第六話 お兄ちゃんたちも
「下がれフィリン、ビィ! 特にビィは迅速に」
「ごぼっ」
聖典の双子を視認すると同時、最初に動いたのはミィハエルだった。遅れてヘネラールも動き炎の防護壁を作る。
ミィハエルの指示を出すのがあと数瞬早ければ……否、そんなことは関係ない。仮称:右の双子が手首から先の動作のみで射出した数本の針が、炎を越えてビィを貫いた。
超高温の炎に触れたのが幸いし、ビィからは一切の血液が流れなかった。傷になった部分が即座に焼ける。
喉元、胸、腹……治療を先送りにしては死んでしまう。
「っ……! フィリン! 応急処置と並行して後退!」
「防御は俺とミィハエルがやる! 急げ!」
聖典の双子は動かない。にこにこと、年相応の笑みを浮かべたまま混血一行の動作を見守っている。
フィリンたちが聖典保護区域から離脱する。フィリンは近接には特化しておらず、ヘネラールやエイスタスほどの身体能力を持たないが……腐っても混血。幼児同然の体躯を抱えて走ることなど造作もない。
「姉様、姉様。穢れたビィが去っていきますわ」
「姉様、姉様。去る者は放置で構いませんわ」
ヘネラールが、聖典の双子たちを囲むようにして炎の壁の位置をズラす。変わらず、聖典の双子は動かない。
(ヘネラール、あと何秒持続出来る)
(十秒保ったらいい方だ……苦手分野だからな)
混血魔術【炎】はヘネラールの魔術。名が示す通りに炎を操る魔術だが、本領は何かに纏わせることだ。今のように、何もない場所に炎だけを出現させるのは苦手分野。
頷いたミィハエルが【毒】を発動する。炎と反応し、魔法人に特化した有毒ガスを生み出す細菌を放出した。
魔法人限定ではあるが、被接触部位から侵入し血液を沸騰させる作用を持つ。あの細腕で持てる重量を遥かに越えているであろう銀の槌が気がかりだが……内臓器官や血液に関する改造は為されていないことを願う。
炎の壁の奥は見えない……散布開始から四秒経過。
動作はない、影のみがある。もし生存している場合、ヘネラールがまともに戦闘が出来る程度に回復するまでミィハエルが時間を稼がなくてはならない。指示はどこまでも慎重にしなければ……無動作というのが果てしなく気になる。
(この熱量に四方を囲まれて、全く反応を示さないということが有り得るのか? いや、決して有り得ない)
……時間はない。早々に結論を出さなくては……
「ミィハエル、俺はどう動けばいい!?」
「……警戒は怠るなよ。壁を解除してくれ」
脂汗を滲ませたヘネラールに指示を出す。どう考えても、状況が“聖典の双子は死亡している”と告げている。
聖典の双子が生きている魔法人ならば……絶対に死んで
「がっ……は!」
「そん、な、馬鹿な」
瞬きをした一瞬で、そうなっていた。
双子は、槌を一人一つに持ち替えて、炎の壁が消失すると同時にヘネラールを挟むようにして振り切っていた。
咄嗟に発動した炎の障壁は脆く、ダメージを殺しきることが出来ない。メギャメギャメギャ、と不快な音を立てながらヘネラールの肉体、その内部は破壊されていた。
「ヘネラール! くそっなんで」
「姉様、姉様。お願いしますわ」
「姉様、姉様。お離れなすって」
ヘネラールを挟み込んで潰した槌を、聖典の双子たちは自身の後方で衝突させた。衝撃に逆らわず、流れる。
ミィハエルの斜め前方、左右両方に聖典の双子がいる。左にいる個体が、銀の槌に手を添えながら唱えた。
「冒涜“化学”【重】……姉様、姉様。任せましたわ」
「あり、えない……お前たちは、魔法人では」
そこまで言った所で、ミィハエルの肉体は巨大な手に押し潰されるようにして、地面に叩き付けられた。星にかかる重力の全てがのしかかってきたような圧迫感。
全力を振り絞って上を見れば、そこには発光する機械片が浮いていた……間違いない、これは科学文明の技術だ。
(聖典の双子は科学人……!? だがここは、ここは聖典ダンジョンなんだぞ!? 何故科学人が守護者なんだ!)
ゴキャ、という鈍い音が響く。
もう一人の聖典の双子が、振りかぶった槌をミィハエルの頭部に振り下ろした音だった。混血魔術も混血科学も発動する暇はない……思考以外が許されないコンビネーション。
「姉様、姉様。排除完了ですわ」
「姉様、姉様。聖典の扉に戻りましょう」
血溜まりに伏したミィハエルたちのことを忘れ去ってしまったかのように、聖典の双子は服の埃を払いながら笑う。にこにこと、暴力など無縁の貴族の娘か何かのように。
手を繋いで歩き出す。しかし、その背に声がかかった。
「待てよ……このまま放置は、ねえだろうよ……」
怒りに震えた声は、ヘネラールのものだった。足元から噴き出すような炎が、段々と赤黒く染まっていく。
「俺だけならいいさ……だが、だがなあ」
それは、憤怒。七つの大罪が一つ、激憤の罪。
己が何も出来ない状況で仲間を傷付けられた。戦う力を持たない仲間を傷付けられた。必死に戦った者を冒涜した。
全て激憤。火山の如き烈火の激情。
「ミィハエルを傷付けた奴を、許せる訳ねえだろうがよォ!」
《憤怒絶頂》
「姉様、姉様。殺しきれていませんわ」
「姉様、姉様。次はきちんと殺しますわ」
――――――
「ビィちゃんしっかり! 今傷を治す……か、ら……」
ミィハエルが定期的に作っている、治療用の薬剤カプセルを使おうとした時、ビィの体に異変が起こった。
先程まで息も絶え絶えといった状態だったはずのビィが、ガチン! という音と共に歯を噛み鳴らすと、たちまち針が抜けて傷が治ったのだ。最初から傷などなかったかのように。
「やれやれ……困ったものだ。もう使う羽目になった」
首筋を撫でながら立ち上がるビィは、呆気にとられているフィリンの頭も同じように撫でながらため息を吐いた。
「えっ……と、何? 何が起こったの、今?」
「先取り……かな? まあ、喰い人の特権だと思っていい」
「分かんないよお。分かんないのは、もやもやする!」
「そんな知性の低いキャラだったか、君……?」
いや、と頭を振る。この子も三歳児なのだ。
分からないことがあれば、それはもやもやするだろう。ただでさえ大聖典から知識を与えられているのだ、与えられていない知識をボカされれば……それは、こうなるか。
しかし……どう説明するか。どう考えても今把握するべきことではないし……思いっきり難しく言うか。
「そうだな、私が無事であることは確定しているんだ。私が君たちについていくと決めた時から、最後の時が確定付けられた。厳密には、知らぬ間にそうなっているものを閲覧したんだ。だから、運命……事実の方に曲がってもらった」
「……? 何言ってるの? 意味わかんないよ?」
「分かる必要はないさ。ただ、傷が治ったと思っていればいい。喰い人はこういうことが出来る……皮肉だよね」
うーんうーんと思考の渦に囚われたフィリンを他所に、ビィはほっと先程とは別に意味でため息を吐く。これで相手がミィハエルだったりしたら、こうも簡単に騙せなかった。
そもそも喰い人とはなんなのか。その起源を知っている者ならば、ビィの適当な誤魔化しなど効かなかっただろう。
混血と喰い人は同じ生まれ、同じ運命なのに……決定的に違うことがある。混血たちは少なくとも愛されている……大聖典に。知覚され、理解され、与えられ、導かれる。
けれど、喰い人は……
「知られてすらいないんだよ、大聖典に……」
ボソリと漏れた思いは、声は、凍るように冷たかった。
「うーん……ねえ、ビィちゃん。もう一つ質問!」
「なんだい? 悪いがこれ以上答えるつもりはない……」
「ビィちゃん、穢れたビィって、どういうこと?」
忘れかけていたことだが、思い出した。
聖典の双子が言っていた、“穢れたビィ”。あまりの懐かしさに忘れようとしていた……あまりに忌々しい二つ名。
「……黒歴史さ。封印前、色々とやらかしてね」
「ふーん……でも、それっておかしいよ」
……何故ここまで食い下がる? 短期間しか行動を共にしていないが、“ビィ・ワールドロスト”の知っているフィリンは疑問に疑問を重ねない性格だと認識していた。
典型的な子供……多少理解が及ばずとも、難しいことは考えたがらずに、与えられたそれっぽい答えで納得する。
そんな性格だったはずなのだが。
「だって、ミィハエルお兄ちゃんが知らないんだもん」
「……そういうことか。面倒だね、大聖典は」
そうか、それなら合点が行く。ミィハエルか。
混血のことはよく知らないが、大聖典のことならよく知っている。アレは目的のためなら手段を選ばないタイプの具現化且つ世界そのものに干渉する力を持った存在。
控えめに言って厄介極まりない、害悪の権化。
そんな大聖典が戦争を根絶させるために混血を作り上げたと言うならば、どう形作るかなど分かりきっている。必要な知識……否、敵を排除するのに必須の知識を与える。
喰い人は敵ですらない、か。
「ミィハエルは、他より多く知識があるんだったね」
「うん! ミィハエルお兄ちゃんは何でも知ってるんだよ」
「……そうか。それは……はは、いいことだね」
あまりの苛立ちに、そんな言葉しか返せなかった。
腹立たしい。己の穢れなど、封印されている間にどれだけ考えたことか。もう離してくれてもいいではないか。
知らないことすら苦痛とするのか。混血を使ってまで。
「穢れたビィ、というのは……遡れば数千年前のこ」
自暴自棄なのかもしれないが、ビィが観念して話そうとした瞬間。僅かに揺れるレイピアが首元に添えられた。
反応……視認すら不可能な速度。そこにいたことすら気付けなかった。いつからいた? どこにいた? 付近の警戒は一切怠っていなかった……素人レベルであっても、だ。
「穢れたビィ」
仮面越しにくぐもった声が聞こえる。
「そう言ったな?」
「……知らない間に随分と人気者になったね」
フィリンは震えて動けない。賢明な判断だ。これがヘネラールだったりしたら衝動で動いて殺されていた。
「私は君を知らないが、君は私を知っているのかな?」
「……いや、知らん。だが情報として知っている。かつて穢れた者が生まれたというアバウトなものだが……」
「ただそれだけで、こんなことをする必要があるのかい?」
「問題はそこじゃない。穢れたビィの情報はな」
冷たい鉄の感触が首を這う。殺意が伝播してくる。
「両文明共通、ごく一部の人間しか知らないはずだ」
顎の下を刺される。熱い血が流れた。
「答えろ。穢れたビィの情報は、世界そのものの根幹を揺るがすと聞いている。どこで手にした、その情報を」
「……こんな状態で、まともに話せるとでも?」
「話せないなら殺すだけ……」
「あ、あの!」
ビィが死を覚悟していたその時、フィリンがレイピアを持った女……ピヴレインの背に声をかけた。
震えて、みっともない声……だが、ビィを救った声。
「ごめん、なさい。聞いたのは聖典の双子からで……」
「……聖典の双子? もう接触していたのかお前たちは!」
レイピアを鞘に収めて大声を出すピヴレイン。ビクッと震えたフィリンの肩を掴んで揺らし、質問を投げかける。
「ヘネラールはどこだ! 生きているのか!? お前たちは混血だろう、何故こんな所にいる! ヘネラールは」
「ビ、ビィちゃんが殺されかけて、急いで逃げてきたの」
なんということだ……とか細い声で呟いたピヴレインが、よろよろと後ずさって壁にぶつかる。まだ間に合うはず、だの死んで数分以内なら蘇生も可能なはず……だのと呟く。
「ヘネラールお兄ちゃんも、ミィハエルお兄ちゃんもとっても強いから、そんなに心配しなくても大丈夫じゃ」
「……お前たちが今まで接触してきた“敵”と、聖典の守護者たちでは次元が違う。二人での勝利など不可能だ」
「そんな……そんなことないよ。だってお兄ちゃんたちは」
「……聖典の守護者は、この世で一番強い。そうあれと設定されて創られた存在だ。余の愛するヘネラールであっても世界最強には勝てぬ。誰でも分かる、道理だ……」
顔を抑えて何も言わなくなったピヴレインを、フィリンが静かに見つめる。傷をさすって、ビィも黙る。
(フィリンは、良くも悪くも純粋さの塊だが……)
それがどう働くのか。
ピヴレインのことを、ビィは知らぬ。だが、口ぶりからしてヘネラールのことを知っていて……それを追ってここまで来たか。先刻の気配を消す行為からして、間違いなく現代の強者。ミィハエルが何か言っていた気もする。
なるほど、ストーカーか。これまた厄介な。
「えっと……でも、聖典の守護者は三人いるんだよね?」
「……それがどうかしたか?」
「それだと、最強は一人じゃないってことになるよね!」
ガシャリ、と音を立ててピヴレインの機械仕掛けの瞳がフィリンを見つめる。僅かに希望の色が灯る。
存外、わからぬものだ。こんな展開にもなるのか。
「なら大丈夫。お兄ちゃんたちも最強だよ!」