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赤獅子の末姫は物語から退場したい  作者: ななみ
赤獅子の末姫は物語から退場したい
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美と勝利の女神

「アレクシス! ジークリット!」


 停止した馬車の横で待っていた侯爵が、優しくも恐ろしい笑顔で手招きする。その傍らには身なりの良い裕福そうな家族が立っていた。


「おいで、ジークリット」


「馬から降りるくらい自分で――あ、いや、うん。ありがとう、アレク」


 舅の圧をひしひしと感じながら、ジークリットはアレクシスの手を借りて下馬する。そして並び立つ夫婦の前へ楚々と進み出たのは、藤色の外套がよく似合う老婦人だった。


「鞄を取り返してくださったこと、感謝してもしきれません。しかも、かようなめでたき日に多大なご迷惑をおかけしてしまい、どうお詫びをしたら良いか……」


 特にめでたくもないから大丈夫。そう言いかけたのを慌てて喉奥へしまいつつ、ジークリットは頭を下げる彼女の杖に着目する。


「怪我がないようで安心した。足が弱っているなら人の多い場所は気をつけないと。強盗を追いかけようとするなんて論外だよ」


 馬車の中で偶然視界に捉えた犯行の瞬間を思い出しながら、風が吹けば倒れてしまいそうな老婦人にやんわりと注意する。


「まあ、赤獅子様の何とお優しいこと……! それでいて強く凛々しく……、さすがアレクシス様のお選びになられた方ですわ」


 選んでないよ、不可抗力だよ。と密かに訂正するジークリットの肩を抱き寄せ、老女から幼女まで虜にしそうな貴公子が雅やかに顔を綻ばせた。


「美と勝利の女神ジークリットも霞むほどの眩さだろう。彼女と巡り合えて僕は本当に果報者だ」


「ア、アレクったら大げさな……」


 その名をつけられたせいで、メーア聖教から余計に憎まれていることも知らないのか。内心ムッとしたものの、侯爵の手前、素直に感情をあらわにするわけにもいかない。


「そ、それより早く鞄を渡してあげて。中身がちゃんと揃っているか少し心配」


「ああ、そうだね。意外と重くて驚いたけれど、何か壊れたりしていないかい?」


 無事に手元へ戻った手提げ鞄を老婦人は嬉しそうに抱きしめ、改めて深々と頭を垂れた。


「ご親切にありがとうございます。亡き主人との思い出の品もたしかにここに」


 広げた鞄の中にはベルベットや革製の上等な小箱が多数あり、世間知らずのジークリットでも何を納めるものか察しがついた。


「こんなに沢山の宝飾品……、もはや盗んでと言わんばかりだね」


「まったくですよ! 店で手入れしてほしいならこっちから迎えに行くのに、わざわざ歓迎式の日に出歩いて! 大通りは混雑するとお触れが回ってきただろう?!」


「最近のお義母さんは物忘れが酷いのよ。だから一人暮らしは危険だと言ったのに」


 突如、恰幅の良い中年の男女が老婦人に詰め寄り、戸惑うジークリットにそっとアレクシスが耳打ちする。


「彼らはご婦人の息子夫婦だよ。ノルデンで最も有名な宝石店を代々営んでいる」


 大通りに並ぶ商店の中でも一際目を引く、三階建ての豪華な建築物。あれがそうだと教えられ、貴族顔負けの漂う高級感にジークリットは絶句した。


「ご、ごめんなさい……。けど途中までは辻馬車に乗ってきたのよ。新しく雇った小間使いが呼びに行ってくれてね」


「それは妙な話だ。小間使いも御者も、彼女が大通りを渡れず立ち往生すると予想できただろうに」


 独り言のような侯爵の呟きに、先んじて反応を示したのはアレクシスだった。


「気になる点がもう一つ。今回の犯行ですが、どうも計画的なものに感じるんです」


「つまり鞄の中身を知っていたということ?」


 ジークリットが小首を傾げて問いかけると、アレクシスは表情に鋭さを宿したまま静かに頷く。


「あの男たちは恐らく南部にある漁師町の出身です。微かに日焼けの跡と独特の訛りがありましたから。しかしながら標的の情報や予定を知り尽くし、我々が衆目を集める最中へまんまと連れ出した」


「――――実は、件の小間使いが手入れを勧めてきたのです。大事にしていたつもりが、いつの間にかブローチの金具や指輪の台座に汚れや傷がついていて……」


「あなたの持ち物なら宝石だけでも価値がありそうだ」


 おずおずと事情を打ち明けた老婦人の顔色が、アレクシスの言葉でさらに青白くなっていく。もはや共犯は確定と、侯爵が近場の衛兵を呼びつけた。


 ――日焼けの跡なんてあった? 発音は変だと思ったけど、あんな一言や二言で訛りまでわかるわけがない。


 夫の末恐ろしい観察眼を、ジークリットは称賛するよりもまず身震いした。


「寒い?」


 どんな些細な挙動も見逃す気はないらしく、アレクシスはジークリットに寄り添い、その引きつった頬を優しく撫でる。


「夏の初めにしては暖かい方だよ。でも君は温暖な南部育ちだからね。後は兵たちに任せて馬車に戻ろうか」


「……同じ南部でも、漁師町と違ってラングハインは盆地だから冬は冷えるよ」


「ここは冷えるというより凍るかな。さあ、ほら馬車に乗って」


「え? ちょっと待って。凍るって何が?」


「色々だよ。最悪、人体とか」


 最悪と言いつつアレクシスは呑気に笑い、呆然とするジークリットを車内へ押し込む。最後に侯爵が座席に着くと、遅れた進行を取り戻すべく速やかに馬車は走り出した。



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