第九話 他国の王子どころじゃない事件が起きました
すごく速い。
目にも止まらぬ速さでアルデーヌとの距離を詰め、木剣を振り下ろす。
アルデーヌも即座に反応し、自身の木剣でそれを受け止めるが、流石にキツかったらしい。
「……っ!あああああ!」
アルデーヌが突然、鼻を押さえてその場に崩れ落ちた。
「アルデーヌ!?」
「……近接戦闘において、嗅覚は弱点になり得ます。特に俺のような相手にはね」
サフィーアは事もなげに言い放った。
「サフィーア!今のは剣術じゃなくて、ただの……!」
私が抗議しようとすると、サフィーアは鋭い視線をこちらに向けた。
「リディール王女殿下。戦場では、敵がどんな手段を使ってくるか分かりません。卑怯、汚い、臭い……そんな言葉で命は守れないのです」
「それは、そうだけど……」
クソッ、正論すぎて何も言えない。
「次は殿下、あなたの番です。……構えなさい」
「……え、私もやるの?」
「当然です。王太女として、この程度の逆境(匂い)に屈してどうするのですか」
私は覚悟を決め、木剣を握りしめた。
鼻呼吸を止め、口だけで息をする。
「……行きます!」
私は一気に踏み込み、サフィーアの懐を狙った。
ハイスペックなリディールの身体能力なら、匂いが届く前に一撃を叩き込めるはず!
「甘いですね」
サフィーアが軽くステップを踏んだ。
その瞬間、彼の足元からこれまでとは比較にならないレベルの、濃縮された何かが爆発的に広がった。
「……ごふぉっ!!」
肺に直接流し込まれるような、鼻の奥を焼くような、形容しがたい衝撃。
私は意識が遠のきそうになるのを必死で堪え、魔力を全開にして鼻腔を防御した。
「……ほう、耐えましたか。流石はリディール王女」
サフィーアが少しだけ感心したように目を細める。
「……はぁ、はぁ。……これ、剣術の授業じゃなくて、生存訓練ですよね?」
「同じことですよ」
「さあ、他の方も模擬戦を……あれ?」
サフィーアが生徒達の方を見ると、ほぼ全員が失神していた。
「あっ、またやっちゃった」
「『またやっちゃった』じゃないよ!全員泡吹いて倒れてるじゃん!」
私は必死に魔力で鼻腔をガードしながら叫んだ。
訓練場には、まるで戦場のような光景が広がっていた。
アルデーヌは白目を剥いてピクリとも動かず、メルリは「お花畑が見える……」と譫言を漏らしている。
「……おかしいですね。今日はいつもより出力を抑えたはずなのですが」
サフィーア様は首を傾げながら、無造作に自分の足をトントンと叩いた。
その衝撃でまたふわっと何かが舞い、私は慌てて距離を取った。
「その足を叩くのをやめて!粒子が飛ぶ!」
「おっと、失礼。……リディール王女。生き残ったのはあなただけのようです。後片付け、手伝ってもらえますか?」
「え、私が?」
「ええ。みなさんに気付け薬を。あ、それから私の足元に打ち水をしておいてください。少し加熱しすぎたようです」
「……それ、水蒸気爆発(異臭的な意味で)起きませんか?」
私は絶望的な気分になりながらも、倒れたクラスメイト達に回復魔法をかけ始めた。
◇◆◇
医務室にクラスメイトを魔法で一気に運ぶと、医務室の先生はいなかった。
代わりに、奥にいた王宮薬剤師のアズルク・オズ・サカムケキニナルが出てきて、急いで全員の鼻の治療をしてくれた。
落ち着いてから事情を話すと、アズルクはとんでもなく笑い始めた。
「ぎゃははははっ!お前またやったのかよ!!」
「笑い事じゃないよ、アズルク……」
私は呆れながら言った。
アズルクはサフィーアと同じ革命派として生活していたから、二人は仲がいいんだよね。
「お前、俺が渡した足の匂い消し使ってないだろ?」
「昨日ちょうど切れたんだよ。でもまさかあんなに悪化してるとは思わなかった」
「ケチケチ使ってたから悪化したんじゃないのか?てか、もうそういう手術受ければ?」
「いや、それはちょっと……」
なんでだよ。
手術があるなら受ければいいだろ。
「そこまで拒否する理由ある?」
私は腕を組んで、じっとサフィーアを見る。
「ある!俺はメッチャツオイ王国に人生を再構成してもらったと言っても過言ではない!もし今後戦が起きた時、俺の足は活躍すると思う!」
「殺人兵器並みにな」
「だから俺は、メッチャツオイ王国を守るためにも足の匂いの手術は受けない!」
私は即座に切り捨てた。
「足で国防とか聞いたことない」
「あるだろ!化学兵器!」
うわぁ、化学兵器と殺人兵器を一緒に見てるよ、この人。
足の匂いを全力にするデメリットがわかってないのかな?
「そもそも、デメリットが多いんだよ。それ」
私は指を折りながら冷静に詰める。
「敵が来る前に味方が倒れる。拠点が使えなくなる。士気が下がるなどなど」
「待て、それは想定外なんですけど」
「想定が甘すぎる」
流石に数千を超える敵をワンオペじゃ無理あるでしょうに。
アホなのか?
こいつはアホなのかな?
私はサフィーアに、じとっとした目を向けた。
「まあ、手術を受けなくても、普通に匂い防止のスプレーを買えばいいんじゃないか?その場しのぎにはなるだろうに」
アズルクが呆れたようにそう言った。
それにサフィーアはハッとしたように言った。
「確かに」
「『確かに』じゃないよ!副団長ならそれくらい自分で気づいてよ!」
私は盛大なため息をついた。
この国の騎士団、大丈夫かな。
スペックは高いのに、根本的なところが抜けている人が多すぎる。
「……いや、盲点だった。自分の足を兵器として完成させることばかりに集中していて、日常的なメンテナンスを怠っていたよ」
サフィーアは真面目な顔でとんでもない反省を口にしている。
自軍が滅ぶのが先か、敵軍が滅ぶのが先か……。
ちょっと気になるような……。
いや、別に気にならんな。
「兵器として完成させないでよ?……アズルク、そのスプレーを今すぐこの人に持たせて。あと、クラスメイトたちの鼻の粘膜、しっかり保護しておいてね」
「分かってるって。……がい、サフィーア。これは俺が試作で作った『超強力・瞬間消臭スプレー:無臭の極み』だ」
サフィーアが受け取ったボトルを早速自分の足元にシュッと一吹きした。
その瞬間、訓練場から漂っていたあの地獄のような異臭が、まるで魔法のように消え去った。
……すごい。
アズルク、性格はアレだけど腕は確かだ。
「……あ、空気が美味しい」
「……ここは、天国ですか?」
気付け薬と消臭スプレーの恩恵でようやく意識を取り戻した生徒達が、一人、また一人と上体を起こし始めた。
「サフィーア、もう今日はこれで終わりにしよう?これ以上やったら、Sクラスの生徒が物理的に減っちゃう」
「……そうですね。今日は私の不徳の致すところです。みなさんも、今日はゆっくり休んでください」
誰一人返事ができる状態ではなかったから、返事をしたのは私だけだった。




