第百三話 キマイラ事件
富士迷宮14層キマイラ事件。
富士迷宮の14層にてキマイラ、および複数体のマンティコアの出現が確認された。
キマイラ。
獅子の頭と前身、ヤギの頭と後身、蛇の頭をした尻尾を持つ日本ではいまだ未確認の魔物である。
外国ではキマイラの記録があり、オーストラリア、オーガスタス迷宮36層にてリヤン・マークウッドによって発見、攻略された魔物である。
獅子の強靭な身体とヤギによる強力な魔法、そしてヘビの尾による猛毒まで併せ持つ強力な魔物だ。
更には、マンティコアなどの下層の魔物を召喚する召喚術まで兼ね備えている。
死者6名。
日本で起きたイレギュラーモンスターによる死者の数において、最多の死傷者数であった。
迷宮で多くの犠牲者を出した本案件についてマスコミから疑問を呈された政府はこれに対して、現在調査中である、との一点張りを突き通した。
更に、迷宮の封鎖について問われた政府は、国民の自主性、および自由を尊重すると宣言。
しかし、安全マージン以上の余裕を持った探索、および未知のモンスターを見つけた場合のマニュアルの作成や機材の作製、および無料配布を現在行っていることを発表した。
更に、事件の解決を行ったのは、東日本迷宮攻略育成高等学園に通う一年生であった事が大々的に報道されると、世間の関心はその学生へと向いた。
ザ・ワン。
彼と親交の深い配信者であるアカウント名「めぐたんの迷宮探索チャンネル」、ライバー名「めぐたん」によって、ザ・ワンによるキマイラの撃破、および、複数体のマンティコアを撃破したことが確認された。
1レベから上がらず、ステータスも上がらないのにも関わらず、異常な速さで強くなっていく謎の学生。
本人はメディアへの出演、および説明の一切を拒否しており、配信元のめぐたんも配信を停止している。
世間は今、情報を欲しがっていた。
迷宮に一体何が起こっているのか。ザ・ワンとは一体誰なのか。その強さの秘密とは一体何なのか。
しかし、件の当人は部屋で呑気にパンフレットを広げているのだった。
ーー。
キマイラからドロップした緑色の楕円形の物体。
魔物の卵。
前に写真で見た卵は、淡い緑色っぽい色と黒の縞々で、表面に光沢があった。
しかし、俺の前にある魔物の卵は深い緑色だ。
色や光沢は写真写りの影響もあるからまだ分かるが、縞々がない。
どういう事だろうか。
まあでもこの形、この色、この大きさ、何より鑑定で魔物の卵と出たのだ。魔物の卵で間違いないだろう。
俺は一階層に戻り、地上に出るなり即座にアイテム鑑定所に足を運んでこのアイテムを鑑定してもらった。
「魔物の卵」
鑑定書付きでそう返された卵を見て、俺は思わずガッツポーズをした。
鑑定するのに鑑定書発行手数料も含めて10万DPもかかったが痛くも痒くもない。
ついでに帰りに魔物の卵が入る桐の箱と緩衝材を買ってから帰った。
だが旅館に戻ると入り口で待っていたのは、教師と国家迷宮管理局の人間だった。
その後二日にわたって尋問を受けた。
14層で何が起こったのか、何をしたのかを事細かに聞かれた。
自分のステータスとスキル以外については正直に答えた。
赤い発煙筒が複数見えたので、救って回っていたこと、その途中で三人の探索者の遺体を発見して救難信号を送ったこと、視覚外からキマイラに認識され、攻撃を受けて逃げられなかったので倒したこと。その際に魔石と魔物の卵を拾ったこと。
魔物の卵は隠しようがなかった。
魔物の卵は、昔ワーチューブで見たダチョウの卵よりさらに二回り大きい。
それに、鑑定に持っていって鑑定書を貰わないとオークションで売れない。
俺が鑑定所にいって魔物の卵を鑑定してもらったことは調べられたらすぐに分かる。それならば誤魔化す必要はない。
四日目の夜、五日目の昼までしつこく事情聴取されたが、それでも俺の心の中は晴れやかだ。
何せ俺には魔物の卵がある。
仮に3千万ドル、45億円で売れたとして、オークションに出品などの手数料で一割、日本円への換金手数料などを除いて、約40億円。
そこから更に所得税が45%引かれても22億円も手元に残る。
これが笑わずにいられるだろうか。
一生遊んで暮らせるだけのお金だ。高級マンションでゲームと漫画を貪り、泥のように眠る。
そんな人生を送るのに十分な金額だ。
苦労した以上のお金が手に入ったのだ。もはやこの命懸けの職業とはおさらばである。
今回の事件を受け、学生たちの富士迷宮への立ち入りは禁止され、予定されていた五日目以降の迷宮探索時間は自由時間となった。
だが、取り締まりから解放された俺は、部屋から一歩も出る事なく、うきうきでオークションのパンフレットを眺めたり、オークションに出品する上での注意点などを調べていた。
コンコン。
「……」
ドアがノックされる音がする。今日俺が会う予定の人間はいない。それならば無関係の人間だろう。
コンコン。
再度部屋がノックされる。そして女子生徒の声が聞こえてくる。
「ワン様ー!お昼をお持ちしました!」
「……」
頼んでないけど。
何故か、俺の昼ご飯を持ってきた花園の声が聞こえてくる。
しかし、お昼持ってきたのか。
それならいただこう。
俺は立ち上がり、部屋のドアを開ける。
「あ?」
「ワン様、ごきげんよう」
「こんにちは」
「ヤッホーワン君!」
扉の前には花園だけではなく、星空や如月もいた。
「何だ?何か用か?」
「遊びに来たんだー!」
「そうよ。フルーツケーキと飲み物も持ってきたわ」
「そうか。中に入ってくれ」
星空たちは俺の部屋に遊びに来たらしい。
遊びに来たというのもよくわからないけどね。この部屋には遊べるようなものは何も置いてないし。
遊びに来たと言って、星空達はただだべって帰るだけだ。
俺の知っている遊ぶとは全然違う。
まあお土産持ってくるなら別にいいけど。
「失礼致します」
「お邪魔しまーす!」
「失礼するわ」
そう言って三人が入ってくる。
そして四角い机を囲んで座る。
俺の右側に星空、左側に如月、そして正面に花園が座るのかと思いきや、俺のすぐ右横に座布団を持ってきて座る。
何で?
「ワン様、お昼はまだですよね?」
「ああ、午前中は取り調べされていたからまだだ」
「でしたらこちらをお召し上がりください」
俺は机の上のパンフレットを片付ける。
代わりに花園が俺の前で風呂敷を解いてご飯とおかずを机に広げてくれる。
そのご飯の分量は一人分にしては多いが二人分はない量だった。
「星空達は食べないのか?」
「うん、食べてきたから大丈夫だよ!」
「ええ、いいわよ」
「ふふふ、ワン様の為に朝から作って参りました。どうぞワン様がお食べください」
「朝から俺のために作ったのか?何で?」
目の前にあるお弁当は結構な分量のあるものだ。しかも器というか容器もしっかりした重箱のようなものだった。
これどうしたんだ。
「昨日はワン様に命を救われました。これくらいでは到底御恩を返しきれませんがせめてものお返しです」
「お返し?感謝の言葉ならもらったが?」
あの後、昨夜の取り調べを終えて帰った段階でAパーティーの動ける人間が集まっていて、俺に感謝の言葉を述べていた。
「言葉だけでは足りないかと思いましてこちらをお持ちいたしました」
「そうか?人助けに見返りなんて求めたらキリが無いと思うが」
「ふふふ、さすがはワン様です。ワン様にとって人助けは日常なのですね」
「いや別に日常ではないけど……」
別に困ってる人間を探し回っているようなヒーローみたいな存在ではない。目についたから助けにいっただけで、それ以上でもそれ以下でもない。
「ふふふ」
しかし、花園は嬉しそうに微笑んでいる。何が嬉しいんだか。
まあお弁当はありがたくいただこう。
「それじゃあいただきます」
箸でを手に取り、おかずに手をつける。
「如何ですか?」
「美味い」
感想を求められたので素直に答える。
普通に美味しい。
「あんた、ご飯作ってもらってばっかりね」
如月がお弁当を食べる俺の姿を見て、呆れるようにそう言った。
「そう言えばそうだな」
如月に文月に、右京や花園と俺にご飯を作ってくれる人間は多い。
まあ別に他に欲しいものとか特にないし、これで俺は普通に満足である。
他に欲しいものといえば、強いて言えば金だろう。
そのお金ももはや必要ない。何せこの魔物の卵があるのだから。
「それで……そこに入っているのが魔物の卵なの?」
「ああ」
星空が俺のすぐ横においてある桐の箱を見ながら言った。
魔物の卵はこの桐の箱に入れ、緩衝材を詰めた中に鎮座させている。
窓口に預けようか迷ったが、よく分からない間に俺の目の届かないところで盗まれたらと考えると吐きそうになる。
まずはしっかり下調べをして安全性や信頼性を高めた上で預けるのがいいと判断した。
それまでは俺の手元が一番安全だ。
ステータスも常に最強の赤崎のステータスにしてある。
「見せてもらってもいいかな?」
「ああいいぞ」
彼女達にもお世話になったからな。見せるくらいは構わない。
俺は桐の箱の蓋を開け、丁寧に緩衝材を取り出し、魔物の卵を取り出す。
「うわぁぁ……」
「本当に……」
「すごい……」
三人が驚きに口元を手で抑える。これが45億の力だ。
「俺も初めて見たけど、模様が一個一個違うんだな」
俺もあの後調べたが、黒い模様は様々な違いがあるらしい。縞々だったり点々だったり横縞だったりするとのこと。
しかし黒い模様がないのはこれが初めてだ。完全な緑一色の卵。
しかし、黒い模様と生まれてくる魔物との関係はない、というのがネットでの評価だ。
まあ俺には生まれてくる魔物は何でもいいがな。
この卵から生まれてくる魔物がゴブリンだろうがラットだろうが、ペガサスであろうとグリフォンであろうと関係ない。
俺が欲しいのは金だけだ。
卵の行先などどうでもいい。
「へー……、これ、触ってみてもいいかな?」
「ああいいぞ」
俺は机の上の弁当箱を少し移動させ、緩衝材を机に敷いて、卵を置く。
「持ち上げるなよ。落とすかもしれないから」
「う、うん」
「ありがと」
そういうと、二人が魔物の卵を触り出す。
「うわー、感動ー。本物の魔物の卵を触る日が来るなんて……」
「そうね。実際に見れるのだって一生に一度あれば運がいい方だもの」
二人がペタペタと魔物の卵を触っている。質感は鶏の卵よりも表面がスベスベしており、硬さも比べ物にならないほど硬いらしい。
ネットには、魔物の卵はハンマーで叩いても割れないとか書いてあった。試す気なんて毛頭ないけども。
だから、落としたくらいでは割れないだろうが、それでも万が一がある。落としたら彼女達は今後一切俺の部屋には出禁だ。
星空は触って感触を確かめたり、耳を近づけたりしている。
俺もやったけど何も聞こえてこなかった。
しばらく二人は触ったりして楽しんだ後、同時に手を離す。
「ワン君、ありがとう!十分楽しんだよ!」
「そうね。貴重な経験だったわ」
「そうか、それならよかった」
二人が満足したらしいので、卵を慎重に持ち上げ、桐の箱に卵を入れ、緩衝材を入れて蓋を閉める。
「それで、その……ワン君、実は今日はその、ワン君に聞きたいことがあってきたんだ」
星空が先ほどまでの笑顔から一転して、何かを恐れるように表情を暗くして聞いてくる。
「何だ?」
「その……ワン君はその、もう迷宮には潜らないの?」




