第百三十四話 30層
白く輝く光に包まれ、浮遊状態となったのは一瞬。
すぐさま俺の両足は地面に着地し、視界もゆっくりと晴れていく。
「ここは……?」
俺の視界に映ったのは、まるで15層のようなだだっ広く青々と茂った草が広がる草原だった。
しかし、15層とは明らかに違い、荒野のような土色が目立つ場所や、人数数人を余裕で隠せられる大きな岩が所々に落ちている。
15層は見知った場所だが、このような場所は俺の記憶にはない。20層までは地図や地形を把握している。
俺の記憶にこのような地形は存在しない為、パワレベをした階層以外か、もしくは別の迷宮に転移させられたか、はたまた極小の可能性として異世界にでも転移させられたか。
「ワン君!」
「翔!」
「小鳥遊!」
背後から女の声でそう呼ばれ、振り返ると、星空達がこちらに手を振って走ってきていた。
「星空達は無事か?」
「うん!」
「特に怪我とかはないわ」
「そうか。怪我したら言ってくれ。治すから」
「うん!」
三人が頷いたのを見て、俺は改めて辺りを見渡す。
すると、少し遠くの方で騒がしい声が聞こえてきた。
「転移したのって私達四人だけじゃなかったみたいね」
「そうみたいだな」
そこには金剛や周りで野次馬をしていた一年生達が立っていた。どうやらあの場にいた人間が軒並み転移させられているようだ。
彼らは一様に恐怖で怯えた顔で周囲を見渡し、震えている。
「ここ、どこ?」
「15層……じゃないわよね?」
「じゃあどこなんだよ!俺、何も持ってないんだぞ!」
「私だって何も持ってきてないわよ!」
騒いでいるのは主に手ぶらの生徒達だ。
彼らはただ野次馬をするつもりで来ていただけで、迷宮に潜るつもりはなかったのだから、装備を持っていなかったのは当然のことだろう。
ここがどこかはわからないが、迷宮内である事はほぼ確実だ。
そんな所に武器も防具もなく放り出されれば慌てもするだろう。
一層とはいえ迷宮に潜るつもりだった俺は一着しかないフル装備で来ているし、星空たちも普段使う武器を持って来ている。
金剛の周りで装備を持っているのは金剛だけだ。
生徒達の人数は二十人。五人でこの階層の魔物の猛攻を防ぎ切るのは正直難しい。
「うるせぇぞ!テメェらみたいな雑魚、装備なんてあろうがなかろうが関係ねぇだろ!」
金剛がそう一喝する。
その声に乗せられた覇気に恐れをなしたのか、生徒たちは一瞬で静かになる。
それを確認した金剛は生徒達をぐるっと見渡して続けてこう叫ぶ。
「ここが迷宮の何層か知ってるやついるか?!」
叫ばれた生徒達は一様に周囲を見渡し知っている人間を探す。
しかし、その場にいる全員が同じような仕草をしている事から、おそらく誰も知らないものと思われる。
それを確認した金剛はイラついたように舌打ちをする。
「チッ。使えねぇ」
「30層よ。中央迷宮ならだけどね」
舌打ちをしていた金剛に、文月がそう告げる。
「奈々美……それ、本当だろうな?」
「ここが中央迷宮なら間違い無いと思うわ。中央迷宮30層・決闘荒野。私が動画で見た地形と一致してる」
「出現する魔物は?」
「レッドミノタウロスよ」
中央迷宮30層の魔物、レッドミノタウロス。
その特性や戦闘方法は15層のミノタウロスとなんら変わりはない。
しかし、15層のミノタウロスよりも圧倒的に速く、硬く、強い。
それも、15層と同じく、30層前後の層の強さを遥かに超える程の強力な魔物であった。
「30層……」
「そんな……」
生徒達は文月の言葉を聞き、絶望の表情を浮かべる。強制的に転移させられた生徒達の多くはFクラスでそのレベルは10もない。
かすっただけでも致命的なほどのステータス差がある。
彼らが恐怖で震えるのも無理はないだろう。
「心配すんな!俺様がいるんだ!30層だろうが何層だろうがテメェらには指一本触れさせねぇよ!黙って俺様について来い!」
金剛が彼らに発破をかけ、乱暴に叫ぶ。
それでも彼らは少しではあるが安心したようでホッとした表情になった。
だが、そんな安堵の表情も、空から響き渡る無機質な声にかき消される事になる。
『……対象迷宮への転移の完了を確認。セクションをフェーズ1へと移行します。…………スタンピード、開始』
ざわり。
周りの生徒達がその声に騒めく中、俺は思わず全く別の方向に反射的に顔を向けてしまう。
俺は普段、勘の鋭いほうではない。むしろ鈍感な部類だと自負している。
しかし、そんな俺ですら感じ取れるほどの圧倒的な威圧感が、顔を向けた方角から放たれていた。
スタンピードの魔物は、その迷宮の一番深くに潜っている探索者の一層下に出現する。
つまり、ここが中央迷宮30層だとすると、その下の31層にスタンピードの魔物が現れたという事だ。
俺は人生で初めてと言っていいほど強烈な無意識の自身の警鐘を素直に従って大声を上げる。
「全員上層に走れ!」
「ワ、ワン君?」
「翔、どうしたの!?」
突然大声を上げた俺に驚いたのか、横にいた星空と如月が俺に聞いてくる。
しかし、今は問答をしている時間はない。
俺は文月に向かって叫ぶ。
「文月、地図は分かるか!?」
「え、ええ!細かいところまでは分からないけど上層と下層に繋がる道筋は大体わかるわ!」
「なら文月を先頭にして全員走れ!」
「分かったわ!こっちよ!」
「チッ……しゃーねぇ!走るぞおら!」
そう言って、文月は俺が顔を向けた方とは真逆の方向に走っていき、それに追従するように生徒達も走り出す。
しかし、生徒達の足取りは遅い。
「何してんの!死にたくないならもっと速く走りなさい!」
それを見た如月が後ろから発破をかけるが、それでも彼らの足は速くならない。
俺は彼らと並び立つように走り、一番後方の生徒に話しかける。
「どうした?」
俺が聞くと、そのクラスメイトは額から滝のように汗を流し、息切れをしながら途切れ途切れに答える。
「はぁはぁ、ぜ、全力で走ってるよ!で、でも、か、体がいつもみたいに動かなくて……それに、お前らが速すぎるんだ!」
その言葉を聞き、俺は背後を一度振り返る。
気配は少しづつではあるが強くなっている。
無理だと本人が言っている以上、本当に無理なのだとは思うが、このままではきっと追いつかれてしまうだろう。
「ワン君……?」
足を止めた俺に気付き、星空も足を止める。心配そうに振り返る星空を無視して、俺はスキルを唱える。
「選択」
[小鳥遊翔/レベル23][選択:小鳥遊翔]
[覚醒度:67%]
物理攻撃力 45
魔法攻撃力 48
防御力 40
敏捷性 41
[スキル][選択:花園千草]
信仰魔法 レベル2
補助魔法 レベル2
魔法強化 レベル2
魔法抵抗力上昇 レベル1
魔力上昇率増加 レベル1
スキルを花園のスキルに変更し、そのまま魔法を唱える。
「アクセルギフト、メタルギフト、ストレングスギフト、アンチマジックギフト」
唱えた魔法の効果が出たのか、前方で走っている生徒達が騒がしくなる。
先頭を走っていた文月がチラリとこちらを振り返るが、先に行けと手でジェスチャーすると、文月が騒いでいる生徒達を一喝する。
「喋ってる余裕があるならもっと速く走りなさい!無駄な体力使うんじゃないわよ!」
そうして遠ざかる彼らを見ながら動かない俺を見て、不安げな表情をした星空が俺を見つめる。
「ワン君、どうしたの?」
少し震えた声で聞く星空に、俺は平坦な声で返す。
「多分、このままだと追いつかれるだろうからな。俺がここで足止めをする」




