第十六話 先に進むのが怖くなりました
あの日から、アルデーヌを除いたセティルドの死亡現場に立ち合った人は学園を休んだ。
私もそうだ。
私がもっとセティルド様の周りを見ていれば、彼は死ななかったかもしれない。
アルデーヌやお兄様達は部屋に閉じこもった私に、扉越しに話しかけてくれるけど、それに返事をする気にもなれなかった。
リュミエールはあの日以来私の元へ来ない。
日が経つほどに、胸の奥の重みは増していく。
誰もが「時間が解決する」と言うけれど、私の時間は止まったままだった。
鏡を見るたびにそこに映る自分の目が、誰かを救えなかった罪悪感で曇っているのが分かる。
◇◆◇
立ち直ることができなくなってから一週間が過ぎた。
朝と夜の区別が曖昧で、食事の味もしなかった。
部屋のカーテンは閉め切ったまま。
光が刺さるのが嫌だった。
扉を叩く音が聞こえてきた。
「……リディール様」
アルデーヌの声だと分かっていても、返事をする気にはなれない。
「無礼だとわかっていますが、今回だけは入りますね」
……アルデーヌらしくない。
いつもはそんなことしないのに。
扉を開けて、私の元にきたアルデーヌは、私を見るなり悲しそうな顔をした。
「……何の用?」
掠れた自分の声に少し驚く。
何日も喋っていなかったからだろうか。
声が出しづらい。
「……セレーネ様と、ルナリア様がいらしてます」
心臓が嫌な音を立てた。
「……会わない」
即答だった。
「……今のあなたに会わせるのは酷だと、俺も思います。ですが……」
「会わない!会いたくない!」
「…………」
「……会わせる顔が……ないんだよ……」
私の頬に涙が伝う。
二人に私はどんな顔をして会えばいいの?
なにを言えばいいの?
分からないよ……。
「お二人は『リディール様に会わなければ前に進めない』と仰っています」
前に……進む。
その言葉が胸に刺さる。
「……私は、前に進めてない」
「知っています」
否定されなかったことが逆に辛かった。
アルデーヌはこの気持ちに寄り添って、そんなことないって言ってくれると思っていたのに……。
「……それでも、あなたが立ち止まっている場所は、セティルド様が戻りたかった場所でもある」
その一言で、呼吸が詰まった。
――家族に会いたい
あの夢の声が脳裏に蘇る。
セティルド様は生きていたかったよね……。
セレーネ達とちゃんと、もっと話したかったよね……。
私がこのまま立ち止まってたら、セティルド様にも顔向けできない。
「……分かった」
私は重い体を起こした。
◇◆◇
応接室には二人だけがいた。
セレーネは以前より少し痩せて見えた。
ルナリア様は背筋を伸ばしていたけれど、その目は赤く腫れている。
私が入ると二人は同時に立ち上がった。
「……リディール」
セレーネが名前を呼ぶ。
責められると思っていた。
恨まれる覚悟もしていた。
でも、セレーネが放った言葉は全く違うものだった。
「ありがとう」
「……え?」
「兄様と、ちゃんと話をさせてくれて……ありがとう」
セレーネは唇を噛みしめながら続けた。
「最後に兄様の記憶を取り戻してくれて……ありがとう」
私は何も言えなくなった。
ルナリア様が一歩前に出る。
「リディール様。……兄はあなたに救われました」
「救えてないよ……。救えてなんかない!!」
思わず声を荒げてしまう。
「生きて帰らせられなかった!約束したのに……!私が、もっと早く……!」
「いいえ」
ルナリア様ははっきりと首を振った。
「兄が人として死ねたのはあなたがいたから……。兄の最後は……幸せだったと思います」
「……っ」
幸せだった。
その言葉を私はまだ受け止めきれない。
「そんなこと言われても……」
視線を落とすと床の模様が滲んで見えた。
あんなに私はセティルド様を助ける気でいたのに……。
「私は……守るって言ったのに……。助けるって……」
声が途切れる。
伝えたいのに……。
伝えたいのに声が震えて、言葉が詰まる。
セレーネはあの日のように勢いよく詰め寄ることも、感情をぶつけることもなく、ただ静かにゆっくりと私の前に来た。
「ねぇ、リディール。兄様が亡くなる前、何て言ってたか……覚えてる?」
覚えてる。
嫌でも忘れられない。
――ありがとう……俺を……人に……戻してくれて……
私は頷く。
セレーネはそれを見て、優しく微笑んだ。
「それが答えだよ。兄はね、ずっと王子として生きてた。王子として、期待される存在として。でも最後はただの兄だった」
ルナリア様がそっと頷いた。
「逃げなくていい場所に、戻ってこられた。それだけで、兄にとっては……十分だったのだと思います」
「それでも……死んじゃった……」
「うん」
セレーネは否定しなかった。
でもそれは責めでもなんでもなかった。
セレーネは私の目にたまっている涙を指で拭った。
「死んじゃった。だから、辛い。苦しい。許せない。でもね……それを全部背負って、リディールが一人で止まる必要はない」
「……っ」
「兄様はそんなこと望まないよ」
その言葉が、胸に突き刺さった。
――……みんな…………ありがとう……!
最後に言われた言葉が頭の中で何度も反響する。
「私は……。私はまた誰かを救えなかったらって思うと……怖い……」
正直な気持ちだった。
救おうとして、手を伸ばした。
それでも届かなかった。
その結果を知ってしまったから。
もし、また誰かを同じように失ってしまったら?
私はあんな光景を、もう見たくない。
ルナリア様は静かに微笑んだ。
「それでも手を伸ばしてしまうのでしょう?」
「……っ」
「あなたはそういう人です。兄は……そんなあなたに救われたのです」
その瞬間、胸の奥でずっと固まっていたものがほんの少しだけ崩れた気がした。
「あ……あぁ……」
涙が溢れて止まらなかった。
二人も涙を流して、そっと私を抱きしめてくれた。
「……私達は一人じゃないよ……」
その言葉に堪えていたものが一気に溢れた。
声を上げて泣くなんて、子供みたいだと思った。
でも、止められなかった。
肩が震えて息が詰まったが、それでも二人は離れなかった。
「兄のことは忘れないでください。でも……縛られ続けなくてもいい。歩けない日は立ち止まってもいい。ただ……戻ってきてください」
ルナリア様が静かにそう言った。




