第七話 自国の王子はシスコンすぎてヤバいです
私はベッドから飛び降りて、猛ダッシュで部屋から出た。
「待てリディ!逃げるな!お兄ちゃんの愛から逃げるな!」
「愛が重いんだよ!ストーカーか!」
私はドレスの裾を捲り上げ、王宮の長い廊下を全力疾走する。
後ろからは明らかに楽しそうな、でも執念を感じるお兄様の足音が聞こえてくる。
「いいだろ一回くらい!『お兄ちゃん大好き』って言うだけで、俺の寿命が三百年は延びるんだぞ!」
「三百年も生きたら化け物だよ!誰か、変質者を捕まえて!」
私が叫びながら角を曲がると、そこには不運にも一人の騎士が立っていた。
「リ、リディール様!?一体何事ですか!?」
「アルデーヌ!助けて!お兄様が壊れた!」
私は反射的にアルデーヌの背中に隠れた。
アルデーヌは一瞬で状況を察したのか、あるいはただ単に私を守る本能が働いたのか、即座に剣の柄に手をかけた。
「……アルカ殿下。リディール様が嫌がっておられます。それ以上近づくのであれば、王女守護の任に基づき、排除させていただきます」
アルデーヌの瞳がガチだ。
追いかけてきたお兄様はピタリと足を止めた。
「おいおいアルデーヌ、邪魔するなよ。これは兄妹の崇高なコミュニケーションだぞ」
「泣いている王女を追い回すのが崇高なコミュニケーションですか?殿下、頭の魔力回路がショートしたのでは?」
「泣いてたのはさっきまでだ!今は俺に愛を囁こうとして……」
「囁こうとしてません!録音しようとしてただけでしょ!」
私が背中からヤジを飛ばすと、アルデーヌの周囲の温度がさらに数度下がった気がした。
「……録音?殿下、それは人道的にどうなのですか……」
「うるさい!お前だってリディに『好き』とか言われたら、家宝にするだろ!」
「…………」
アルデーヌが沈黙した。
否定しないのかよ。
え?
嘘だよね、アルデーヌ?
「ほら見ろ!お前だって同類だろ!さあリディ、アルデーヌは俺が食い止めるから、今のうちに俺の胸に飛び込んで……」
「話が支離滅裂だよ!」
私はアルデーヌの脇をすり抜け、再び走り出した。
「あ、逃げた!待てリディ!お兄ちゃんを置いていかないでくれー!」
「追ってこないでください!――わぶっ!」
またしても曲がり角で誰かにぶつかった。
その人は流れる方に私を抱きしめた。
「リディアじゃないか。走ったら危ないぞ?」
そこにはエルディーお兄様とセラフィーお兄様がいた。
最悪な二人に遭遇しちゃったよぉぉおおお!!
「……リディア、どうしたその顔。泣いてたのか?」
エルディーお兄様が、私の顔を覗き込む。
優しい声。
穏やかな表情。
今の状況じゃなければ、間違いなく癒やしだった。
「ち、違う!これは違くて……!」
私が慌てて言い訳しようとした、その瞬間。
「リ〜ディ〜??」
背後から、聞き覚えしかない騒音が迫ってきた。
「……あっ」
セラフィーお兄様が状況を一瞬で理解した顔になる。
廊下の奥から全力疾走してくるアルカお兄様。
目が完全に据わっている。
あれはダメなやつだ。
瞬時にエルディーお兄様とセラフィーお兄様は真顔になる。
「……アルカ、またやったな」
セラフィーお兄様はため息をついた。
「またって何!?」
「ほら、前もリディが『ありがとう』って言っただけで一周間浮かれてただろ」
「今回はもっとすごいんだぞ!!『好き♡』だぞ!リディが『好き♡』って言ったんだ!!」
「言ってない!言い方が違う!!」
「同義語だ!!」
「違います!!」
その言い争いの間にエルディーお兄様が私の前に立った。
柔らかい笑顔だけど、立ち位置が完全に壁だ。
「アルカ。そこまでだ」
「邪魔するなエルディー!これは兄妹の大事な――」
「リディが逃げてる時点でアウトだ」
エルディーお兄様はアルカお兄様の腹を思いっきりぶん殴った。
「……っ」
アルカお兄様は情けない声すら上げられず、そのまま前のめりに崩れ落ちた。
床に倒れる音がやけに静かな廊下に響く。
「…………」
私は呆然とその光景を見下ろしていた。
「……え、今」
「気絶したな」
セラフィーお兄様がいつも通り淡々と結論を述べた。
「え、あの、今……腹を……?」
「急所は外してる。死にはしない」
いや、そういう問題じゃない。
「ちょっとエルディーお兄様……いくらなんでもやりすぎじゃ……」
私が慌てて言うと、エルディーお兄様は拳を軽く振ってから、いつもの穏やかな笑顔に戻った。
「大丈夫だよ、リディア。兄として、必要な躾をしただけだ」
躾のレベルが王国最上位なんだけど。
私は恐る恐る倒れているアルカお兄様を覗き込んだ。
完全に白目。
ピクリとも動かない。
「……死んでませんよね?」
「呼吸してる」
「脈も正常」
兄様達の確認が妙に手慣れているのが怖い。
「アルカは後で俺が責任持って回収する」
「回収って言い方……」
「慣れてるからな」
慣れるな。
セラフィーお兄様が気絶したアルカお兄様を見下ろして肩をすくめた。
「目を覚ましたら、説教は三時間コースだ」
「長くない?」
「今回は重罪だからな」
私は思わず、同情してしまった。
いや、でも自業自得だ。
「……リディ」
「なに?」
「部屋に戻ろうか」
二人は紳士らしく、私に手を差し出してきた。
エスコートしてくれるのだろう。
こんな顔面国宝級の人間にこんなことされたら誰だってときめくよね?
足元の死体さえなければ。
二人のお兄様に挟まれて歩き出しながら、私は小さく息を吐いた。
重たい現実は何も変わっていない。
セティルド様の件の答えは出ない。
それでも。
暴走する兄を気絶させてでも、私を守る人たちがいる。
…………なんだこの王宮。
情緒が忙しすぎる。
私は心の中でそう呟きながら、少しだけ口元を緩めた。
少しだけ、気持ちが軽くなった気がする




