第百四十二話 小鳥遊翔後編
翌日、登校した俺に待っていたのは、クラスメイト達からの冷ややかな視線だった。
何も言ってきたりはしないが、その視線はありありと俺を軽蔑しているのが目に見えた。
そして、当の神谷は席にいなかった。いつも俺がくるよりも早く席に着いていたから、それを訝しげに思いながら自分の席に座る。
キーンコーンカーンコーン。
朝礼の時間。
神谷は現れなかった。
神谷の代わりに教室に入ってきたのはこのクラスの担任教師上野先生だ。
普段にこやかな上野先生は、いつもと違う神妙な顔つきで教室に入ってくると、出席簿を机の上に置き、教室を見渡すとこう言った。
「先ほど神谷のお母さんから電話があり、神谷はしばらく学校にきたくないと言っているそうだ。どうも2日前から様子がおかしかったようだが、昨日は特におかしかったらしい。神谷のお母さんから学校で何かあったんじゃないかと聞かれている。何か知っている生徒がいたら正直に教えてくれ」
上野先生がそう言うと、鈴本が手を上げながら立ち上がり大きい声で言い放った。
「先生! 小鳥遊君が神谷君をいじめてましたー!」
「何? 小鳥遊、それは本当か?」
鈴本の発言に眉を顰めた上野先生が俺を鋭い視線で射抜く。
俺も立ち上がって弁明する。
「虐めてなんてないよ! 普通に将棋をしてだだけだよ!」
「でも神谷君には将棋の才能がないから諦めた方がいいって言ってましたー!」
「僕も聞いたー!」
「私も聞きました!」
「小鳥遊君が神谷君に酷いこと言ってました!」
「静かに! 皆静かに! ……小鳥遊、彼らの言っていることは本当か?」
「はい、言いました」
「言ったのか……」
俺が正直にそう言うと、上野先生は苦悩の表情を浮かべ、目頭を抑える。それを見て、クラスメイト達がまた騒ぎ始める。
「小鳥遊君は神谷君に謝るべきだと思いまーす!」
「そうだそうだ! 神谷が可哀想だろ!」
「そうだよ! 将棋頑張ってたのにそんなこと言われたら傷つくだろ!」
「あーやまれ! あーやまれ!」
クラスメイト達の声は次第に大きくなり、俺以外の全員が俺に謝罪をさせようとする大合唱へとなっていた。
神谷が可哀想? 何故?
三ヶ月頑張って神谷に将棋で勝ったらズルしたもの呼ばわりをされ。
ズルなんてしていないと正直に言ったら嘘つき呼ばわりをされ。
最後に訳も分からず突き飛ばされた。
誰がどう見たって可哀想なのは俺だ。
しかし、クラスメイトで俺に同情してくれるものなど一人もいなかった。それどころか俺に理不尽な謝罪まで要求してくる。
生徒達だけではない。上野先生までもだ。
「小鳥遊、神谷に謝れるか?」
「何故ですか? 僕は何も悪いことは言ってません。嘘をついたわけでも神谷君を貶したわけでもないです。事実をそのまま言っただけですよ」
「それでもだ。神谷が傷ついて学校に来たくないと言っている。その原因は小鳥遊、お前が酷いことを神谷に言ったからだ」
「酷い? 将棋を始めて三ヶ月の僕に負ける神谷君には明らかに将棋の才能がないですよ。早めに諦めて別のことをした方がいいじゃないですか」
「小鳥遊……それを決めるのはお前じゃない。神谷だ」
「僕はアドバイスしただけですよ。命令なんてしていないです」
「それでもだ、小鳥遊、謝りなさい」
「嫌です」
「小鳥遊」
「嫌です!」
拒絶する俺と上野先生との間でにらみ合いが続く。
しばらくして、上野先生が深いため息を吐き、首を横に振る。
「はあ……、小鳥遊、今回のことは保護者の方に連絡させてもらうぞ。いいな?」
「はい。大丈夫です」
脅すように言ってきた上野先生に俺は頷く。あの父親が俺に何を言ってくるのか興味があった。
そして放課後、家に帰った俺は、暗い廊下を進み、電気もつけない中で座布団を枕にして寝っ転がってテレビを見ていた父さんに声をかける。
「ただいま」
「ああ……」
「……」
父さんは何も言わない。俺も何も言わず、静かにテレビを見る。
15分ほど、番組を静かに見て、番組がCMに入ったとき、何も言わなかった父さんが静かに口を開いた。
「翔……学校から連絡来た」
「うん」
「……友達に才能がないって言ったらしいな」
「うん」
「……そうか」
それだけ言うと、父さんはまた静かになる。それからまた番組が始まり、15分後のCMで父さんがまた口を開いた。
「翔……」
「何?」
「人は……好きか?」
「え、うん。僕にはよく分からない考えをしてるから。面白いな、知りたいなって思うよ」
「そうか……」
それだけ言って父さんはまた静かになる……と思っていた。しかし、父さんは続けてこう言った。
「翔」
「何?」
「もう他人に興味なんて持つな」
「え、何で?」
俺は驚きの声を上げる。
他人に興味を持つなと言われたことにも驚いたし、父さんが俺に何か命令してくることにも驚いた。
いつも放任主義で、俺のやる事には一切口出しをしてこなかったのにもかかわらず、はっきりと辞めるように言われたのは初めてだったからだ。
驚愕に目を見開く俺を、父さんはちらりとも見ることはない。
だが、ただ静かにぼやくように言った。
「翔、お前は誰の気持ちも理解できない」
「え……?」
「誰もお前の気持ちを理解できない。今後ずっとだ」
俺は絶句して固まり、動けない。
父さんはそこで初めてテレビから視線を外して振り返る。
「翔……お前はこれからずっと自分のためだけに生きろ」
「え……何で? 嫌だよ」
「人とふれあってもお前にはそいつの気持ちなんて理解できない。お前も相手も傷つけるだけだ。これからずっとな」
「……」
「神谷君……だったか。彼が何故傷ついたのか、お前には理解できないだろう? お前はそうやってこれからずっと人を傷つける気か?」
「……」
俺は何も言えなかった。クラスメイト達は何故神谷が傷ついているのか分かっているようだった。担当の上野先生もだ。
だが、俺には分からない。俺だけが分からない。
沈んだ表情をする俺を、空虚な瞳で見つめた父さんは続けて言った。
「だからお前は他人に興味なんて持つな。自分のためだけに生きろ」
「……」
俺は頷かなかった。だが、それから小学校を卒業するまでの間、誰にも自分から話しかけることはなかった。
一年半後ーー。
小学校の卒業式。
泣いている生徒や小学校の思い出を語り合うクラスメイト達がいる中、俺は誰よりも早く教室を出て、家に帰ろうとする。
「小鳥遊!」
背後から名前を呼ばれ、俺はゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、メガネの奥の目の下にはうっすらとクマがあるやつれたように細い身体はした少年だった。
「何だ? 俺に何かようか?」
「小鳥遊! 僕と将棋で勝負しろ!」
「は?」
意味が分からず聞き返す俺に、その少年は脇に抱えた将棋盤と駒を突き出してくる。
その将棋盤は所々擦り切れており、マス目も所々消えている。相当使いこんだものだろう。
少年はさらに俺に近づいていて、狂気すら感じる瞳で俺を睨みつけてきた。
「僕はあれからずっと将棋を指してきた! 君に絶対に勝つために! 君に勝って僕はプロになる! だから僕と勝負しろ!」
少年はそう怒鳴り、鬼気迫る勢いで迫り来る。
そして、俺との距離が一メートルに近づいたその時。
ガシャーン!!
俺に叩き落とされた将棋盤と駒が校庭の砂の上に落ちる。
「な、何するんだ……」
怒りで顔を赤くし、俺をにらみつけてくるその男に俺は平坦な口調で言った。
「邪魔だよ。というか誰だよ、お前」
「なっ……!?」
驚愕に顔を染め、固まるその少年の横を通って俺は家路につく。
その時、背後から静かな校庭に響き渡るような大声が聞こえてきた。
「僕は! 僕は自分の夢を諦めない! 小鳥遊! 君になんて言われようと将棋のプロになってやる!」
「……」
俺はその言葉に振り替えることなく歩き出す。
だが、踏み出そうとした一歩目が少しずれる。
「……」
だが、俺は二歩目をしっかりと踏みしめて、そのまま振り返ることなくその場を去った。
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以上、小鳥遊翔の過去編でした。
余談ですが、一人でいることを決めた小鳥遊はこの話以降、神谷の性格を模倣しています。小鳥遊に話しかけられるまで教室でいつも一人で将棋を指し、誰に話しかけられるでもなく、誰にも興味を持たれない神谷を小鳥遊は参考しました。




