第十一話 エルディーお兄様は私の考えが理解できないらしいです
律は紅茶のカップをテーブルに置き、ゆっくりと息を吐いた。
「そうだ。お前の物語に悪役はいなかった。みんなが『自分を愛せる世界』を目指して、すれ違いながらも繋がっていく……そんな優しい話だった」
律の指先がカップの縁をなぞる。
「それなのに、僕は転生した瞬間から『僕が主人公だ、リディールが悪役令嬢だ』って思い込んでた。なぜだと思う?」
私は分からないと首を振る。
律は少し苦しそうな顔をして言った。
「覚えてないんだ。誰かに何かを言われたような気がするけど、自分がどうしてあんなことをしたのかわからないし、覚えてない」
律の言葉が部屋の空気に重く沈む。
私はカップを握る手に力を込め、律の顔を見つめた。
確かに色々おかしい。
「主人公だ」「悪役だ」と決めつけた理由が、律自身にすらわからないなんて……。
「……誰に言われたか覚えてる?」
私は慎重に訊く。
律は目を伏せ、額に手を当てる。
「覚えてない。ごめん」
◇◆◇
その後、体調が悪くなったと律が言いだしたことにより、私は早々に切り上げて王宮に戻ってきた。
今日律と話して考えてみた。
私や律、そして多分お母さんがこの世界を私の物語という認識をしていた。
でも、この世界にいる人達の名前は何一つ違う。
なのに、どうしてこの世界が私の物語の世界だって思ったの?
どうして律は自分を「主人公」って言ったの?
「問題は増えるばかりだな……」
記憶の問題が片付いた後は世界の問題か。
一体この世界は何なんだろう。
私は窓の外を見た。
もう夕方で、すっかりと日が傾いている。
「おやおや、王太女殿下。こんなところで一体何をしているんですかぁ?」
この声……。
「エルディーお兄様……」
「王族教育はまだ始まっていないようだな」
「それがなんですか?」
「父上がこんなガキを王太女にするとは。しかも異端児の」
私はその言葉を聞いて、エルディーお兄様を睨みつけた。
「そんな怖い顔するなよ。保護対象になろうと異端児は異端児。バケモノである事実は変わらない」
確かにそうだ。
以前は魔力が溢れるほど多い者は異端児、異端者として卑下されていた。
人とは違うから、人を傷つけるから。
でも、彼らは……。
私達はもう異端児なんかじゃない。
「お兄様は愛すべき国民をバケモノ呼ばわりするのですか?」
「愛すべき国民?あんなバケモノは国民ではない。それに、お前の言う国民はただ金を納めるだけのグズだ。守る価値などない」
「…………」
「守り、尊重されるべきは貴族だ」
古い考え方だ。
今ではそんな考えをする人がめっきり減ったというのに。
「俺はお前の政治は間違っていると思っている。なあ、リディール。俺と手を組まないか?お前が狂わせた情勢をもとに戻そう。そうすれば――」
私はお兄様が伸ばしてきた手を振り払った。
お兄様は目を見開いた。
「お断りです。私は私がやったことが間違いだなんて思わない。私にはあなたの気持ちを理解できません」
「理解できない……」
私はお兄様の顔を見た。
彼の顔は非常に苦しそうに歪んでいた。
「……当然だな。お前みたいな恵まれたガキに、俺の苦しみがわかるはずない」
そう言って、お兄様は私の横を通ってどこかに行ってしまった。
私はその場に立ち尽くし、拳を握りしめる。
お兄様の背中が、遠ざかる足音が、胸に突き刺さる。
貴族至上主義。
異端児のバケモノ呼ばわり。
平民をグズ扱い。
すべてお兄様の「苦しみ」の裏返し。
でも、私は理解できない。
なぜそんな風に人を傷つける言葉を吐くのか。
なぜ私と手を組もうとするのか。
「一体、何が……お兄様をそんなに追い詰めてるの?」
◇◆◇
私は晩餐後、お父様の執務室に行った。
「お父様、お話があります」
「入れ」
私は扉を開けて執務室に入った。
お父様は書類を置いて、私を見た。
「どうした?」
「王位継承順はいつ発表されるつもりですか?」
「今週中には発表したいと思っている」
お父様の言葉に私は息を呑んだ。
執務室のランプの光が、机の書類を柔らかく照らす。
お父様は椅子に深くもたれかかり、私の顔をじっと見つめる。
その目はどこか疲れている。
「リディール、お前はエルディーのことをどう思ってる?」
「私は……お兄様の気持ちがわからないんです。でも、傷ついてるのはわかる」
「……そろそろお前に伝えてもいい頃合いかもな。ついてきなさい」
お父様は立ち上がって、執務室を出た。
私はお父様を追いかけるようについて行った。
足音が長い廊下に響く。
「あ、あの……ここ、私来ちゃいけないところじゃ……」
昔、五歳くらいのときに城を探検していたディールが、「ここから先は立ち入りを禁じられています」と止められていた。
そこに入っていいのかな。
「問題ない。お前が知れば戸惑うと思って隠していただけだからな」
「……?」
「リディール、お前はとても立派に成長した。まだ八歳とは思えないほどに大人びている」
おっと、もしかして怪しまれているのかな。
そりゃあ中身は別人ですからね。
「きっとあのメイドのせいだとは思うけどな」
ナイスー!
クソババアありがとう!
たまには役に立つじゃん!
心の中でクソババアに感謝していると、お父様が突然立ち止まった。
私は止まれずにお父様の背中にぶつかった。
ここが目的地?
横を見ると、大きな絵画がたくさん飾られていた。
「エルディーについて話そう」
お父様は扉を開けて私を中に入れた。
大きな絵画が並ぶ部屋は、薄暗く、埃っぽい空気が漂っていた。
壁一面に、王家の肖像画がずらりと飾られている。
「お父様、ここは……」
「見ての通り、歴代の王族の家族絵だ」
なぜそんなところに私を連れてきたんだろう。
お父様はどんどん部屋の奥に進んでいく。
どんどん、どんどん、どんどん……。
いや部屋長くて広いな!!
しばらく歩くと、お父様が立ち止まった。
そこには、赤ん坊のリディールと幼いアルカお兄様とセラフィーお兄様、お父様とお母様が描かれた肖像画があった。
なぜ、エルディーお兄様がいないの……?




