第九話 恩返し
「そうか、治療はピヴレインが……来てたんだな」
「うん、私もビィちゃんもびっくりして……怪我はない?」
「問題ない……科学大躍進も、ピヴレインが相手してくれているのか? 何が目的なんだ……何一つとしてわからんぞ」
時は少し遡り、ピヴレインがクルークリストを殺す少し前のこと。ヘネラールより先に、ミィハエルが目を覚ましていた。
ピヴレインの治療は完璧で、痛み一つ残っていない。
さすがにあの重量を全力で叩きつけられた時は死を覚悟していたが……存外、混血の生命力は高いらしい。
「だが、好都合だ。今なら監視の目も緩いだろうから……」
気絶しているミィハエルたちを見ていてくれたフィリンとビィ、まだ眠っているヘネラールを見渡してから告げた。
「あいつが目を覚ましたらすぐに出発するぞ。次は第二の聖典である太陽の聖典ダンジョンだ。準備をしろ」
「えっ……と、それなんだけどね、ミィハエルお兄ちゃん」
体の具合を確かめようとすると、フィリンがおずおずと手を挙げながら言った。わざとらしく嫌そうな視線を向ける。
フィリンは基本的にズバズバものを言い、少なくとも発言において遠慮などする人間ではない。それを覆してまでこんな喋り方をする時は……大抵の場合面倒臭いことになる。
「……一応聞いておこう。なんだ?」
「恩返し……するべきだと、思うんだ」
「恩返し? 誰に……ピヴレインか。何をするんだ?」
「私の【砲】で……手助けしようかなって」
「馬鹿かお前は。お前は馬鹿か」
ピンと立てた指でフィリンの開いたおでこを突く。
あうう……と可愛らしい声を出しながら、少し赤くなった部分を押さえるフィリンに追撃するように怒鳴る。
「ここで共倒れしてくれるのが最高のシナリオだろうが! 聞いた感じヘネラールのためなら何でもするような気はするがあくまで気がするだけだ! 不確か極まりない!」
恩を売る必要性は、何一つないんだ! 深い眠りに落ちているというのに、ヘネラールが身を震わせるほどの怒声を張り上げる。フィリンはもう泣き出してしまいそうだった。
「で、でもミィハエルお兄ちゃん……悪い人じゃなさそうだったよ?それに、先に助けてもらったのは私たちだよ……」
「それは……そうだが! だとしても、だ! というかあいつは立場からして敵なんだ! 先も後もない!」
ボリボリ頭を搔く。分かりやすいストレスの表れ。
昔っからそうだ。フィリンは基本的によく言うことを聞く子で、損得勘定も出来る。精神年齢の幼さから来る、感情による行動選択が欠点だったが……ここに来て!
「……ミィハエル、私からも頼むよ。私見でしかないが、彼女はヘネラールが無事である限りは協力してくれる」
「ビィ、お前まで……ぬう……いや、駄目だ! 絶対に!」
しばらく一緒にいると分かるが、ビィはこの中で一番精神年齢が高い。知識のなさ故に、リーダーはヘネラール、参謀をミィハエルに任せてはいるが……仮に同程度の知識があるならば、それらを兼任出来るほどだ。
本当なら作戦会議にも参加して欲しいのだが、知識のなさから来る認識のズレ等が怖いのだという……至極真っ当な意見だ。見た目と中身のギャップがあまりに酷い。
「落ち着きたまえミィハエル。人は感情で動く生物だというのは分かっているだろう? 彼女はその典型例だ」
「ピヴレインとヘネラールはそもそも対面したことすらないんだぞ! だというのに何故執着されているんだ!」
「……あるんだよ、人には。君はまだ分からないだろうが」
ほう、とため息を吐くビィ。妙な色香を纏う呼気と、憂いに満ちた声音がミィハエルの意思を揺るがせた。あくまで合理的な判断をする気でいるが……ビィの経験は侮れない。
その大部分を封印されながら過ごしていたとはいえ、年齢は四桁の先人。彼女の言葉なら……信じるに値するのやもしれぬ。ミィハエルが想像も出来ぬ何かが、人には……
「っ……! 分かった、好きにしろ! 僕はなにもしないぞ!」
「ありがとうミィハエルお兄ちゃん、ビィちゃんも! じゃあほら、ヘネラールお兄ちゃん担いで! 外に出るよ!」
「……何もしないと、言ったはずなんだがな」
「はは、可愛らしい妹じゃないか。大事にしたまえよ」
同い年だ、とボヤくミィハエルに、ビィが心底楽しそうな笑い声を浴びせる。どこに笑う要素があったのだろうか。
訳が分からない……混血は長くても二十年しか生きられない短命種だが、長く生きれば分かるのだろうか……不思議な感覚だ。分かりたいとは思わないが……何故だか。
「なあ……ビィ、長生きするのは楽しいか?」
「唐突だね。君はそんなことを気にしないと思っていた」
いそいそと準備を進めるフィリンを尻目に、ビィと一緒にヘネラールを担ぎながら問うた。それなりに重いヘネラールに少しよろけるビィだったが、声音に変化はない。
何もかもを見透かすような、漆黒の瞳孔が心臓を射抜いているような感覚がした。本当に、ギャップが酷い。
「何だか、な……機会があれば、長く生きたくなった。ピヴレインも、あのナリで二十四だ。……楽しい、のだろうか」
「……地獄さ。地獄、地獄、地獄……けれど、そうだね。見方を変えると楽しいのかも、しれないな……」
首を傾げる。何を言っているのか分からない。
この脳髄に刻み込まれた知識は、全て母なる大聖典から与えられたものだ。世界を産んだ母親から直接生まれ落ちたことの恩恵……そして、使命を後押しする重責でもある。
その知識は、少なくとも彼女の言葉を否定している。地獄という概念と、楽しいという感情は……相反するものだ。
「いずれ分かるさ。君たちは世界でたった四人、歯車から外れた異端児。私たちのような歯車……いや、穢れではない」
「穢れ……喰い人のことか?」
「そう……私たちは、穢れ。誰にも知覚されず、大聖典にすら忘れられて生きていく者。だから……地獄なんだよ」
喰い人は長命種……否、実質的な不老不死であるとして知られている。厳密には、背負った概念の寿命と共に生きているという方が正しい。彼らは、基本的に死なない。
例えば、数十年前に発見された“雪”の喰い人。彼はこの世界が終わるまで死なないとされている。
「短命、どれだけ長くても百年しか生きられない魔法人と科学人たちは……きっと、そんなの考える暇もない」
「馬鹿な。僕でさえ、こうして考えているんだぞ?」
「彼らは君たちと違い、様々なことを考え、背負いながら生きている。その中で生きる楽しさなど……無理だ、絶対に」
そういうものなのか、と納得して黙る。確かに混血は戦争の根絶のみを考えながら生きていればいい。だが、魔法人や科学人はその戦争を起こしながら生きている。それに加えて家庭もある……考えることは、なるほど遥かに多い。
「……私たちは、絶望に生まれた。故にこそ希望の光が見える彼方に、走り続けている。だから、地獄」
「その希望に辿り着いた時が、“楽しい”ということか」
「そうなる。いつか出会えるはずの“楽しい”目掛けて走り去るのが喰い人の人生だ。挫折する者の方が多いがね」
それも当然だろう。喰い人は、誕生と同時に国への提出が義務付けられ……文明の垣根を越えて管理されている。希望を追いかけるための足も翼も、最初から失っている。
「なんで、戦争を続けるのだろうか。彼らは」
「楽しいから、じゃないか? 敵を殺せる快感、大事な人を守ることが出来た喜び。マイナスな要素はどこにもない」
「……じゃあなんで僕たちは、戦争の根絶が使命なんだ?」
「それは神のみぞ知る……ならぬ、大聖典のみぞ知る」
担いだヘネラールの足を揺らしながら、ビィはにっと笑った。ミィハエルにはそれが見えないが……なんとなく笑ったような気がして、釣られて口角を僅かに持ち上げた。
眼鏡を片手で直し、物憂げなため息を吐く。
「なんだか、考えるのが面倒になってきたよ」
地上に到着し、ヘネラールを木陰に寝かした。フィリンは既に【砲】の射出体勢に入っており、正確な座標を観測しているようだ。今は邪魔してはいけない。
そういえばエイスタスがいなかった……何故だ? 彼女はどこに行ってしまったのか……ああ、今はいいか。
「どこかに……“戦争の喰い人”が、いないかな」
「いるさ。今はいなくても……きっと生まれることになる」
「……出会えるかな。そうしたら、全部一気に終わる」
「出会えるさ。君たちは、大聖典の子なんだから」
銃の形をして突き出したフィリンの指先が、陽光を反射して煌めいた。遙か遠方、まだエイスタスと出会って数ヶ月の頃に設置した【砲】からエネルギー弾が射出される。
「出会えたらいいな。きっと、最高の終わりになるから」
やけにはっきりとしたビィの答えを聞きながら……
その声は、爆発音に掻き消された。
――――――
「そういうことか、この全てが! 統率なのか、貴様!」
進軍を停止した第一次科学大躍進、その前方で激戦を繰り広げるのはピヴレインと【天知らぬ翼】、そしてどんな絡繰なのか、【歯車の牙】と一つになったクルークリスト。
珍しく焦った声を張り上げるピヴレインに、二人分の嘲笑が降り注いだ。明確に、追い詰められている。
『ようやく気付きましたか。愚か愚か、ですね』
「まったくだ! 特務魔法中将が聞いて呆れるわ!」
「禁忌に手を出していながら貴様ら……痛ぅ!」
魔法文明ほどではないが、科学文明にも禁忌はある。
その一つ……ライブラリディスク。半機械生命群限定の技術ではあるが、同じ記憶と動作信号をプログラムしたディスクを数万体の機械体に埋め込む。全て同一存在。
必要となるのは、元となる科学人の脳。それを加工し量産する……ただ、そこで生まれる疑問が禁忌となった。
それによって動く機械体は、果たして本人と言えるのか?
「そろそろやかましいぞ貴様、ら……?」
畳み掛けるような罵倒と攻撃に、つい攻撃が大振りになった瞬間を突かれた。振り下ろされた【歯車の牙】の巻き上げた砂煙の向こう側から、数百人の兵が突撃してくる。
ライブラリディスクの容量の都合上、同時に多数の個体に複雑な命令を下すことは出来ない。故に進軍のみだったはずだ。
突撃、攻撃すら単純命令となるのか?
「離せこの、貴様らァ! 鬱陶しいぞ、人形風情が!」
「言ったであろう新顔! 貴様が言ったのであろうが!」
数百の腕が、一つの腕を拘束する。数百の腕が、一つの足を拘束する。動けぬ。このようなこと、経験していない。
最強だった、このピヴレインが……数の暴力如きで!
「我らは全てが我である!」
「く……の、ルァァァァアアア!!!!」
手足の先端に表出させ、発芽。急速に成長した陽塞樹の根を兵に這わせ、超巨大且つ伸縮自在の手足と化す。
振り回す。ピヴレインの膂力を持ってしても困難な技であったが、その分効果は絶大だ。更に群がろうとしていた兵を全て跳ね除け、【天知らぬ翼】を吹き飛ばし【歯車の牙】を転倒させる。起き上がろうとする姿を見て、跳ぶ。
『こ、の……馬鹿力があ!』
「追い詰められると言葉が荒くなるのはァ!」
ガキャガキャガキャガキャという耳障りな音を立てながら開いていく、【歯車の牙】の胸部。覗いた超巨大な砲台が煌めき、周囲のエネルギーを吸っていくのが見えた。
可視化されるほどの絶大なエネルギー。だが、この巨腕を振り回す方が速い。このまま叩き潰して、ころ
「お互い様だ」
「させるかこの新顔がぁぁああああ!!!!!」
ガガガッ!と【歯車の牙】を駆け上がりながら【天知らぬ翼】が剛腕を振るう。大きさも何もかもピヴレインに及ばないものではあったが……執念、もしくは忠誠心だろうか。
固く根を張った陽塞樹を容易く破壊し、本来【歯車の牙】に届くはずだった攻撃は中断させられた。
空中に晒される、無防備なピヴレインの姿。煌めきが……
「……く、くく。戦っているのが我らだけだと思うなよ」
ピヴレインは観測したことがある。
暁の聖典ダンジョン内部にて、岩石の罠を破壊したフィリンの【砲】を。変わらぬ、まったく同一の光であった。
「恩は売っておくべきだな! そして、胸に抱くべきは!」
それは、魔法も科学も越えた大聖典の煌めき。
設置座標を中心とした、星の半円以内全てが射程距離という規格外のスペック。たった一人による【砲】である。
莫大な攻撃力を保有し、地形すら変貌させることが可能。たった一度の恩返しのために、混血たちの切り札を消費する善性を持つ。だが、その何よりも恐るべきことがある。
宙に浮いたピヴレインを避け、群がる虫の如き兵の全てを巻き込みながら【歯車の牙】の胸のみを穿ち抜く、正確無比の計算能力を持つ。間違いなく、混血の最高戦力である。
「決して揺るがぬ、絶対の“愛”であったなあ!」
【砲】が到達する。
光が拡散し、塵が舞う。文明を破壊する光であった。