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赤獅子の末姫は物語から退場したい  作者: ななみ
赤獅子の末姫は物語から退場したい
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お説教は慣れている

「――――さて、ジークリット」


 やっと人々の視線から逃れ、安堵したのも束の間、居住まいを正すジークリットの前にさらなる試練の扉が開いた。


「も……申し訳ありませんでした」


「お手柄だと褒めてあげたい気持ちもあるが、あれは君の役目ではない。次に同じ場面に遭遇した時、君はどう対処するかな?」


 侯爵の心地よい柔らかな声が、却って緊張感を生む。

 膝の上で固く握りしめた拳をアレクシスの手が覆い、じんわりと伝わってくる体温のおかげか、ジークリットは意外と冷静に現状を受け止めていた。


「昔から殺気を前にすると我を忘れてしまうんです。直そうと心がけてはいるのですが、上手く制御できなくて……」


 普通なら耳を疑う話だろうが、語り手が赤獅子ともなると、アレクシスも侯爵も平然と相槌を打っていた。


「次は……次こそ慎重に見極めます。私が動くべき相手かどうか」


 対するは白昼堂々と盗みを働くような素人ではなく、夜陰に紛れて暗器を繰り出す殺し屋だ。ただ、それも困るなという程度で、本当に厄介な存在は他にいる。

 彼らはずっと戦いの火種を、掲げる旗印を欲してきた。バルドゥールというこの国を滅ぼすために。


「ふむ……、反省の気持ちは伝わってくるのだが、私が求める答えではないな。アレクシスはどうだい?」


「彼女の考え方はこれまでの人生で培われてきたものでしょうから、こちらも腰を据えてじっくりと説き伏せていきましょう」


 不満げな侯爵からアレクシスが庇ってくれている。それは察しても、何を間違っているのか理解できず、ジークリットは頭を捻る。


「大丈夫だよ。一緒にいる時はこうして繋ぎ止めているし、どこにいたって見つけ出す自信があるから」


 悶々とするジークリットの手を指を絡めてしっかりと握り、アレクシスはそれを掲げる。まるで雉や鹿でも捕獲したかのように。


「ではお手並み拝見といこうか。と言っても私はお前たちの味方だよ。むしろ初孫が楽し……」


「あ。ほら、ジークリット、二の門が見えてきたよ」


「え? でも侯爵が今何か……」


 言いかけたような気がしたが、アレクシスが珍しく手を引っ張って急かすので、仕方なく彼にくっついて窓の外を窺う。

 侯爵家へ続く第二の門もまた厳重な警備が敷かれ、無骨な石壁と相まって非常に近寄りがたい空気をまとっている。


「この先は大学に各種研究施設、図書館、天文台などが建つ教育区画だ。学者や学生たちには平時のとおり勉学に励むよう通達してあるから、もう視線を気にしなくてもいいよ」


 図書館、天文台……未知の宝庫にジークリットの胸が高鳴る。

 いいなぁ、行ってみたいなぁ。けど私が訪れたら迷惑になるかな……。


「近い内に案内するから楽しみにしていて」


 アレクシスがくすりと笑い、そわそわし始めた妻の頭を撫でる。もちろん素直に喜べるはずもなく、ジークリットはぎこちなく礼を述べた。

 門前で馬車が停止し、程なくして重々しい音を響かせ、厚い扉が開かれていく。すると主の帰還を報じるトランペットが盛大に鳴り響き、驚くジークリットをよそに馬車は再び動き出した。

 この音……、勉強妨害では? でも、まあ、これは……。


「壮観だなぁ……」


 深い青の軍服に身を包み、道の両側にずらりと整列する衛兵たちを見て、ジークリットは再び感嘆の息を漏らす。


「軍人家系のお嬢さんでも珍しい光景なのかな」


「私は聖騎士団とは無関係ですし、特にロルフ……下の兄が仕事場には近寄るなと。あそこは男だらけの危険地帯だとか何とか」


「なるほど、妹思いの兄君だ。まあ、聖騎士団長のご息女に軽々しく手を出す粗忽者は、そういないだろうがね」


「手を出す? 喧嘩を売られるということですか?」


 何それ怖い。ロルフ兄様が単に心配性なだけだと思っていたのに。


 元々行くつもりなどなかったが、その決意はより強固なものとなる。返り討ちは容易い。けれどジークリットの体は破滅的に加減を知らないのだ。

 レースで飾り立てられた華やかな衣装にそぐわぬ簡素な短剣を見つめ、ジークリットは思いつめた表情で奥歯を噛みしめた。


「違うよ、ジークリット。父上やロルフ殿は女性に不埒な振る舞いをする輩がいないか危惧したのさ」


「女性に……ああ、何だ。それなら平気。男性が好むのは華奢な色白美人だって本に書いてあったもの」


 長身、小麦色の肌、無駄に派手な容貌、好かれる要素は皆無だとジークリットは気を緩める。


「君の自己評価の低さと危機感の乏しさには、不安を覚えるな」


 アレクシスが肩をすくめてため息をつくと、軽く毛先のはねた銀青の髪がしなやかに揺れる。ジークリットは怪訝な顔をしつつも、それをつい目で追ってしまった。

 生を受けて十四年、ほとんど屋敷から出たこともなければ、一族以外に知り合いもいない。だから美醜の基準はよくわからないし、恐ろしいと噂される父の野性的な風貌も、ジークリットにとってはひげと愛嬌に溢れた温かい人だ。


 ああ、でもアレクだけは一目で美しいと判断できたな。


 彫刻みたいに端正な目鼻立ち、白磁でできているのかと思うほど肌は滑らかで、特に羨ましく感じたのはラングハインの湖によく似た青緑色の双眸だ。


「……ジークリット。そんなに熱っぽく見つめられたら、大多数の男が誤解するよ」


 夢中になって凝視していたらしく、アレクシスが微かに頬を赤らめ、苦笑いする。


「ごめんっ、けして悪意があったわけでは……。アレクの瞳が好きだなぁと思っただけで」


「そうか。君は僕の理性を試しているのか」


 どこか言い方に棘を感じ、そこまで気分を害したかとジークリットはうろたえる。


「あ、あの、ごめんね。もう見たりしな――」


「瞳だけ?」


 平謝りのジークリットの隣で、アレクシスがぼそりと呟く。しかも何故か拗ねた様子で、向かいに座る侯爵が物珍しそうに瞠目していた。

 ……だけとは? もしかして、それ以上は興味を持つなと釘を刺してる?


「別に深い意味はないよ。良い色だから褒めたの」


 淡々と身の潔白を訴えれば、アレクシスは形の良い唇をやや尖らせる。けれど、大きな黄金の瞳に映る子供じみた己の仕草に気づくと、ふっと頬を緩めて笑い出した。


「驚いた。僕もこんな顔するんだな」


「え? どうしたの、急に」


「直感に従って正解だったという話」


 アレクシスは器用に片目を瞬いて、唖然とする妻を置いて、侯爵と謎の笑みを交わす。

 説明を求めても混乱が増すだけ。そう予想したジークリットは敢えて深入りせず、商店街とは違う種類の活力に漲る街並みを眺めることにした。

 塀で囲われた大規模な建物が多い。書店や文具店もまた立派で、外観だけでも豊富な品揃えを期待させる。

 通りを行き交う学徒は侯爵家の馬車に気づいても足は止めず、本や羊皮紙の束を抱えて忙しない。切羽詰まった様相ながら不思議と息苦しさはなく、充実した日々だけを感じさせた。広大な公園と街路樹の淡い緑が、良い癒しとなっているのかもしれない。


「ここにある施設は誰でも利用できるの?」


「面接を受けた後、学費を納めれば……特例もあるけどね。あと場所によっては立ち入りに資格が必要だよ」


 つまり……素性はきちんと調べているんだ。

 少しホッとして、すぐにその甘い考えをかなぐり捨てる。赤獅子をつけ狙う彼らにとって、偽称はお手の物だ。


「他に知りたいことは?」


 質問されることが嬉しいのか、アレクシスは口元を綻ばせ、ジークリットを見つめる。


「あ、えっと……ちなみに特例って?」


「奨学生だよ。一定の成果を上げる代わりに、我が家で援助している。僕の従者もその一人で、呑み込みが早そうだから引き抜いたんだ」


「……忠誠心が高いわけだね」


 今は御者の隣に座る朴訥な青年を頭に浮かべ、ジークリットは微苦笑する。

 言葉にはせずとも、主人の不利益にしかならない花嫁を疎ましく思っていることは知っていた。アレクシスは実に慕われている。


「難点は愛想の悪さかな。君も不快に感じたら容赦なく叱ってくれ」


「え?! でも私……叱るのは慣れていないし……」


 非の打ちどころしかない人物に責められては、相手も心外だろう。下手に近づかないよう威嚇し続けるのも胸が痛いし、むしろ見習えとアレクシスを諫めたい。

 離れる気配のない手をジークリットが思案げに見据える中、我関せずにいた侯爵がおもむろに口を開いた。


「三の門が見えてきたよ。あれを越えたらいよいよ我が家だ」


 長く緩やかな坂道を上りきったその先に、高くそびえる第三の内門。

 手前を深く幅広い水堀が陣取り、もしも泳いで渡ろうとすれば、頂上の歩廊や側塔に立つ見張りの兵に容赦なく弓矢で射抜かれる仕組みだ。


「国の要所ともなると、防衛設備も王城並みに大掛かりだね」


 跳ね橋が降りるのを待ちながら、ジークリットはぽつりと呟く。そのこめかみ辺りで頷くアレクシスの視線は、胸壁の隙間から顔を出す衛兵たちに向けられていた。


「侵略の歴史がこの街をより強固に、そしてより豊かに発展させていった。けれど人の出入りが活発になればなるほど問題も浮上して、完全無欠とは中々難しいよ」


 ノルデンだけでこの規模だ。領地全体に目を光らせることなど到底不可能だろう。


「けど、やりがいを感じているんでしょう?」


 先ほど見かけた学徒らもそうだった。悩ましげな表情をするわりに、全身から強い気概が溢れ出ている。その指摘はアレクシスの意表を突いたようで、言葉に詰まった彼を見てジークリットもまごついた。


「ごめん。何か気に障った?」


「あ……いや、違うんだ。やりがいなんて考えたこともなかったから、少し驚いて……」


「良い兆候ではないか。一つ目標を達成して、心にゆとりが生まれたのだろう」


 戸惑う息子へ慈愛の眼差しを向け、侯爵は喜びを仄かに表した。


「だが油断してはならないよ。いずれ侯爵家を、このヴァインガルトナーを背負っていくんだ。これまで以上に厳しく指導していくからね、二人とも」


「二人とも」と口にしながら、侯爵の淡い榛色の瞳はジークリットだけを見据えていた。

 自慢の息子に比べて不安要素しかない嫁。たしかに貴族としての気品に欠けてはいるが、ジークリットとてそれなりの教育を受けてきた。


「無芸大食と蔑まれているのでしょうが、こう見えて算術と語学は得意なんです。小さい頃から家政は女の仕事と教え込まれてきましたし、趣味が高じて今や七か国語は理解できます。必ずお役に立てることがあるはずです!」


 なけなしの自尊心をあらわにし、前のめりになって己を売り込む。

 隣でアレクシスが素直に感心する中、侯爵はわずかに面食らい、やがて安堵したかのように胸を撫で下ろした。


「アレクシスが君に執心する理由がわかった気がするよ」


「え? それは……」


「先代の遺言のせいですよね」とジークリットが返す前に、侯爵は二の句を継ぐ。


「誤解しないでくれ、私が君に向けるものは期待であって侮蔑ではない。そして今、望外の喜びに打ち震えているよ。君がそれほどまでに立場を自覚しているとは」


 舅の中の私は相当な横着者らしい。

 けれど侯爵が大げさに涙ぐむものだから、苛立ちよりも動揺が先んじた。


「あ、あの……よろしければ、どうぞお使いください」


 レースで縁取られたハンカチを恐る恐る差し出すと、侯爵はより瞳を潤ませ、くぐもった声で感謝を述べながらそれを受け取る。

 余計なお世話ではなかっただろうか、と不安げに見守るジークリットの耳元にアレクシスが唇を寄せ、苦笑交じりに囁いた。


「ごめんね、父上は涙もろいんだ。グリーベル家は一族円満とは言えないから、我が家を盛り立てようと奮起する君に感動したのさ」


「私は当たり前のことを言ったまでだよ」


 居候するからには、その分の対価をきちんと払いたい。それだけだ。

 先刻の騒動も勘定に入れると、すでに負債を抱えたことになるわけだが。

 人知れず挽回を誓うジークリットの足裏に伝わる、車輪の振動。ギシギシと鈍い音を鳴らしつつも馬車は無事に跳ね橋を渡り切り、門衛所や兵舎が連なる緩やかな曲がり坂を駆けていく。

 その先で待ち構えていたのは、荒々しくも荘厳な暗灰色の建物だった。


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