肉にも神話のように悲劇的だった。

でも今は違う。

ペルセポネは自分の名前を取り戻した。

アストライアは天に還った。


「リディール様?」


カエルム伯爵が私を呼んだ。


「ああ、すみません」


私は思考から戻り、カエルム一家に向き直った。


「それでは、私達はこれで失礼します」

「ありがとうございました」


カエルム夫妻は深々と頭を下げた。

ペルセポネも涙を拭いながら、私に向かって笑顔を見せた。

私達は応接室を出た。

廊下を歩きながらお父様が口を開いた。


「よくやったな、リディール」

「……お父様?」

「お前は歪んだ家族を元通りにすることができた。それは素晴らしいことだ」


お父様は優しく微笑んだ。


「でも、まだ終わっていないんですよね」

「……ああ」


お父様の表情が曇る。


「ヴァニタスの問題は解決していない。むしろこれからが本番だ」


セティルド様のことだ。

彼はまだヴァニタスのメンバーとして動いている。

そして、彼らの目的はまだ達成されていない。


「リディール、お前はセティルド王子と話したんだったな」

「はい」

「どんな印象を受けた?」


私は少し考えてから答えた。

あの時のあの瞳。

夜会では楽しくて賑やかな人だと思っていたけど、やっぱりどこか違う……。


「……悲しい人だと思いました」

「悲しい?」

「はい。彼は何かを諦めているような……。そんな目をしていました」


セティルド様の冷たい瞳を思い出す。

あれは憎しみや怒りではなく、諦めだった。

何かを失って、もう戻れないと悟った人の目。


「セレーネが必死に呼びかけていましたが、彼は聞く耳を持ちませんでした」

「そうか……」


お父様は深く息を吐いた。


「セティルド王子には、きっと彼なりの理由がある。だが、それが何であれ、テロ行為は許されない」

「はい」

「リディール、もしセティルド王子と再び対峙することがあったら、できる限り話を聞いてやってくれ」

「……え?」


私は驚いて顔を上げた。


「なぜ私が?」

「お前はペルセポネを救った。彼女の心に寄り添い、真実を引き出した。セティルド王子にも、きっとお前なら届くかもしれない」

「でも、私は……」

「無理にとは言わない。だが、可能なら頼む」


お父様の言葉には重みがあった。

これは国王としての命令ではなく、父親としてのお願いだった。


「……分かりました。できる限り、やってみます」


今回のペルセポネの件も、私が処罰を言い渡したから、ペルセポネの両親にヴァニタスのメンバーだったことを言わないでいてくれた。

処罰が済んでいるのに掘り返す必要はないだろうって。

お父様は私が過去に人を簡単に殺したくないといったことを覚えているのだろう。

だから人が死なず、悲しまない道を選んでくれてる。


「お父様」

「ん?」

「ありがとうございます」


お父様は少し驚いたような顔をした後、優しく微笑んだ。


「礼を言われるようなことはしていないぞ。お前が自分で選んだ道だ」

「でも、お父様が私の選択を尊重してくれたから」


私は深々と頭を下げた。


「私は……誰も殺したくない。誰も悲しませたくない。それは甘いことだと分かっています。でも――」

「甘くなんかない」


お父様がはっきりと言った。


「誰も殺さない道を選ぶことは、誰かを殺す道を選ぶことよりもずっと難しい」

「……」

「簡単に人を殺せる者は、簡単に道を選べる。でもお前は違う。誰も傷つけずに済む道を必死に探す。それは王としてあるべき姿だ。だから、お前が選んだ道を私は支持する。例えそれが茨の道であってもな」

「お父様……」

「ただし、どうしても避けられない時は覚悟を決めろ。誰も傷つけないという理想が、かえって多くの人を傷つけることもある」

「……はい」


その言葉の重みを私は理解していた。

トロッコ問題。

一人を殺すか、多くの人を殺すか。

私はどちらも選びたくない。

でも、いつかはその選択を迫られる日が来るかもしれない。


「リディール」

「はい」

「お前は良い女王になるよ」


お父様はそう言って、執務室に戻っていった。

私は廊下で一人、窓の外を見つめた。

城下では人々が笑いながら歩いている。

この平和を守りたい。

誰も悲しませたくない。

でも、それはどこまで可能なんだろう。

セティルド様を救うことはできるのだろうか。

ヴァニタスを止めることはできるのだろうか。

誰も傷つけずに。

私は拳を握りしめた。

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