第12話:火と粉と覚醒の時
焼きたての香りが、すべての始まりだった――。
石を積み、火をおこし、見よう見まねで窯を築く。食材は干し肉に乾飯、味噌に梅干し。
誰もピザという名前すら知らない戦国の町で、
一人の青年が「うまいもの」を追い求めて動き出した。
それがのちに、町の風景を、匂いを、人の流れさえも変えることになるとは、
その時の彼自身さえ、まだ気づいていなかった。
*
夜がまだ完全に明けきらぬ頃、快はふと目を覚ました。
ーここどこ?
見知らぬ天井をぼんやりと見つめたまま、しばし身動きもせずにいた。
だが次の瞬間、何かを思い出したように、はっとして身を起こす。
「おう、早いのう」
文机の前に腰を下ろしたまま、与一が振り返った。
「与一、おはよう。昨日、俺ここに着いてすぐ寝ちゃったみたい」
「おう、『布団やー』言うて飛び込んだと思ったら、そのまま意識飛んどったわ」
「マジか。でもいっぱい寝たから、今日はめちゃくちゃ元気!」
「ほな、昨日お前が行きたがっとった城跡、見に行くか?」
「うん、行きたい。すごく見てみたい!」
*
「ここは、5年程前に廃城になった、できたて《《ほやほや》》の城跡や」
八幡山にある城跡は、足元には草が生い茂り、かつてここに立派な城があったとは思えないほど、自然に覆われていた。
それでも獣道のような踏み跡をたどって本丸跡までたどり着くと、視界が一気に開け、眼下に八幡の町並みが広がっていた。
「……こうして見ると、結構大きな町だね」
「おう、このあたりじゃ、いちばん栄えとる」
「安土は、どの方向?」
「あっちやな。佐和山は、そっからもうちょい右の方や」
「……そっか」
快はそれきり口を閉ざし、しばらく黙った。
滅びようとしていた佐和山城、ここ八幡山城よりも前に滅びた安土城を思い、その表情は少しだけ陰りを帯びていた。
与一は、快の沈黙をとくに気にする様子もなく、ぽつりと言った。
「ほな、朝市まわってから、多吉んとこ向かうぞ」
「朝市!なんか美味しいもん出てるかな~!」
快は、さっきまでの沈んだ表情が嘘のように、一瞬で元気を取り戻していた。
*
朝霧の残る町の一角、まだ日も高くないうちから、人々のざわめきが立ち始めていた。
大きな桶に入った鮒や鯉が、ぴちぴちと跳ねる音。
土のついたままの大根や小芋、色鮮やかな干し柿や梅干しが、竹のざるに美しく並べられている。
どこかの村から担いできたのか、炊きたての米団子を売る男の周りには、すでに人だかりができていた。
与一はいつものように、どこかで擬態して姿を消していた。
快は、活気にあふれる屋台の間をきょろきょろと見回しながら歩いていたが、不意に背中をポンポンと叩かれた。
振り返ると、与一が、無言である屋台を指さす。
そこには、木の串に刺された焼き魚がずらりと並び、香ばしい匂いを漂わせていた。
「あれ、買うて来い」
昨日と同じように、与一は当然のように指示を出す。
快は苦笑しながら屋台へ向かい、しっかり魚を手に入れてきた。
朝からたっぷりと食べ、腹を満たした快は、ぽつりと呟いた。
「戦国って、もっと殺伐としてるかと思ってたけど……こんなに賑やかなんだな」
「そらそうや。戦ばっかりしとったら、身がもたん」
*
通りを抜け、二人は多吉の店に入っていった。
「おはようございます。本日はよろしうお願いいたします」 多吉はふかぶかと頭をさげた。
「おはようございます」
快もぺこりと返す。
「おう」
与一はあいかわらずぶっきらぼうだ。
「早速やけど、お前の食料在庫みせてんか」
「へー、こちらです」
そういって、多吉は奥の部屋に二人を案内した。
そこには、籠や木箱が整然と積まれ、それぞれの中には保存食がぎっしりと詰め込まれていた。部屋の中央には粗削りの木の机があり、その上には種類ごとに、丁寧に仕分けされた保存食が一列に並べられていた。
左から、兵糧丸(ゆでた大豆、ゴマ、はちみつ、塩をすりつぶして丸めたもの)、乾飯(炊いた米を乾燥させたもの)、味噌玉(ネギ、干しシイタケ入り)、干し魚、干し肉(鹿・イノシシ)、梅干し、塩
「これらは保存食ですが、永遠にもつというわけではありません」
少し困ったように笑った。
「各五千ずつの注文を受けて、備蓄しているのですが……まあ、大きな戦でもない限り、すぐにはさばけないものばかりでして。おいしい物ではないですから…」
与一は干し肉のひとつを手に取り、鼻先に寄せてにおいを嗅いだ。
「……悪くないな。これ、炙ったらええ香り立つで」
快は隣に並べられた味噌玉に目をとめ、ふと手を止める。
「昨日、寝ながら考えてたんだけどさ――」
「おまえ、寝ながら物考えられるんか。すごいな」
与一は嫌味ではなく、心から感心したようにうなずいた。
「……俺、前の世界ではピザ屋で働いてたんだよ。それで思った。
この時代に、ピザっぽいもん作ったら――売れるんじゃないかって」
「ほう。ぴじゃ、言うたな?」 与一が腕を組み、興味深げに眉を上げた。
「どないなもんか、ちょいと説明してみい」
促されるまま、快は身振りを交えて語り出した。
「小麦粉を練った平たい生地に、トマトのペーストを塗って、その上にオリーブとか肉とか野菜とチーズをのせて、オーブンでこんがり焼く。
外はカリッと、中はもちっと、香ばしい香りが立つんだ」
「ふむ……とまとぺーすと?おりぶ?ちいず?おぶん?」
与一は首をかしげた。
「あー、そこが問題なんだけど……この時代にない食材は、代わりを探すしかない。
でも、ここにある食材、味噌とか山菜とか、干し魚とか――うまく組み合わせれば、けっこう“それっぽい”ものはできると思う」
与一は口元をゆるめ、ぽつりとつぶやいた。
「……おもろいな、それ」
「まず、その“とまとぺえすと”とやらを説明せい」
腕を組んだ与一が、真剣な表情で快に向き直る。
その目には、からかいも疑いもなく、ただひたすらに「理解しよう」とする意志が宿っていた。
快は少しうなずくと、言葉を選びながら、できるかぎり丁寧にピザについて語りはじめた。
食材のこと、生地の作り方、焼き方、そしてトマトソースの役割――
話がひと段落したところで、与一が再び口を開く。
「――で、お前は、この材料で、どないしてその“ぴじゃ”とやらを作ろうっちゅうんや?」
快は机に置かれた乾飯の籠に手を伸ばした。
「この、ご飯が乾いたやつ……これ、砕いて、水でこねて、生地にできないかなって思ってさ」
与一は顎に手を当てて、「……なるほどな」と小さくうなずいたその時。
「すり鉢、持ってきます!」
多吉がきびすを返し、店の奥へと駆け出していった。
三時間ほどの試行錯誤の末、ようやく最初の生地が焼き上がった。
火加減を調整しながら、鍋底に薄く広げた生地は、やや香ばしい焦げ目をまとっている。
快が包丁で小さく切り分け、三人で試食する。
与一が、もぐもぐと口を動かしながらうなずいた。
「……悪ないぞ」
「ですね。歯ごたえもちょうどいいです」
多吉も相づちを打つ。
だが、そんな二人を前に、快は腕を組んだまま、つぶやいた。
「なに言ってんだよ……これじゃ、そこらに出てる屋台と大差ないじゃないか」
一瞬、場に静寂が落ちる。
「おまえ……そんなしっかり者やったか?」
与一が苦笑まじりに言うと、
「うん、しっかりしてはるわ」
多吉が真顔で同意した。
二人が揃って快を褒めているというのに、
快はピザの開発にすっかり夢中で、大した反応も返さなかった。
「トマトソースの代わりを……味噌で作ってみたいんだ」
目の前の材料を見つめながら、快はぽつりとつぶやいた。干しシイタケを細かく刻み、味噌と酒でのばしながら、
「このとろみなら、塗れるか……」と独り言のように呟く。
快の手は止まらない。すり鉢の音、味噌を火にかける音、生地をこねる音だけが、店の奥に静かに響いていた。
「おまえ、ほんまに急に覚醒するなぁ……」
ぽつりと漏れた与一の声は、快には届かない。
その夜、快の“研究”は、とまることなく続いていった。




