第百四十一話 小鳥遊翔中編
翌日から俺の学校生活は一変した。
どうやったら神谷にずるをしていないことを分かってもらえるのだろうか。
そんなことを考えながら学校に登校し、教室の扉を開けると、第一声にこんなことを言われた。
「嘘つき小鳥遊が来たぞー!」
「小鳥遊の嘘つき―!」
「ずるしてまで勝ちたかったんですかー⁉ はははははは!」
「僕はずるなんてしてない!」
笑いながら嘘つき呼ばわりをする彼らに対して、俺はただ叫ぶ。しかし、彼らは笑うだけで俺の言葉を信じようとしない。
何を言っても彼らに通じないと思った俺は、教室の隅で一人で詰碁の本を読んでいる神谷に詰め寄る。
「神谷君も彼らに言ってよ! 僕は嘘もずるもしてないって! 神谷君に勝ったのは実力だって!」
俺がそう必死に訴える。ただただ神谷に本当のことを言ってほしかった。自分が嘘をついていないと証明したかった。
「そんなわけないじゃん!」
神谷は顔を真っ赤にしてそう叫んで立ち上がった。
「じゃあ今日の放課後、また勝負しようよ! それでまた僕が勝つから!」
「ああいいよ! やってやるよ! ずるするような奴には絶対に負けないから!」
神谷が叫び、周りがはやし立てる。
「いいぞ! 神谷頑張れ!」
「大会優勝者の実力を小鳥遊に見せつけてやれ!」
「ずるするような奴、神谷なら瞬殺でしょ!」
クラスメイト達は神谷に味方した。
しかし、俺にはそんなことはどうでもよかった。
これで俺の無罪が証明できる。これで俺は嘘をついていない、ずるをしていないと証明できる。
そのことで頭がいっぱいだった。
そして放課後……。
クラスメイト達が見守る中、俺達は将棋盤を前に向かいあった。
「よろしくお願いします」
俺が神谷に教えられた通り、頭を下げて挨拶をするが、神谷はかつてないほど鋭く、まるで親の仇でも見るように俺を睨みつけたまま黙っていた。
もはや挨拶なんてどうでもいいということなのだろう。
先攻は俺。
歩を前に出す。
すると、神谷は飛車を動かし始めた。
将棋には大きく分けて二通りの戦術があり、飛車を横に動かす「振り飛車」と、最初の位置から動かさない「居飛車」がある。
神谷は「居飛車」を使うことが多かった。
しかし、「振り飛車」を使われたことも何度もある。
俺は慌てることなく、さらに歩を動かす。
次に神谷が動かしたのは玉だった。
その瞬間、俺は神谷の戦術に気づく。
「美濃囲い」と呼ばれる玉を固く守りながら飛車や角といった強駒を自由に戦わせる戦術だ。
神谷がその戦術をとることはほとんどなかった。
まさか隠し玉だったのだろうか。
だが俺が焦ることはない。ただただ冷静沈着に駒を進めていく。
パチ……パチ……パチ……パチ……。
クラスメイト達が固唾を飲み込んで見守る中、俺と神谷は将棋を指していく。
神谷は角側に配置した強駒を使って俺の陣地を攻め崩し、俺はそれを逆手に美濃囲いの弱点を突く。
パチ……パチ…………パチ……パチ………………パチ……パチ……………………。
一定の間隔で駒を指す俺と違って、神谷の駒を指す手はだんだん遅れていく。
はっきり言って弱い。
神谷が美濃囲いを使ってるところはほとんど見なかったため、もしかしたら昨日神谷が叫んだ通りここぞとばかりの時に使う奥の手なのかと思った。
しかし、神谷は既に角を俺に取られており、飛車もほとんど機能していない状態だった。
これならいつもの神谷のほうが強い。
俺はどんどん駒を進めていき、神谷の守りを崩していく。
そして……。
「「……」」
神谷の手も止まり、俺も盤面を覗き込む。
(こうこうこうで……こっちもだめでこっちも……よし勝った!)
神谷の盤面は詰んでいた。後は俺が読み違えることなく駒を動かすだけ。
それで勝てる。
そう思った時だった。
「くそおぉぉーーーーーー!!!!」
神谷が突然そう叫び、将棋盤を腕で弾き飛ばした。
「うおっ!」
「きゃあー! 何!?」
周りで俺達の様子を見ていたクラスメイト達が驚きの声と共に避ける。
一方で神谷はそんなクラスメイトたちを気にかける事なく叫び続けた。
「クソッ! クソッ! クソッッッッ! 何でだ!? 僕にはこれしかないのに! これだけ頑張ってきたのに!? 何で始めて三ヶ月の人間に負けるんだよ!」
「「……」」
神谷は顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、机をバンバンと拳で叩き、喚き散らす。
周りのクラスメイトたちは何も言わない。神谷の迫力に何も言えないでいた。しかし、この場にいる皆んなにも答えはわかっているだろう。
今まで努力してきた人間が、たかだか三ヶ月しか努力していない人間に負けた理由を。
「神谷君には将棋の才能がなかったんだよ。だから早く諦めて別のこと頑張った方がいいよ」
純粋なアドバイスのつもりだった。向いていないことを続けるより、別の自分に向いていることを探した方がいい。趣味ならともかく仕事として、プロになるつもりなら尚更だ。
昨日、今日の神谷の行動は全く理解できなかったが、それでも俺にとって三ヶ月の間毎日のように将棋を指し、そして将棋を教えてくれた神谷は友達だと俺は思っていた。
だから、純粋な親切心でそう言った。
だがしかし、神谷には俺の親切心は届かなかった。
俯いて泣き叫んでいた神谷はゆっくりと顔を上げる。
「……」
その表情は絶望していた。俺でも分かるくらいはっきりと絶望だとわかる表情をしていた。
「うっ……うっ……」
そして、神谷はうめく様に泣くと、俺達に背を向けて歩き出した。
「か、神谷君! バッグは?」
俺が慌ててそう声をかけるが、神谷は振り返ることなく重い足取りで教室を出て行った。
神谷は一体どうしたんだろうか。何故あんなに絶望した表情をしたのだろうか。俺が何か悪いことを言っただろうか。
何も分からない。もう少しで神谷の気持ちが分かりそうだったのに。また遠くなってしまった。
神谷のバッグを持ち、立ち竦んでいると、誰かにバンと突き飛ばされる。
「痛っ! えっ、何……?」
驚いた俺が顔を上げると、そこには俺を軽蔑した様な表情で睨みつけるクラスメイトの鈴本がいた。
「小鳥遊……」
「え?」
「お前、酷すぎだろ、いくら何でも神谷が可哀想だ」
「は?」
可哀想? 何が?
しかし、俺が聞き返す前に鈴本はひったくる様に俺の手から神谷のバッグを奪うと、俺を軽く一瞥して神谷の跡を追って走り去ってしまった。




