第百三十九話 脅威の外
ワン君と離れて1時間近くが経った。
私達は下の階層から少しでも離れられるようにかなり速いペースで上層に向かっていた。
現在は中央迷宮の23層にまで上がってきている。スタンピードの影響で、ここまでの間に一切の魔物を見ることはなかった。
「はあ……はあ……」
13レべの私ですら、1時間も走ると呼吸が少し荒くなる。横を走るふーちゃんも額に汗をにじませている。だが、それ以上に5レべ前後で全力で走り続けている他の生徒達の疲労は私とは比べ物にならないだろう。
1秒でも早く1層でも高く上に行かなければならない。
しかし、それもそろそろ限界だった。
「キャッ!」
一人の女子生徒の足がもつれ、派手に転倒してしまう。
「だ、大丈夫!?」
後ろを走っていた私とふーちゃんがすぐさま近寄り、声をかける。
「怪我してない?」
「……」
だが、女子生徒は荒い息を吐くだけで何も言わない。疲労が限界に達しているのだろう。
私は持ってきたバッグから飲み物を取り出し、その女子生徒の口元に持っていく。
「これ、飲んで」
「ゆっくりね」
すると、女子生徒は口の端から水滴を垂らしながらゆっくりと嚥下し始める。
よかった。まだ意識はあるみたいだ。
「大丈夫? まだ走れる?」
そう聞くと、女子生徒は自ら口を離し、ゆっくりと首を横に振る。前を見ると、他の生徒達も荒い息を吐いて座り込んでいた。
彼らの様子を見る限り、とてもこれ以上走れそうにない。
その様子を見た金剛が、前から戻ってきて彼らに怒鳴りつける。
「てめーら情けねぇぞ! 死にてぇのか!」
「ちょっとやめなさいよ。レベルが違うんだからしょうがないでしょ」
金剛に怒鳴られても、彼らは俯いたり倒れこんだまま動かなかった。
少しでもスタンピードの魔物から離れようと全力で走ってきたことが裏目に出た。
この様子ではしばらくは歩くことすらできないだろう。
「ふーちゃん、なーちゃん。バッグから食べ物と飲み物出して配ろう」
「そうね」
「……って言ってもそんな持ってきてないけど」
私の言葉に2人も頷き、バッグから食べ物と飲み物を取り出し始める。
私達はもともと迷宮に潜るつもりだけあって、一応ちゃんと飲食物は持ってきていた。
しかし、とてもこの人数が満足できる量ではない。
私達は取り出した軽食やお菓子を私達も含めて24人分に分け、配って回る。
「はい。ゆっくり食べてね」
「ああ……ありがとう」
「飲み物はこれだけでごめんね」
「いや……助かる……」
持ってきたものを配り終えた私は、彼らから離れ、24層への階段の方を見る。
そちらからは30層で感じた圧は一切感じなかった。
「ワン君……」
ワン君は今でも、30層で命をかけて戦っているのだろう。スタンピードの魔物はその階層の人間を皆殺しにしながら上層へと上がっていく。
下層ですらあり得ないほどの索敵能力をもち、冒険者たちのあらゆるハイドスキルを完全に無効化するため、隠れてやり過ごすのは不可能。
出現した魔物が上に上がってくる気配がないということは、今でもワン君はスタンピードの魔物相手に戦っているということだ。
私は両手を固く合わせ、祈る。
すると、背後から思いっきり抱きしめられる。
「恵!」
「きゃっ! ふーちゃん、びっくりしたー!」
「恵、そんな不安そうな顔しない! あいつなら絶対大丈夫だから!」
「……分かってる。私も信じてる。ワン君は大丈夫だって」
「ならいいけど! 今頃はもうスタンピードの魔物なんてほとんど終わらせてるんじゃない? それでのんきに割に合わないなんてぼやいてるわよ」
「あはは。ワン君なら言いそう。スタンピードの魔物は魔石を落とさないから……」
ふーちゃんにそう言われると、そんなことを言っているワン君の姿が目に浮かんでくる。そう思うと、ワン君が無事であるという希望が更に湧いて来た。
私は笑顔になり、ふーちゃんに感謝の言葉を述べる。
「ありがとね。ふーちゃん。なんか元気出てきた!」
「いいわよ」
そう言って笑いあった次の瞬間、空からあの無機質な音が響いてくる。
『……第一フェーズ終了』
「えっ……」
心臓が高鳴る。第一フェーズが終了した。魔物はまだこの階層に到達せず、地上にも出ていないのに第一フェーズが終了したのだ。
『……討伐数第一位小鳥遊翔。討伐数326体』
続けて聞こえてきた無機質な音声に、私は膝から崩れ落ち、座り込む。
「ワン君がスタンピードを止めたんだ……!!」
討伐数326体。
尋常な数ではない。きっとワン君はすごい傷ついて、すっごく痛かったと思う。それでもなおワン君は戦い抜いた。
思わず両手で顔を覆う。瞳から涙が溢れ、手の隙間から次々と流れていく。
勝った。ワン君はスタンピードに勝ったんだ。
そう思った。
だが……それも次に聞こえてきた無機質な言葉によって、絶望に染まる。
『…………規定値を超えていた為、セクションを第二フェーズへと移行します』
「第二フェーズ……? そんな……っ!」
スタンピード第二フェーズ。
それは世界にスタンピードの恐ろしさを教えた絶望の象徴であり、オーストラリアのオンリーワン、「リヤン・マークウッド」すら討伐を諦めた最悪の災厄だ。
第一フェーズとは比べ物にならないほどの強力な魔物が第一フェーズ以上の数で押し寄せてくる悪夢のような絶望。
「無理だよ……そんなのってないよ……」
私は自然とそう呟いていた。
大量の魔物を殲滅することに特化したウィリアム・エバンスと並ぶリヤンですら止められなかったのだ。
もはやだれにも止めることなんてできない。
だから私は縋り付くように叫ぶ。
「ワン君!」
だが、私の叫び声は辺りに空しく木霊するだけだった。




