第十五話 他国の王子は救えないかもしれません
セレーネの声が小さく零れた。
槍は消えて、セティルドは倒れ込む。
「兄様!」
「お兄様!」
「「セティルド様!」」
「「セティルド!」」
私達はセティルド様に近づいた。
「……ごめん……」
その声は、あまりにも小さくて。
耳を澄まさなければ、聞き逃してしまいそうだった。
「セティルド様……!」
私はすぐそばまで身を寄せる。
彼の瞳は半分伏せられていて、焦点が定まらない。
それでも確かに、こちらを見ようとしていた。
「……リディール様」
名前を呼ばれて、胸が詰まる。
「話さないで。今、治癒を――」
「……いい……もう十分だ……」
彼は微かに首を振った。
その仕草だけで、もう時間が残っていないことを悟ってしまう。
ああ、知ってる。
これだけの血を外に出した人がこの後どうなるのか。
「……あなたが来てくれなかったら……俺は……最後まで……向き合えなかった……」
息を吸うたびに胸が小さく上下する。
呼吸の音もおかしい。
「……最後に思い出せて……よかった……」
「セティルド様……」
声が、震える。
感情を抑えきれない。
彼は、ほんの一瞬だけ笑った。
それは、最初に出会った頃と同じ、優しい笑顔だった。
「セレーネ……ルナリア……ずっとモヤモヤさせて……悪かったな……」
「……兄様……」
セレーネが縋るようにその名を呼ぶ。
握った手は震えていて、力が入っていないのに離すことだけはできずにいた。
「……謝らないでよ……っ」
ルナリア様の声もかすれている。
「……生きて……一緒に……」
セティルド様はゆっくりと目を瞬かせた。
その視線が二人を順番に確かめるように動く。
「……ありがとう……二人とも……」
それだけで、もう精一杯だったのだろう。
息を吸おうとして、少し苦しそうに眉を寄せる。
「……ちゃんと……話せて……よかった……」
私は、何も言えなかった。
治癒魔法の詠唱は、頭の中で何度も組み立てては崩れる。
気が動転しててうまくできない……。
間に合わない。
それを誰よりも本人が分かっている。
「フォーカス、悪いな……。チェス……もうできないや……」
「なんでだよ……やろうって言っただろ!」
――フォーカス!またチェスやろうなー!
初めてセティルド様と出会った時の記憶がフラッシュバックする。
過去にした無邪気な約束が、こんなにも残酷に破られるなんて。
「ほら、やりに行こう。学園に戻ればきっとできるさ」
フォーカスは震える手でセティルド様の手を握る。
その声は震えていて、目には涙が浮かんでいる。
「……バカだな、お前は……。……なぁ、ペルセポネ」
「なに?セティルド」
「俺達……お互いに救われたな……」
「救われてないわよ……!あんたが死んだら、あんたは救われたことにならない!」
「いや、俺は幸せだよ……。だって、大好きな人達に見守られて逝けるんだから……」
その言葉にペルセポネの肩が強く震えた。
唇を噛みしめても、感情は抑えきれなかった。
「……勝手なこと言わないで……!残される側のこと、少しは考えなさいよ……!」
セティルド様は、わずかに息を吸った。
それだけで精一杯なのに、それでも言葉を紡ごうとする。
「……ごめん……」
短く、でも確かな声音。
それでも、彼の表情は穏やかだった。
「……それでも……今は……後悔してない……」
視線が、ゆっくりと巡る。
セレーネ、ルナリア、フォーカス、ペルセポネ。
そして最後に私。
「……ありがとう……俺を……人に……戻してくれて……」
その瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。
何か言わなきゃいけないのに、言葉が見つからない。
セティルド様の瞼がゆっくりと下がっていく。
呼吸はもうほとんど聞こえない。
「……みんな…………ありがとう……!」
それが最後だった。
ああ、この顔。
お兄様と同じだ……。
お兄様と同じ……?
『リディール、全員避難させ終えたわよ』
リュミエールが私達のところへ戻ってきた。
そ、そうだよ……。
お兄様が生き返ったなら、セティルド様も……!
「リュミエール!力を貸して!」
『どうして?』
「セティルド様が死んじゃって……だから、アルカお兄様の時みたいに蘇生魔法で……!」
『……無理よ、リディール』
「なんで……!? アルカお兄様の時は……!」
『蘇生魔法は簡単に使えるようなものじゃないわ。あれは人生に一度きりしか使えない』
「そんな……」
私は膝から崩れ落ちた。
お兄様を蘇生したことは後悔してない。
でも、私は何もできないの……。
「ほ、他のみんななら……」
『魔力が足りないわ』
「アルデーヌは?ほら、異端児だし、魔力量多いよ?」
『あなたの魔力が多すぎるだけで、異端児ではあなたの魔力には届かない』
じゃあ、私はまた……。
見ていることしかできないの……。
「リディール、兄様は生き返るんだよ……ね?生き返らせてくれるんだよね……」
セレーネはまだ希望を見失っていない顔で訊いてきた。
私は否定も肯定もできなかった。
「リディール……?」
私は何も言えないまま、涙を流した。
それが答えだった。
「……っ!なんで……!助けてくれるって言ったじゃない!!ねぇ!リディール!!」
セレーネが私に飛びつく勢いで立ち上がろうとした。
しかし、ルナリア様がセレーネの腕を掴んで止めた。
「姉様……」
「リディール様は最善を尽くしてくださったのよ……」
「……でも、兄様は死んじゃって……」
セレーネは膝から崩れ落ちた。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
セレーネは声を上げて泣き出した。
ルナリア様は何も言わずに、ただ涙を流していた。
「……んで?なんであんたはいつもいつも他人ばっか優先すんのよ!!なんとか言いなさいよ!ねぇ!セティルド!!」
ペルセポネはセティルド様が死んでしまったことを受け入れられてないのか、泣きながらずっと声をかけ続けている。
フォーカスはただ俯いて、唇を噛み締めて泣いている。
アルデーヌはそっとセティルド様の遺体に近づき、そっとハンカチを顔にかけた。
この日、シシュナ王国の第一王子、セティルド・エル・シシュナは生涯を終えた。




