新たな友人
「あら……?」
「――、」
その日の放課後、パトリシアは寮へと帰ってきた。
荷物を置き、少し身支度を整えて夜ご飯にカフェテリアへ向かおうと部屋を出て、まさかの人と再会した。
「お隣だったんですね? はじめまして。セシリー・フローレンと申します。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……失礼いたしました。パトリシア・ヴァン・フレンティアと申します」
まさかこんなところで件の人物と会うことになろうとは。
だがよくよく考えれば確かにその通りだなと彼女の部屋の扉をチラリと見る。
パトリシアが住む最上階の一室。
二つしかないうちの一つを彼女が使うのはわかりきっていたはずなのに、そこに気が付かなかったなんて。
やってしまったと視線を下げていると、セシリーはそんなパトリシアを見て手を叩いた。
「もしかして、クロエ様がよく口にされていた白百合の乙女様ではございませんか?」
「……えっと……多分そうかと……」
自分から名乗ったこともないし、自分のイメージにあわないであろうその名前を肯定するのに、ちょっとだけ恥じらいを持ってしまう。
しかし否定することもできず頷けば、彼女は瞳をきらきらと輝かせた。
「まあ! クロエ様からお話はよく聞いておりました。いつかお会いできる日をと楽しみにしておりましたわ」
「ありがとう、ございます」
一体なんの話をされていたのかは気になるが、まあ悪いことではないだろうと感謝を述べる。
彼女はにこにことしていた笑みをすぐに消し、どことなく気まずそうに口を開いた。
「……あの、お話ししたくないのならばいいのですが、ひとつだけパトリシア様にお会いしたら、お聞きしたいことがありまして」
「なんでしょうか?」
先ほどまでの楽しげな雰囲気はどこへやら。
今にも泣き出しそうな表情をした彼女は、強く拳を握り締めると真っ直ぐにパトリシアを見てきた。
「――どうして、婚約破棄をなされたのですか?」
その質問にそっと息を呑み数秒、口を開くことができなかった。
彼女を見つめたまま動けないパトリシアに気づき、セシリーは慌てて否定する。
「違いますわ! 非難するとかではなく。わたくし、パトリシア様のお話をクロエ様から聞いていて、とても勇気が湧いたんですの」
「…………勇気、ですか?」
「ええ。わたくしも、パトリシア様のおかげで自分の本当にしたいことに気づけたのです」
どういう意味だろうか?
彼女とは初めて会ったのに、一体なにが彼女に勇気を与えたというのか。
セシリーはそっと己の胸元に手を当てて、その時のことを思い出すように微笑んだ。
「わたくしとハイネさんは親同士が決めた婚約者でしたが、お互いに恋愛感情はありませんでした。それでも結婚して国のためになればと思っていたんです。けれどクライヴ様とお会いして、わたくしの世界は変わりました」
あ、とパトリシアは一瞬彼女から視線を逸らす。
その後すぐに戻したため多分気づかれなかったとは思う。
だから大丈夫だと、うるさいほど高鳴る心臓を抑えた。
「クライヴ様と初めてお会いした時、一目惚れしたんです。ああ、この方がわたくしの運命なのだと。けれどその時にはもう、ハイネさんとの婚約がなされていて……。諦めるしかないのだと思っておりました。けれどパトリシア様のお話を聞いて、わたくしは目が覚めた気分でした」
彼女はその勢いのまま、パトリシアに近づくとその手をとった。
真正面から真っ直ぐに向けられた瞳は美しくも強くて、吸い込まれるようにじっと見つめ返してしまう。
「婚約破棄をした令嬢がいると! わたくしとっても驚きましたの。そんなに勇気のあることをなさる方がいらっしゃるなんて、わたくしも勇気を出すべきなのではと」
「……だから、婚約破棄をなさったと?」
「はい! 結婚するなら本当に好きな方としたいではありませんか。だからクライヴ様にこの想いを伝えるためにここまでやってきましたの」
なるほどまさか、今回の騒動の原因がパトリシアだったとは。
彼女の背中を知らず知らずとはいえ押してしまっていたなんて。
先ほどとは違う意味で心臓が痛いと、少しだけ背中を丸めた。
「申し訳ございません……。私のせいで」
「いいえ! パトリシア様のおかげで勇気が出たのです! それはとっても素晴らしいことですわ。この場を借りてお礼申し上げたかったのです」
「…………そう、ですか」
パトリシアの行動に触発されて一人の少女が勇気を持って行動できた。
それは本当に素晴らしいことだし、とても嬉しいことだとも思う。
けれどそのせいでまさかのハイネが婚約破棄をし、さらにはクライヴに想いを寄せて学園にまでやってくるなんて。
二人に迷惑をかけてしまったことを知り、パトリシアは落ち込んでしまいそうになる。
しかしここでそんな表情をするわけにもいかず、あとで二人には謝っておこうと決めた。
「……あの、そんなわけでわたくし、パトリシア様には憧れておりまして……そのっ」
「はい? なんでしょう?」
彼女は頬を赤らめると、もじもじと体を揺らす。
その可愛らしさを正面から見たのが異性だったら、きっと庇護欲に駆られていたことだろう。
かくいうパトリシアも可愛らしいなと見つめていると、彼女は力強く顔を上げた。
「よろしければ、パトリシア様とお友達になれたらな、と思っておりまして……その、ご迷惑でなければ……なのですが」
「……」
一瞬。
本当に一瞬だけクライヴの顔が頭に浮かんだ。
彼女はクライヴのことが好きで、彼にその想いを伝えるためにこの学園までやってきた。
そんな人とパトリシアが友人になるのは、いいことなのだろうか?
もちろんクライヴと恋人関係になっているわけではない。
今はただの友人だ。
けれどパトリシアの中にある小さなこの想いは、いつか大きくなった時彼女とは衝突し合う運命なのではないだろうか。
そんな思いが頭に浮かび、彼女からの提案にすぐに返事ができなかった。
それを見たセシリーは、悲しげに眉を寄せる。
「……やはり、無理でしょうか?」
「っ、違います! あの、実は私はハイネ様と仲良くさせていただいておりまして……」
「まあ、そうなのですか? ですがそういうことならご安心くださいませ。ハイネさんとはお互いにそういった感情もありませんので、気まずいとかはありませんわ」
いや、ハイネは気まずいと思っているのだが、とはさすがに言えない。
嬉しそうににこにこと笑っている彼女にこれ以上なにかを言うのは野暮だろうと、パトリシアは大人しく頷いた。
「そういうことでしたら……。よろしくお願いいたします」
「――! はいっ! これからどうぞよろしくお願いいたしますわ」
こうしてアヴァロンの聖女、セシリー・フローレンと友達になったのだった。




