第二話 呪われた私は優しい兄がいることに気づきます
私は王宮に帰ってすぐに、アルカの元へ行った。
以前のリディールのことと、ババアのことを知りたかったからだ。
私はアルカの部屋の扉をノックした。
「お兄様、少しいいですか?」
返事がない。
てっきり笑顔で出てくるかと思ってた。
「リディール王女殿下」
「あ、あなたは……」
「お久しぶりです。平民差別の件では大変お世話になりました」
私に話しかけてきたのは、王宮で働いている革命派だった人の一人だ。
彼は貴族の馬車に妹を轢き殺された人だったはず。
覚え方がこんなのですみません。
「えっと、あなたの名前は?ごめんなさい、訊いていなかったものだから」
「構いませんよ。俺はサフィーアです」
サフィーアは私に近づいてきた。
「俺、休日は城下に行ってるんですけど、革命派として城下にいた時とは大違い。平民が楽しそうに生活してたんです。十人中八人はいたはずの絶望の表情をしてる人はいなかった。王女殿下には感謝しかありません」
サフィーアは私に頭を下げた。
こうして、誰かの役に立てるのは嬉しいな。
「ところで、アルカ殿下に用事ですか?」
「用事っていうか……まぁ、用事かな」
「……?アルカ殿下なら、剣の稽古に向かわれてしまいましたよ」
「あらー、タイミングが悪かったのかな。ありがとう、行ってくるね」
「はい、お気をつけて」
私はサフィーアに背を向けて、稽古場に向かった。
剣の稽古って、アルデーヌもやってたよね。
アルデーヌはかろうじて想像できるけど、アルカが剣を振り回す姿は想像しづらいな。
見えてきた稽古場で、アルカとスパールが対面して立っているのが見えた。
今から試合なのかな?
「お兄さ――」
「稽古始め!」
次の瞬間、二人がすごい速さで動き始めた。
「え……?」
鉄がぶつかり合う音が響く。
……え?
待って。
なにこれ、アクション映画の撮影現場?
アルカの剣がスパールの肩をかすめ、スパールが素早く後退してカウンターを返す。
スパールの剣先がアルカの胸元を狙うけど、アルカは軽く身を捩ってかわし、即座に横薙ぎ。
スパールは剣を盾に受け止めて、地面を蹴って距離を取る。
二人の動きが速すぎて、目で追うのもやっとだ。
「うわぁ……お兄様、意外とやるじゃん」
私は思わず呟いて、稽古場のフェンスに寄りかかる。
アルカの普段のシスコンっぷりから想像してたのは、もっと優雅で王子らしい剣さばき。
なのに、今のアルカはまるで戦士みたい。
汗が飛び散って、シャツが肌に張り付いてる。
スパールも負けじと、息を荒げながら剣を構え直す。
スパールの剣が弧を描いてアルカの首筋を狙う。
アルカはニヤリと笑って、剣を斜めに払う。
金属音が爆発的に響いて、スパールの剣が弾き飛ばされる。
スパールは転がるように後退して、地面に膝をつく。
「くっ……殿下の剣捌き、相変わらずですね」
アルカは剣を収めて、スパールに手を差し伸べる。
息一つ乱れてない。
かっこいい……。
けど、なんか悔しい。
「お兄様!」
「リディ!?どうしたんだ?」
「剣の稽古、すごくかっこよかったです!」
私が言うと、アルカは驚いたような顔をした。
スパールは立ち上がって、苦笑いしながら剣を拭く。
「王女殿下、殿下の剣は王国一ですよ」
「スパール様の剣術もすごかったです!!」
「いえ、僕なんかまだまだです。このあとは用事があるため、これにて失礼いたします」
スパールはそう言って、稽古場から去っていった。
アルカは汗で濡れた髪が額に張り付いてて、息が少し上がってるけど、目はいつもの優しいものだ。
「リディ、稽古見に来たのか?珍しいな。お前、昔は剣の音聞くだけで逃げ出したのに」
私はフェンスから体を起こして、アルカの腕を軽く叩く。
「今は逃げないですよ。お兄様の剣、かっこよかったです。スパール様も強そうだったのに、圧勝じゃないですか」
「割とギリギリだったぞ」
「そうですか?……でも、普段の姿から想像してなかったな。もっと、優雅に花を切るみたいな剣捌きかと思ってました」
アルカは笑って、私の頭をくしゃくしゃに撫でる。
「花を切る剣?舐められたものだ。俺は王族だけど、いざというときのためにそういう教育もされてるんだ」
私はアルカの手を払って、稽古場のベンチに座る。
アルカも隣に腰を下ろす。
風が心地いいな。
遠くで、他の騎士たちの剣音が響いてるけど、ここは二人きりみたいな静けさ。
「ところで、お兄様。……いきなりで申し訳ないんですけど、昔の私の話、聞かせてください」
「なぜ?」
「客観的な意見も必要かと」
「なんだそれ」
アルカは苦笑した。
さすが顔面凶器。
私以外の令嬢がいたら卒倒してたな。
「客観的な意見、ねぇ……。リディ、お前最近ほんとに変わったよな。昔のお前は、そんな風に俺の顔見て笑うことすらなかった。感情ゼロの新聞みたいな目で、『情報収集中』って顔してたのにな」
アルカはベンチの背もたれに腕を回して、空を見上げる。
風が木の葉を揺らして、稽古場の砂埃を優しく舞わせる。
「でも、それはこの間捕まったメイドが世話係になった時からだ。それより前は表情豊かで何考えているのか丸分かりで可愛かったなぁ」
表情豊か?
そんなはずない。
だって、リディールの記憶は、感情がない上に行動の理由もわからないんだもん。
新聞記事みたいに『今日の出来事、噴水で猫を助けようとして転倒。高熱。アルカが看病』って事実だけが並んでるだけ。
笑った?
泣いた?
嬉しかった?
全部空白だ。
「……お兄様、そんな記憶ないんですけど」
私はアルカの顔を覗き込む。
アルカの顔が曇った。
「記憶がない……?」
「正式には、記憶にあるはずの感情を覚えてないんです」
アルカの目がわずかに見開かれた。
いつもは私をからかうような、余裕たっぷりの顔が今は珍しく真剣だ。
風が二人の間を抜け、稽古場の砂を軽く舞い上げる。
「感情を……覚えてない?リディ、それって……どういう意味だ?」
アルカの声は低く、抑え気味。
シスコン兄貴の彼がこんなに戸惑った顔をするなんて、想像したこともなかった。
「……記憶は残ってるんです。噴水で猫を助けたこととか、高熱で寝込んだこととか。でも、それが『嬉しかった』とか『怖かった』とか、感じるはずの部分が、全部空白なんです。新聞の記事みたいに、ただの事実だけ。どうして起きたか、何を思ったか、わからないんです」
「それはメイドのせいか?」
「…………」
メイドのせい……。
とは言い切れない。
私という存在が原因の可能性もあるから。
「言いたくないか?」
「……すみません」
アルカは私の頭に手をおいて、優しく撫でた。
優しい手……。
一体どんな顔をしているんだろう。
私は顔を上げた。
優しい、兄の顔だ……。
「すみませんなんて言うなよ。リディ、俺に話したいことがあったら話せばいいんだ。無理に掘り返さなくたって、俺は待ってる。お前のペースでいい」
アルカの声は低くて穏やかだ。
シスコンの彼がこんなに大人びた言葉を言うなんて……。
胸が熱くなる。
「お兄様、もし……。もし私がお兄様の本当の妹じゃなかったら、あなたは私を嫌いになりますか?」
言葉を口にした瞬間、後悔が胸を刺す。
アルカの手がぴたりと止まる。
兄の目が一瞬見開かれ、次に深い優しさに変わる。
「なるわけないな」
ああ、その言葉が聞けてよかった。




