第七話 行方不明の少女は居場所を求めています
「才能があって、期待されて、愛されていたのはアストライアだった」
ペルセポネはぎゅっと拳を握る。
「誰も、あたしを助かった人だなんて呼ばなかった。みんなにとっての私は残ったものだった。あの日から私をペルセポネって呼ぶ人はいなかったんだ」
アルデーヌも、リュミエールも、何も言わない。
私はアルデーヌの肩を叩き、剣を降ろさせた。
「……生き残る価値は、才能で決まらない。少なくとも私はそう思う」
ペルセポネが、顔を上げた。
驚いたように。
「あなたは王太女でしょう?」
「だからこそ、言える」
私は真っ直ぐに彼女を見る。
「あなたが咄嗟に結界を張ったから、生き延びた。それは偶然でも卑怯でもない」
「……あなたはそう思ってくれるんだ?」
彼女は弱く笑った。
それは深い悲しみや後悔が混ざっていた。
「でも……それでも――」
ペルセポネは絞り出すように言った。
「精霊はそうは思ってくれなかったわ」
『いいえ』
リュミエールがはっきりと言った。
ペルセポネは驚いたようにリュミエールを見る。
『精霊は事実しか見ない。あなたがあなた自身の死を受け入れ、代わりの誰かとして生きた。精霊はそんなあなたが許せなかったのよ』
「…………」
『精霊が愛したあなたが……あなた自身があなたを殺したから。だからアストライアとして精霊の力を借りようとするあなたを拒絶したのよ』
ペルセポネは静かに目を閉じる。
「……やっぱり、嘘を吐き続けたのがいけなかったのね」
なんて言うべきかわからない。
何も言わないのが正解なのか、なにか言うのが正解なのか。
「…………ペルセポネ」
私は、彼女の名前をもう一度だけ確かめるように呼んだ。
自分に向けて呼ばれ慣れていない名前。
忘れられていた名前。
悲劇の少女で死んだ名前。
それでも、確かに彼女自身の名前。
「その名前を本来のあなたに向けられるのは久しぶり?」
ペルセポネは私にペルセポネだと名乗った。
でも、それは平民のペルセポネとしての名前だ。
同じ名前でも、指している人は本当のペルセポネじゃない。
作られたペルセポネだ。
ペルセポネは少しだけ目を見開き、すぐにまた伏せた。
「……久しぶり、なんてものじゃないわ」
自嘲気味に笑う。
「呼ばれなくなってからずっと封印してた。あたしが生きている証拠みたいで……怖かったから」
「怖い?」
「だって、名前を呼ばれたら、思い出しちゃうでしょう。あたしが生き残った側だってことを」
沈黙が落ちる。
重く、逃げ場のない沈黙。
私は一歩だけ前に出た。
「……生き残ったことを罪だと思っている限り、精霊はきっとあなたに救いの手を差し出さないよ」
「…………」
「生きたのはあなた。それは奇跡に近く、罪ではない。生きていることに後ろめたさを感じる必要はないんだよ」
『あなたが死んだと決めたのは、周囲だけじゃない。あなた自身もペルセポネとして生きることを放棄した』
「…………」
『だから、精霊は待っていたのよ。あなたが自分の名前を取り戻す日を』
「そんなの……そんなの簡単にできるわけないじゃない……っ!」
うん、あなたはそういうと思ったよ。
今までずっと、アストライアとして生きてきたんだもんね。
誰も疑うことなく、ペルセポネが生きてるとも考えずに。
――私は、あの子に『魔法にこだわらなくてもいいのではないか』と教えたわ。だってあの子には結界を張る才能があるもの。魔法に拘る必要なんてないのよ
今なら結界の賢者の話の真意が分かる。
――でも、それ以来、あの子はそれまで以上に暗くなってしまった
魔法が得意だったペルセポネにとって、魔法を諦めるのは唯一残った自分を捨てることだった。
何も知らない結界の賢者がそう言ったことによって、ペルセポネは自分がペルセポネだとわからなくなってしまったのだろう。
「できなくてもいい」
ずっと黙っていたアルデーヌが口を開いた。
低く、抑えた声だった。
アルデーヌは剣を下ろしたまま、ペルセポネを見ていた。
庇うでも、責めるでもない。
ただ、事実をそのまま置くような声。
「できなかったからといって、存在まで否定される理由にはならない」
ペルセポネの肩が少し揺れる。
「俺には剣と魔法しかない。結界も勉学もからっきし」
自嘲するように、けれど誇りも込めて言う。
「それでも、俺は生きている。できないことがあっても、人の価値が変わるわけない」
剣を持つ手は、もう戦うための構えではなかった。
そして、その顔はとても穏やかで優しかった。
「できることだけが、その人を形作るわけじゃない」
その言葉は慰めではなく、彼自身がずっと背負ってきた覚悟のようだった。
異端児として存在を疎まれてきた彼だから、きっとそう言えるんだろう。
結界の賢者も、両親も、精霊も。
誰一人、彼女を悪意で壊したわけじゃない。
でも、「できる」「できない」で人を分けた瞬間、ペルセポネは自分を見失った。
ヴァニタスに入ったのも、単純な理由じゃない。
そこは、できるかできないかで人を測らない場所だった。
精霊に拒まれ、家族に名前を奪われ、才能でしか価値を測られなかった彼女にとって、精霊を否定するという思想は、復讐でも革命でもなかった。
ただ、精霊のいない場所なら何者でもなくても生きていけるそう思えただけだ。
「……居場所が欲しかったのよ」
ペルセポネは、ぽつりと呟く。
「アストライアとしてでもなく、才能ある誰かでもなく。ただ、ここにいていいって言ってくれる場所が」
その言葉に私は息を呑んだ。
ヴァニタスは彼女を救ったわけじゃない。
でも、否定もしなかった。
それだけで、傷ついた人は歩けてしまうことがある。
「だから、あたしは精霊を憎んだ。憎んだフリをした」
ペルセポネは静かに目を伏せる。
「精霊がいなければ選ばれることも、拒絶されることもなかったから」
その声は諦めも含んでいる。
ペルセポネにとって、自分をちゃんと見てくれる精霊はそれほどまでに大切だったのだ。
「それでも、精霊はあたしを見捨ててはいなかった。あたしが嘘をやめる日を、名前を取り戻す日を、待っていただけ。……待つなんて残酷ね」
その場に静かな空気が満ちる。
誰も彼女を裁かない。
誰も彼女を許すとも言わない。
許さないとも言わない。
ただ、彼女が生きているという事実だけがそこにあった。
私は思う。
この国はできる人間を選びすぎた。
そして、できなかった人間をあまりにも簡単に置き去りにした。
王太女として。
そして、一人の人間として。
私は彼女に言わなければならない。
「ペルセポネ」
私が声をかけると、ペルセポネは顔を上げた。
もう私を殺す気もないのか、ペルセポネは握っていた短剣を床に落とした。
「好きなように処罰なさってください」
「…………今、この場であなたに罰を与えます」




