第九話 行方不明の少女と家族の和解
あの後、ヴァニタスによる襲撃があったため、肝試しは中止になった。
先生を呼びに行ったメルリと律が眠った状態で発見されたから、恐らくはセティルド様が私を殺す邪魔をさせないためにやったことだろう。
まあ、怪我人が出なくてよかったよ。
そして、私は今お父様と共に、カエルム夫妻に会っている。
もちろんペルセポネもいる。
「ああ、アストライア。無事で良かった!」
「本当にな。どうして家出なんかしたんだい?怒らないから言ってくれ」
ペルセポネは小刻みに震えている。
やはり両親と向き合うのはまだ早かったか?
私はペルセポネの手を握った。
ペルセポネは私を見て、頷いた。
「お父様、お母様」
「なぁに、アストライア」
「あ、あたしはアストライアではありません」
その言葉は決して大きな声じゃなかった。
けれど、部屋の空気を切り裂くには十分だった。
ちなみにお父様はそのことを知っているから驚いたりはしなかった。
「……何を言っているんだ?」
カエルム伯爵が戸惑ったように眉をひそめる。
「また変な冗談を。疲れているんだろう」
「冗談じゃ、ありません……っ」
ペルセポネは唇を噛みしめる。
「あたしは……あたしは……アストライアなんかじゃない……!」
「どうしてそんなことを言うの?あなたはアストライアじゃない」
優しい声だった。
だからこそ残酷だった。
彼女は正真正銘のペルセポネだからだ。
「あなたはアストライアでしょう?私達の可愛い娘」
「違う!!」
思わず声を荒げてしまった自分に、ペルセポネ自身が一番驚いた顔をする。
「……ごめんなさい」
俯いて震える声で続ける。
「でも、違うの……」
伯爵は困ったように笑う。
「アストライア、落ち着きなさい」
「家出して、怖い思いをしたんだろう。だから――」
ペルセポネは首を振った。
必死に、信じでもらおうと。
「あたし、ずっと……ずっと、アストライアって呼ばれるたびに、息ができなくなってた……。お母様達はそれに気づいてた?」
夫人の表情が凍りつく。
「……息ができない?」
「だって……」
声は涙声になっており、今にも涙が流れてしまいそうなほどに目が潤んでいる。
「アストライアはいろんな才能があって、期待されてて……。あたしが、なれるはずのない人だったから……」
「何を言っているの……」
夫人の声が震える。
否定したいのに、否定しきれない。
「お前ははアストライアだろ」
「生きて、ここにいるでしょう……?」
その言葉に、ペルセポネの肩が大きく揺れた。
見かねた私はそっと口を開く。
「カエルム伯爵、夫人。ここから先は聞く覚悟が要ります」
二人がこちらを見る。
その顔は明らかに動揺していた。
「現実は優しくありません。でも、彼女はアストライアさんの名前を、アストライアさんに返そうとしています」
ずっとペルセポネが一人で抱えてきた事実。
信じてもらえないと思って、見放されると思って言えなかった本当の名前。
言えるのは今だけだよ。
「……あたしはアストライアではありません。あたしの名前は、ペルセポネ・カエルムです」
その名前が出た瞬間、カエルム夫妻は驚いたような顔をした。。
「な……にを、言っているの……?」
伯爵はしばらく言葉を失ったまま、ペルセポネを見つめていた。
まるで、目の前にいる存在を誰と認識すればいいのか分からないように。
「……アストライアはここにいる」
絞り出すように言う。
「生きているじゃないか……」
「違うの……」
ペルセポネは、首を横に振った。
「生きているのは、あたし。でも、あたしは……ずっと、死んだ人の名前で生きてきただけ」
夫人の手が、口元を押さえる。
「……やめて。そんなこと、言わないで……」
「覚えてないの?」
ペルセポネの声は怒鳴るものではなかった。
責めるつもりもないんだろう。
だってペルセポネは、自分を認めてほしいだけだもの。
「二人が……あたしにアストライアの服を着せたんだよ。泣いて嫌だって言ったのに……」
伯爵の指がわずかに震える。
「二人が……『ペルセポネは死にました』って周りに言った。……そして、あたしに言った。『あなたはペルセポネじゃない』って……」
夫人の顔から血の気が引いた。
「……そんな……」
「そんなこと、私が……」
「言ったよ」
静かだった。
だからこそ逃げられない。
「あたしがペルセポネだって言った時、二人とも悲しい顔をした。だから、あたしはその名前を封印した……。あたしを……殺した」
カエルム夫妻の顔は青ざめていた。
伯爵はゆっくりと椅子に沈み込み、夫人は涙を堪えるように手を口に当てている。
部屋に重い沈黙が落ちる。
誰も何も言えなかった。
「……嘘だ」
やがて、伯爵が呟いた。
その声は弱く、信じたくないという願いが込められているようだった。
「そんなはずがない……。アストライアは生きている。ペルセポネは……ペルセポネは事故で……」
「違うの、お父様」
ペルセポネの声は静かだった。
でも、そこにはこれまで溜め込んできた全ての想いが乗っていた。
「事故で暴走したのはアストライアだった。でも、急にアストライアの体が精霊の力を拒絶して魔力が暴走して……部屋が壊れて、アストライアは……」
「そんなこと、あったはずがない……」
「お母様、思い出して」
ペルセポネは一歩近づき、夫人の手を握ろうとした。
しかし、夫人は無意識に手を引いてしまう。
その仕草にペルセポネの表情がわずかに歪んだ。
私は静かに見守っていた。
お父様も何も言わず、ただ部屋の空気を重く見つめている。
これは家族の問題。
王族として介入するのは限界がある。
「あたし、アストライアの代わりになろうとしたよ。必死で結界術を勉強して、結界の賢者に弟子入りして、期待に応えようとした。でも、できなかった。だってあたしはペルセポネだから……」
ペルセポネの声が震える。
「二人があたしをアストライアって呼ぶたびに怖かった。だって、本当のあたしは死んだことになってるんだもん。生きてるのに、死んでるみたいで……どうすればいいのか分からなかった」
伯爵の目がゆっくりとペルセポネに向けられる。
その瞳にようやく現実が映り始める。
「できる限りあたしはアストライアでいようとした。でもね、ごめんなさい……」
ペルセポネは頬に涙を一粒だけ流して、無理やり、でも本来の笑顔のように笑った。
「アストライアでいるの、辛くなっちゃった」
「……ペルセ、ポネ……?」
伯爵はペルセポネの笑った顔を見て、目を見開いてからそう言った。
ペルセポネは久しぶりに家族に呼ばれた名前に反応し、目を見開いた。
そして、大粒の涙をこぼした。
「……お母様……」
「その笑い方は……ペルセポネだ……」
夫人が立ち上がりペルセポネを抱きしめた。
「ごめんなさい……ごめんなさいペルセポネ……。アストライアを失うのが怖くて……あなたを、代わりにしてしまった……」
夫人の声は嗚咽に変わる。
伯爵も立ち上がり、二人の傍に寄る。
「私達は……間違っていた。お前をペルセポネとして見てやらなかった……。許してくれとは言わない。でも……生きていてくれて…………っ。ありがとう」
ペルセポネは両親の腕の中で、ようやく声を上げて泣き始めた。
それは抑え込んできた全ての感情がようやく解放された泣き声だった。
お父様が私に視線を向ける。
「よかったな」
小さな声で呟く。
私は笑顔で頷いた。




