第九十八話 マンティコア
「タスケテー!」
「マンティコア……何でこんなところに……?」
北條院が口を抑えて絶句する。その横では花園が地面を指差す。
「あれを見てください!」
そこにはこの階層で探索をしていたのであろう一般の探索者達が倒れていた。
「倒れている人数は五人。全員救うにはあれを倒さなきゃいけねぇってことだな。だが、問題はそれが限りなく難しいってことだ」
マンティコア。
富士迷宮28層に出現する魔物だ。
そして……富士迷宮の攻略済み階層は27層である。
学生達が探索する中央迷宮ですら攻略階層が30層を超える中、日本は未だ富士迷宮の28層を攻略出来ずにいた。
それは、このマンティコアがあまりに強く、攻略する探索者のことごとくを葬ってきたからに他ならない。
階層に似合わない程の俊敏性や爪による攻撃力、そして蠍の尾の致死性の猛毒。
さらには、知性も非常に賢く、連携や潜伏からの不意打ちなど、探索者の裏をかこうとする行動もする。
別の迷宮で35層を踏破した迷宮探索チームが富士迷宮28層で僅か半日で壊滅したのは、日本全国に対して大きな衝撃を与えた。
世界最悪の階層トップ10。
十年以上もの間、そのランキングに入り続けているのが富士迷宮28層、偽りの森。
そしてその階層の主こそ目の前にいる人面の獣、マンティコアだった。
「霧隠、周囲にマンティコアは潜伏しているか!?」
六条が忍び装束を着た少女、霧隠に聞く。
「いない……と思う」
「霧隠の探知に引っかからねぇってことか……」
マンティコアは基本的に集団で行動する魔物だ。通常なら3、4体はいるはずだ。
しかし、霧隠曰く、伏兵はおらず、目の前の一体しかマンティコアはいないという。
しかし、残念ながらその情報を鵜呑みにすることはできない。
それはもちろん霧隠が嘘をついているとか誤魔化しているというわけではなく、霧隠のレベルの探知ではマンティコアが引っかからない可能性があるということだ。
「避けろ!」
武蔵の叫び声に全員が咄嗟に反応して回避行動をとる。
狙われたのは北條院だった。
「北條院、下がれ!」
ギリギリで武蔵が間に入り、防御が間に合う。
「タスケテー!オレガヤルー!」
「ぐっ!ぐうぅぅぅう!」
「きゃっ!」
叫びながら振り下ろされた爪の一撃で、巨漢の武蔵が吹き飛ばされ、後ろの北條院と共に地面に転がる。
そこにマンティコアが追撃し、更に爪を振り下ろす。
「忍法・変わり身!」
霧隠のスキルが発動し、振り下ろされたマンティコアの爪の先の武蔵達が丸太に変わる。
「死ねぇ!」
そこに金剛が飛び出して行き、果敢にマンティコアに斬りかかる。
「シネェ!オレガヤル!」
しかしマンティコアは金剛の剣を軽く避け、蠍の尾を振り回す。
「グホッ!」
腹に蠍の尾を直撃した金剛は吐瀉物を吐き出しながら木に激突する。
「ぐっ、クソが……。一瞬意識が飛んだぜ」
金剛は腹をさすりながら立ち上がる。
その横では、霧隠の足元にいつのまにか移動した武蔵と北條院が転がっていた。
「助かった、霧隠」
「あ、ありがとう」
「感謝はいい。早く立って」
霧隠にしては珍しく額に汗を滲ませる。武蔵はすぐさま立ち上がり、六条に命令する。
「六条!エマージェンシーだ!発煙筒も炊け!」
「わかってるぜ、旦那!エマージェンシーはもうした!発煙筒も……おら!」
命令された六条はすでに発煙筒を手に持っており、ピンを外していた。
シューという空気が漏れる様な音と共に真っ赤な煙が立ち昇る。
六条はそれをマンティコアに投げ付ける。
マンティコアは、初めて見たであろう発煙筒を警戒して大きく避ける。
これで少しではあるが距離を取れた。
「花園!」
「はい!更に強力なバフをかけます!」
そう言って錫杖を振り、バフをまく。
Aパーティーの全員に強力なバフがかかる。普段であればまるで数レベルが上がったかの様な全能感を感じるのだが、今ここに至ってはそんな気分には全く浸れなかった。
何せ、ステータスが更に向上したのにも関わらず、目の前のマンティコアには勝てる気が全くしないのだから。
「旦那、どうする?どうやって逃げる?」
「俺達が逃げればあそこで倒れている探索者達を見捨てることになる。倒すしかあるまい」
「おいおい、冗談はやめてくれ、旦那。ありゃ無理だ!俺らでどうにか出来る相手じゃない!」
「それでも戦うんだ!彼らを犠牲には出来ん!」
「あり得ねぇ……俺は抜けさせてもらう!」
「あっ!おい、六条!」
地面に煙玉を投げると同時に背中を見せて逃げ出した六条を武蔵が目で追う。
その隙をマンティコアは見逃さなかった。
「ニゲロー!オレハヌケサセテモラウ!」
「なっ、まずい!」
武蔵は飛び掛かってきたマンティコアにタワーシールドを構えるが、直感的に防げないことを悟る。
「ウォールディフェンス!」
自身の防御力を大幅に上げるスキル。そこにマンティコアの爪が振り下ろされる。
激しい音と共にタワーシールドが軋む。
しかし、今度は吹き飛ばされることなく耐える。だが、武蔵の視界の端っこから何かが飛んでくるのが見える。
「おらっ!」
金剛がマンティコアに接近して、その蠍の尾に一撃を入れる。
「ゲハァッ!」
マンティコアは呻き声の様なものを上げながら吹っ飛ばされる。
「カスが。剣王スキル付きの俺の攻撃力で尻尾も切れねぇのかよ」
不意打ちで一撃を入れたのにも関わらず、吹き飛ばされたマンティコアの尻尾は多少の凹みはあるものの、切れてすらいなかった。その傷は、人間で言えば青あざが出来た程度のダメージだろう。
金剛も悪態を吐きながらも、その事実に内心焦る。
「助かった、金剛」
「いらねぇよ。んな事よりタンクがあっさりやられてんじゃねぇ」
「すまん」
「逃げてぇ奴は逃げろ!俺は一人でもこいつを殺す!」
金剛が剣を油断なくマンティコアに構えながら叫ぶ。
「ニゲテェヤツハニゲロ!オレハヒトリデモコイツヲコロス!ニゲロー!」
半笑いの人間の顔を歪ませながらマンティコアは叫び続けている。
意味は分かっていないだろうが、とにかく気味が悪い。その不気味さで相手の士気を下げる事も含まれているのだろう。
「先程も言っただろう。逃げるわけにはいかん。こいつはここで殺す」
「同感です。こんな所で逃げ出してはあのお方の横に立つなど夢のまた夢ですから」
「殺る」
金剛の言葉に三人は武器を構えて気合を入れ直す。
「んで、北條院テメェはどうなんだ!?」
金剛は未だ武器を持てず、地面に座り込んだままの北條院に怒鳴る。
「わ、私は……」
北條院は震えたまま立てなくなっていた。その様子を見た金剛は北條院は戦えないと判断した。
「無理ならさっさと逃げろ!足手まといだ!」
金剛がそう叫ぶが、北條院は動かない。
普段であれば怒鳴は返す北條院だが、人生で初めての格上の敵に対して、これまで感じたことのない恐怖を感じていた。
迷宮探索は命懸けだ。大なり小なり全ての探索者は命をかけて迷宮に潜っている。
だが、必要以上に厳しく設定された安全マージンによって死と隣合わせの探索をしたことのある学生など殆どいなかった。
北條院もこの半年間、迷宮に潜り続けてきたが、安全マージンを下回る階層で探索したことは一度もない。
それはつまり格上との戦闘の経験が一度もないということだ。
人生で初めての格上との戦闘。全滅する可能性すらある危険な戦闘に震えて動けない北條院も、逃げ出した六条も攻めることは出来ないだろう。
「チッ!花園!デバフ掛けまくれ!」
「はい!」
この手の近接に強い魔物に対して魔法使いがいないのはきつい。花園はバッファーであり、相手にダメージを与えられる様な攻撃魔法は使えない。
しかし、やるしかない。
「こんな所で逃げられっかよ!」
そう叫び、果敢にマンティコアに立ち向かっていく。
それに呼応する様に花園がデバフや目眩しなどの魔法をかけ続け、霧隠が毒や薬を使ってマンティコアの動きを鈍らせる。
武蔵も油断なくマンティコアに攻撃を加えて、的を金剛のみに絞らせない動きで手助けをする。
(こやつ、何故こんな状況でもこんなに動ける?)
武蔵はマンティコアとの命懸けの戦闘の中、盾も持たずにマンティコアの攻撃を避けたり弾いたりして果敢に挑む金剛に驚く。
この中で最も命が危険な可能性があるのが金剛だ。
バッファーの花園は常に後方で支援し、同じくサポートメインの霧隠もマンティコアにはあまり近付かない。
故にマンティコアのすぐそばで戦うのは近接メインの火力である金剛と武蔵だが、タワーシールド持ちで防御系のスキルを持つタンク系の戦士である武蔵と違い、金剛の防御力は同レベル、同覚醒度の戦士よりも若干低く、盾もない。
さらには先ほどの一撃もあり、回復薬で治しはしたが、完治はしていない。
若干の痛みがまだお腹の中でジクジクと渦巻いている。
それでも金剛は、命懸けの恐怖と緊張の中でも震えることなく戦えていた。
何故なら、金剛は彼らの中で唯一圧倒的な格上との戦闘経験があり、魔物以上に恐ろしいものを間近で見た経験があるからだ。
今、目の前にいるマンティコアの表情は笑顔に歪んでいる。
人間の顔だからこそ、他の魔物以上に内側の感情が面に出やすいのだろう。
金剛達を見て、四体一でも自分の勝ちは揺るがないという、賢く、それでいて強い者特有の余裕がその表情からは見え隠れしている。
その感情は金剛にとって理解できるものだった。理解できるから共感も出来る。
理解出来ない意味不明な存在に殺されかけた経験からすれば、この戦いは理解できる戦いだ。
その事実が金剛の恐怖を打ち消していた。
それでも絶望的なステータス差が埋まるわけではない。ギリギリの綱渡りの様な戦闘であることは変わらない。
「タスケテー!」
マンティコアがそう叫びながら花園に突進をする。だが、花園のスキルには防御系の魔法も存在する。
「マジックウォール!」
そう叫び、花園とマンティコアの間に透明な壁が出来る。
「シネェ!オレガヤルー!」
魔法の壁に突進すると、バキンという音と共に魔法の壁に大きなヒビが入る。
花園マジックウォールはかなり強固だが、それでも圧倒的に格上の魔物の攻撃を耐えるのは一度が限度の様だ。
そのひび割れの大きさから、次の突進で割れてしまうことは一目瞭然だった。
「忍法・影縫」
突進で足が止まったマンティコアに対して霧隠がスキルを使う。
忍法・影縫は自身の影を伸ばして相手の影を繋げることで相手の足を止めるスキルだ。
「今だ!かかれ!」
「死ねオラァ!」
一瞬の硬直を逃すことなく金剛と武蔵が追い打ちにかかる。
だが、彼らの頭から一つ、抜けていたことがあった。
それは魔物も魔法を扱うということ。
背後から迫る二人に対して振り返ったマンティコアは、その人間の様な表情を歪めて言った。
「ヘルサンダー」




