第百四話 スポーツ
「ああ。この魔物の卵が売れれば必要以上のお金が手に入る。迷宮に潜る理由はもう無くなるからな」
「……」
卵の入った桐の箱を撫でながらそう呟く。
お金を求めてこの学園に入り、お金を求めて迷宮に潜り、お金を求めて命をかけてきた。
だからお金が手に入ったからやめる。
「キマイラは強かったのかしら?」
「強いなんてものじゃなかったぞ。シーサーペントよりも全然強かったし厄介だったよ。特にヤギの魔法が厄介だったな。あの魔法、結局何だったんだろ」
「ワン様、その魔法は恐らく闇魔法レベル4のダークバーストですわ」
「ダークバースト?」
「はい。ワン様から教えていただいた魔法の印象からして、ダークバーストで間違いないかと思います」
「へー」
あれだけの威力があったのは、キマイラという魔物が撃っていたからだと思うが、相園が覚えたらいずれ俺も使えるようになったのかな。
「もしかして、それで怖気付いちゃったのかしら?」
「いや全然?お金が手に入ったからやめるだけだ」
何だろ。如月の目が泳いでるし、星空の表情も暗い。
花園は相変わらずニコニコしてるけど。
キマイラとの命懸けの戦いや、実際に命を落とした遺体を見て怖気付いたのか、と聞かれれば、そんなことは全くない。
キマイラに関しては結構大変だったな、くらいの感想しか出てこない。
遺体に対しては、ご冥福をお祈りしますという心にもない言葉くらいしか思い浮かばない。
顔も名前も知らない人だったしな。
俺が探索者をやめる理由はお金が貯まるから。
ただそれだけだ。
魔物の卵が手に入らなかったら、学園に戻ってからもせこせこと探索者を続けていただろう。
「ワン君はその……やっぱり迷宮探索は楽しめないかな?」
「命懸けの戦いを楽しいって思う方がどうにかしてるだろ。キマイラのダークバーストの連射と、召喚されたマンティコア四体に囲まれたらそんなこと二度と言えなくなるぞ」
「そう……なんだ……」
「?」
どうも星空が気落ちしている。体調でも悪いのだろうか。
もしかして迷宮に潜れないから落ち込んでいるのだろうか。
俺は迷宮に興味はないが、二人は迷宮探索が好きと常日頃から言っている。好きなことできないって辛いもんな。
「まあそんな落ち込むな。学園に戻れば迷宮探索も出来るようになるだろうからさ」
「そうじゃないんだけど……」
そうじゃない?
星空に他に何か落ち込むような原因があるのか。
……思いつかないな。
まあ星空にも色々あるのだろう。
ーー。
ワン君が探索者を辞めてしまう。
いずれ来るとは思っていたことだけど。あまりに早すぎる。こんなに早く大金を稼ぐなんて。
迷宮探索者は命懸けなだけあって、その平均年収は高い。
しかし、その中で億万長者になれるのはほんの一握り。
全探索者の中でも十万人に一人いるかどうかというレベル。
ワン君ならばいずれ必ずその億万長者になると確信していた。
でも、たった半年で魔物の卵を手に入れるなんてあり得ない。
つくづくワン君は規格外だ。正に迷宮に愛されているという言葉がこれほど合う人間はいないだろう。
驚き、やはり自分の見る目は間違っていなかったと確信すると同時に、心の何かが欠けてしまったような感覚に陥る。
震える声でワン君に探索者はやめるのかと聞いてみるが、ワン君は嬉しそうに頷いている。
探索者を辞められることが嬉しいのか、それとも大金が入ることが嬉しいのか、それともその両方かはよく分からない。
ふーちゃんが何かワン君に聞いているけど、今の私の耳には入ってこない。
「ワン君はその……やっぱり迷宮探索は楽しめないかな?」
そう聞くと、当然のようにワン君は頷いた。
命懸けの戦いを楽しめるわけがないと。
それは私だって同意する。
日本人の迷宮探索者の多くに迷宮探索とは、と聞けば、多くの探索者がこう答えるだろう。
スポーツ、と。
サッカーや野球、スキーやスノーボードをやるのと同じように、多くの探索者達はスポーツ気分で迷宮探索を行っている。
それ故に、最近のイレギュラーモンスターの出現を受け、探索者を引退したり、休業したりする人も増加の一途を辿っている。
私の周りでも休学や、転校を考える人達が出て来ている。死を身近に感じたのだろう。
私はそのニュースを見ても、改めて気を付けようくらいにしか思わない。
ここ数年の日本の迷宮での死者は年間で500人以下。
しかし、技術が発展した現代においても、自動車事故の死者数は年間で2500人以上。
それを聞いても車の運転をやめようとはならないのと同じだ。
もちろん生活必需品の人も多い車の運転と、迷宮探索者では母数が圧倒的に違うのだが。
未知に対する興味や、魔物を倒す快感、そしてそれによって得られる魔石やアイテムで豊かになっていく生活。
そして、何よりレベルやステータスという目に見える分かりやすい数値と、スキルという昔は誰しもが憧れていたファンタジー要素。
私や迷宮探索が好きな人間とって、迷宮探索は命懸けであるという話を聞いてなお、その魅力は欠片も陰りはしない。
でも、ワン君にはそれが全く魅力に感じないらしい。
ワン君に迷宮探索を楽しんでほしい。ワン君と一緒に迷宮探索を楽しみたい。ワン君にもっと笑って未知を楽しんでほしい。
でも、嬉しそうに魔物の卵を撫でるワン君を見て、私は何も言えなくなってしまった。
ワン君は優しいから、どんな状況でも助けを求めてる人がいたら助けてしまう。
キマイラで死にかけたっていうのに、次また同じことが起こって、キマイラ以上の魔物と戦う事になるって分かっても、それでも飛び出してしまうのだろう。
そんなワン君に、まだ迷宮探索をして欲しいなんて言えない。
ふーちゃんもそうだ。
ずっと何か言いたいけど言えないような顔をしている。
唯一、花園さんだけはずっとニコニコしている。
ワン君が迷宮探索を辞めるという言葉を聞いても、彼女の笑みは少しも動かない。
何故なのだろうか。花園さんも私達と同じようにワン君の才能に惚れている人間のはずだ。
それとも、ワン君の躊躇いなく人を助けに行く性格を好きになったのだろうか。
本当にそれだけ?
私の側に座ってワン君の方を見てしまっているためその表情は横顔だけでしか分からないが、その純粋無垢な瞳に私は疑問を持たずにはいられらない。
結局私とふーちゃんはあまり話すことも出来ず、ワン君がご飯を食べ終わったところで解散となった。
花園さんは頬を赤らめて、恋する乙女のような表情を一切隠すことのない笑顔でワン君に挨拶をして部屋を出る。
私達を感謝の言葉を述べて一緒に部屋を出た。
そして花園さんの部屋の前で別れる時、私は思い切って聞いてみた。
「ねぇ、花園さん」
「はい、なんでしょう?」
「花園さんはその……ワン君が迷宮に潜らなくなる事についてどう思ってるの?」
「はい?ワン様が迷宮に潜らなくなる事ですか?」
「うん……」
私がそう聞くと、花園さんはおかしなこと聞かれたかのように笑い出した。
「ふふふふふ!」
「ええっと……」
今、私はそんなにおかしなことを聞いただろうか。
疑問に思った私は作り笑いを浮かべて花園さんに聞き返す。
そんな私に花園さんはその純粋無垢な瞳のままこう言った。
「ワン様が迷宮に潜らなくなるなんてあるわけないじゃないですか。あのお方はこの世の誰よりも迷宮に愛された方です。だから必ず、ワン様は迷宮に戻ってまいります」




