第七話 家族
クルークリストの悪趣味と違い、魔法文明の禁書はちゃんと禁書庫に保管され、また意思を持たない自立型魔術人形が管理している。そこには聖典の守護者に関するものも、当然ながら保管されており……誰の目にも触れることはない。
だが、二年前。ピヴレインが魔法軍少将となった際の総帥から禁書庫に呼ばれ、閲覧したことがある。
曰く、「君は必ず、私よりも上の地位に立つことになる」。
今にして思えば慧眼だ。上の地位には未だ至ることは出来ていないが、軍部全体の掌握は為しているのだから。
今でも鮮明に覚えている。第一の守護者【聖典の双子】。
「ほう、ほうほう。これは何とも……愚かなことを」
「私もそう思う……一種の実験を兼ねていたのだろうな」
殺した総帥は愚者だった。軍部拡張のために予算を減らした挙句に、及び腰な戦略で科学文明に侵攻を進ませた。あと数年続いていれば、恐らく科学大躍進すら始まっていた。
それに比べて、あの総帥は素晴らしい人だった。身内に優しすぎるが故に暗殺されたが……惜しい人を亡くした。
そんな人が、断言した。愚かだと。
「科学人の一般家庭出身、なんの取り柄もない双子。素体に選ぶにしても、もう少しマシなのがあったでしょうに」
「幼子は警戒心こそ強いが抵抗力がない。そこらの成人済みを使うよりも、よっぽど楽な改造だったのだろう」
恐るべきことに、【聖典の双子】は科学人。禁忌に手を染めた学者の最高傑作でもある……生物兵器。特殊な内部改造を施され、洗礼儀式を受けた様々な武器は【聖典の双子】の身体能力を倍増……否、何乗にも膨れ上がらせる。
加えてダメージをほぼ無効化する特殊繊維のドレスは防御性能を極限まで高める。科学人に魔法文明の改造を施した場合どうなるか、の実験だというのは間違いではなさそうだ。
「それで? あれ程弾劾して、最後にはその学者を自殺させるまでに追い詰めたのに……議会の決定が聖典の守護者?」
「恐らく、自殺させるまでが目的だったのだろう。だが想定していたよりも【聖典の双子】のポテンシャルが高かった」
「だから利用した……有り得ない、どんな思考回路だ」
この頃のピヴレインは丁度百と五十人目の恋人を殺したばかりで、ある程度の常識を持ち合わせていた。恋は盲目を地で行くスタイルの彼女は、情緒不安定の極みとも言える。
だからこそ断じることが出来た……“おかしい”と。しかし総帥から発せられた言葉も、また真理ではあった。
「大聖典に依存した我々は意欲で科学文明に劣る。稀に素晴らしい発明があれば、使わない手はないのだよ」
「だからと言って……改造当初は十にも満たない子供を……」
「魔法文明はそうして発展してきた……きっとこれからも」
誰もが知ることだ。魔法文明は積極的な侵攻、接触を好まず……また、科学文明は率先して魔法文明を滅ぼそうとする。これは両者の起源にまで巻き戻る話になる。
単純に無限のエネルギーをバックに持つ魔法文明と、それに対抗すべくエネルギーも技術も一から作り上げた科学文明とでは認識が違う。だからこそのスタンスの違い。
自分から飛び抜けたものを作ろうとしない魔法文明は、使えるものを使っていかないと負けてしまう。
分かりきっていたことだ。
「断ち切りたいと思うかね? この流れの連鎖を」
「断ち切れるものなら。けれど、ええ。無理なのでしょう」
よく分かっている、と微笑んだ総帥が禁書を撫でる。老衰に関する改造も施されている【聖典の双子】は、もう何歳になるのか分からない。あんな外見をしているのに。
本に積もった埃、時の流れを感じさせる痛み具合。同い年だと言うのに、受ける印象はかけ離れている。
「所詮、その連鎖の中で生まれた我々は歯車だ。断ち切ることが出来るのは……そうだな。それこそ……」
もしかすると、そうかもしれない。
ここから全てが始まったのかもしれない。
「大聖典の子……ぐらいしか、いないのだろうな」
――――――
ジリジリと、体の先端が燃えるのを感じる。
同時に心も燃えている。踏み躙られた混血たちのことを想うと、堪えきれない憤怒が心の奥底から噴き上がってくる。
「殺してやるよ。痛め付けて、泣き叫んだ後に」
「姉様、姉様。なんだか怖いですわ」
「姉様、姉様。少し警戒が必要ですわ」
パン! という拍手の音が響いて、ヘネラールの視界から【聖典の双子】の姿が消えた。ガンゴン響く銀の槌が、正確な位置を悟らせない……分かっている。
視線を向けた瞬間、殺られる。それを狙っている。
「ミィハエルの分は……お前だなあ!」
だが。敢えて乗る。
狭い部屋の中、真後ろを振り返った。空中でバットのように振られた槌が、即効性の神経毒が塗られた針を打つ。
そしてヘネラールの死角に立ったもう一人が、音もなく接近し爪の毒を撃ち込まんと振りかぶる。首を百八十度反対方向に向けたヘネラールは反応出来ない……必ずどちらかが当た
「お前がミィハエルの頭ァ潰したんだよなあ!」
らない。針も爪も、黒い炎に焼かれて溶けた。
ジュワ、という音を立てて蒸発する毒が気化していく。改造の影響で【聖典の双子】に毒は効かぬ……だが、真に恐るべきはそこではない。この炎、どんな温度をしている。
こうまで接近しても熱くない。だが、触れた部分の溶け具合を見ればどんな高温かは分かる……有り得ぬ。
触れた瞬間炎を孕む、のか?そんな炎が、どうして。
「ねえさ」
「お前もブッ潰してやるよお!」
蛇のようにうねった黒炎が、宙に浮いたままの双子の片割れを掴んだ。掴まれた首から焦げた煙が立ち上る。
ヘネラールが腕を引く。グン、と凄まじい勢いで引き摺られた片割れは腹部にアッパーをモロに食らう。ぐぼり、と零れるように口から溢れた血も即座に蒸発していく。
地に落ちた片割れがバウンドする。そのまま寝かせるはずもなく……浮いた顎に爪先を差し込んで上方に傾けた。
「焼けてェ、ブッ潰されなあ!」
もう一人の槌が横薙ぎに振られる。それが命中するのがあと数瞬早かったならば……結末は、変わっていたのだろう。
コンマ数秒の差であった。黒炎に包まれたヘネラールの右拳が、双子の頬を殴り飛ばしている。直後にヘネラール自身も真横に吹き飛ぶが……片割れのダメージは消えない。
追撃を。脳はそう指令を出しているが……心は。
たった一人残された家族だ。幸せだった生活は戦火に呑まれて、二人きりで生き残って……今は、ここにいる。
自分の方が、三十分先に生まれた。どちらが姉で、どちらが妹か、など……どうでもいいことだが。姉として、彼女には幸せになって欲しい。それは紛れもない願い。
こんな場所で、色んな人を殺した。科学も魔法も分からずに、聖典に近付く者は殺して殺して殺した。何故そうしなくてはならないのか……それはもう忘れたけれど、体は勝手にそう動く。心の叫びは、いつの間にか血に溺れていた。
でも、そんな中にあっても、この心は!
こんな場所で、暗く終わる身であっても!
あの子に、幸せな未来を願っている!
『特に女の子は顔を大事にしなくちゃね』
『はっは、時代遅れな母さんは無視していいぞー』
『……ううん、■■のお顔は大事だよ』
槌を振りかぶりながら、視線は彼女に向いている。
瓦礫に埋もれながら振られる手、その中に握られている黒炎の蛇に気付いている。だが、対処は出来ない。
幸せな世界が、どこまでも邪魔している。
『だって、■■のお顔は、とっても可愛いんだもん』
『……えへへ、■■も、可愛いよ!』
「……ああ、思い出した。世界には、そんな場所があった」
焼け焦げて、炭化している。
大事で、大切で、大好きな■■。沢山沢山人を殺した。一緒に笑っていた家族のことも忘れて、殺してきた。
許されない。あの頃から全く成長していない心でも、分かりきっている。あの暖かい世界に帰る資格は、帰りたいと願う資格は……私たちのどちらも、持ち合わせていない。
「けれど、神様。どうかお願いします」
科学文明の人間が神に願う。
「私が、永遠に続く地獄で、苦しみ続けますから」
蛇が首を食んだ。傷跡は黒く灼ける。
「どんな怨嗟も、憎悪も、壊れながら受け止めるから」
頬を伝う雫は、意味もなさずに消えていく。
黒く、黒く……崩れていく■■の体。顔面から段々と広がっていく炭化は、容赦なくその小さな体を壊していく。
「だから、どうか。■■だけは」
■■を殺した黒炎の拳が眼前に迫っている。
眼球の水分は蒸発し、体中が燃えるように熱い。泣き叫びたいほどの苦しみだけれど……それは、罪も燃やし尽くしてくれているようで。どこか、幸せにも思えた。
「今度こそ、幸せにしてあげてください」
首から上が消し飛んだ。遅れて、黒炎に包まれた胴体も消し炭になっていく。最後にはヘネラールだけが残った。
振り切られた拳に沿って、黒炎が飛翔する。そのまま軌道上にある聖典を焼き尽くした。障壁も容易く破壊する。
ヘネラールは、倒れ込むようにして眠りに落ちた。
暁の守護者、【聖典の双子】。活動期間は守護者の中でも一番短く……また、強さという面においても劣る。けれど、コンビネーションの一点においては群を抜いていた。
互いを姉と錯覚しながら生きる、二人で一つの命。
――――――記録。【聖典の双子】。
焼尽と帰した科学文明市街で生存を確認された少女たち。高い身体能力と、優秀な冒涜科学を保有する共通点。
確認出来る限り、“まったく血の繋がりはない”。しかしどちらにも姉妹がいたようで、血の繋がった同年代の存在に強い興味を示す傾向有り。即座に計画を実行に移した。
彼女たちを“双子として洗脳する”。万一の事態に備え“幼少期の記憶も捏造して植え付ける”。承認。
結果。殺害数五千八百四十二名。優秀な聖典の守護者となった。
「ヘネラール! っと……なんだ、眠っているのか」
禁忌に触れた人間は、その瞬間人間ではなくなる。
ピヴレインが思うに、例外と原則というのは……例外が先に生まれたのだろう。人々が、絶対に許容出来ない何かを例外と言って隔離し、その恐怖を誤魔化すために原則を作ったのだと思っている。だから、これは例外だ。
子供に背負わせるべき現実ではなかった。こんな結末を辿るまで戦って……本当の幸せすらどこにもなかったなど、残酷すぎるではないか。そんなの、あまりに可哀想だ。
「……お前は知らなくていい。今は、眠れ」
ヘネラールの体は、所々が炭化していた。【華】を使って治そうとしたが、まったく反応しない。単独で【聖典の双子】を殺したことを鑑みるに……恐らく、代償だろう。
大罪爆縮の前例は数少ないが、稀に代償のつくものがある。代わりに強化の幅が凄まじいのだが……まさか、ヘネラールがそれか。代償は治らない炭化現象。
「治らぬものはどうしようもないからな。まあ、ヘネラールは心も強いはず。きっと何とか出来るはずだ」
頭部に深いダメージを負ったミィハエルを治療しながら、仮面の奥で優しく微笑むピヴレイン。念の為フィリンとビィはまだ待機させている……もう、問題はなさそうだが。
ミィハエルは死にかけだが、まだ生きている。恐らくインパクトの瞬間、混血魔術か何かを発動したのだろう。
「さて、問題は余がどう動くか、だが……」
一旦現状を整理しよう。
暁の守護者である【聖典の双子】は死亡。いつの間にか暁の聖典も破壊されている。ピヴレインは最後の聖典である月の聖典から供給を受けているので問題はないが……
今頃、暁の聖典に頼っていた者は大騒ぎだろう。
そして、この二つが揃っているということは……
「そうだった。遂に始まるな。科学大躍進が」
仮面越しに口元を抑える。何とか抑えようと努力はしているが、堪えきれない。遂には高笑いを始めた。
「くっ……はははははは! 待ち侘びたぞ! 久々だ、数年ぶりの祭典だ! 余が楽しめそうな戦など、数年ぶりだぞ!」
チラリ、とヘネラールを見る。出来ることなら目が覚めるまで見守りたいが……科学文明はせっかちだからな。
ここは、先に科学大躍進を片付けるとしよう。
「フィリン、ビィ! 余が戻ってくるまでこの二人を見ていろ!
余は少し出向かねばならぬ場所がある!」
「えっ……と、もしかして科学大躍進?」
「そうだ! これでも余は特務魔法中将だからな……」
舌なめずりをする。嗚呼、楽しみだ。
「科学文明の出鼻、へし折ってくれるわ!」
――――――
「諸君!遂に、遂に遂に遂に遂にこの時が来た!」
科学文明の中枢に、男の声が響き渡る。
典型的な機械体で、人間の部分は残っていない。仕掛けの多い関節部や擬似筋繊維は、動作一つで科学兵器を発動出来るのだろう。文明の粋を極めた全身メカニックだ。
バサリと広がる、コカトリスの紋様。腰や背には、ただでさえ2mを優に超える彼の体躯でも扱い難いであろう数々の近接武装が備え付けられている。なんとも厳しい。
少し年老いたような声。しかして覇気以外に存在せぬ。
「長らく待ち侘びた科学大躍進、その一歩目だ! 我々は魔法文明中枢に侵攻し、暴れ、死ぬことこそが大義である!」
兵である半機械生命群の瞳が赤く光る。
うんうん、と頷いたメカニックは更に声を張り上げた。
「ご照覧あれ、アストゥツィア・クルークリスト様! 必ずやお目に入れましょう……我らの輝かしき進軍を!」
「期待、しているよ。頑張りたまえ……」
軍隊の遙か後方に佇む、超巨大な機械仕掛けの獣。その操縦席には、様々な電子配線を繋いだクルークリストがいる。
名を告げる。第一次科学大躍進の、名を。
「希望の象徴、太陽の子……【天知らぬ翼】よ」
第一次科学大躍進、発動。