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赤獅子の末姫は物語から退場したい  作者: ななみ
赤獅子の末姫は物語から退場したい
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二人の侍女

「……あれが侯爵のお屋敷? まるでお城みたい」


「救国王がここを拠点にサヴィナ帝国を退けてきたからね。戦が終わる度に次に備えてより堅固なものへと強化され、次第に規模も大きくなっていったんだ」


 アレクシスの説明を受けて合点がいく。屋敷から伝わってくる奇妙なちぐはぐさ、迷路のように入り組んだ構造、それは増築に増築を重ねた結果の産物であった。

 最初の形態は、恐らく四隅に見張り塔を加えただけの単純な箱型建築。状況に応じて周りに別棟を設けては本邸と繋ぎ、その都度石垣も形や大きさを変えていった跡がある。

 救国王が亡くなってからも改良は続けられてきたのだろう。形こそ似た尖塔でも一方は装飾にもこだわって、時代とともに向上した建築技術を見せつけていた。


 ――にしても、よくこんなもの維持してきたよ……。


 その費用はいかほどか、ジークリットには想像もつかない。屋敷を回す使用人の数も、ファラー家とは比べ物にならないはずだ。


「さあ、着いたよ」


 侯爵が長きに渡る馬車の旅へ終わりを告げる。

 開放的な玄関前の石畳の上に降り立ち、ジークリットは手始めに新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。本当は思い切り伸びをしたかったが、侯爵の目があるので我慢する。


「お帰りなさいませ、旦那様、アレクシス様」


 アレクシスに手を引かれて階段を上ると、左右に分かれて整列していた使用人たちが、一斉に恭しく頭を垂れた。そこから代表して家人の前に進み出たのは、いずれも上等な仕着せをまとった三人の老齢の男女だ。


「紹介するよ、ジークリット。我が家の家令と女中頭、そして執事だ。彼らは屋敷や街のことを熟知しているから、頼りにするといい」


「若奥様のご期待に添えるよう尽力致します」


「わかっ……?! よ、よろしく頼みます……」


 不慣れな尊称に意表を突かれ、ジークリットがどうにか絞り出した挨拶は、酷く間抜けなものであった。

 とはいえ、さすがに侯爵家の使用人を束ねる長たちだ。上品とは言い難い令嬢に対して彼らは粛々とかしずき、厄介な赤獅子を前に少しも動じることもない。


「あの……私の侍女は予定通りに到着した? 先に荷物と一緒にこちらへ向かったのだけれど」


「ええ、一時間ほど前に。はて、若奥様がお見えになったと伝えたはずですが……」


 腰の曲がった家令は侍女の姿が見当たらないことに気づき、目元を覆い隠すほどの白い眉を曇らす。 


「無事なら良いの。それに荷解きが終わり次第、休憩を取るよう言ってあるから」


 心底ホッとして顔を綻ばせる。そんなジークリットを仰ぎ見て、家令はどこか満足げに改めて頭を下げる。


「侍女と言えば――カーヤ、その二人が君に選定を一任した者たちかい?」


 高齢のわりにしゃんとしている女中頭は主人の問いに頷き、背後に控えていた二人の麗しい娘たちに辞儀をさせる。

 片方は艶めく黒髪の聡明そうな少女、もう片方は綿のように広がる栗毛の可憐な少女だ。両者のしなやかな肢体を覆う服は色や飾りこそ地味なものの、上質な生地と丁寧な縫製は二人がただの使用人ではないことを示していた。


「ヘラとローゼマリーです。共に歳は十七、見目はもちろんのこと良家に劣らぬ教育を受けております。若奥様の侍女のみならず、お話相手も充分に務まりましょう」


「わあ、嬉しい……! お心遣い痛み入ります」


 酷い棒読みと引きつった笑顔で感動が伝わるはずもなく、ジークリットを中心に微妙な空気が流れ始める。それをかき消してくれたのは、人形のように愛らしい侍女のローゼマリーであった。


「わ、若奥様はバルドゥールの英雄たるキバキ様の御子孫。こうしてお仕えできることは身の誉れにございますっ……」


 白い頬を紅潮させ、恥ずかしげに声を絞り出しては淡い水色の瞳を伏せる。

 何とも庇護欲をそそる姿に、年上と知りつつもジークリットは無性に頭を撫でてあげたくなった。そんな衝動を必死に抑え、もう一人の侍女ヘラへ視線を移す。

 品良く化粧を施した才媛は淑やかに拝礼し、薄紅色の唇に媚笑を浮かべる。


「若奥様が快適にお過ごしになられるよう誠心誠意お仕えいたします。どうぞ何なりとお申しつけください」


「そんなに気張らなくてもいいよ。多分、暇を持て余すことになると思うし」


「お側に置いていただけるだけで幸せに存じます。高貴な方の立ち居振る舞いを間近で拝見できるのですから」


 ……反面教師にでもするつもりかな?


 良き手本を求めているのなら、奉公先を即刻変えるべきだ。もしも彼女らがただの侍女であれば、ジークリットは迷わずそう忠告した。

 一人は道先案内人、もう一人は引きつけ役。

 そんな言葉を頭に思い浮かべながらヘラを見ると、すでに彼女の欲望を孕んだ灰色の眼は別の人物を映していた。


「アレクシス様も……ご所望とあらばいつ何時でも馳せ参じますわ」


 口元のほくろと艶かしい体つきから漂う色香を駆使し、ヘラがあからさまにアレクシスを誘惑する。その寵愛こそ彼女の真の狙いらしい。

 しかし残念なことに、標的の関心は別にあった。


「――えっと……アレク、何?」


 侍女を紹介された辺りからずっと真横で凝視され、一同がそれに倣うせいで、これ以上は放置できなかった。


「不満があるなら言ってよ。それとも私の顔に何かついてる?」


「いや、随分と素直に聞き入れるから意外で。侍女は一人で事足りる、君ならそう断るかと思っていた」


 軽く首を傾げ、アレクシスが優雅に微笑む。素朴な疑問のつもりだろうが、透き通った青緑色の瞳はジークリットの挙動をつぶさに観察していた。


「……できればそうしていたよ。けど、侯爵家の方針に従うと言ったでしょう?」


 淡々と答えるその裏で、ジークリットの心臓が早鐘を打つ。階段を上った後にさりげなく手を離しておいて正解だった。


「当然です!」


 なおもアレクシスの追及が続く気配を感じ、人知れず身構えた矢先、女中頭のカーヤが腰に手を当てて割り込んできた。


「若奥様の側仕えがただ一人では、グリーベル家の沽券に関わります。女主人としての務めにも支障が出ましょう」


 カーヤの口ぶりや態度から、この家でどれだけの年月を過ごし、家人の世話をしてきたのかが推し量れる。そのためか主である侯爵の方が遠慮がちに見えた。


「その辺りは私も道中で話したが、屋敷内ではあまり窮屈な思いをさせたくないんだ。まずはここでの生活に慣れてもらいたい」


「承知しております。ですが常日頃より高い意識を持って頂くことが肝要と……」


「至らぬ点があるなら僕が叱る。ただ、立場や責務にばかり固執して、ジークリットらしさを失ってほしくはないな」


 父親譲りの落ち着いた語調で会話に滑り込み、アレクシスは成り行きを見守っていた妻の腰をごく自然に抱き寄せる。


「僕の望みはジークリットの笑顔だ。皆もよく覚えておいてくれ。……そう、余計なことに囚われずね」


 意味深に呟き、アレクシスが底の見えない穏やかな微笑をヘラへ贈る。やんわりと拒絶され、すごすごと引き下がる侍女をジークリットは少し憐れんだ。


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