第九十一話 混浴
扉を開けた先には小さな部屋があり、張り紙がしてあった。
※ここから先は混浴になります。ご了承の上、入湯ください。
「ああ、この先は混浴なのか」
立ち入り禁止とか貸切とかじゃないなら関係ない。俺は気にせず扉を開ける。
扉を開けると、反対側にここと同じ扉があり、大きく赤い布で女湯と張られている。
扉から出て振り返ると、こちら側には大きな青い布で男湯とでかでかと張られている。
なるほど。やはりここは混浴のようだ。
そんなことよりも、景色を眺めながら温泉に入りたい。
そう思って温泉に近づいていくと、湯煙に隠れた二つの影があった。どうやら先客がいたらしい。
俺は少し距離をとって風呂に入ろうとする。
しかし、先客が声をかけてくる。
「ワ、ワン君!?」
「ん?ああ星空達か。この風呂、景色最高だよなぁ。よっこいしょ」
星空は顔を赤くして体を隠すようにして怒鳴るが、俺は気にせず二人から少し離れた所で露天風呂に入る。
「うぃー……」
綺麗な景色を見ながら入る風呂はまた格別だ。
温泉は白い濁り湯なのが少し残念だ。富士山が水面に反射する光景も見たかったのに。
「ちょ、ちょっとワン君!普通に入ってこないでよ!」
「は?混浴なんだから普通に入るだろ」
顔を真っ赤にした星空がそう叫んでくるが、混浴なんだから男も入湯可能な温泉だ。
別に悪いことしてるわけじゃないんだから普通に入るだろ。
「もう!」
星空が顔を赤くして膨れている。
その横では澄ました顔の如月が話しかけてくる。
「あんた、相変わらず平然とした顔してるわね」
「どういう事だ?風呂に入ってるだけなんだから当たり前だろ」
「そうじゃなくて……はぁ、もういいわ」
「もう……」
「?」
何故か二人がため息をついて、星空は頬を膨らませている。
よく分からないが納得したのならいい。というか俺は何も悪いことはしていないしな。
そう思って温泉に入って景色を眺めてチルしていると、星空が口まで温泉に顔を沈めながら近づいて来ていた。
そして俺の前まで来ると、俺の顔をじっと見つめ始める。
「何だ?」
「ブクブクブクブク」
「いや、魚じゃないから分からないけど」
そう言うと、星空は湯の中から顔を出して小さく呟く。
「もうちょっと顔を赤くするとか、こっち気にするとかあってもいいじゃん……」
「は?」
何でだよ。いつも顔合わせてるのに今更あえて見ることとかないだろ。
そう思っていると、横からザバンという水が勢いよく落ちる音がする。
そちらを見ると、腕に長い白いタオルをかけて、前を隠した如月がこちらに歩いてくる。
俺はそれを訝しげに見ながらも視線を前の絶景に戻す。
「あんた、少しは顔を赤くするとか、眺めるとかしなさいよ」
「何だ?見て欲しいのか?」
「見て欲しい……」
「あ?」
何言ってんだと思って、俺は如月を再度見る。
真っ白な細く白い太ももに細い腰。シミ一つない細い身体には不釣り合いな胸を片手とタオルで隠している。
そこからさらに顔を上げる。
「って言ったらどうすんのよ」
視線を上げ、如月の顔を見ると、如月が呆れた目でこちらを見下ろしていた。
「どうもしない。見て欲しいなら見てやるが?」
「いらないわよ」
そう言うと、俺の横に座ってくる。星空も如月の反対方向の縁に背中を預ける。
この温泉、三十人は余裕で入れるくらいの大きさがある。
しかも、俺は二人から少し離れた場所に入ったのに何で二人とも近寄ってくるのか。狭いんだけど。
「何で俺の横にくる?」
「ちょっと話したいことがあるからよ。別にいいでしょ」
「話したいこと?」
何だろうか。もしかして明日の予定とかだろうか。それなら別にラインで聞いてくれればいいだけなんだけど。
「むー、ふーちゃん、ワン君に身体見せつけるの反則ー」
「別に見せつけてなんてないわよ」
「でも、ふーちゃん、全然隠してないし……」
「仕事柄見られ慣れてるし、こんな下心ない視線で見られても何とも思わないわね」
「下心のある視線で見られたかったのか?」
「それはそれで気持ち悪いわね」
「どっちだよ」
俺は呆れて前を向き直す。
下心のある視線で見られたかったとか言われても困るけどな。
「それで……話したい事って何だ?」
「そうね。話したい事は色々あるけど、まずはお弁当、どうかしら?満足してる?」
「ああ、大満足だ」
「梅干しが嫌いって聞いてたから抜いてるけど他に嫌いなものとかあるかしら?」
「ないな。今までのお弁当は全部美味かった」
「そう。それはよかったわ」
これが如月の知りたい事だったのだろうか。お弁当は美味しかったとちゃんと伝えるようにしていた。
何故また聞くのか。
すると、胸にタオルを巻いた星空が手を上げる。
「はいはーい!私からもしつもーん!ワン君は好きな女の子とかいたことある?」
「ないけど。何でそんな質問するんだ?」
「別にー。へーないんだー、ふーん」
俺が答えると、何故か星空は嬉しそうに笑顔になる。なんでそんな嬉しそうなんだ。
「じゃあ次の質問だけど……」
そんな感じで迷宮とは関係のない質問をされた。
特に隠すような質問はされなかったので素直に答えたが、俺のことなんてそんなに知りたいだろうか。
しかし、二人はうんうんとかへーとか相槌をうちながら楽しそうに聞いている。
聞いても面白くないだろうに。
それから二十分前後話した所で、二人が立ち上がる。
星空はタオルを体に巻いており、如月もタオルを体に巻いている。
いつの間に巻いたのだろうか。しかし水に濡れているから肌が少し透けている。
「それじゃ、私達は先に上がるわね」
「ああ」
「じゃあまた後でねー」
「あ?」
また後で?また来るの?
俺は思わず振り返るが、星空達は俺に手を振って女風呂に帰って行く。
まさか部屋に来るつもりなのだろうか。今散々話したんだから聞くことなんてないだろうに。
しかし二人はもう行ってしまった。
仕方ない、俺も上がるか。
そう思って風呂から立ち上がり男湯に帰ろうとすると、男湯の扉が開けられ、扉から男子生徒達が出てくる。
「おお!……って翔か……」
「何だ、坂田達か。やっぱり絶景見ながらの温泉は最高だよな」
「え、あ、ああ!そ、そう、だな!絶景見たくて来たんだ!そうだよな、橋下!なっ!?」
「お、おう!そうそう!絶景見たかったんだけどなー!はっはっはっ!」
絶景が見たかった……?
今見てるだろ。
何故か顔を赤くして目を泳がせ口笛を吹き出した坂田達を見て、訝しげに思いながらも俺は男湯に戻ろうとする。
「しょ、翔!」
「何だ?」
「こ、ここに入ってたのって翔が最初か?」
「いや?星空と如月がいたぞ」
「えっ!」
「ま、まじかよ!いつ!?」
「今さっきまでいたぞ。じゃあな」
「あっ!ちょ!詳しく教えてくれ!!」
何をだよ。
興奮し出した坂田達をおいて、俺は男湯へと戻っていった。
体を軽く流して着替えて部屋に戻る。
「ふー。長湯しちまったー」
敷かれた布団に倒れ込み、綺麗な木目調の天井を眺める。
瞼がだんだん下がっていき、眠りそうになるが、まだ晩御飯が待っている。
晩御飯は、食堂で自分の好きなメニューを選択するシステムだが、追加でお金を払えば部屋まで持って来てもらえるようだ。
「うーん、食堂よりもこの景色見ながらご飯食べたいな。部屋まで届けてもらうか」
俺は電話で連絡してメニューと部屋名を伝える。
メニューを伝えると電話越しに不可解なことを聞かれる。
『全て同じ時間にお持ちしてもよろしいでしょうか?』
全て同じ時間にお持ちするって何だ。もしかしてコース料理みたいに一品一品持ってくる、みたいなことも選べるのだろうか。
そんな手間、流石にかけられないだろ。
それに、和食は机に広々と様々なおかずが広げられ、好きなタイミングで色々つまみながら食べるのが魅力の一つだ。
全部一気に持って来ていいに決まってる。
「はい、大丈夫です」
『畏まりました。では、少々お時間いただきます』
「はい。よろしくお願いします」
俺は了承して電話を切る。
変なこと聞くなー、などと思いながら和風旅館の謎スペースこと広縁で椅子に座り景色を楽しみながら飲み物を飲んでいると、部屋の扉がノックされる。
「はいはい!」
もう晩御飯が来たか。一番いいのを頼んだし、品数も多いからもっと時間がかかると思っていたが、結構早い。
俺は急いで扉を開けると、そこには部屋着を着た星空と如月が立っていた。
「やっほー!また来たよ!」
「星空……何回顔合わせる気だよ」
「いいじゃんいいじゃん、何回でも!」
今回の二人は手ぶらだ。来るならせめて何か持って来てくれ。
そう思いながら二人を中に入れる。
「お邪魔するわ」
「ふふふ、ワン君、今日は私達を追い出さないんだ?」
「は?ああ……」
そういえば普通に中に入れたな。あんまり考えてなかった。
「聞いてくるってことは追い出した方がいいか?」
「嫌に決まってるじゃん!ほらほら座ろ!」
そう言って二人はせっせと机の横の座布団に座ってしまう。
「しょうがねぇなぁ」
頭をかきながら、俺も先程と同じポジションに座る。
その後何故か俺の部屋に三人分の晩御飯が届いた。用意周到だね、君達。




