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九話

「……な、な、なんっっって失礼なっ!」


「私も流石に驚いたわ」


 家へ帰ってきてすぐエマに腕のあざがバレてしまい、先ほどあったことを話さざるをえない状況になってしまった。

 元々一人で抱えるにはあまりにもな内容だったため、子供の頃からずっと一緒で、一番信頼のおける彼女にだけ伝えたのだ。

 するとエマは自分のことのように、当人であるパトリシアよりも憤りをあらわにしてくれる。

 その様子を見ているだけで、心がスッと軽くなった気がした。


「……彼女、あのままではいつかとんでもないことをしでかしそうで少し怖いのよね」


「いえ、お嬢様に話しかけた時点でやらかしてます。他の人だったら、それこそ鞭打ちになってますよ」


「それはそうね」


 だからこそキツめに言ったのだが、アレックスの反応的にミーアが理解できているかはわからない。

 泣きつくくらいなら考えをあらためてほしいくらいだ。


「……不敬にあたるのでしょうが、皇太子殿下にはもう少し考えて欲しいと思ってしまいます。なぜお嬢様がまだ……」


「仕方のないことだわ、それは」


 そう、仕方のないことなのだ。

 だからこそパトリシアはそこを一切考えずにいるのだから。

 考えても無駄なことに時間を割く余裕はない。


「とにかく、彼女のことを調べなくては……。エマ、これをセシル卿に渡してちょうだい」


「かしこまりました」


 ちょうど髪型のセットもできたらしい。器用な彼女に任せると、毎回違った髪型にしてくれるからありがたい。

 ハーフアップされた髪型を軽く眺めた後、椅子から立ち上がった。


「ひとまず皇宮に行かなくちゃ」


「かしこまりました。準備いたします」


 エマが瞬時に動いてくれて、あっという間に皇宮へと向かうことができた。

 今日はいつもの話し合いではない。

 むしろそれよりもずっと緊張する、パトリシアにとっては勝負とも言えるお茶会だ。

 皇宮の奥、さまざまな花が咲き誇る庭園にその人はいた。


「帝国の月、皇后陛下にご挨拶申し上げます」


「ようこそ、パトリシア。さあ、座ってちょうだい」


 現皇后にして、クライヴの実の母親。年齢は三十を優に超えているらしいが、見た目はパトリシアと同い年かのように若々しい。

 パトリシアが目指す未来の姿であり、理想の姿でもある。


「あなたの好きなお茶を淹れたの。ゆっくり私とお話でもしてちょうだい」


「ありがとうございます」


 現皇后はクライヴの実母であり、アレックスと血の繋がりはない。

 フレンティア家は彼女とは敵対関係にはあるが、それでも彼女はパトリシアに優しくしてくれている。


「最近も忙しそうね? 大丈夫?」


「大丈夫です。むしろやりがいがあって充実しています」


「無理してはだめよ。あなたは頑張り過ぎてしまうのだから」


 昔から根を詰めすぎてしまうところを指摘されていたからか、その言葉には苦笑いで答えるしかできなかった。

 その反応も予想していたのか、皇后は仕方なさそうに息をつく。


「……あなたの心配はそれだけじゃないわ。アレックスのことよ」


「……」


 王宮で起きたことを、彼女が知らないはずはない。

 戦わずに皇位争いから退いたのは、偏にクライヴのためである。

 アレックスの母親は側室で、実家の力はそれほど強くはない。

 しかし彼女は強かであり息子を皇位につけることに躍起になっていた。

 その様子は狂気じみていて、幼い頃そばにいてとても怖かったことを覚えている。

 そんな彼女から息子を守るため、皇位をアレックスに譲った彼女は確かに戦いから逃げたのかもしれない。

 けれどどうしても、パトリシアには皇后が弱い人だとは思えないのだ。

 彼女は自らの願いすら捨てて息子を守った強い人。

 そんな人が自らの庭とも言える皇宮内のことを知らないはずがないのだ。


「あなたが望むのなら、あの奴隷は今すぐにでもやめさせられるわ。どうする?」


 瞳に光が鋭く走り、部屋の中に緊張感が漂う。

 こうしている今この一瞬も、パトリシアは試されているのだ。

 現皇后から次期皇后を。この人たる存在なのかを。

 だからこそ努めて冷静に、震えそうになる手を必死に隠して、なんてことない日常の会話のように微笑むのだ。


「まずは皇后陛下のお心遣いに感謝申し上げます。そして答えですが、どうもいたしません」


「…………いいのかしら? それではアレックスは盗られてしまうけれど」


「奴隷の娘になにができましょうか? 彼女が私の立場になることはあり得ませんし、万一になれたとしてもそこまででしょう」


 むしろ皇后になってからが大変だというのに。

 王宮で働く者たちの管理から、必要な経費を見積もって予算案を出したり。

 外国の貴賓を迎え入れ、おもてなしもしなくてはならない。

 それには礼儀作法が必須だが、それは一朝一夕で身につくものではない。

 それに国内の貴族たちとだってそれ相応の関係値を持っていないと、自分の首を絞めることになるはずだ。

 パトリシアが今までやってきたことは全て、未来の自分のためなのだから。


「だからなにもしません。彼女は私の敵ではないので」


「……そう」


 ひっそりと上がった口角に、気づかれないように息をついた。

 どうやら今の回答は正解だったらしい。

 彼女のお気に召したようで安心したのと同時に、先ほどの言葉を自らにも刻む。

 そうだ。彼女がなにをしようともパトリシアには関係ない。


「……でも、辛くないわけじゃないのよねぇ」


「え?」


 皇后は横を向いて、遠くに咲く白い花を見つめる。

 一点の汚れもないその花になにを思ったのか、彼女は少しだけ目を細めた。


「アレックスが産まれたとき、私は嫉妬でおかしくなってしまいそうだった。どうして皇后の私より、側室の女が先に、って」


「それは……」


「意地でもアレックスを皇位になんてつけてやるものかと躍起になったわ。それでクライヴを妊娠した時、喜びと同時に恐怖も感じたの。ここは、子供がただ生きていくには、あまりにも過酷なところだと知っていたから」


 アレックス、クライヴ共に幼少期に何度も毒殺未遂はあった。

 わかりやすい毒から、組み合わせによるもの。果てはアレルギーだったり。

 ここは、そういう場所だ。


「なによりも守るべきは我が子だと、そう思ったらあとはどうでもよくなったの。アレックスが皇位を継いだら、クライヴには継承権を放棄させて、親子で田舎にでも住むつもりだったわ」


 アレックスには子供はおらず、継承権を持つ者はこの世に二人。だからこそ、アレックスが皇帝となる日まで、クライヴは継承権を放棄できないのだ。


「アレックスが皇位を継ぐには、まだ難しい点がたくさんあるわ。……あなたが未だ皇太子妃になれないように、クライヴもまだ自由にはなれないのよね」


「……そう、ですね」


 皇太子妃として必要な授業などは全て終わり、年齢的にもなんら問題はない。

 だが、パトリシアは未だ皇太子妃候補なのである。

 その原因はわかっているのだが、解決には至っていない。

 それはある意味でパトリシアの力不足なところもあるため、致し方ないと思っている。


「私の力不足なせいです」


「おやめなさい。これはあなたのせいではないと、私がはっきりと言います。いいですね? これはアレックスの問題です。……こんなことなら、私が逃げずにクライヴを皇太子にしていたらよかった」


「そ、れは……」


「わかっているわ。でもたまに、そう思ってしまうのよ」


 欲がないわけではないのだろう。実際彼女は自らの息子を皇太子にと考えていたのだから。

 けれどそれよりも息子の命を優先した彼女は、たまに後悔するのだろう。

 特に今。


「そうしたらあなたはクライヴのお嫁さんになったのね。頑固なあの子もあなたのいうことは聞くから、その方がよかったかもしれないわね」


「クライヴ様が嫌がります」


「あら、そうよね。あなたはそうだったわね」


 なにやら意味深げな言い方に思わず頭をかしげてしまう。

 しかし教える気はないらしく、彼女は楽しげに笑うだけだ。


「ひとまず、あの奴隷のことはあなたに任せます。好きになさい」


「ありがとうございます。皇后陛下のご期待に応えられるよう尽力いたします」


 毅然とした態度で居続けなくてはならない。

 誰がどこでなにを見ているかわからないのだから。

 もし次彼女に会うことがあったとしても、傷つくことはあってはならない。

 未来の皇后として、強くあり続けなくてはならない。

 今目の前にいる、この人のように――。

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[一言] 仮に、主人公が候補から降り 奴隷ちゃんが王子様の恋人になったとする。 そうなると、恋人は王妃のお仕事が出来ないから王子は王太子にならないってなる。 恋愛脳になってる王子様はそれでも結婚で…
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