第14話:はじまりの火、終わりの影
焼けた香りが、町の空気を変えた。
香ばしい煙が立ちのぼるたび、人々の足が止まり、舌が驚き、笑顔が広がる。それは、ただの食べ物ではなかった。
腹を満たすだけでなく、誰かの心を動かし、希望さえも呼び込んだ。
戦がもたらす不安と、日々の暮らしの苦しさのなかで、
青年の作り出した「焼きたての何か」は、静かに町の風景を変えはじめていた。
*
その日、戦国ピザの量産体制がついに整った。
多吉のもとには新たに三名の使用人が加わり、総勢六名に。
作業は二手に分けられ、半分は裏での調理と焼き、残りは店頭での販売を担当することになった。
中庭には新たに二基の石窯が増設され、まだ空も白まぬ早朝から、次々とピザが火に投じられていた。
熱を帯びた窯口からは、香ばしい煙とともに、立ちのぼる湯気が風に揺れていた。
店頭では、多吉が笑顔で試食用の小さなピザ片を通行人に手渡していた。
「こちら、できたてです!<陣焼き>、まずは一口お試しを!」
試食を受け取った人々が一口かじるたび、驚きの声があがり――
そのまま財布を開いて買い求める者が、あとを絶たなかった。
焼いても焼いても追いつかない。石窯が唸るように火を噴き、焼き手の手元は止まらない。
やがて昼時を迎える頃には、店の外には長蛇の列ができていた。
しかし――
そんな喧騒のすぐ裏手では、快がまるで別の世界にいるかのように、新たなレシピの試作に没頭していた。
新たな挑戦は、“ヤマモモペーストの鹿・イノシシ・ミートピザ”。
塩気の強い干し肉を活かすため、ペーストも生地もあえて味を控えめに。トッピングには、香味野菜として刻んだミョウガ、旨味を補うキノコ類、
そして彩りに山菜をあしらい、ヤマモモの甘酸っぱいペーストでまとめあげた。
焼き上がった一枚を、快は静かにひと口かじり、うなずいた。
「……うん、悪くないな」
その言葉を合図に、与一、多吉、そして裏方の使用人たちが次々に手を伸ばす。
「これはまた……違う味でおいしいですな!」「干し肉と甘酸っぱさが合うなんて……!」
「うちの店の名物、もう一つ増えましたな!」
皆の顔が、驚きと喜びに満ちていた。
快はというと、もう次の味を思い描いているようで、
手元のすり鉢に新しい素材を放り込み始めていた。
快が開発した「褐の陣焼き(味噌ペーストのフィッシュピザ)」と「朱の陣焼き(ヤマモモペーストのミートピザ)」は、その日の昼過ぎには見事完売していた。
作業を終えた者たちは、皆、へとへとになって畳にごろんと寝転がっていた。
だがその表情には、達成感と、言葉にしきれない高揚がにじんでいた。
本来ならば兵糧として細々と売るはずだった食材は、想定の十倍を超える売り上げを叩き出した。
多吉をはじめ、使用人たち六人は整列し、きちんと座り直すと、畳に両手をついて深々と頭を下げた。
「この店を畳んで夜逃げする覚悟でした。それをお救いいただき、本当にありがとうございました」
そして差し出されたのは、ずっしりと重みのある銭袋。
「こちらが、本日の売り上げです」
与一は袋を手に取って、ちらと中をのぞき込む。
「……折半や言うたが、これはちと、多すぎるな」
「はは、こんなに儲かるなんて夢にも思ってませんでしたから……」
「せやけど、約束は約束や。きっちり半分、いただくで」
「ははーっ、ありがとうございます!」
またしても深々と、頭が下がった。
「ところで今夜は――宴など、いかがでしょう?」
その申し出に、与一と快は顔を見合わせ、にんまりと笑った。
その晩、多吉の店では、酒がまわり、笑いが飛び交い、歌と手拍子が夜更けまで響いた。
焼きたての香りに導かれた宴は、誰もが忘れられない一夜となった。
*
その夜、与一は皆が眠る店をするりと抜け出し、夜道を駆けていた。
提灯の灯りがすっかり消えた町を、与一は風のように駆けていた。
空は雲に覆われ、月明かりすらない。
漆黒の夜――その闇に紛れるように走る。
田園を抜け、森を抜け、河原沿いを走り抜ける。
やがて整えられた参道の先に、都の東寄りにそびえる大寺院の山門が姿を現した。
与一は石段を上り、その堂々たる門をくぐる。境内を見回すと、一人の顔見知りの僧の姿があった。
その姿を確かめた瞬間、与一はふっと擬態を解き、静かに本来の姿を現した。
僧は一言も発さず、ただ静かに一礼すると、与一を奥座敷へと案内した。
廊下を一人の僧が、茶を運んで静かに進んでいく。寺に似つかわしくない鎧姿の兵たちが目にしたのは、その僧一人だけ。
与一は擬態したまま夜陰に紛れ、気配を殺してその後に続いた。
やがて僧は襖を静かに開け、中に入る。
座していた客に無言で一礼すると、そのまま部屋を後にした。
外には、香の煙がほのかに漂っている。
鳥の声も風の音も遠く、ただ時間だけが、静かに流れていた。
「おう、戦犯の勾留先としてはなかなかええ部屋におるやないか」
「――あぁ、与一殿か。わざわざ来てくださったのか。かたじけない」
三成は顔を上げて、微笑を浮かべて穏やかに返した。
「ほんで、お前さんはこれで満足したんか?」
そう言いながら与一はどかっと畳に座る。
「太閤殿下との誓いを反故にした古狸どもが幅を利かせるこの世において、私が命を惜しんで生き恥をさらすなど、あの世で殿下に顔向けできませぬ」
「勝ち目のない戦を仕掛けた挙句、お前が負けたせいで振り回される領民の気持ちを考えたことはあるんかい、このボケナスが」
「面目次第もございません。勝機はあると信じて、己の意を通した結果がこの始末……まさしく、あなた様のご忠告通りとなりました。
立場をわきまえてのお願いではありませぬが、私と縁の深い地の民――
おそらくは今後、理不尽な仕打ちを受けることになるかと。
どうか、少しでも目をかけてやってはいただけぬか」
三成は、深々と頭を下げた。
「なんでわしがお前の尻拭いせなあかんのや。えらい迷惑な話やで」
「そこをなんとか……」
再び、深く頭を下げる三成。
与一はため息まじりにぷいっと顔を背け、ぼそりとつぶやく。
「……わかっとるわ、この、どあほうが……」
しばらく沈黙があったのち、与一の声がふっと変わった。
「……ところで、お前の戦場の御旗、どんな紋が入っとった?」
「紋ではありません。文字でした――『大一大万大吉』と」
「ほほう。ほな、お前が“大吉君”か! カカカカカ……!」
与一が、珍しく声をあげて笑った。
「大吉君……?」
「お前を関ヶ原で見たっていう小僧がな。お前のこと“大吉君”て呼んでたわ。よう分からんが、戦場で奮戦するお前を見て、応援しとったらしいで」
「私を……応援。そうか、それは……ありがたいことだ」
三成の声が、ほんの少しだけ、明るくなる。
「外の見張りはしばらくの間、眠らせてある、好きにしろ。ほなな」
与一は、それっきり、すうっと風に紛れて消えた。
声の主は、それきり居なくなった。
――――完―――――




