第四話 使命
出会ったのは誕生から丁度二年目の日だった。
ヘネラール・ヴィエルノ。
ミィハエル・ハーヴス。
フィリン・カノン。
大聖典から命と知識、そして使命を与えられ、世界そのものの調律者として誕生した混血たち。なんで自分にはその認識が与えられなかったのか……少し、疑問だった。
どうして二年経過するまで邂逅することがなかったのか。大聖典の眠るグリール山脈はどこまでも広大で、彼らの産み落とされた場所と正反対に生まれていたことも関係していたのだろう。顔も、声すら聞こえたことはなかった。
心の内側にはいつも炎があった。大聖典から与えられたのは、屈強な肉体と“この世界では数千年間もの期間戦争が続いている”という知識のみ。それはいつしか炎となった。
使命感なんてない。ただ、無数の命を食いつぶしながら戦争を続ける世界そのものに、果てしない嫌悪感を抱いた。
だから、落胆した。
ヘネラールたちが、この世から戦争を消すために旅をする理由が……ただの、使命感だったと理解した時に。
「はっはは、この程度かエイスタスとやらァ!」
「まだ五割も出していない! 調子に乗るなよピヴレイン!」
ピヴレインの攻撃は“多い”。瞬きする間に襲い来る刺突は認識が不可能な速度と量で、単純な直線運動を物量攻撃へと変貌させることが可能なのは恐らく彼女だけだろう。
(真に恐るべきはそこじゃないな)
そして、何より。
ピヴレインは未だ魔術を使用していない。
「考え事か? お花畑な思考回路だな!」
その思考整理によって生まれた隙を突かれる。
攻略はかなり進んでいた。正確な地形を把握しているピヴレインは理解しているが、同じペースでもあと二十分歩けば聖典の保管区域に入るはずだ。奥まで侵入している。
入り組んだ道も、坂道だってあった。魔法文明の性格の悪さが如実に現れた、実に複雑怪奇な地下迷宮だった。
全て破壊する。
「甘い甘い、蜜蜂の巣でもこうまで甘くはないぞ!」
「んの馬鹿力……! どんな鍛え方を……!」
腹部に五発の蹴撃を叩き込まれていた。
レイピアを突く速度で理解していたが、彼女は全身の筋力が異常に発達している。ダンジョンが崩壊しないよう、エイスタスの背が衝突した“点”のみが破壊されている。痛みを堪え、目を開いた時には外だった……どんな速度だ?
(偶然ではない。ダンジョンの崩落はそのまま聖典の破壊に繋がる。それにこの破壊方法は音が出ない。ヘネラールたちに気付かれぬよう決定的な分断……どんな怪力だ!)
結論はそこに行き着く。
よくよく考えると有り得ぬ。先刻転がってきた岩石の材質はダンジョンの壁や床に使われているのと同じ、魔術によるコーティングが為された特殊な鉱石だ。
蹴りによって吹き飛ぶ人体で破壊されるか? フィリンの【砲】を用いてようやく破壊出来た硬度だぞ?
「落ちるまでの一時だ。空中戦と行こう!」
身を捻り、エイスタスの開けた穴から飛び出してきたピヴレインと空中で対峙する。一秒にも満たぬ時間。
顔面に刺突。空力加熱。炎熱を纏う。
首を傾け、蹴り上げ。ピヴレインも顎を逸らす。
両肩を組む。単純な力比べでエイスタスは負けぬ。
そう、認識していた。
(んな……っ!?)
大聖典から与えられた肉体を、生まれてからこの日まで鍛え続けていたはずだ。最強の肉体だったはずだ。
地に落ちるのは、エイスタスが先だった。
「ふむ、増上慢。混血だから特別な存在だとでも思っていたのではないか? く、く。甘い甘い、あまりに甘い」
音はしなかった。
レイピアの切っ先はエイスタスの太腿を穿った。痛みはない、あまりの速度と鋭さ故に。無痛点を貫いたか?
地に縫い付けられる。動けない。
「どうせ死にゆく。余の魔術、教えてやろう」
「……興味がない。私が聞く必要性はどこにある?」
敵ということもあってか、自分でも驚く程に冷たい言葉が押し出されていた。普段のやかましい喋り方や言葉の密度は演技という訳でもない……覆い隠した己だった。
それが、こうまで。一気に脳が冷めていく感覚がした。
やれやれ、という風に手を振るピヴレインは、何か……理解を諦めたかのような雰囲気を纏っていた。
「まあそう言うな。余は立場上、対等に話せる存在があまりに少ないのだ。敵であれば好きなだけ話せる」
「哀れな人生だな。友の一人も出来なかったのか?」
「友、友か。作ろうと思えば作れたな。だが、余は友などよりも恋人が欲しかった。余の情愛を受け止める者が」
グン、と迫るピヴレインの機械仕掛けの瞳。青く輝く擬似眼球の奥には、ほんの僅かに見開かれた肉の瞳がある。
レイピアを引き抜きながら、背を向けるピヴレイン。唐突に何をしているのか、という疑問よりも先に脳が指令を出していた。その背中に拳を浴びせ、殺せ。と。
しかして不可能。全身を棘の生えた蔓が拘束している。
「余の魔術は半精霊体魔術【華】。聞いて驚け、適性は驚異のEXだ。魔法文明長しと言えど、こんな事例は余だけよ」
くっくっく、と呑気に笑うピヴレインを他所にエイスタスは戦慄していた。フィリンの【砲】でも適性はSS、世界規模で見ても最高クラスの適性だ。奇跡とすら言える。
EX。そんなものがこの世に存在しているのか。
確かに半精霊体は魔術との相性が良い。ピヴレインが元々フィリンと同程度の適性を持っているなら納得出来ないことでもないが、それにしても規格外が過ぎる。
「ン? なんだ、あまりの偉大さに声も出ぬか。く、く、当然の反応だな。安心しろ、お前は何一つ間違っていない」
喉が締まって言葉が出ない。そんな人間がいて、更に敵として立ち塞がっている事実が恐ろしい。
ミィハエルからピヴレインの情報は聞いていた。
魔法文明史上最強の戦士にして、軍部の中核。歴戦無敗の超級戦力……華咲帝ピヴレイン・ヴァーンマッドネス。
科学文明の秘されし頭脳、冷酷無比にして残虐性に満ちた無情の大帝、狂機皇アストゥツィア・クルークリスト。
この二名はそれぞれの文明が誇る絶対的な頂点であり、混血たちが戦争を潰していく過程の中でほぼ確実に障害となるであろう強者。全員揃うまで戦ってはいけない……
ミィハエルはそう言っていた。外見情報もあまりに一致していたから、あの場でピヴレインだと確信していた。
足止めのつもりだった……だが、これは。
「死だ。お前の前には死が立っている。最初は他の混血が聖典を破壊するまでの足止めのつもりだったのだろう。だが余は今から瞬きの間にお前を殺せる……確実な死だ」
死ぬ。逃亡すら出来ず、ここで死ぬ。
「なんだその目は……恐怖か? く、く。これがここ数年戦線を掻き乱し、両軍に被害を出した混血の一人か?」
全て、見透かされている。ピヴレインは魔法文明最強の戦闘狂だと聞いていた……違う。頭脳派だ。日頃から他者を観察し、頭を使っていなくてはこう簡単に読み取れぬ。
震える全身を無理やり抑える。どこか遠く思っていた死がこうも近くに来ている事実に……体が、冷えていく。
「何故……ただの魔法人である貴様がこうも強い」
声は震えていた。精一杯の強がりだった。
認めたくなかった。己は混血たちの中で最も肉体を鍛え、鍛錬を積み、戦争撲滅への思いが強いはずだ。
彼らの旅の理由は『使命』。二十年そこらで終わることが確定している命を、そんなことのために使い切るのだと断言してみせた。そのために生み出されたのだから、と。
腸の煮えくり返る思いだった。そんなの自由じゃない。そんなの本物じゃない。そんな考え、認められない。
許せないから、終わらせる。絶対的にそうあるべきだ。
「使命なんかじゃない、私が許せないからこの世界から戦争
を消そうとした! 永遠に続くこの戦争に吐き気がして、今も苦しむ人々を嘲笑う人間たちがどうしても許せなかった!」
気付けば震えは収まっていた。蔓に全身を拘束され、動くこともままならないこの状況で……頬を伝う雫が気にならないほどに熱く、湧き上がる激情を口に出していた。
背を向けたまま黙っているピヴレインがどこか不気味だったが、止まれなかった。叫んで出し切りたかった。
「この心の炎が、ずっと燃え上がっている! 貴様のような戦争を助長する者を、必ず殺さねばならないと!」
「……なあ、余は一つ疑問があるのだが……」
振り返ったピヴレインの瞳は黄金色。
首を傾げる動作、顎に当てた手、タンタン、と一定のリズムを刻むその様相には疑問以外の要素が存在していない。
故にこそ、その質問は信じ難かった。
「戦争で苦しむ者が……どこにいると言うのだ」
「………………は?」
「考えても見ろ、戦争があるからこそ文明は発展していくのだぞ? 学者も戦士も負けじと技術を磨き上げ、戦争を継続するために子も生まれる。生産や加工は全て戦争のために使用され、文明全体の団結力も強くなっていくのだぞ?」
狂気を孕んだ瞳、声音。否、それを狂気と認識することが出来るのは混血たちだけなのだろうか。
こうも当たり前に、こんなにも狂い果てたことを言ってのけるピヴレインは……人型の悪魔か何かに見えた。だってそれでは、なんのために戦争をしているのかわからない。
「貴様たちは……なんのために、戦争をしている?」
「果ての目的、か? そうだな、魔法文明は更なる魔法技術の発展。科学文明は世界の支配などと言ってはいるが……所詮そんなことは建前なのだろうな。余が思うに」
ピヴレインは思ったよりも問答に付き合う人間だった。
時間稼ぎで投げかけた問いではない。心の底から、問わねばならぬ気がした。そんな思考が、そんな考え方が世界の常識だとでも言うのなら……己に、混血たちの知識は。
一体どこの世界の知識なんだ?
「世界は戦争の上に成り立っている。心躍る命の奪い合いがなくては、この世界は立ち行かぬ。故にな……」
今も地平のどこかで命が散っている。
苦しみ、世界への怨嗟を湧き上がらせながら死んでいくものだと思っていた。戦争などという行為を否定しながら、無限に続く負の連鎖を呪いながら死ぬのだと思っていた。
だって、そうでなくては生命とは呼べぬ。恒星の如き命の輝きは、決して戦争なんかで奪われるべきではない。
それが、世の理ではないのか?
「したいからする。戦争がしたいから。殺したいから。心の底から命が欲しい。だから、戦争をするのではないか?」
「そんな……そんな訳がない! お前のような狂った人間に聞いたのが間違いだった、待っていろ今すぐ殺して」
「何をそう怒っている。お前と同じではないか」
ピヴレインのレイピアが首を貫いていた。さも当然のように、そうあるのが当たり前だとでも言うように。
「“戦争が嫌いで許せないから消す”のだろう?」
急激に体が冷えていく。心の炎も、揺らいでいる。
「何が違うというのだ」
違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!!
戦争は、決して許されてはいけない行為だ。この世から消え去って、誰からも忘れ去られるべきものだ! 二度と起こしてはならない、世界規模の悲劇そのものだ!
それを消そうとする行為と、続けようとする行為の何が同じだ! 何が同一なのだ! 何もかもが、絶対的に違う
「もし己の思考が絶対に正しいとでも思っているのなら、今からでも改めた方がいい。人には人の正しさがあり、お前の忌避するものは望まれるからそこにある。そんな簡単なことも理解出来ないゴミのまま死ぬのは嫌だろう?」
壊れていく音がする。自分の中の何もかもが。
手を伸ばす。手首から先しか動かない。全身の筋肉に力を入れるだけで、棘が皮膚と筋肉を引き裂いていく。
「ヘネラールは、お前のような者でないことを願うぞ」
ピッ、という音と共にレイピアは引き抜かれた。動脈を刺し貫いていたそれは、半円状の血の軌跡を描く。
ドクドク流れる熱い血が、どこか他人事に思える。
この感情は……なんだ。悔しい?
「な、んで、そこで……ヘネラール、が……!」
バチィ! という音と共に蔓が弾け飛んだ。全身に開いた穴からとめどなく流れる血液が、白煙と共に蒸発する。
(……なんだ? この唐突な体温と身体能力の上昇は)
ピヴレインはエイスタスとの戦闘において初めて警戒態勢を取った。離れていても理解出来る体内の異常。
(まさか、余と同じ能力に発現したか。悔しいが、やはりクルークリストの推測は正しかったな。罪に該当する感情の急激な高まりが引き起こす、超速の変化)
ギリリ、とピヴレインの全身の筋肉が締まる。
ピヴレインは戦争に人生を捧げた“戦争狂”であり、勝利と蹂躙のための鍛錬も……自己改造すら厭わぬ。彼女の肉体は既に、人間の辿り着ける最高到達点にある。
それすらもエイスタスには及ばぬものだが、ピヴレインは全身の運動能力に作用する部位に極細の植物の根を這わせている。力比べで圧勝したカラクリは、そんなにも単純なものだった。花粉によるドーピングも大きい。
だが……最早敵わぬ。仮にエイスタスの肉体に起こっている異常が推測通りなら……こちらも、解放せねばならぬ。
「貴様と戦ったのも、問答をしたのも。心の内を吐き出したのも傷を付けられたのも……全て、私なんだぞ!」
(間違いないな)
それは、傲慢。七つの大罪が一つ、高慢の罪。
他の混血とは違う。足止め程度なら出来る。ピヴレインとは一対一で、今この場ではお互いしか見ていない。
全て傲慢。勝手な思い込みだ。
「この私、エイスタスなんだぞ!」
【高慢到達】
「……すまないが、余には貴様がゴミにしか見えん」
それは、色欲。七つの大罪が一つ、情欲の罪。
愛してくれる者しか見ない。愛するべき者しか見ない。己が肉欲を完全に受け止めてくれる……意中の相手以外ゴミ。
全て情欲。堕落極まる淫の到達点。
「ゴミはゴミ以上の名を持たぬ」
【情愛怒張】
罪が、ぶつかる。