第三話 せめて明るく
「なあ、提案があるんだが」
暁の聖典ダンジョンに到着すると同時、ヘネラールがそう言った。苔の蒸した石扉が重厚な威圧感を与える。
「魔法は科学と違って視認出来ない。ダンジョン内部頑丈な俺とミィハエルが先行するから、後の三人は俺たちが安全だと確認したら後からついてきてくれ。頼めるか?」
「待て、頑丈と言うならエイスタスが適任だろう」
「なんだ? 私はエイスタスだぞ!」
「それは知っているぞエイスタス」
混血たち一行の中で最も防御力が低いのは間違いなくビィだ。まともな戦闘能力を持たず、喰い人の取り柄である概念を喰う能力も使えない……今のところはただのお荷物。
次点でフィリン。彼女は混血科学が多少防御性能を保有しているが、科学文明の一般武装でも破壊できる程度の脆いものだ。それに体格も小さい、耐久には適していない。
だが、他の三人は違う。
「俺は炎の燃焼武装がある。ミィハエルも敵の強さに合わせた武装展開が出来る。エイスタスにそれはないだろう」
「何か用か!? 私はエイスタスだぞ!」
「それは知っているから安心しろエイスタス」
「僕も全容を把握している訳ではないが、エイスタスの混血科学は防御が可能だ。それに素の身体能力が高い」
「私はエイスタ」
「そろそろ黙っててくれないか」
シュン……という擬音が今にも聞こえてきそうな顔をしてエイスタスが黙りこくった。完全な自業自得とはいえ、少し可哀想に思ったフィリンとビィが頭を撫でる。
ヘネラールとミィハエルの口論はしばらく続き、誰が先行するかという議題は平行線を辿っていた。時折フィリンたちの意見も聞いて少しでも進めようとするが、より熱くなるだけでまったく進まない。既に日が傾き始めていた。
ガリガリと乱暴に後頭部を搔いたミィハエルが、「もう我慢の限界だ、言わせてもらうがな!」と声を張り上げる。
「エイスタスは意思の疎通が難しいんだよ! 確かに防御性能は高いかもしれないがな……ああ! 馬鹿なんだよ!」
「おまっそれは……ぐう、何も言えない……!」
あまりにも残酷な事実が口論を終結させた。隅の方で号泣しているエイスタスとは限りなく視線を合わせづらい。
結局、先行するのはヘネラールとミィハエルの二人に決定した。残りの三人は、後ろから彼らが攻撃されないよう護衛する役割だ。半日強をかけてようやく方針が決まった。
「じゃあ……行くか……」
「すまない、もう一つ提案がある」
疲れた顔で踏み出そうとしたミィハエルの肩を掴んで、ヘネラールが口を開いた。
「この旅は、つらいものになる。笑顔を見せない期間も生まれるだろう。だから、せめて明るく行こう」
「……矛盾してないか? 無理に明るくしろと言うのか?」
「あれだ、テンションを上げていこう。どれだけ現実が残酷でも、気持ちだけならどうとでもなると思うんだ」
ヘネラール以外の全員が顔を見合わせる。少しの間、沈黙が場を支配し……そして、堰を切ったように笑い出した。
「な、何がおかしいんだよ」
「いや、いや……そうだな。お前はそういうやつだった。忘れてたよ……だから僕たちは、お前をリーダーにしたんだ」
ポン、と肩を叩いたミィハエルの手は暖かかった。その温もりはあまりにも優しくて……ヘネラールも笑った。
「行こう」
「ああ」
石扉を開く。ダンジョン攻略、開始。
――――――
「思ったよりも生物が多いな……半精霊体か」
「みたいだな。まあ、苦戦するほどではない」
ダンジョン内部に突入して数時間が経過した。最初の頃は罠の警戒を最大限に、牛歩の進みだったが……次第に気付いたのは、罠よりも戦闘生命が多く配置されていることだ。
半精霊体は魔法文明の発明の一つで、魔法適性を無理やり高める“核”を中心として大聖典のエネルギーで構築された肉体を与えられた生命体の総称。後からなることも可能で、半精霊体改造手術は大体十歳頃に解禁される。
魔法文明に属し、戦闘を極めようとする者はこぞってこの手術を受けるのだとか。確か魔法文明最強の戦士であるピヴレインも、半精霊体改造手術を受けていたはずだ。
「個体差が激しいというのは本当なんだな。どれも厄介なのに変わりはないが、強いという訳じゃない」
「ピヴレインは二十万の兵を単独で葬り去ったという記録が残っている……いつか戦う必要があるのかなあ……」
その未来を考えると次第に暗くなってくるが……気分だけでも明るく行く、と言ったのはつい先刻。頭を振って頬を叩き、無理やりに笑顔を作って歩き出す。
「うん、ここらはもう心配ない……合図を頼む」
「分かった……よし、出しておいたぞ」
ミィハエルの混血科学【毒】は、主に人体にとって害になるものを生み出す能力を持つ。しかし、彼ほどの練度があれば無害のものを生み出すことも可能。先程から彼は、赤色の霧を流すことで後続組に合図を出していた。
「死体は集めておこう。フィリンが使うはずだ」
「ああ、そうだな。条件がめんどくさいからな【砲】は」
フィリンの混血魔術【砲】は混血一行の中でもトップクラスの火力を誇るが、発動条件が非常にめんどくさいものとなっている。少なくとも独力で達成するのはまず不可能だ。
だが、発動出来れば場合によっては地形すら変えることの可能な威力となる。日頃からの準備が大切なのだ。
「ヘネラールお兄ちゃん! ちょっと来てぇ!」
また先に進もうとした瞬間、後方からフィリンの絶叫が聞こえた。薄らとエイスタスの高笑いも聞こえる。
思う。嫌な予感とはこういうことを言うのだろう。
「ビィちゃんが泡吹いて倒れちゃったよー!」
「ちょっと待て話が変わってくる」
まさか罠が残っていたのか?奇襲型の半精霊体が生命反応の弱い相手のみを狙うプログラムにされていたのか?
最悪の場合、ミィハエルの【毒】が喰い人にのみ有害だった可能性がある。確かに喰い人に対して【毒】の効能を試したことはなかった。今ならまだ間に合うはず……!
「はーはっはっはっは! 私はエイスタス! 混血たちの指導役であり最強の熱血戦士! そう!我が名はエイスタス!」
「うるさい……もう分かった……エイスタス……エイス……」
「ビィちゃんが泡吹いてるよお! なんなのお!?」
これだけで大体流れが分かるのが怖い。
恐らく、退屈な時間に耐え兼ねてビィがエイスタスに話しかけたのだろう。フィリンは【砲】の準備に集中しているのだから、配役としては妥当だと言える。
そこからはもうお察しだ。エイスタスは自己紹介の魔人、きっと得意分野とか、そういうことを聞いたのだろう。
「洗礼、だな。エイスタスに埋もれるのは」
「心配を返して欲しい。それと時間。余裕ないんだぞ」
ゼェハァ肩で息をして、走ってきた距離を見ると思わずため息が零れる。心配した分の心労もそれなりのものだ。
だが……新鮮なものだ。自分たちは最初、ヘネラールとミィハエルが同じ場所に生まれ落ちた。その後心細く泣いていたフィリンと出会い、最後にエイスタスと出会った。彼女に埋もれた回数は十や二十では足りない。
当時は本気で泡を吹いたが、今思い返すと……数少ない笑いの生まれる思い出だ。まさかここで見られるとは。
「くっ……はは、あっははははは!」
一番最初に笑いだしたのはミィハエルだった。水流を押しとどめられなくなったダムのように、笑っている。
釣られてヘネラールたちも笑い出す。最初から笑っているエイスタスは置いておくとして、オロオロしていたフィリンも小さく笑った。ビィも……多分、笑っている。
「全然……くく、笑い事じゃあないんだけどな……」
「見る側に回ると案外、楽しいものだな! はははは!」
あの時は全員が泡を吹いていたから、等しく大惨事だった。誰も、こうして笑える立場にはいなかった。
そうか、こういうものだったのか。これはいい。
「えっと、お兄ちゃんたち……問題ない、ってこと?」
「ああ……一応、死にかけたら助けてやってくれ」
まだ余韻を残す笑いを引きずりながら、攻略を再開した。先程まで進んでいた場所に戻り、慎重に進む。
時折零れる思い出し笑いのようなものは、普段のミィハエルなら注意してくるのだろうが……この時ばかりは黙ってくれていた。いや、それどころか一緒になって笑う。
三十分ほど経った頃、ミィハエルがしみじみと言う。
「そうか……これが、“せめて明るく”ってやつか」
「本質の理解は、案外難しいもんだな」
使命に、戦争の蔓延る世界への悲しみに支配されていた心では決して理解出来なかったことだ。何か面白いことがあれば全員で笑い合い、楽しさを共有する。なんだか新鮮だ。
したことがなかった。する日が来るとも思ってなか
ガチ
「ガチ?」
油断していたのだろう。どこか心に沁みていくような思いにふけっていると、足元からそんな音がした。
見れば、タイルが窪んでいる。典型的な罠だ。
恐らく、足を浮かせた瞬間に何かある。
静かに上を見る。天井のタイルも外れかけている。奥から覗いているゴツゴツした何かは、岩石? そういえばここは坂道だったな。なるほどなるほど、転がる岩石か。
「……今の感想を一言どうぞ」
「今どきここまで古典的な罠も珍しいな」
「お前後で覚えてやがれよマジで」
「せめて明るく受け流してくれると助かる」
ガシャン
「「うおああああああああああ!!!!!」」
ミィハエルが足を浮かせると同時、想像の二回りほど大きい岩石が降ってきた。あちこちが赤黒く染まっているソレは、一体今までどれだけの命を磨り潰してきたのか。
いや今はそんなことどうでもいい。本気で。
「フィリィィイイイン! 助けてくれえええ!!!」
ミィハエルは敵の強さに合わせて自身の肉体を強化する混血魔術を扱えるが、岩が相手では効果がない。ヘネラールも爆発物を生成する混血科学を扱うことが出来るが、これほどの大きさの岩石を破壊出来るほどの爆発物は作れない。
フィリン以外に希望はない!
「丁度【砲】が完成したよ……エイスタスお姉ちゃん!」
「何か用か!? 私はエイスタスだぞ!」
「知ってるよエイスタスお姉ちゃん! 指示をお願い!」
「任された! 三……二……一……今だ撃てェ!」
エイスタスが腕を振り下ろすと同時、フィリンが指で作った銃の先端が煌めく。ダンジョンのどこかで轟音が響いた。
混血魔術【砲】。新鮮な死亡済みの命を吸収し、そのエネルギーから精製された砲弾を放つ魔術。吸えば吸うほど威力が上昇するが、あまりに多い場合は術者に負担がかかる。
今回はそう吸っていない……が、あの程度の岩石ならば破壊は容易。二人に当てないように気を付けるだけでいい!
「伏せてねお兄ちゃんたち!」
刹那、閃光。薄暗いダンジョンが鮮明に輝いた。
そしてダンジョン全体を揺るがすような轟音。無数の半精霊体の命を吸収して強化された【砲】が、長年侵入者の命を奪ってきた岩石を打ち砕いた。これが混血の力。
フィリンたちの待機していた場所に駆け戻ってきたミィハエルたちが、拳を突き出す。グータッチして、とにかく命があったことを喜んだ。ヘネラールのことは普通に殴った。
「よくやった、フィリン……偉いぞ、お手柄だ」
「えへへ……ありがとうミィハエルお兄ちゃん」
「ひょうだぞ、ひょくやったじぉフィリン」
「ヘネラールお兄ちゃんが凹んじゃったよ……」
何をやっているんだ君たちは、とぼやきながらビィが呆れたように笑う。エイスタスは腕を組んで仁王立ちしたまま、誇らしげに「私はエイスタスだ!」と連呼している。
役に立てて嬉しいのだろう。普段重要なことは任されないから、ほんの少しの寂しさを感じていたのだろうか。
「……エイスタスも、よくやったぞ」
「そうだろう! 何故なら私はエイスタスだからな! そして気になるだろう私の名前は驚きのエイスタス」
「進もうかミィハエル。まだまだ先は長い」
肩を叩いて歩き出す。あの罠は恐らく、ここまでに罠が少ないことに油断した者を殺すためのものだ。流石は魔法文明と言うべきか、巧妙……否、性格が悪い。
あの場所までの安全は確認出来ているので、フィリンとビィも連れていく。エイスタスはまだ笑っている。
「ね、ねえお兄ちゃんたち……エイスタスお姉ちゃんは置いてっていいの? まだ一人で笑ってるよ……?」
「どうせ後からついてくる。今は放っておこう」
そう……と呟き、フィリンはチラリと後ろを振り向いた後に歩き出した。エイスタスの立ち姿は実に堂々としている。
花のような桃色髪がサイドテールに揺れる。頭をガックガクさせながら笑う彼女は、実に楽しそうだ。
何度も何度も叫ぶ名は、位置でも示しているかのよう。
「……策士か? いつ気付いた、とは問わん。貴様も阿呆そうに見えて混血だ。呆れさせ、わざと置いていかれることで分断したか……なるほど、見かけに寄らずとはこういう」
スラリ、とレイピアを抜く音が後方から聞こえる。
尾けられているのは最初から分かっていた。ヘネラールたちが罠を解除し、半精霊体を殺しながら進むのだから、さぞ快適なダンジョン攻略だったのだろう。
「だが、蛮勇だ。貴様一人で余には勝てぬ」
「それは、私を誰か知っての発言か?」
「知らんな、死にゆく者の名は覚えん主義だ」
「……何度も名乗っているだろう」
理由は不明だが、彼女はヘネラールを目的としてこの暁の聖典ダンジョンまでやって来た。彼単体を目指して。
彼女はそれを知らぬ。だが、これから聖典の守護者を討伐せねばならないヘネラールたちに負担はかけられない。ただでさえ切り札の【砲】を一つ失っているのだから。
己の立場は理解している。キャラ付けというワケではないが、意思疎通が困難な迷惑キャラ。今までの戦闘でも、息のあった連携が取れたことはない。足止めが適任だ。
相手は魔法文明史上最強の戦士。特務魔法中将……
ピヴレイン・ヴァーンマッドネス。
「私はエイスタスだ!」
対するは、エイスタス・フォルフォニティ。
混血きっての熱血児、奇人を装う策略家。