第二話 特務魔法中将
「俺たちがすべきことは……六つ? 二つ? だ」
「はっきりして欲しいところだね」
「六つと二つって結構違う気がするよお……」
ビィが正式に加入することが決定し、この拠点で過ごす最後の夜。改めて仲間全員と今後の方針を確認していた。
前提として、混血たちの目的は二千年前から続く文明対立の根絶……言うなれば全戦争の停止。それが星の意思である大聖典から産み落とされた四人に課せられた、絶対の使命。
「ここまでこじれた戦争だ、終わらせるには真っ向からぶつかる以外の方法はない……そこでだ、ミィハエル」
「ああ。ダンジョン攻略と、科学大躍進の阻止が鍵になる」
ビィ以外の全員が頷き、気持ちを固め直す。誕生から三年が経過し、もう何度も話し合って話し合って、時には殴りあって辿り着いた結論だ。誰も異論はない。
ビィだけはずっと頭上に? を浮かべたままだが。
「……一応、説明しておく必要があるか」
「まずはダンジョン攻略からだ。聖典はわかるな?」
「ええ、大聖典の子機。濾過器と言ってもいいかしら?」
そうだ、とミィハエルが頷き鞄から地図を取り出した。
世界地図、その中心に近い位置にバツ印が三つ……今までの発言から推測するに、ここにダンジョンがあるのだろうか。
「魔法文明は大聖典……ひいては聖典にエネルギーを依存している。そして大聖典から直接供給されるエネルギーはあまりに膨大すぎて、聖典を経由しないと使えない」
トントン、とミィハエルが叩いた位置は大聖典。他の山々とは次元の違う標高を誇る超巨大山嶺、グリール山脈。その中央部に大聖典は鎮座し、創世の時より世界を見守っている。それは、ビィの生まれた時代にもある常識だ。
この世界に満ちるエネルギーの大半は大聖典が起源。そしてそれを人間でも使える規模まで落とし込むのが聖典に与えられた機能であり、世界に三つ存在している。
「科学文明は魔法文明の根絶を目的として戦争を続けているから、今は気にしなくていい。話を戻そう……ここからが大事なんだが、聖典は魔法文明製のダンジョンに守られているんだ。これを攻略しないと聖典には辿り着けない」
「つまり、ダンジョン攻略の最終目標は聖典の破壊?」
「よく気付いたな。そうだ、そこから魔法文明を崩す」
真っ向からぶつかると言ってはいるが、それは戦争が対象ではない。“文明と真っ向からぶつかる”のだ。
魔法文明の根底を支えているのは間違いなく大聖典だ。いや、聖典だろう。ならば、その聖典を破壊すれば間違いなく魔法文明は衰退する。故に、ダンジョン攻略。
「それが三箇所……で、六つの場合の残り三つは?」
「科学大躍進……流石に聞き覚えはないか」
地図を仕舞って、別の紙を広げる。魔法文明の中央と科学文明の中央に線が引かれた簡素な地図で、科学文明側から魔法文明側に向けて三本の矢印が描かれている。
「魔法文明と科学文明は拮抗状態にある。科学側は慎重派だからな、どこか魔法側に穴が出来るまでは、比較的小さな戦争しか起こさない」
「けれど、ダンジョン攻略を達成した場合動くことになる」
「そういうことだ。お誂え向きに科学大躍進も丁度三回あるからな……だから二つなのか六つなのか分からなかった」
ミィハエルが科学大躍進の簡単な説明を始める。それぞれの大躍進に一人、つまり三人の統率者が魔法文明を破壊すべく軍勢を率いて進軍するのが科学大躍進。いくら慎重派集団とはいえ、ダンジョン攻略ほどの大事があれば開始するのは必至。およそ千年ほど前に準備が終わったのだったか。
「科学大躍進は一度実行するのに凄まじいリソースを使う大事業だ。大聖典のエネルギーを使用しない科学文明では三回が限界だったんだろう……その全てを潰す。魔法文明と科学文明を順番に衰退させていくんだ。簡単だろう?」
科学大躍進の阻止は科学文明の衰退に繋がる。
なるほど、とビィが理解したのを確認してヘネラールが手を叩く。ここからは立ち止まる時間もない……この夜が、最後の安寧の時になるだろうことは誰もが理解していた。
ダンジョンの最奥には、科学大躍進統率と同等レベルの番人が存在するという。一筋縄では行かない敵だ。
きっと誰かが死ぬ。混血は魔法と科学の両方に高い適性を持つ世界そのもののイレギュラーではあるが、それを上回る強者というのも当然存在するのだ。簡単ではない。
だが迷いはない。必ずやこの世界から戦争をなくす!
「良し。まずはこのダンジョンから潰す。ここから南に進んだところにある暁の聖典だ……気を引き締めていこう」
応! と闇夜に元気の良い返事が響き渡る。
相も変わらず紅い月は、血濡れた瞳のようだった。
――――――
魔法文明の中枢を担う大国家、アルメテティア。
普段、将校たちは与えられた陣地で指揮を執っているのだが、今日この日だけは中央に舞い戻ってきていた。
下命者不明の招集命令が、突然全員に下されたのだ。こんな怪しいもの、断るべきなのは言うまでもないが……聞けば大佐以上の将校にも命令が下されていたのだという。
招集願いならいざ知らず、これは一方的な命令。そんなことが出来るのは……全会一致か特務将校の決定だけ。
断れば首が飛ぶだろうことは馬鹿でも分かる。
「お久しぶりです。東部でのお噂はかねがね」
「これはこれは北部の。いや何、運が良かっただけです。ピヴレインめのような大殲滅がしてみたいものですな」
「はっは、アレは暴走! けして褒めるべきことでは……」
宴か何かのように用意された上等な酒や料理、何より雰囲気に酔った官僚たちが口々に日頃の思いを吐き出す。部下に話すことの出来ないことは多い、ストレスも溜まる。
同じ身分の人間と自由に話せる機会があれば、会話が弾むのも仕方のないことだろう。誰でもそうなる。
「……っと、やりにくいですな。場所を変えましょう」
「ちっ、ピヴレインの雌豚が、どうしてこうも一般兵からの評判が良いのか……あんなのただの暴走列車ではないか」
「東部の! いつ襲われるか分かりませんぞ!」
シャンデリアが照らすホールのそこかしこでその名を囁かれる、魔法軍少将【ピヴレイン・ヴァーンマッドネス】。将校たちからの評判はすこぶる悪いが、彼らの護衛をしている一般兵たちから向けられる感情は尊敬以外に有り得ぬ。
この場で彼女の陰口を叩こうものなら、凄まじい殺気と嫌悪感を向けられるは必至。口を噤むしかない。
(豚はどっちだ、命令しか出来ない後方のド豚野郎)
(将校の任務をこなしながらも前線で戦うピヴレイン様の方が、お前たちなどよりよっぽど偉大な存在だ)
ヒソヒソと伝播していく、ピヴレインへの称賛と他の将校たちの陰口。普段こき使っている一般兵からゴミを見るような視線を向けられて、彼らはどこか息苦しそうだ。
華やかだった雰囲気が暗くなり始めたその時、ホールの中央にライトが集中する。無数の視線が集った先には、明らかに様子のおかしい魔法軍元帥の姿があった。
「あ、集まってくれ、ててて……感謝、するぅ……」
その場にいる全員が一斉に敬礼するが、表情には懐疑の感情が溢れていた。喋り方も立ち姿も……以前姿を現した時のような、威厳に満ちた様相とはかけ離れたものだった。
呂律が回っていない、視線も定まっていない。口の端には泡が……誰かに傀儡にでもされているのか?
「と、とととと特務魔法……中将、前へぇ……」
特務魔法中将。軍部でも最高レベルの自由を確約される代わりに、命懸けの任務が増える特殊な立ち位置。現在大将の地位には誰もおらず、実質的なトップが中将だ。
権力的には統率の一つ下程度で、今の中将は特に目立った功績も上げていないから……まさか、交代か?
権力を腐らせておくのは愚策。今回の招集はそういうことか……いや、おかしい。だとすれば何故招集命令が下命者不明だったんだ?総帥名義でなんら問題はなかったはずだ。
何かおかしい。そうだ、ずっと違和感があった。
ピヴレインがこの場にいない。
「魔法軍、少将のっをおおおお、ピヴレイン・ヴァーンマッドネスから、ああああ……具申がある、そうだだだっだだ」
怪訝な顔をした特務魔法中将が総帥の横に立ったその瞬間だった。糸の切れた人形のように総帥の体が倒れた。
そして、特務魔法中将の首もズルリと落ちる。
「……えー、ごほん。改めて、本日集まった諸君」
誰もが呆気にとられていた。唐突に死んだ特務魔法中将とピクリとも動かない総帥の間を行き来する視線の数々が、その場に満ちる困惑を最も的確に表現していた。
反響するマイクの音は、麗しい女性の声だった。魔法軍に所属する者ならば誰もが聞いたことがあるだろう。
「ピヴレイン……ヴァーンマッドネス」
「ふむ、余の名を呟いた者がいるな。良い心がけだ。わざわざ余が名乗るまでもないと思っていたのでな」
事切れた二人の死体の上に降り立ったその姿は、戦場を駆け回る黒い悪魔のようだった。こんな場所でもそう思う。
魔法軍将校に等しく与えられる黒い軍服に、厚底のブーツがよく似合う。科学文明で作られていそうな鉄の仮面を身につけ、何故かその上からしている眼帯にはなんの意味があるのだろうか。後ろ手に組んだ両腕は戦士らしく逞しい。
瞳の色は赤色だ。高揚を示す戦の赤。
「では諸君、今ここで宣言する。この瞬間から、余が魔法軍を預かることにした。異論がある者は手を挙げよ」
ぽかーん、という気の抜けた擬音がホールに満ちた。今まで感じたことのないその感覚に誰もが陥った。驚愕、呆気、そんな感情を通り越した……理解不能なこの状況。
数秒の沈黙の後、ピヴレインが頷いた。では今後の方針を〜などと話し始めようとしたその頃、流石に動く者がいた。前々から彼女に反感を抱いていた将校たちだ。
「ま、待て待て待て待て待て!」
「貴様こんな……許されると思っているのか! 総帥のみならず特務魔法中将をこうも堂々と殺すなど……有り得ぬ!」
「明確な反逆行為だ! 遂に血迷ったのかピヴレイン!」
ワアワアと騒ぎ出す将校たちを、一般兵は冷めた目で見つめていた。分からないのか?あの二人をこうも容易に殺した存在に歯向かうことの愚かさと、その結末が。
「……余が、二十万の科学軍を殲滅したことは知っているはずだ。余が、戦争で心を病んだ者の憩いの場を作り上げたことを知っているはずだ。何もかも知っているはずだ」
明らかに下がった声のトーンに、将校たちが押し黙る。
ピヴレイン・ヴァーンマッドネスは、歴史上最速で少将まで昇り詰めた戦の天才だ。そのあまりの天才性故に、将校たちからは反感を買い……一般兵たちからは慕われる。
戦争において彼女を上回る者はいない。実際の戦闘も、傷付いた者のケアも。彼女は悉くにおいて天才なのだ。
「あの迷彩は厄介だった。余の魔術がなければ東部戦線は完全に崩壊し、今頃魔法文明がどうなっていたか分からぬ」
何も言えない。ピヴレインの優秀さは誰もが知るところであり、彼女なしに今の魔法文明は有り得ないと断言出来る。僻みにも近い反感は、今や完全に力を失くした。
「ここで貴様らの首を刎ねても良い……だが、あちら側にはクルークリストがいる。少なくとも手駒は必要だ」
ガシャ、ガシャリとガラスの割れる音が響く。将校たちが手に持っていたグラスを落とした音だった。唐突に胃を抑えて苦しみ出し、血を吐いて倒れる者もいた。
「余の魔術は酒を通して貴様らの肉体を侵食した。逆らうならば殺す、従うなら……余の目的を果たすまで生かしておいてやる。なに、すぐに終わる。それまでの辛抱だ」
パチン、と指を鳴らすと将校たちの苦しみは消えた。内臓そのものを掻き乱されるかのような苦しみが脳裏に刻み込まれた彼らは、今後絶対にピヴレインには逆らえない。
息も絶え絶えの将校たちと、絶対的な力を示したピヴレインのあまりの差に……一般兵は思わず拍手していた。
「ピヴレイン! ピヴレイン! ピヴレイン! ピヴレイン!」
心の底から湧き上がる衝動に任せて名を叫ぶ。
打倒科学文明のために従っていたが、将校たちは全員根っこから腐ったクズ共だ。目指すところが同じだということがどこまでも気に食わなかった……今、完全に気が晴れた!
超優秀な指揮官であり、前線でも科学軍を殲滅する魔法文明史上最強の戦士。戦場に咲く一輪の薔薇……
「ピヴレイン・ヴァーンマッドネス!」
これからは、彼女が魔法軍を引っ張っていく。科学軍が全滅するのも、最早時間の問題に違いない!
「……静まれ。えー、そことそこと、そこ。うん、貴様らを総帥とその補佐に回す。余の地位は特務魔法大将……語感が気に入らんな。特務魔法中将としておけ」
ピヴレインが適当に指名した将校が、涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔で頷く。誰が異論を唱えられようか。
実質的な魔法軍のトップはピヴレインだ。彼女が支配し彼女が導く。ああ……ようやく光が見えた。
魔法軍の未来は明るい!
「では、解散。埋め合わせは適当にしておくように」
そう言って、ピヴレインは舞台裏に引っ込んだ。未だに一般兵たちの熱気に包まれたホールからは、歓声が聞こえる。
くっく、とピヴレインは一人笑った。
まるで恋をする乙女のように。
「待っていろ混血、ヘネラール! 必ずや余の所有物にしてくれよう……余も! 暁の聖典へと向かうからなぁぁああ!」
……野蛮な感情に支配された、戦女神の恋だった。